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豊かな水で育てられるわさび、小水力発電、トマトやはちみつ、ハーブ、元気な鶏、どぶろく、伝説の描かれた壁画。そして豊かな森。とても小さな集落で、紹介しきれないほどたくさんの資源があることに驚きました。
「こんな田舎なんだけど、けっこうおもしろいことはじめる人が多いのよ。変な人が多いってことなのかもしれないけどね」
今回訪れたのは岐阜・郡上市にある母袋(もたい)と呼ばれる地域。
現在37世帯が暮らすこの小さな地域の中で、地域おこし協力隊として活動をする人を募集します。
イベントの運営や小水力発電の可能性を探ること、特産品の開発など。協力隊に頼みたいことはたくさんあるけれど、なにより優先に考えてほしいのは「ここで暮らしたい」と思えるかどうか。
出会ったのは、自分で仕事や生活をつくっていく人たちです。
ここでの生活はきっと、古いようであたらしい。
この規模だからこそできる可能性が、たくさんあるように感じました。
郡上市内を流れる長良川では、解禁されたばかりの鮎釣りをする人の姿。
その長良川に流れ込む1つ、栗巣川沿いを車で30分。全長1キロほどの中に広がる母袋にたどり着いた。
母袋というのは昔この場所にあった村の名前で、正式な住所は郡上市大和町栗巣。
標高は600メートルを超えていて、夏でもクーラーを使うことはないそうだ。
車を降りるとすっとした空気が抜けて、思わず深呼吸をした。
案内されて向かったのは、ここに移住してきて1年たったという高橋さんのお宅。
「あーどうも。よかったら見てってください」と笑顔で迎えてくれた。
家の横には畑、一段下がったところではたくさんの鶏が育てられている。自転車を使った発電にも挑戦していて、最近はわさびの栽培をはじめたり、合鴨も飼いはじめたんだそう。
「いろんなことに夢中になりすぎちゃって。ご飯も食べに帰ってこないと奥さんに怒られるんです。最終目標は自給自足。120歳くらいまで生きられたらと思っております」
高橋さんの出身は新潟の佐渡ヶ島。自給自足をしようと考えたきっかけをたずねると「貧しかったから」と教えてくれた。
「父親がサラリーマンで給料が安くてね。朝はやく、竹やぶを開墾した畑に行ってから通勤していて。毎日、積み重ねれば野菜ができる。その分お金がいらんというのを見てきたんだよね」
家では鶏も山羊も飼っていた。釣りをしたければ竹から竿をつくる。寒かったら山から薪をとってくる。ないことに文句を言うのではなく、そこにあるものを使って生きてきた。
佐渡ヶ島を出て名古屋ではじめたのが、スパゲティ屋さんだった。
「家族4人が食べていけるものを考えて。万が一お客さんがこなくても、店にあるものを食べればいいだろうって」
それから30年、ずっとお店を切り盛りしてきた。いつからか60歳になったらお店をたたんで自給自足の生活をはじめようと考えるようになった。
「味と速さと安さ。お客さんの都合に合わせていかないといかんから、身体も精神的にもやっぱりつかれるんです。大きな事故をしたこともきっかけになって、やっぱり好きなことをしたいなって」
「お金に執着を持つとストレスが溜まるよね。たくさん給料をくれる会社に行くとか、いやな仕事をやることになる。自分でつくって自分で食べて、ときには誰かと交換をして。そうしたらお金いらないからね」
移住先を探して、定休日のたびにいろいろな場所を訪れた。
突然行って声をかけるので、そっけなく対応されて終わってしまうこともあったそう。
「母袋にきたときに、枝を切ってる人に声をかけたんです。気がついたら缶ジュースを一緒に飲みながら移住の相談をしていて。もう、ここだ!って」
畑を耕しながら暮らしたい。そう伝えると、あっという間に家が決まった。次にきたときには、家の横にある土地が畑として使えるように整地されていたんだとか。
それから2年ほど時間をかけて、毎週ここに通いながら家の床をはったり、野菜を育てたり。地域の人にも顔を覚えてもらえるように、集まりには積極的に顔を出してきた。
「本当にいいところにきたなぁと思いますよね。管理社会の中にいると、眠くても起きて働かないといかん。寝たいときに寝て、腹へったときにご飯を食べる。自分の身体の調子にあわせていきていたほうが、人間らしいと思います」
少しずつ自分でできることを増やしてきた。まだまだ、やってみたいことは尽きないそうだ。
「ここには自分で暮らしをつくってきた先輩がたくさんいますから。聞きながら、自分でも挑戦している真っ最中です」
「今は何千万円もかけてつくった家を壊して、銀行からお金をかりて、3ヶ月くらいでできるような家を建てますよね。使えるものも処分しちゃう。そういう世の中はもったいないと思っています。もったいないな、もたないな、もたい… なんちゃって(笑)」
高橋さんはすでに、この地域を盛り上げるために結成された「母袋わくわく会」の副会長に就任している。
この地区について話を聞かせてくれたのは事務局長の野田さん。高橋さんからは「ひでちゃん」と呼ばれている。
野田さんはUターンでこの場所に戻ってきたのが10年前。3年前からトマト農家として仕事をつくってきた。
「いま母袋には37世帯が暮らしています。実は30年前と比べると増えているんです。あまり空き家もないんだけど、ここに移り住みたいと問合せてくれる人もいるんですよ」
どこにいても水の音が聞こえてくる。豊かな水に恵まれたこの土地は、古くは鎌倉街道の宿場町として栄えたと言われている。
「昔からの伝説が多く残っています。ここに大富豪が住んどって、年貢を運ばせるために道をつくったという話もあって。郡上おどりの歌の中にも母袋という言葉が出てくるんです」
「イベントの多い場所でね。年中いそがしいんですわ」と話してくれたのは、「みつる君」こと古清水さん。母袋わくわく会の会長を務めている。
どんなイベントがあるんですか。そう聞くと、覚えきれないほどの催し物を教えてくれた。
春には1800体ものお雛様が飾られる「母袋ひなまつり」。収穫のときに画が浮かんでくる「田んぼアート」の田植えと収穫。夏祭りとは別で「母袋祭」と呼ばれる、地域の全員がステージに上がる大演芸会もある。
どのイベントも地域の住民がほぼ全員と言っていいほど参加する。好奇心旺盛な人が多いそうで、先日行われた小水力発電の視察をするツアーには、37世帯の中から29人もの人が参加した。
こんなにも地域全体が協力的なところって、なかなかないんじゃないだろうか。
地域の人たちだけでなく、どのイベントにも外からたくさんの人が訪れる。
イベントをきっかけにこの土地を訪れ、しばらくしてから移住を決める人も少なくないんだそう。
「同世代でも若い人でも、友だちが増えていくんだよね。なにもないんだけど、遊びにきてくれるんですよ」
高橋さんが最初にここに来たときに感じたような、外の人を受け入れる雰囲気は、この土地の風土として育まれてきたのかもしれない。
郡上で活動するNPOが主催して、9月に開催される「どろんこバレー」には全国各地からエントリーがある。同時に行われる写真コンテストに参加するために、昨年は50名ものカメラマンもやってきた。
「わたしらも毎年出るんです。日が近くなると毎週土曜日に練習をして、その後は反省会です。もちろんお酒を飲みながらね」
どの集まりの後にも、飲み会はつきものなんだとか。
お互いに最近困っていることを話したり、近所の高齢者の様子を共有したり。小さな集落で一緒に生活をしているからこそ、たわいもない会話ができる時間は大切なんだと思う。
イベントのほかに、草刈りや道路の清掃、獣害対策のネット柵の設置や管理。この地域で生活していくために必要なことは、みんなで協力して取り組んでいる。
「山の中だから、虫も動物もたくさんおります。サファリパークほどじゃないですけど(笑)」
6月から冬にかけては、地域の活動で日曜日が埋まってしまうほど、やることがたくさんある。
一緒に暮らすための「田舎のルール」のようなものだから、協力隊としてやってくる人も、この場所で暮らす1人として仕事とは別に地域の作業に参加することになると思う。
「絶対に毎回参加、というわけではないから安心してください。ただこんなオヤジギャグを聞かされることになるだろうから、それは覚悟したほうがいいね」
最近は移住をしてきた若い世代の人たちもイベントに参加してくれるようになって、さらににぎやかになってきたんだとか。
やってくる人には、どんなことを期待しているんだろう。
「なにより母袋を好きになって一緒に暮らしてくれる仲間を増やしたい。ここを若者から高齢者までが、これからもたのしく暮らせる場所にするためにはどうしたらいいか、一緒に考えていきたいんです」
イベントの運営や歴史の調査研究、移住希望者の受け入れなど、手がつけられていないことがたくさんある。来る人の興味に合わせてやることを相談していくそう。
地域の外に勤めている人もいるけれど、どぶろくの製造、有機農法で化粧品をつくっている会社もあれば、日本みつばちを飼っている人もいる。この場所でいろいろな事業をしている人も多いから、一緒に加工品の開発をすることもできるかもしれない。
母袋をフィールドにした自然エネルギーの学校をつくるプロジェクトが計画されているので、一緒に学びながらここで小水力発電を試してみるのもいいと思う。
地域おこし協力隊として働けるのは最長でも3年。その間は生活費や住居の補助を受けた上で活動をすることになる。
最初から心配をしてもしょうがないかもしれないけれど、その後もここで暮らそうと思ったら経済的なことも考えていかないとならない。
郡上市内にはすでに地域おこし協力隊として活動をしている先輩もいるから、困ったら相談をすることもできるし、やりたいことができれば地域のみんなでサポートをしてくれる。
なにより、自分で仕事や暮らしをつくっている人たちがそばにいることは、心強いことだと思う。
「最後は自分で探さないといかん。田舎へのあこがれだけだと続かん。せまい場所だから大変なこともあるよ。まあ、まずは見に来てみたらいいよ」
ここで働いてみる、というよりも、この土地で生きてみる。そんな言葉のほうがしっくりくる3年間になるんじゃないかな。
自分の手の届く範囲で暮らしをつくる。
ここで挑戦してみませんか。
(2016/8/3 中嶋希実)