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イエス、イエス、レザー

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自分の仕事をするにはどうしたらいいか。

そのためには機会をたくさんつくることだと思います。

ノーノーイエスの代表である橋本さんの話を聞いていると、まさにそういう機会を自らたくさんつくってきた方なのだな、と思いました。

ノーノーイエスはレザーのジャケットや小物を自分たちでつくりながら販売までしている会社です。国内外で数々の賞を受賞し、創業から10年の間に高い評価を受けています。

nonoyes 橋本さんは話していて面白いし、鋭い考え方にドキっとすることもあるし、愛もある方。働き方次第では、たくさんの機会があると思います。

今回は銀座の新しい店舗やPRを担当してくれる人、それに撮影モデルの募集です。でも職種以上に、さまざまな経験ができると思います。


千駄ヶ谷駅と北参道駅のちょうど真ん中あたり。鳩森八幡神社からすぐそばに、ノーノーイエスのお店があります。中にはいると薄暗いなかに商品が並んでいる。

nonoyes02 奥の壁はガラスになっているので、まるで細長い通路のよう。とても静かな空間。

お店のなかで、代表の橋本さんに話を聞きました。

「商品は『つるし』と『あつらえ』があります。つるしはお店で普通に買えるものですよね。あつらえはオーダーメイドということ」

nonoyes03 「完全オーダーメイドってどうなんやろって思ったことがあって。究極ってなんやろうって。看板もないお店で、値段表もない、サンプルもない、何もない空間でやって」

「8年前にそんなビスポークオーダーからはじめました。隠れ家みたいなところなので、有名なミュージシャンやタレントさんが徐々に来てくれて、そしたらファンが口コミでくるようになってきました」

もうひとつの代表的な商品は「所作」というお財布のシリーズ。

nonoyes21 「所作は完全1枚の革でつくられていて、縫わずに最後の1点をネジで留めるだけのものです。モチーフを袱紗にしたわけではなくて、たまたまつくったら袱紗のようになったんです。あとは日本の折り紙のようでもある」

「1枚の革でやっているのも特徴なんですけど、ユーザーから見たら『だから何?』って感じじゃないですか」

nonoyes22 たしかに財布として使いやすくなければ元も子もない。

「ざっくり申し上げて価値に2つあるとしたら、1つは機能的価値。財布ならこんだけ入ります、丈夫です、というもの。もう1つが情緒的な価値です」

「情緒的価値だったら人類史上、これ以上ないかなと自信があります」

なぜ所作という名前なんですか。

「ファスナーやマグネットがついていないので、閉じるときに手のひらを合わせるじゃないですか」

振る舞いもデザインされているんですね。

「そうです。自然と手のひらと手のひらを合わせることで、感謝の気持ちを表すことができる。そのユーザーの動き、立ち居振る舞いが美しいかなと思うんです」

nonoyes06 オーダーメイドもそうだし、所作からも感じられるのは、遊び心あふれる仕事をしていること。柔軟に考えて、とらわれずに自由な感じ。

もしかして仕事をする上で、あまり計画はされませんか?

「ノリが多いですかね。思いついた時点で、ある程度の絵は思い描けているんですよ。そのイメージを検証している感じではある」

「会社をつくるための起業塾みたいなのがあるじゃないですか。ああいうのに行くのはセンスないやろ、って思います。人に教えてもらうものやないって。教えているほうだって、それでうまくいっているなら、学校やっている場合じゃないし」

まさに「習うより慣れろ」ということかもしれない。たしかに橋本さんの人生はその言葉のとおりだった。

きっかけは阪神大震災。

「神戸に住んでいて、大学1年のときに阪神大震災だったんですよ。ちょうどその前にフランスとベルギー、オランダへ一人旅していて。90年代はアントワープが盛り上がっていたんです。マルタンマルジェラとかダーク・ビッケンバーグとか、それでファッションやなっと」

帰国した翌日に阪神大震災だった。そのあと大学をドロップアウト。

「もし震災がなければ、そんなに切羽詰まってなかったからそのまま通っていたかもしれない。大震災というのは、良い意味でも悪い意味でも人生のきっかけになっています」

nonoyes07 「そのあとは土方の仕事をしながらお金をためつつ、大阪でお店をやろうかと漠然と考えていました」

その漠然とした思いを強くしたのが、大阪で活動していた先輩たちだった。

「コズミックワンダーとか、ビューティーアンドビーストとか、大阪にいましてね。ぼくよりもずっと年上の人たちなんですけど、遊びに行って話していたんですよ」

「そのときに感じたのが、こんなノリでできるんやなって」

思ったよりも敷居を低く感じた?

「いやもう、身近といいますか。そのときは暇そうでしたけど、盛り上がっていく予兆もあって。まだ手づくり感があって、おおらかな空気でした。懐が広いというか、大阪にはそういうノリでやっていても許される雰囲気があったんですよ」

そのままお店をはじめようかと思ったものの、お世話になった大学の先生の紹介もあり、まずはアパレルメーカーで働くことになる。

1社目が5年、2社目も5年。合計10年間の下積みとなった。

はじめに入社したのが、中規模なレディースメーカー。それまでは卸売アパレルだったけれども、自社でも小売店をつくることになり、すぐに企画職のデザイナーになる。

「すごい忙しくなっていって、面白さもあるんですけど、本来やりたかったことと違うなって思いはじめて。一言でいったら、企画やデザインではなくMD主体のコピペの繰り返し」

土日に売れたものを月曜日に結果をまとめる。火曜日から生産にはいって、週末には導入する。「充実はしているんだけれども退屈」な状態になってしまった。

2社目は古着などを輸入している専門商社。古着を買い付けて小売店に卸すのが専門だったけれども、こちらでも自分たちでお店をやろうということになった。

「入ったときはショップもないし、企画書もなかった。一週間で中国にいって工場開拓ですよ。オリジナル消費の生産ベースをつくりながら、出店もして」

ほとんど古着しか販売していなかった会社が、だんだんオリジナル商品も増やしていき、お店も増えていった。1人で立ち上げた部署も5年で70人に増えた。

「なんでもやれば売れるっていう感じで。でもちょっと待てよ、20代でこんなにうまくいきすぎたらやばいと思った」

nonoyes09 自分で会社をゼロからつくったわけでもなかった。それに「自分たちがつくったものを海外へ販売したい」という思いも生まれた。

それで思いついたのが、何かを専門にしていくこと。

「当時はデニムがすごい好きで。神戸に住んでいたので、岡山にもよく行っていたんですよ」

岡山にはデニムの一大産業が成り立っていた。

若くて才能のある人もいれば、熟練の職人さんもいる。大ロットでも小ロットでもつくれる。世界的にもデニムで有名な場所になっていた。

「レザーも好きだったので調べてみると、姫路でつくられているぞと。そしたら岡山のデニムとは打って変わって、薄暗い斜陽産業の中でキラキラと可能性を感じたんです」

橋本さんが選んだのは、デニムじゃなくてレザーだった。

なぜ選んだのか、その理由を教えてくれた。

「古着とかもそうなんですけど、リーバイス、ウエスト32インチ、レングス33インチなら、誰がどうみても売れるんですよ。でもアメリカのメーカーが倒産してでてきたオリジナルパジャマがデッドストックででたことがあるんですけど、そういうのは頭使わないと売れないんですよ」

「誰がやっても売れるものじゃなくて、自分でデザインしたものに新たな価値をつけて売るほうが仕事としてのやりがいを感じるじゃないですか」

nonoyes12 レザーにはまだまだやれる余地を感じたし、そこに面白さがあった。

ちょうど独立しようとしていたグラフィックデザイナーの河村さんと一緒に会社をつくることになる。

「どんな社名にしようか考えたんですけど、覚えてもらいやすいほうがいいな、ってことになって。それなら英語だし、イエスかノーなら誰でも意味がわかるなと思って」

「イエスドットコム、これは無理やな。ノーイエスも無理。ノーノーイエスだったらドットコムのドメインとれるわ!ってなって。そしたら真ん前に赤塚不二夫の漫画があって、天才バガボンのパパが『反対の反対は賛成』って言うページがでてきたんですよ」

創業当時、橋本さんはグラフィック広告まわりの営業をして会社を維持しつつ、夜は商品をつくっていた。

「夜に作業していたら、2階に大家が寝ていたので、追い出されたんですよ。金槌使ってたから、うるさいじゃないですか。仕方ないから、すぐそこにメリケンパークっていう港があるんですよ。ホームレスかカップルくらいしかいませんよ。そこで金槌もったやつがトーン、トーンって。職務質問もされて」

「目の前をコンテナ船がいくんです。あれはアメリカ、あれはインドネシアかなって」

その後は展示会もはじめて、国内外で受賞もして、世界でも売れるようになっていく。そして銀座に新しくできる東急プラザへ出店することになり、今回の求人へと至る。


どんな人と働きたいですか。

「一言でいったら、気立てのいい人ですね。あとは愛嬌」

たしかに一緒に働いている人たちはそういう人たちだ。

正社員として働いているロギーさんも、学生ながら働いている佐藤さんもそんな感じがする。

ロギーさんになぜここで働いているのか聞いてみる。

「けっこう、思いつきとか勢いでやっている部分があって、ぼくはそういうタイプだったので。あとはやっぱりここの製品が好きで。それにやりたいことはやらせてもらえるんですよ」

nonoyes08 そんなロギーさんが企画したのが「満月バー」。満月の晩にお酒を出しながら営業するというもの。

橋本さんはそんな動きを次のように評していた。

「もともと隠れ家のようなお店だったので、目的買いでしか訪れない。なのでほとんどのお客さんがお店に来たら買うようなお店なんです」

行ったら買わないといけない感じがあるかもしれませんね。

「そうです。ただ、それだと遊びが少ないんじゃないかと思って。だからといってイベントをやるにしても、ライブやったり、DJ呼んだり大変じゃないですか。だからこの企画はありやなって思った。天才ちゃうかなって」

nonoyes10 「経験や知識が足りないのは当たり前です。ぼくは40歳なんですよ。だから30歳から50歳くらいが、話の合うオーダーメイドのコア顧客層。10代とか20代には、その世代の価値観やカルチャーがある。同じものを見ても感じ方が違うなって。だから若い息吹を大切にしています」


取材が終わったら、入口まで三人がニコニコしながら見送ってくれました。

nonoyes11 なんだか毎日、健やかに働いている人たちだと思いました。

気立てよく働いていると、きっとたくさんの機会があるんじゃないかな。そう自然と思える職場です。ぜひお店を訪れてください。次の満月は3月23日です。

(2016/3/12 ナカムラケンタ)