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薩摩の母の味を継ぐ

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

地元でとれたものを、いつもの味つけでいただく。

よけいな保存料も添加物も入っていないその味は、1日のはじまる朝にも、つかれた夜にも、みんなが集まるお祝いの日でも。ほっとできるものだから、いつでも食べたくなるのだと思います。

かつて薩摩藩だったころの文化がのこる、宮崎県都城市高崎町

このまちで地元の人に愛される「高崎町農産加工センター事業共同組合(以下:加工センター)」を訪ねました。

都城 - 1 (8) 道の駅のようなこのお店には、地元のお母さんたちがつくった加工品が並びます。手づくりの味噌や梅干し、地元の大豆100%でつくられた豆腐、郷土料理である「あくまき」「いもあめ」… どれもこの地に受け継がれてきた味です。

「ここは不思議な店でね。安くせんでも、売れるんです。やっぱり『味』なんですよね」

地域の方はもちろん、50キロ離れたまちから通う方もいるのだとか。

この味をつくるお母さん方の平均年齢は71歳。そろそろ、この味を必要としてくれる人のためにも、継いでくれる人に出会いたい。

地元のお母さんたちから土地の味を受け継ぐ人を募集します。

調理の仕事の経験がなくても、お料理や土地に続いてきた味に興味のある方であれば大丈夫。

まずは味を習うところから。ゆくゆくは、お店の運営や今後を担ってもらえたらと思っています。今回は地域おこし協力隊としての募集だけれど、任期の終わる3年後もお母さんたちと一緒にお店をつくっていくこともできそうです。



飛行機は羽田から宮崎空港へ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 空港から車で1時間ほどで山を抜けると、開けた町にでます。

加工センターは、高崎町の真ん中を走る国道沿いにありました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA のれんをくぐって中に入ると、目の前にはお母さんたちのつくる加工品、しいたけや鶏肉などの特産品、工芸品が並ぶ。

左手側には、広い畳の部屋と加工品をつくるための3つの加工室。

加工センターと聞いたときは工場のような場所をイメージしていたのだけれど、お店を営むおばあちゃん家にきたような気持ちになった。

「10年前かなあ。ちょっと年上なんですけど、わたしが仲良くしている方がここで加工品をつくっていたんですよ。その方がもう高齢でつくれないから『これつくらんね?山下さんだったら教えてあげる』って。それでそのレシピを受け継いで、ここで働くようになったんです」

そう話すのは、加工センターの理事である山下さん。とっても面倒見がよくて、思わず安心してしまうお母さんという感じ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「みんなは最初からいるから、わたしはまだ浅いほう」という山下さん。

12年前にできたこの加工センターでは、12人のお母さんが働いています。

一般的な加工センターでは10人くらいでひとつの加工品をつくるそう。ここでは、ひとり、もしくは3人くらいのグループがそれぞれに加工品をつくっています。

さっそく、加工室を見せてもらうことに。

高菜の漬物をつくっていたのは東(ひがし)さん。この日はひとりしかいなかったけれど、いつもは5、6人、多くて10人の方がここで調理をしているそう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 高菜を切って、少し食べさせてくれた。

「よう漬けたから、ちっとからいかな。塩がつよいときは酢を少しかけるといいんだよ。ご飯に巻いて食べたら、美味しいよ」

漬物は野菜についている菌に注意しなければならないから、殺菌が大変なのだとか。

真空パックにつめてから80℃で20分煮る、これを2回。

2度殺菌が大切、と教えてくれた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA ここには大鍋をかけられるコンロはもちろん、真空パックにする機械やからあげなどを揚げるフライヤー、餅つき器、大根やにんじん等をみじん切りにする高速度ミキサー、ジューサーにするスタッファ-など、加工に関する設備が一通りそろっています。

中には自宅に加工場を持っている方もいて、家でつくる方もいるそう。

山下さんも加工は家でするそうです。

「立ち仕事だし、つくるのはもう大変なんだけれどね。でも、この味を求めて来てくれる人がいるから頑張るの」

「わたしはほとんど毎日ここへ来るかな。雑用でよ(笑)どんなものが売れているのか商品の管理をしたり、クレームの対応をしたり、わたしがせなな。お店の人はお客さん来て忙しいからね」


畳のある和室へ移り、高崎総合支所産業建設課の中園さんにもお会いしました。

中園さんは2年前からこの加工センターを担当している方。このお店についてこう話します。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「はっきり言って、ここの加工品は口コミなんです。宣伝もしていない。市の指定管理を受けているけれど、収益的には黒字です」

「というのも、ここの加工品はやっぱり『味』なんですね。味でみなさん買いに来られる。『これが美味しい』『お母さんにここの梅干し買ってこいって頼まれた』とかね(笑)買いたいものがあって来る方がほとんどだから、丁寧につくってある分単価が高くなっても、あまり関係ないんです」

ここの加工品は、高速道路を降りた都城市の市街地の入り口にあるJAの直売所と、市の中心部にある大きな直売所でも「たくさん置いてほしい」といわれるそう。実際、卸せば卸しただけすべて売れてしまうのだとか。

ここで、山下さんが「食べてみたらいい。あけて食べましょ」とテーブルにお料理を並べてくれた。

こちらは郷土料理である「あくまき」。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA もち米を蒸したものを竹の皮に包み、アク汁で煮たお餅のようなもの。黄色い色は竹の皮からうつったもの。きなこや砂糖じょうゆをつけて食べるおやつなのだとか。

ここの加工品はほとんどが地元でとれたものを使い、添加物も入っていない。あくまきも、もち米はもちろん、竹の皮も高崎町の竹林からとってくるそう。

そのまま食べると、アクの効いたお餅という感じ。醤油をすすめられてつけてみたのだけれど、そのお醤油が砂糖が入っているのかと思うほど甘くておどろいた。

「甘いでしょ。こっちの醤油は甘いんです。全国で売っているふつうの醤油は辛くて食べられんがね。刺身醤油になると、もっと甘いよ」

これにつけても美味しいよ、と出してもらったのは「おかべ」。薩摩藩だったころの方言で、豆腐のことです。食べてみると、歯ごたえがあって、大豆の甘い味がする。

「豆腐も地元の大豆でつくっています。だからスーパーのように100円とかで出すことはぜったいできないんです。豆腐の袋に入っている汁も、みそ汁につかうととってもまろかやになる。捨てるとこないよ」

この辺りは霧島山系の水が湧く。豆腐屋さんのなかには、水を求めてこの土地にお店を移す方もいるそう。

「昔は自宅で大豆をつくって、ばあちゃんたちが豆腐をつくって私たちに食べさせよった。それがあるもんで、やっぱり昔ながらのこの豆腐がほしい人がいるわけ。でも、あくまきも豆腐も、まちに住んでいる人は、団塊の世代でもつくらんでしょ。この辺の田舎でも、若い人はもうつくらないよ」

ここの加工品はとても手間をかけてつくられている。だからこそ、まち中で働く忙しい人や、家でつくるのが大変になってしまった高齢のおじいちゃんおばあちゃんに求められている。

けれど、誰もつくらなくなってこの味がなくなってしまうのはもったいない気がします。

「だから、ここしかないんですよ」と中園さん。

「郷土料理の『いもあめ』なんかも、もうここでしか売っていない。そのレシピをお母さんたちから聞いてパソコンに保存することはできるかもしれんけど、それはあくまで書いたもの」

「きっとかくし味があると思うんです。塩加減とか、ゆで加減とか。実際その人と一緒に仕事をして見て教わらないとわからないところがね」

たとえば、季節や時期によって素材の性質が変われば、調理の加減も変わってくる。小さなところだけれど、脈々とつづいてきた土地のお母さんの知恵もつまっているのじゃないかな。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 今回募集する人は、そんな「味」を受け継ぐ人。

そしてできれば、加工センターのこれからをつくっていけるような気持ちを持っていてほしい。まちへ出て地元の人にもレシピを聞いたり、土地の食材を知って商品を開発したり、まちの人と一緒につくったり。設備のそろった加工室も使うことができるから、先のことはいろいろと考えられそうです。

ふたたび、山下さん。

「今はここでつくって販売しています。でも、今は待っているだけでは人が来ない時代じゃないですか。だから花火大会やお祭りのようなイベントにも行くんですよ」

都城 - 1 (13) 「それから、お中元、お歳暮のギフトも頑張っています。時期によっても変わるけれど、あくまき、ゆべし、そばクッキー、甘酒、味噌なんかが入ります。新聞にチラシをいれると、どんどん電話が来るんです」

お母さんたちは、元気で楽しそう。

ここへ来たら、まずはそんなお母さんたちと話すところからはじまるのだろうな。

「この辺の人は『よそもんやからほっちょけ(「他の地域の人だから相手にするな」)』ってことはしないし、けっこう合わせてくれると思いますよ。楽しくやりましょ。来てくれれば、わたしがあちこち連れて行きますわ」

中園さんにも聞いてみたい。どんな人に来てほしいですか?

「やっぱり、お母さんたちとうまくやっていける人やね。まずはコミュニケーションやろなあ。あとは、できれば料理をされている方だといいのかなと思います」

ここで感じたのは、お母さん方は自分のレシピをとても大切にしているということ。その大切なレシピを教わるときは謙虚に習い、掃除の仕方ひとつでも、素直に聞くことが大事になると思います。



ここで加工センターを後にし、地域おこし協力隊として家族で移り住んでいるという大原さんのもとを訪ねました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 大原さんは、もともと京都の生まれの方。その後東京で働き、こどもが生まれることをきっかけに、小さいうちはなるべく子どもと一緒にいたいと協力隊に応募し、高崎町に移り住みました。

「ここへ来てよかったです。まちの方に『こんなことしたいです!』っていうと、後押ししてくださるんですね。私はリーダーシップのある方ではないので、いま養鶏をしているのも、地元のみなさんに引っ張っていただいたところもあるんです」

近くの市にも10人ほどの協力隊の方がいて、交流会がよくあるそう。飛び込むには、いい環境があるように思います。

「ここは、東南アジアのあくせくしない、太陽がさーっと照りつけて、みんなが美味しいものを食べて、お酒をぷっと飲んでいるような。そんな雰囲気を感じます」

そう聞いて、加工センターで聞いたお母さんたちのからっとした笑い声を思い出しました。

気さくなお母さんたちから、薩摩の味を継ぐ。

都城市の高崎町で、一緒にお料理する人をお待ちしています。

(2016/11/8 倉島友香)