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あたりまえをアップデート
力をあわせて
島の課題を超えていく

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

AMAホールディングス株式会社は、島根県の離島にある海士町(あまちょう)でまちづくりを担う第三セクターです。

役場と民間、島内と島外、地方と都市などの境界を超えて連携しながら、島の未来を見据え活動しています。

ここで募集するのはプロジェクトマネージャーとして事業を推進する人、会社全体を支えるバックオフィス担当、そしてインターンとして関わる人です。

大切にしているのは、まずやってみること。

日々の地道な試行錯誤が、島、そして日本の未来をつくっていく。そんな仕事になると思います。

 

東京から飛行機、電車、フェリーを乗り継いで海士町へ。

フェリーに揺られること3時間、海の向こうに浮かぶ島が見えてくる。

3つの島に囲まれた内海はとても穏やかで、港から覗くだけでも魚が泳いでいる姿を目にすることができる。

港から徒歩5分の観光拠点「Entô」で話を聞いたのは、AMAホールディングス代表の大野さん。

「島に来たのは1年ぶり?あのとき構想していた海でのプロジェクトがはじまって、5年目になるふるさと納税の事業はさらに目標金額が上がって。空いていたログハウスを宿にしたり、最近は社員みんなでオフィスを建てているところなんだよね」

海士町は高齢化や人口減少、財政難など、日本各地で課題となっていることに早くから向き合ってきた課題の先進地。

教育や観光、産業など地域の資源を活かし、行政と民間が協力しながらいろいろなプロジェクトを立ち上げ、ぐいぐいと進めてきた。

さらなる攻めのまちづくりをしていくにはどうしたらいいのか。

そこで2018年に立ち上がったのが、AMAホールディングス株式会社。

「町の困りごとの解決とAMAホールディングスの売上を立てられることの組み合わせを考えるなかで、出てきたのがふるさと納税で。当時は3,000万だった寄付額を、ぜんぜんわからないけど1億にする!っていう目標を立てたんだよね」

ふるさと納税の寄付額が増えれば、まちで使える資金が増えていく。

当時は80ほどしかなかった返礼品を300まで増やしたり、都会でイベントを開催したり、フェリーターミナルで観光客にチラシを配ったり。

できることをとにかく試した結果、寄付額は2億8000万に。2018年から900%以上の増額に成功した。

そこで得た資金の一部は「海士町未来共創基金」という仕組みを通じて、島であらたな事業に挑戦したい人に対して投資。これまでにあらたな観光の仕組みをつくる事業や、島で牛乳を生産する事業などが立ち上がり、島であたらしい産業が生まれている。

あらたにプロジェクトマネージャーとして迎える社員には、引き続き盛り上げていきたいふるさと納税の推進から任せていきたいと考えているところ。さらに島でできることを増やしていくために、しなやかなチームを支えていく、攻めのバックオフィスを担う人も探している。

そんなAMAホールディングスで今年大きく動いていたことのひとつが、自分たちのオフィスでもある「リビング・ラボ」を建てたこと。

建てる過程をすべてプロに委ねるのではなく、AMAホールディングスの社員や島の人たちも参加して一緒に建てていく「NESTING」という仕組みを活用した。

「もうすぐ竣工式なんだけど、ふと腰袋のあたりに手がいっちゃうくらい、建てるのがたのしくて。せっかく技術を身につけたから、もう1つ建てたいなって思ってるところなんだよね」

海士町の人口は約2300人。

その6人に1人は島の外からやってきた人なんだそう。

さらに70名もの人が島で暮らしたいと順番待ちをしているものの、空いている家がなかったり人手不足の工務店の手が回らなかったりで、受け入れることができない状態になっている。

「今回の建て方にアイデアを足してみると、5人が住むことのできる家が1ヶ月半もあれば建てられる。これをイノベーションと呼ばずしてなんと呼ぶっていうね。課題に対してこれまでのやり方でアプローチし続けるには無理がある。なにか方法があるはずだって試してみると、あたらしい扉が見つかるんだよね」

「あたらしいものをもたらすのはいつも素人である、って思ってるから。素人でもやればできるし、素人だからこそ柔軟に考えられる。島内外の組織や人とつながって、テクノロジーを活用して、知らないことに挑戦してみることで、自分たちで変えていけることがまだまだあると思うんだよね」

人も資源も限られる離島が、将来も暮らし続けられる場所であるために。

海士町ではこれまでもさまざまな人たちが連携しながら、一丸となって課題に取り組んできた。

変わらずに大切にしてきたのは「まずやってみること」。そして「はじめれば、はじまる」ということ。

「あたりまえをアップデートしていくことがすごく大事だと思っていて。うまくいかなくてもいいんですよ。うまくいくまで試すだけ。試してビジネスモデルができてきたら、島の誰かに事業を渡して、次の課題に向き合っていくのが僕らの役割かもしれない」

「やりはじめると周りの人が協力してくれて、あたらしい関係が生まれていく。その関係性の中に突破口が見つかることもある。関わる人たちの笑顔が頭に浮かぶってことは、間違いなく実現したほうがいいことで。そうやってたのしく未来をつくっていけるほうがいいじゃない」



島の未来を担う重たい課題にも、軽やかに向き合って突破していこうという姿勢が気持ちいい。

そんなAMAホールディングスで、プロジェクトマネージャーとして働いているのが新庄さん。

ここに来る前は、業務用のベッドを販売する営業として働いていた。

ホテルや旅館の人たちと話すなかで、あたらしい宿泊施設のコンセプトについて考えるところから関わることもあったそう。

「東京から地方に出張したことをきっかけに、大きなホテル1棟を建てるのではなくて、まち全体をホテルに見立てる分散型の観光や宿泊を調べるようになって。地域資源を活かしたまちづくりに興味を持ちました」

「ただ、自社の商品のなかから適したものを提案する立場では、課題に対してできることには限界がある。自分はいち営業マンで、その立場にいないことに、もどかしさを感じるようになったんです」

あるもののなかから提案するのではなく、いろんな人の知恵や力を掛け合わせてつくっていくような仕事がしたい。

そう思っていたとき、日本仕事百貨で目にしたのがAMAホールディングスの募集記事だった。

「出会っちゃいました。もう、呼ばれてるなって。選考過程に書類選考とかオンライン面接とかって書いてあったんですけど、もう行ってみないとわからないなと思って。すぐに行くことを決めて、会えませんか?って連絡したんです」

「私、突拍子もないっていうか。いわゆる出る杭になることが多かったんです。ここに来て大野さんと話してみたら、大野さんが先陣を切って出る杭になっている。ここだったら仲間がたくさんいるんじゃないかと思えました」

移住してきたのは2024年の春。

プロジェクトをいくつも動かしながら、ときには視察対応をしたり、オフィスを建てることに参加したりと、目まぐるしい日々を送っている。

「もう、いろんなことをしていてぐちゃぐちゃなんです」と大変な様子を、とてもたのしそうに話すのが印象的。

「メインはシン・ブルーオーシャン戦略というプロジェクト担当です。海にリーフボールという人工藻礁を沈め、島外の企業と藻場回復の実証実験をしています」

「そこに海藻が生えて魚の住処になったり、海に携わる人が増えて新規事業創出につながる人がしていくことで、海の環境改善を目指していて。一緒にプロジェクトに取り組む企業を探して営業もするし、島の人たちと話をしながら実現に向けて動くこともあります」

「今まで自分が得意としていたスピード感と、ここでのスピード感が違っていて。けっこう苦しかった時期がありました。1人で突っ走りたいところだけれど、最初は大野さんについていってご挨拶するところからはじめるとか。前に進んでいる感じがしなくて、もどかしかったんです」

印象に残っていると話してくれたのは、リーフボールを沈めてみたものの、沈めた場所に問題があり、移動させる必要があったときのこと。

役場の水産担当、漁師、船を持っている人たちが出てきてくれて、協力しながら移設を行った。

「事前に調整しきれなかったことは反省しています。だけど、移設という共同作業があったからこそ会えた人、できた関係性がありました。力が集まってやりとげられた。こうやって島の人に覚えてもらったり、一緒になにかできるようになっていくんだって。正直に言うと、たのしかったですね」

AMAホールディングスに所属しているのは、10名ほどのメンバー。

新庄さんのように、ほぼ全員がこれまで経験していないことを担当して進めている。

「同じ未来、同じ企みにみんなでニタニタしてる感じが好きですね。ただやってるだけじゃなくて、全部に全力なんですよ」

「海士町は日本各地で起きる課題の先進地で。私たちが解決策を見いだすことができれば、日本の未来のためにもなる。すべてに意味があるって思えるからこそ、海士町で、この人たちとやる意味がある。だから本気を出せるんじゃないですかね」

 

新庄さんの話を聞いたあとに向かったのは、建設中のあたらしいオフィス。

このプロジェクトを担当しているのは、「大人の島留学」というインターン制度を使ってこの島にやってきた山田さん。

今日はタイルの貼り方を教えてもらい、コツコツ作業をしていたそう。

「私、小さいころから物件を改修してビフォーアフターを見せるテレビ番組が大好きで。空間をつくって誰かをよろこばせられるようになりたいなと思って、大学では建築とデザインの勉強をしました」

「空き家の改修をするゼミを選んで入ったんですが、コロナ真っ只中で。図面をひけるようになったものの、研究対象にしていた実際の空き家には行くことができず。現場に出て活動するということがなかったんです」

地元の企業に就職したものの、配属されたのは不動産部。

自分のやりたい設計の仕事にはつながらないと思い、1年弱で辞めてしまった。

そんなときに知ったのが、AMAホールディングスの空き家を宿に変えるプロジェクト。

「東京で開催していた海士町のイベントに参加してみたんです。どういう未来をつくっていきたいのか、自信を持って夢を語る感じがすごいなと思って。この人たちと一緒に島で暮らしたらおもしろそうっていう気持ちが湧いてきました」

山田さんが参加している大人の島留学は3ヶ月〜1年の期間、島のさまざまな企業や組織で働くことができる仕組み。

AMAホールディングスの配属になった当初は、宿の事業を手伝うことになると聞いていた。

「はじめてAMAホールディングスに来た日、これからオフィスをつくるプロジェクトがはじまると大野さんからお話がありました。大学で設計の勉強をしていたんだよね、じゃあこれもやってよって言われて。どんなオフィスにしたいか、社員全員に聞いといてって」

建築家みたいな仕事を急に任されたんですね。

「そうです、びっくりしました。わからないことがあったら聞いて!って。周りの方たちは、私が声をかけたらちゃんと時間をとってくださって。すごく温かいチームだなって思いました」

話を聞いて、図面をひいて。

人手が必要なときには島を走り回って人を集めたり、土地の購入手続きも担当したりしたそう。

「大工さんにすべてを頼むのではなくて、アイデアを出したり一緒に設計したり。建物ってこうやって建っていくんだって、むずかしいけど学びになることばっかりで。あたりまえから外れていることが、おもしろいって思っています」

「海士町のためのあたらしいアイデアが生まれてくる場所になるように、まずはいろいろな人が立ち寄れる場所として新オフィスを育てていきたい。今、海士町で走り回っている自分がちょっとだけ好きになれていて。このまま気が済むまで、走り回りたいなと思っています」

たくさんの人たちと関わりながら、本気で取り組み続けることのできる島。

ここでの挑戦に心が動いたら、ぜひ、話を聞いてみてください。

(2024/11/19 取材 中嶋希実)

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