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たいていのものはいつでも簡単に手に入れられる時代。通販サイトで買ったものがその日中に届く、なんてことも一昔前は考えられなかったと思います。
いまや当たり前となった便利さの背景には、それを支え続けてきた人たちの姿があります。
日本のどの産業にも欠かすことのできない“機械”をつくる町工場の職人さんたち。
つくったことのないものでも、0からアイディアを生み出し、新しい機械をつくりあげていってしまう。まるで発明家のような仕事です。
株式会社アキタ製作所が、これまで培った技術を受け継ぎ、ゆくゆくは会社の担い手となるような次世代の職人さんを募集します。
電車とのアクセスがとてもいい宮崎空港。沿岸を走る電車に乗って1時間ほどで、日向市駅に到着します。
日向市は日照時間が全国でもトップクラスの地域です。温暖な気候で、人は穏やか。サーフィンのメッカとして、関西方面から移住する人も多いのだとか。
そんな日向市の地場産業を、アキタ製作所は機械製作によって支えてきました。
材木産業が盛んだった昭和28年。当時は製作ではなく、メンテナンス業からアキタ製作所ははじまりました。
「創業者の私の父はアイディアマンで。とにかく自分で考えてつくるのが好きな人でしたね。枕元に紙を置いて、何かひらめいたらすぐメモをするような人で」
そう話すのは、社長の秋田浩二さんです。
修理をしながらお客さんの様々な要望に応えていくうちに、ある機械をつくることに。その機械が評判を呼び、木材産業に使う機械の開発をはじめるようになったといいます。
昭和53年には、廃木材でオガ屑をつくる「おが粉製造機」を全国に先駆けて開発。累計販売台数500台を超える大ヒット商品となりました。
ほかにもブロイラー工場から依頼を受けて、食肉加工機械もつくるように。まったく別の分野でも、新たな技術を身に付けてチャレンジしていったそう。
取得した特許・実用新案は30件以上。創業以来、さまざまな産業機械を開発してきたといいます。
「ノウハウをたくさん蓄えて、省力化装置なども製作するようになって。お客さんのご要望に合わせて、一から製品を設計・製作する。それがうちの持ち味なんです」
実際に、どんなふうにして機械はつくられていくのだろう。
まずは、この道一筋40年以上、設計担当の緒方さん(写真手前)に話をうかがいます。
アキタ製作所の設計を担うのは、緒方さんを含めた3人の大ベテランの方々です。
依頼を受けたら、実際にお客さんの工場へ赴き、現場を確認してお客さんと打ち合わせをする。
営業の役割も担いながら、汲み取った要望を設計図に落とし込んでいくのが緒方さんの仕事です。
「客先の現場を見る目がしっかりしていないとできないですね。今はこういう動きをする機械があるけど、今度はこんなことができる機械を入れてほしいとか。まったく新しい機械をつくってほしいということもあります」
新しい機械をつくるのは、まさに0から1を生み出すような作業だといいます。
緒方さんは、木材乾燥機に木材をセットする機械を設計したときのことを話してくれました。
「乾燥機にセットする前段階の木材は、びたーっと隣同士でくっついているんです。だけど、しっかり乾燥させるためには木材の間に適度な隙間を空けないといけなくて。どうしたと思います?」
なるほど。機械の設計図を描く以前に、そもそもどんな動きをすればいいのか全然分からない。
アームみたいなものをつくって、一本一本の木材を等間隔に置くとか?
いやいや、そんな非効率なものはつくれないし、予算やスペースだって限られているはず。
「実は、自分でもどうやったらできるのか分からなかったのですよ。当然図面すら描けない状態で」
「で、何も浮かばず家に帰って。たまたま夕食に箸を持ったときに『あっ!』って思いついたんです。テーブルの上にずらーっと箸をくっつけて並べてみて」
緒方さんが試したのは、隣り合わせに並んだ横向きの箸の両端を、抑えて横に振る、車のワイパーのような動き。
何回か動かすと、箸の間にきれいな等間隔の隙間が生まれることが分かったそうです。
「たまたま思い浮かんだことをやってみて、それが実機としても動いた。これは特許も取りました」
すごい、特許も。まさに発明ですね。
「そう、自分の発想で0からつくりあげるんです。手塚治虫の漫画の世界が現代で実現されている感じ。だから設計の仕事は、想像力が豊かじゃないと難しい。どこまでいっても一人前になれないという人もいますよ」
「生む苦しさに、生んでからの倍以上のよろこび。できたときには『やったな!』という感じがあります。納品した機械を見てニコっとされたお客さんの顔を見れるときが一番うれしいですね」
どんなに緒方さんたちがいいアイディアを生み出しても、実際につくる人がいなければ『発明』は実現しません。
設計図をもとに機械をつくりあげるのが、製缶・組立を担当する職人さんたち。
アキタ製作所には、全国でもトップレベルの溶接技術を持った職人さんがいます。
工場長の原田さん(写真左)と、将来工場長になる清松さんです。
原田さんはアキタ製作所に勤めて35年の大ベテラン。平成11年度の全国溶接技術競技会で最優秀賞を獲得した、日本一の実力を持つ職人さんです。
15年目の清松さんは若手のエース。原田さんからすると「一人前だけど、もうひとつランクを上げるにはもっと勉強が必要」なのだとか。
なかなか厳しいようだけれど、清松さんは一人前になるまで5年ほどかかったそうです。
最初の2〜3年は本当につらかった、と話す清松さん。設計の仕事も、一人前になるまで何年もかかるそうです。
「ただ、先輩たちがみんな優しいし、社長も見守ってくれていて。そのおかげで続いたのかな。昔は足が飛んできたりしたけど、いまはそんなこともなくて、丁寧に教えようっていう環境がありますね」
「それと、やっぱり楽しくて。図面を見てつくる楽しさ。組み立てる楽しさ。きれいに溶接する楽しさがあります。図面は毎回違うから、マンネリ化しないで緊張感を持ってできます」
まるでプラモデルを組み立てていくような。そんなものづくりの楽しさがあると、原田さんは話します。
「うちの会社では設計から一貫して製品をつくっているので、溶接だけじゃない。組み立て作業もあり、塗装作業もある。納品するとき、これだけのいいものをつくったぞという気持ちがある」
「きれいに溶接できると、製品自体もきれいに仕上がっていくので、うまくできるようになったら面白いと思うんです。先輩に見てもらって、指導を受けたり褒められたりするうちに、上達していくんじゃないかと」
どんな人が合っているんでしょう?
「変わり者。人とちょっと違うというか。がむしゃらに勉強してきた人よりは、学生のころにやんちゃした経験があるような子のほうが、この業界では向いています」
「ようは勘所ですね。難しく考えなくて、もっと簡単にやりたいとか、もっと楽にしたいとか。そういう感覚を持っている子は向いていると思いますよ。学校の勉強ができるかどうかの問題じゃない」
もちろん、仕事に対する勉強は必要。溶接技術を高めるためには、金属の性質や成り立ちを知る必要があるといいます。
「欲のある子に入ってきてほしいな。知りたければ、自分の持っているものをなんぼでも教えます。質問してくれれば教える気がわくから、知りたいっていう欲を持っている子が入社してくれると」
「ただ1〜2年のひよっこが、いい給与をもらえるわけないんですよ。うちの会社の利益に貢献できるようになって、はじめて給与がドンと上がる。製造業はきついかもしれないけど、溶接はめちゃくちゃ楽しいし、ベテランになったらもっと楽しい。溶接の奥深さ、なんぼやってもきりがないです。自分は日本一になったけれども、世界を見渡せばまだ上がいる。上手になったからこれでいいじゃなくて、上手になってもそのまた上を目指すのです」
最近はメーカーが設備投資に動き、アキタ製作所への依頼も増えているそうです。
毎日が忙しいほど、仕事は十分にある。けれど、現状維持に満足せず、さらに上を目指そうとしているようです。
あと数年後には社長を継ぐことになる秋田祥典さんが、新製品の開発計画を教えてくれました。
「大ヒットしたおが粉製造機は、つくってほしいと依頼を受けたものではなくて、自分たちから打ち出した新製品なんです。それからしばらく新製品開発から遠ざかっていたので、何十年ぶりに新しい機械を開発しようと」
つい先日、みんなで出し合ったという案を見せてもらいました。
「スポーツ用車いす」「ハリセンボン皮むき機」「移動式門型荷吊り機」「組み立て式の洗車機」などなど。従来の形にまったくとらわれていないユニークな案が出されていました。
「何よりも面白いことだと思います。失敗を考えたらそりゃ怖いと思いますけど、やってみないことには新しいものは生まれない」
「若い人たちも、どういうことをすれば新しい機械が生まれるのかを知る、いい機会になるんじゃないかって。そんなふうに、人が成長していくような風土ができればいいなと目指しています」
製缶・組立担当に若い女性の方が入社するなど、若手が少しずつ増えはじめているようですが、ベテランの方々が高齢化していくなか、これからの会社を担う若い人材はまだまだ足りていません。
日本でも有数の技術力を持つ先輩に教わるとはいえ、芽が出るまでに何年もかかると思います。決して華やかな仕事でもないと思う。
けれど、日々切磋琢磨しながらつくる自分たちの機械が、日本の産業を支えている。
そんな誇りを持てる仕事だと思います。
(2016/2/17 森田曜光)