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灯りをつなげて

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

奈良県吉野の川上村を訪ねました。

大阪から1時間ほど近鉄線に乗り吉野へ。木造りの駅舎からはひのきの香りがする。車を30分ほど走らせて、村に着いたのは夜の8時近く。

もうあたりは暗くてよく見えず、風呂に入っておとなしく眠る。朝、目を覚ますと、雪化粧をしたひのき山と吉野川が窓の外に広がっていました。

川上村は吉野川の源流にあたり、大滝ダムと大迫ダム、2つのダムをかかえる近畿地方の水源地です。かつては林業でにぎわい、現在でも吉野杉、吉野ひのきは国産のブランド材として用いられています。

2月末時点の人口は1,686人、そのうちの半分以上が65歳以上。事前に知った数字からは、漠然と厳しい印象を受けました。

けれど村を実際に訪れると、“これから”を前向きに考えている人たちに出会いました。その存在は、村の灯りのようでした。

今はまだ小さいけれど、これから大きくなっていくかもしれない。今はまだ点として存在しているけれど、つながって線や面になっていけば。話を聞きながら、そんなことを想像しました。

川上村では、灯りをつなげ、大きくしていく地域おこし協力隊を募集しています。

地域おこし協力隊は、過疎地域においてIターン者を受け入れ、地域との関わりを持つなかで仕事をつくり、将来的には定住・定着を図るというもの。

村を回る前に、栗山村長に話をうかがう。

村長という役職に少し緊張したけれど、いざ話すとフランクな人だった。

7月に村長に就任した栗山さんは川上村に生まれ育ち、働いてきた。これまでも夏期の学生受け入れや、空き家を活用した移住促進に取り組んできた。

そうした活動のおおもとにはどんな思いがあるのだろう。

「人恋しくてね。外から人が来てくれるのがほんとうにうれしいんだ。今回の協力隊もこちらから人を選んだらあかん、20人応募してくれたらみんな村に来てもらえ。僕らは、それぐらいの気持ちでいます。」

過疎には、まず人がいなくなる、そして知恵が出なくなり、できることが段々と限られてくる、そんな悪循環がある。もちろん村で色々な取り組みはすすめてきたけれど、外からの目が必要だと実感している。

「できることなら、僕自身今すぐ村中の集落をまわって歩きたいと思ってる。じいさんやばあさんの背中を叩いて、『寝てる場合じゃないよ、できることがたくさんあるんだ』って。地域づくりは若い人だけじゃなくてみんなでやるんだぞって。」

途中からは、隣村で地域おこし協力隊として活動している二人が加わり、座談会となった。

川上村は、上北山村と下北山村、2つの村と国道169号線でつながっている。

昨年9月に上北山村にやってきた市川さんは、村長と話しながら少し目が潤んでいた。

もともと人と人をつなげる仕事がしたいと思っていた市川さん。会社勤めをしたのちに退職、協力隊の存在を知ってこれだ!と思い応募する。

「私がまさにやりたかったことを村長は考えていて。こういう人がお隣の村にいるんだ、そのことがうれしいです。」

一方、ヤギのようなひげをたくわえた吉田さん。オーストラリアで約20年の生活を経て日本に帰国した。

平日は下北山村に住み、協力隊として活動している。週末は奈良市内のならまちで、奥さんとともに心理セラピストと地域づくりの人材育成を行っている。

現在は鳥獣害対策をはじめ、過疎地共通の問題を解決する村民主体のコミュニティービジネス、そして有機農業の立ち上げに取り組んでいる。

吉田さんは4月から、川上村に拠点を移すこととなる。その後は川上村、上北山村、下北山村の協力隊を支援しつつ、エコツーリズムの立ち上げをすすめていくという。

座談会を終えて、村内の旅館、朝日館さんに向かう。

移動の車中で、協力隊募集を中心となってすすめる上西さんに話をうかがう。

民間企業を経て奈良県の職員となり、昨年4月より川上村に出向している。

自身が1年近くを過ごした経験に基づき、協力隊が自然と川上村に入っていけるよう、研修プログラムづくりにも取り組んだ。

上西さんは、「将来どんなことをやるにしても、まずは川上村を知ることが大切」という。

協力隊としてはじめの1年は地域の人や自然といった、村の資源を知ることからはじまる。

「川上村に住んでいる人たちは山のこと、生活のこと。すごいわざや知識を持っているんです。でも、今はそれぞれが点として存在していて。みんなをつなげることが求められていると思います。」

「はじめは僕ら役場職員とともに村の人を訪ね、さらに人を紹介してもらう。そのようにして輪が広がっていくのだと思います。」

まずは知ることで、村内の人同士をつなげたり、広報によって村外と川上村をつなげていくことになるのだろう。

3日間行動を共にして、行く先々で人に慕われている姿が印象的だった上西さん。一つ質問をしてみた。

外から来て、川上村ってどんなところですか?

「地域づくりに興味はありましたが、自分から強く配属要望を出していたわけではなかったんです。いざ来てみたら、地の人がいい顔をしていて、とてもよくしてもらった。この村に何か恩返しができないか、と思っています。」

朝日館に着くと、女将の辻芙美子(ふみこ)さんは、薪ストーブに火をくべて部屋を暖め、ゆず羊羹を出して迎えてくれた。

実はこの羊羹、ゆずから育て、かまどで煮炊きしてつくっているという。

「この甘さがちょうどいいんだな。」

同行してくれた役場の大前さんが、何気なくそう言った。主な仕事は外からやってくる人の窓口担当だ。Iターン者の空き家探しを手伝ったり、夏の学生受け入れどきにはその応対をしたり。

口数は多くないけれど、さりげなく周りに気を配る、いい兄貴分といった感じ。協力隊の人もお世話になることになりそう。

あとから聞いた話では、大前さんがいることに安心してIターンした人が少なくないという。ある人は、「大前さんの向かいに家を借りられることで移住を決意した」という。

そんな話を聞いて、移住には人が大きな決め手となるんだな、と改めて思う。

この日は朝日館に泊めさせてもらった。

女将さんは、今でも地のものにこだわって料理をしている方。

お茶もつくれば、春になるとたけのこや山菜を採り、塩漬けにして保存食とする。この日の朝も、一足早く芽を出したふきのとうを採ってきて料理してくれた。

こうした食文化は、川上村の一つの魅力だと思う。

協力隊も、女将さんのような人にお世話になるのだろう。


協力隊の活動を実際に見たいと思い、ふたたび上北山村の市川さんを訪ねる。村に来て半年の市川さんは現在、地域のさまざまな技術を持った人に話を聞いて、ブログやFacebookでの発信をしている。

この日うかがったのは、自然工房WoodWarmthさん。吉野の木材から鉄棒やブランコといった子ども向け遊具をつくっている。
どうしてこの仕事をはじめたのか、どんなことを大切にしているのか。話を聞くにつれて話が盛り上がってくる。なんだか仕事百貨の取材を見ているよう。

市川さんは移動中も「ここのお父さんが猟で捕って調理した鹿や猪がほんとうにおいしいんです」などと話してくれた。今はそうして地域資源の引き出しを増やしているところ。

「仕事として自分に何ができるかはまだまだ探しているところです。ちゃんと見つけられるかな。」

そう言いながらも明るい表情が印象的だった。

4月には国立公園大台ケ原でのヒルクライムマラソン大会を企画しているそうだ。

現在すでに、上北山村、下北山村には数名の協力隊が入っている。各村の距離は約20km。今回川上村に協力隊が入ると、3村の間でさまざまな交流や連携も生まれてきそうだ。

最後に、東京から川上村に移住した森野さんに話をうかがう。

東京や大阪の街なかで生まれ育ってきた森野さん。就職してからは、輸入車業界でバリバリ仕事をこなし、終電帰りの毎日だったという。

あるとき、趣味の陶芸をゆっくりやろうと、5日間の連休をとって川上村にやってくる。そこで何かに出会ってしまった。

「雨のあと、霧があがる姿がほんとうに美しかったんです。それから一番驚いたのが人と人の関係でした。持参した食材が途中でなくなって。そのとき村の人に『一緒に買い物行く?』と声をかけてもらったんです。その姿がほんとうに自然で。村にとっての当たり前がうれしかった。」

連休を終えて会社に戻ると、みんなから「目が変わった」と言われた。何かが変わってしまった。その後、数回の来村を重ねて移住を決める。

現在は、村内にある工房兼ギャラリー「匠の聚(たくみのむら)」に所属する彫刻家のご主人と結婚、中学校の臨時事務職員をしながら2人の子どもと暮らしている。

自分の子育てを通じて、川上村に何かしたい、という思いが芽生えてくる。

「子どものいる世帯にとって、移住するにも転出するにも、最も重視するのが教育です。豊かな自然をいかした自然教育、匠の聚での造形教育、そして地域の伝統行事を通した歴史教育。それらをつなげれば、川上村の地域教育の魅力として打ち出せると思うんです。」

はじめは声をあげることが怖かったという森野さん。思い切って子育て世代にに提案すると意外にみんな賛同してくれた。否定よりも建設的な意見がどんどん聞こえてきた。

「今はママさん友達を中心に“森であそぼ・森でまなぼ実行委員会”をつくり、川上での子育てをポジティブに選択する仲間を増やすための活動をしたいと考えています。」

現在は助成金を申請中とのこと。

こうして、住民が自ら立ち上がる動きも生まれつつある。これからは、住民と役場が今まで以上に協働することが求められてくるんだろうな。

そのとき、カギをにぎるのがつなぐ人の存在だと思う。

市川さんや森野さんと栗山村長がつながることで、川上村が変わっていくかもしれない。

これから協力隊として入る人の仕事も、人と人の関わりの間に生まれてくる。そんな気がします。

取材の終わりに「応募してくる人に伝えたいことはありますか?」と聞くと、みなさんは同じことを口にした。

「やらないよりはやって後悔した方がいい。そう思います。でも、後悔しないけどね(笑)。きっと大丈夫。」

川上村で出会ったのは、頭よりも、体で考えて動いている人たちでした。そして、そこには灯りがありました。もし何かを感じたなら、考えすぎる前にまずは連絡をとってみてはどうでしょうか。(2013/3/5 はじめup)