日本の水道普及率は、およそ98%。
逆に、約2%の人たちは、湧水など自然の水をパイプで家庭に引き込んで使用しています。地理的条件から水道を引けなかったり、豊富な水資源を活用したいという自発的な意志だったり。理由はさまざまです。
和歌山県の北東部に位置する高野町でも、その比率はほぼ同じ。東西におよそ22km、南北12kmほどの町内に、現在も生活用水として使われている水源が24ヶ所あります。
そのメンテナンスを一手に担っているのが、向竹(むかたけ)さん。15年前から仕事を始め、現在は町から委託を受けるフリーランスとして活動しています。
温厚な人柄で、住民の方たちからも頼りにされているのですが、年齢を考えて、そろそろ後継者を育てようということになりました。
今回は、地域おこし協力隊として向竹さんと一緒に働く人を募集します。
町内では、長期的な取り組みとして少しずつ水道の普及を進めていますが、地理的条件などから整備が難しいエリアもあり、今後、短期間で需要がゼロになることはありません。協力隊の任期が終わったあとは、向竹さんと同じように、個人事業主として町から委託を受けて仕事をするイメージです。
こうした地域は、同じように全国に点在しているので、将来的には近隣の地域への出張など事業展開をしてもいい。
経験や知識は問いません。山道を歩いたり、自然のなかで何かをつくったり、住民の人たちと話をしたり。そういう営みに親しみを感じられる人を求めています。
高野町へは、大阪市の中心部から電車や車で1時間半ほど。
中心部にある高野山地区は、弘法大師が開いた金剛峯寺などで知られる観光地。一方で今回の活動の舞台となるのは、その外側にあるエリア。
向竹さんと待ち合わせをしたのは、町の西端にある花坂という地区。
「とりあえず行ってみようか」
仕事の内容は見たほうがわかりやすいということで、民家の脇に車を停め、裏山へ入っていく。向竹さんの手には、登山用のストックが握られている。
途中、道幅が30cmくらいのところがあったり、腐って折れた竹が道を塞いでいたり。それでも、向竹さんが管理している水源のなかでは、比較的アクセスしやすい場所なのだそう。
「もっと大きい木が倒れているときは、迂回して谷へ下りることもあります。遠いところだと、道路から20〜30分くらい道なき道を行くこともあるし。猪に会う、鹿に会う。熊にも、3回くらい会うたかな」
地区によっては、向竹さんが自分で足場をつくったり、手すりをつけたりしたところもある。点検作業をしやすくするための整備も進めてきた。
水道の仕事と聞いて想像するより、だいぶワイルドですね。
「ワイルド、ワイルド(笑)。山へ行くだけで疲れるし、体力はいると思う。仕事した日は、よう寝られるで」
歩くこと約5分。山から下りてきた沢の水が溜まっている”水源”に到着。
長さ1m弱の木材を組み合わせた装置は、向竹さんが町に来てから各所に設置したもので、町の人からは「向竹システム」と呼ばれている。そのことを今日初めて知ったという向竹さんは、「そんな名前で呼んでくれてたんか!」と照れ笑い。
原始的な構造ではあるものの、水がこの上を滑っていくことで、砂やゴミを取り除ける。
集めた水は、一度タンクで濾過され、貯水槽につながるパイプへ注がれる。このときに入る気泡がパイプのなかに溜まると、あとで水の流れが滞ることもあるという。
「ちょっと空気を抜いてきます。危ないから、そこで見といて」
そう言い残すと、向竹さんは沢の向こう側へ、ひょいひょいと渡っていく。斜面に沿って渡されたパイプにネジのようなものを差し込むと、小さく水が吹き出すのが見える。
点検をしながら、パイプ伝いに斜面を下っていく向竹さんと、ふたたび民家の裏手で合流。あらためて話を聞かせてもらう。
「僕が生まれ育ったのも、ここと似たような環境でね。もともと田舎暮らしが好きやったから、大阪の大手電機メーカーを早期退職して和歌山に帰ってきたんです。それが49歳のとき」
「ハローワークに行ったら、『高野町内で水源の管理点検ができる方』っていう臨時職員の募集があって。うちも、同じようにして水を取っているから事情もわかるし、大阪にいたときは水道設備や住宅設備の仕事もしていたし。ちょうどええかなと思って応募したんです」
ちなみにこの水源管理の仕事は、水道法の範囲外なので特に資格などは必要ない。
向竹さんが来るまで、高野町では水源の管理を住民が自治的に行っていた。パイプにネットを被せただけの簡素な装置で、ちょっとした雨で壊れることも多かった。
「今使っているのは、もともとうちの家で使っていたシステムなんです。着任してから、水源に一つひとつ設置してまわって。大雨が来たときも、ほとんど流されずに保っているから、まあこのやり方であっていたのかなと思います」
これから協力隊として活動する人は、まず、向竹さんと一緒に行動しながら、水源がある場所を覚えていく。
水源はそれぞれ離れた地点にあるので、1日にだいたい2ヶ所ずつまわり、1ヶ月かけて24ヶ所の水源を点検する。
「今日はこっちにおったら、明日はあっちへおる。そういうふうに、いろんな場所へ行って仕事をするのも、僕は好きでね」
定期点検に加えて、設備の不具合があったときの修理も請け負う。
点検時に住民の方に渡す報告シートには、向竹さんの連絡先が書いてあり、住民から直接相談を受けることも多い。
「基本は、平日の朝8時から夕方5時くらいまでを仕事の時間にしていて、雨の日は危ないから待機。そのぶんを土日に振り替えたりしています。住民さんからの相談も、緊急でどうしても困っているようなときは、土日でも見に行くんですけど、こちらの都合がつかないときは、1日2日待ってもらうこともあります」
水を利用する住民の方たちも、みんな顔見知り。向竹さんがひとりでやっている体制や、水源まで行く大変さをよく知っているので、無理なお願いをされることは少ないという。
「だいたいは自分でスケジュールを決めて仕事ができるし、早いと15時くらいに家に帰れることもあるけど、その逆もある。パイプのなかで水が止まって、原因がなかなかわからないとかね」
意外と多いのが、パイプにケヤキの根が入り込むトラブル。
小さな隙間から入り込み、内部で成長してパイプを詰まらせる原因になってしまう。
「そういうことも何度か経験しているうちに、勘が働くようになる。場所とか環境によって違うから、マニュアル化するのは難しいけど、まあ、3年で半人前になれたらいいほうや」
「時間をかけてパイプ詰まりの原因を見つけたときは、ふたりで『ここやー!』って叫びましたよね」
そう話すのは、町役場の松本さん。送水距離が長い地点や、大きな機材を扱うときなど、ひとりでは難しい作業もあるため、向竹さんのサポート役として現場に入っている。
「重い荷物を持って、2kmくらいの道のりを上がったり下りたり。夏は暑いし、冬は寒いし大変なこともありますけど、やっぱり、水が送れた!っていう達成感はハンパないです」
「特に、ものをつくるのが好きな人は、のめり込めると思います。僕もバイクや車を触るのが好きなので、現場に入るのは楽しくて。推理するみたいにいろいろ試して、問題が解決できたときの感覚は、好きですね」
自然と格闘した末に得られる喜びは大きい。一方で、そこに至るまでの作業は、かなり地道。
一日中、山道を歩き続けることもある。
「大雨などで水が使えず不便な思いをされているときも、『じゃあ、今日はお風呂をがまんしよう』って協力してくださる住民の方が多くて。だからこそ、僕らも向竹さんも、早く水を届けられるように頑張ろうって思います」
月に一度の点検や修理で住民の方と顔を合わせると、世間話をして、お茶を出してもらうこともある。自分の仕事を必要としている人から、直接感謝の言葉を聞けることはモチベーションにもなる。
実際に水源の水を使って暮らす地元の方たちに会いに、花坂から車で20分ほど走り、北側の西郷という地区へ。
迎えてくれたのは、長年この地区で暮らす森本さん。ひとつの水源につながる貯水槽から、6軒ほどの家庭が水を分け合っている。
「ここの水源は道路から1kmほど奥で、川も何本か渡らなあかんし。私らも経験があるから、そこまで行く大変さはよくわかります。新しい協力隊の人が入ったら、きっと向竹さんも、やりやすくなるわな」
「私たち朝起きたらまず、今日も水が来ているかなって確認しに行くんです。それで、調子が悪いときは、ちょっと節水しようってみんなで声を掛け合ってね」
貯水槽が満タンのときは、家の裏手にある排水口から水が溢れてくる。これが、うまく水が送れていることを示すバロメーター。排水口から出る水が止まってからも、工夫すれば2〜3日は貯水されている分で賄える。
「そういえば、いつやったか、お天気やのに水が濁ることあったわ。あれは、どうして?」
森本さんからの質問を受けた向竹さんは、パイプの構造を説明しながら原因を伝えていく。
町内の水源を横断的に見て、いろんな事例に接してきたからこそ、俯瞰的に状況を分析できる。住民の方からすれば、そういう専門家がそばにいる安心感は大きいと思う。
取材の終わり際、向竹さんはこんな話をしてくれました。
「テレビで『ポツンと一軒家』なんかを見ていると、だいたいみんな同じような仕組みで水源から水を引いて、雨が降ったらダメになるっていう話をしていて。できることなら、いつか全国いろんなところへ直しに行ってみたいです」
高野町内の水源はすでに、「向竹システム」が整備されていて、今後の仕事はメンテナンスがメイン。その維持に対する切実な需要は残り続けるけれど、町のなかだけで見ると、事業が拡大することは考えにくい。
だからこそ、今後新しい人の力が加わって町内の仕事に余裕ができたら、この仕組みをもっと広い地域に届けていくという発想もあり得る。
一箇所に留まるのではなく、日々、移動しながらさまざまな人の暮らしに接する仕事。ここで得られる気づきは、自然のなかで生きる力を養い、日本の里山の今後を考えるヒントにもなるはずです。
まずは向竹さんのもとで3年間、しっかり技術を受け継ぎながら、その先の働き方を一緒に考えてみてください。
(2025/4/24 取材 高橋佑香子)