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海を渡って島へ着く。美味しい魚料理に感動して、おばちゃんたちの元気な島の言葉をきく。夜になって眠るとき、波の音がざぶん、ざぶん、とゆっくり繰り返す。波の音を聞きながら昼間あったことを思い出して、いろんな気持ちが整理されていく。
それぞれの島の景色のうつくしさや、人のあたたかさ、安心感。
離島の魅力をもっと沢山の人に知ってほしい。
「離島キッチン」は、そんな思いから始まったお店です。今回は神楽坂のあたらしい店舗で、「離島」を伝えるスタッフを募集します。
メトロの神楽坂駅を降りて、住宅街のほうへ歩いていく。
むかしの花街の名残がそこかしこにある繁華街から少しはずれただけで静かになりました。
道に迷っていると、代表の佐藤喬(たかし)さんが建物からでてきてくれた。
「ごめんなさい、迷っているのを上から見ていました」
茶目っ気があって、すこしゆっくりとした自分のペースでお話するのが印象的でした。
「どうぞ。まだ改装中なんですけど、8月には完成予定です」
案内されて入ると、中はまだがらんどう。一階が駐車場になっていて、2階と3階、屋上がある。
3階にあがると窓ガラスがなく、屋根のある屋外みたいだった。
風が気持ち良い。アウトドア気分で地べたにダンボールを敷いて、そこに座ってお話を伺う。
佐藤さんは大学を卒業してから、テレビの制作会社や広告をつくる会社で働いていたそうだ。けれど地元が秋田ということもあって、東京と地域を結ぶような仕事がしたいと考えていた。
「ある日、どんな仕事がでるだろうと思って、職種『その他』、勤務地『その他』、給与『その他』で、すべての条件を『その他』にして転職サイトで調べてみたんです」
すると一件だけ、海士町観光協会の“行商人募集”というものが出た。
「『行商』って単語にもびっくりしましたし、海士町もそのとき初めて知ったんですけど。面白そうな予感がしたんです」
応募してみると、「一度島に来てください」と言われた。実際に海士町に訪ねると、佐藤さんは衝撃的な体験をしたそうだ。
「パチンとスイッチが切り変わるみたいに、景色に色がついて見えたんです。頭がくらくらして、はじめは疲れてるのかなとおもったんですけど(笑)」
東京での景色や、疲れているときに目に映る景色がモノクロだとしたら、海士町はカラーなんです、と楽しそうに話してくれた。
「それから、地元にも東京にもない安心感があったんです。なんでしょう、いつでも帰れるし、受け入れてくれるというか」
海士町観光協会の人たちに会って、2日間延々と宴会をしたそうだ。3日目の帰る直前、全員が二日酔いの状態で面接をしたという。
「採用が決まって、行商って何をするんですか、と尋ねると、『いやいや。それは君が決めて』と言われたんです」
「島のものを売る」という条件以外、どうやって売るか、どういったコンセプトにするかなど、まったく決まっていなかった。
けれどもともとテレビや広告の仕事でゼロから企画をつくることが楽しかったという佐藤さんは、「自分で決めていいのか」と楽になったという。
それから佐藤さんはアイディアを生むために悩んだそうだ。
「僕、企画で悩むと山手線にのるんですよ。(笑)一駅ずつ降りて、上野駅の西郷隆盛像の前に立ったとき、これだ、と思ったんです」
佐藤さんが西郷隆盛を見て連想したのは、幕末に藩と藩が手を結んだ列藩同盟。
「島どうしも、手を取り合っていけるんじゃないかと思って。そのイメージが見えたとき、“離島キッチン”という名前を思いついたんです」
離島キッチン。口の中でつぶやいてみると、馴染みやすい。
「はじめ海士町の人には、『どうして“海士町キッチン”じゃないの』と聞かれました。たしかに行商は、ひとつの島のものを売っても成立します。けれどその島のものだけじゃなく、全国の島の食べものや物を売ろうと思ったんです」
佐藤さんが思い描いているのは島同士がつながること。
「島の問題って共通しているんです」
例えば、輸送。
商品は船で運ばなくてはならないうえに、本土まで距離がある。するとどうしても鮮度や味が落ちてしまい、本土に着くと買い叩かれてしまうのだそうだ。
けれど海士町の場合は瞬間冷凍の機械を使うことで、「とれたての味をロサンゼルスでも食べられる」をウリにすることができた。
「その機械がすべての島にあるわけではありません。けれど、海士町で結果がでてるんだったらうちでもやってみよう、というのはあると思うんです」
ほかにも、島によっては高校がないこともある。そのため、子どもが島を出て通うことも少なくない。大学ともなれば、親御さんの経済的な不安がさらに大きくなる。
「たとえば、すべての島でちょっとずつ出資して、島出身の人が下宿できる場所をつくったらだいぶ楽になるんじゃないかなとか。それぞれの島がいくらか出し合ってそれを元手になにかできると思います」
おなじ課題を解決するために島同士が手を取り合う。
海士町のみの宣伝にしてしまうよりも、海士町以外の島のファンの人にも応援してもらえるように、いろんな島のものを扱いたかったといいます。
「じっさい売るときは、はじめは予算もなかったので、キッチンカーで移動販売することにしたんです」
佐藤さんがキッチンカーで提供したのは、島の食材をつかった料理。
「その場で食べてもらう時間がほしかったんですね。けっこうキッチンカーの前で食べてくれる人がいて、『海士町ってどんなところ?』とか、お話できるんですよ。自分が体験した海士町のことや、いろんな離島のことを話せる機会をつくりたかったんです」
料理をきっかけに、島のことを伝える機会をつくった。
イベントがあれば、日本各地で売りにいく。それも楽しみだったそうです。
けれど6年間の一人のキッチンカーでの行商は、泣きそうになる日もあったと言います。
「キッチンカーの中で待ってても誰も来てくれないので、お盆にサザエを乗せて信号待ちしてるサラリーマンの人たちに、『サザエいりませんか?』って食べてもらって。『お、うまいじゃん』って買ってくれたりとか。まったく売れない日はほんとうにつらかったですね」
そんなとき声をかけてもらった東京ドームでのどんぶり選手権というイベントへの参加をきっかけに、デパートの催事に呼ばれるようになり、いろんなご縁もあって浅草と水戸にお店ができることになった。
「僕は飲食店の経験をしたことがなかったんです。だから、自分で手を動かしてみて、これがだめだったらこうしてみよう、こっちがだめだったらあっちへ行ってみようって試行錯誤してきましたね」
経験のないことでも、手を動かして試してみる。面白そうなことはやってみる。
楽しんで取り組んでみると、うれしいことが起こるようになった。
「水戸店に、いつも一人でいらっしゃる方がいたんです。何度も通ってくださって、いろんなお話をするようになって」
「その方が『佐藤くん、こんど海士町にいくことにしたから、いいところ教えてくれる?』って。そんなふうにお店がきっかけとなって、島とつながりを持ってもらえるのはうれしいですね」
島のものを食べたお客さんが興味をもって、お話するうちに実際に訪れることも少なくないそうだ。中には、移住する人もいるのだとか。
「お守りみたいに、ひとりひとりが自分の島を持てたらいいんじゃないかなあとおもうんです。何かあったときに行ける場所。気持ちの保険というか、ゆとりがでるんじゃないかな」
島の料理をきっかけにして、離島のことを伝えていく。
今回来てくれる人は、島のことが好きで、島のことを伝えていける人だといいのかもしれない。
神楽坂店は初めての東京直営店になる。これから必要な役割は、広報、島への営業、経理、ホール、キッチン、メニューを考える人など。
「はじめはどなたであってもホールとキッチンで働いてもらって、それから個性や能力に応じて違うことをやってもらおうと思っています。やっぱり、『広告つくって』とお願いしてもキッチンで料理をつくったことがあるのとないのとでは、表現の仕方が違ってくるような気がしますし」
はじめの一年くらいはホールとキッチンをやって欲しいという。けれども、調理の仕事の経験がなくても大丈夫だそうだ。
どんな人に来て欲しいですか。
「島が好きなひとや、島出身のひとは大歓迎ですね。ぼくもまだ20島くらいしか行けていないので、僕も含めスタッフの人たちが島にいけるような関係と時間をつくろうと思っています」
離島キッチンは、パンフレットや食べ物よりも、働く人が広告塔になっている。
島を伝えたかったり、おしゃべりが好きなひとにはぴったりだと思う。
「好きな島3つあげてほしいですね。センスでますよ(笑)」
島の選び方でセンスがでる?
「でますね。沖縄の島ばかりだと、まだまだ他にもいい島があるのにな、と勝ち誇った気になってしまいます(笑)僕のベストは、海士町、青ヶ島、あとは坊勢島ですかね」
楽しそうにお話してくれる佐藤さんは、ほんとうに離島が好きなんだなあと思う。
ここは、どんなお店になるんだろう。
「学祭のように来る人も主催する側も楽しめる雰囲気にしたいと考えています。屋上にスペースつくって、スタッフが休めるようにしたりとか、楽しめるような状況をつくっていきたいですね」
行商に応募したときも、アイディアを出すときも、キッチンカーのときも、いつでも佐藤さんは楽しんでいる。
きっとお店もそんなふうに背伸びせずに、自然と島のことで話が盛り上がるような場所になるのかな。
「初めての直営店なので、どんなことができるかなってわくわくしているんです。古事記の、国生みの神話って知っていますか?」
国生みの神話?
「イザナミとイザナギが最初に八つ生んだ中に、5つ島が入っているんですね。それが、淡路島、隠岐島、対馬、壱岐、佐渡です。国生みと、お店の誕生をかけて、はじめはこの島に焦点を当ててメニュー構成を考えようかと思っているんです」
今は20島くらいだけれど、いずれは50島くらいと取引をしたいと思っているそうだ。
「ここのお店のデザインをしてくれる人も、島で知り合った人が紹介してくれたんですよ。本人も島が好きな方で『半分ボランティアみたいなもんだ』って安くしてくださったんです」
島と島、島と人、人と人。いろんな繋がり方をしているのが印象的でした。
離島を知らなかった人にとって、直接お店で島のものをたべて島の話を聞いたら、感動のつたわり方は違ってくると思います。
興味のある方はぜひ、応募してみてください。
(2015/8/03 倉島友香)