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未来は子どもから

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「子どもたちには、『ここがいやだからあっちへ行く』という選び方じゃなくて、『ここもいいけれど違う世界も見たい』というふうに、さまざまな選択肢から自分の方向を見つけてほしい。そのために、いろんな価値観を知ってほしいんです」

これは、志津川高校の山内校長先生の言葉です。

志津川高校があるのは、東日本大震災で大きな津波被害を受けた、宮城県南三陸町。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 志津川高校は、この町唯一の高校です。けれど、この学校には大学進学のためのカリキュラムが充実していないため、進学を考える子どもは町外の学校へ行ってしまうそう。

志津川高校の生徒数は年々減り続け、このままでは統廃合の可能性も出てきた。

町としても、高校がなくなれば、将来子育てを考える家族は住みづらくなってしまう。震災以降の人口流出に加え、弱っていく町の未来が想像されました。

そこで、そんな未来を変えようとはじまったのが、町ぐるみで教育の質を高めるプロジェクト。

進学のための学習カリキュラムはもちろん、自ら課題を見つけ、解決するプロジェクト学習や、キャリア教育、町外の学生や企業経営者との交流など、未来を担う子どもを育てるプログラムを考えています。

発起人となったのは、貧困状況にある子どもへ学習支援をしてきた、特定非営利活動法人キッズドア

震災以降、子どもたちの学習支援を通して、町の課題も感じてきました。

今回は、キッズドアのメンバーとして、志津川高校の学習支援室で生徒に向き合う人を募集します。



南三陸町は、太平洋沿岸に大きな漁場をもつ、食資源豊かな町。

たずねてみると、震災から6年経った今も、整地途中で砂地のところも多かった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「震災直後は、あらゆることがいつも通りには機能しませんでした。学習環境もまた、十分ではなくて。そこでぼくたちが町内の中学校に入らせていただき、放課後子どもたちの勉強を見ていたんです」

そう話すのは、キッズドア地方創生推進室の室長、佐藤さん。町や学校と連携し、このプロジェクトをやろうと声をあげてきた方です。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 佐藤さんがこの町に来たのは、半年前。

中学生の勉強を見ている中で、こんなことを知ったそう。

「志津川高校には進学カリキュラムがなく、町の子どもの4割は町外の高校を選んでいたんです」

志津川高校に通うと決めた6割の子の中には、志津川高校で学びたいことがあるというよりも、そもそも身近に大学へ行っている人がおらず「大学へ行く」という選択肢がなかった子もいたそう。

「環境によって差がうまれるのは、ぼくはなくしたいなと思っていて。南三陸町の子どもたちにも、都心の子どもと同じくらいの学習環境と、色んな価値観に触れる機会をあげたいと思いました」

また、学校の先生や町の方とも町の教育についてお話する中で、町の人口流出を止めるためにも、志津川高校を存続させたいと強く願う人たちに会った。

「考えていく中で、子どもに必要な支援を与え、志津川高校が魅力的な教育環境になっていくことが、町の人口流出を止めることにもつながるんじゃないかと思って」

「そこでぼくが、町と高校に、町ぐるみでの教育プロジェクトを提案し、みんなで協力し合うかたちをつくってきました」

具体的には、志津川高校の中に学習支援室をつくり、放課後の学習サポートや、進学向けの個別指導カリキュラム、さらに教育学者の鈴木敏恵さんが提唱する「プロジェクト学習」なども取り入れる予定。

プロジェクト学習とは、たとえば町に出て子どもたち自ら課題を見つけ、解決のために何ができるのか具体的に行動していくといった、より主体的な学びのプログラムのこと。

キッズドア - 1 (11) 「それから、一年に一度、ふだんは接しないような人との交流を目的とした、大きな企画をやりたいと思っています」

今年の夏には、東北6県の高校生を集めた「次世代リーダー育成カンファレンス(仮称)」を行う予定。

「ほかの地域の学生とディスカッションしたり協力したりすることによって、お互い色んな刺激をもらう機会になればいいなって」

「子どもたちには、自分の未来を描き、つくれるようになってほしいと思うんです」



ところで、志津川高校はどんな高校なんだろう。山内校長先生にもお話を伺います。

先生は南三陸町の生まれ。志津川高校は、母校だそうだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「この高校は、本当に社会の縮図みたいなんだよね」

社会の縮図?

「たとえば進学校なら、大学を目指す子たちが集まっていますね。一方、ここには大学進学を希望する子もいれば、公務員になりたい、漁師になりたい、あとは震災を機に自衛隊に行きたいという子もいる。志津川高校は、少なくともこの町の縮図で、多様な生徒がいるんです」

「そんな中、震災という大変な時期を経験して、今はいろんな方にサポートに入っていただいている。流れにのって教育の仕組みを変えるチャンスだと思っています」

先生は、昨年自ら町の将来について考える「南三陸町の明日を語る会」を開き、行政や地元企業の方、キッズドアの佐藤さんなど外部の方を招き、ざっくばらんに話し合ったそう。

今回プロジェクトの話が持ち上がったときには、先生自身も賛同し、今も想いを傾けています。

反面、こんな思いも。

「大学に行ける学習環境が整ったら、町には大学がありませんから、子どもたちは町を出るでしょう。都心で就職して、地元に戻らない可能性もあります。私自身、これでいいのだろうかと迷う心もあるんです」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「けれど」と山内先生。

「大学や外国など、一度外の世界に行ってみることは、子どもたちにとって、また町にとってもたいへんな糧になると思います。これからはグローバルな時代ですから、この町に戻ってきたとき、外に情報発信していくことが必要な場面もあるでしょう。そのとき、世の中の価値観を知らないと、うまく伝えられないと思います」

子どもたちには、色んな価値観を知った上で、ものごとを見極めてほしい。

志津川高校では、チリや台湾、韓国など海外との交流や、大学生や民間企業を招いての講話など、積極的に生徒が色んな人に関わる機会をつくってきました。

「わたしの同級生も、民間企業の社長として面接指導に来てくれたり、職業体験や情報提供など、学生をサポートしてくれています。そういう意味では、できることは何でもやってあげようという学校であり、地域ですね」



続けてお話を聞いたのは、南三陸町企画課の佐藤正行(まさゆき)さん。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 町としても「やるならできるだけ早く、新年度からスタートを切りたい」と、スピード感をもって今回のプロジェクトを進めてきたと言います。

「志津川高校は町内唯一の高校です。卒業生には将来、この町を担う人になってほしいですね」

「まずは魅力ある教育で、町に活気を生み出したい。そのために、町の人と連携して行う学習などは、町も細かなサポートをしていくつもりです」

一方、町全体でみると、このプロジェクトを知っている人はまだ少ないそう。志津川高校の先生の中には、外部の人が入ることに抵抗を感じている人も。

「まずはワークショップなどで、お互い気軽に対話できる場を設け、理想を共有するところからはじめると思います。子どもたちへの愛情は、先生方も同じはずです。時間をかけて、じっくり同じ方向を見ていきましょう」


あたらしいプロジェクトだから、まだまだやることはありそう。

けれど、南三陸町は、静かに動き出していると思う。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA そんな町や学校のサポートを受けつつ、日々子どもたちに向き合うのがキッズドアのメンバー。

室長の佐藤さんと、キッズドアでインターンから社員になったスタッフ、今回募集する人の4人で担当していきます。

基本的には、高校の中にある学習支援室で、月曜日から金曜日まで、放課後子どもたちの勉強をみる。

また、プロジェクト学習などを企画するときは、町や学校の先生と打ち合わせをしたり、当日は子どもたちをファシリテートしていくことも。

「最初は学習支援室を利用する約40人の生徒を対象に、部活動のような感じでスタートすると思います」と佐藤さん。

「ぼくたちも、高校生と直に話せているわけではないんです。生徒の反応をみながら、少しずつ一番いいものをあげられたらいいですね」

目の前の子どもたちに本当に必要なものは何か。

その思いで行政をも巻き込む佐藤さんの行動力は、ほんとうにすごいと思う。

そう伝えると、教育に進むことになったきっかけを話してくれました。

「ぼくは小学校から大学までずっと野球を続けてきました。プロの選手になりたかったんです。けれど、部活が終って打ち込んでいたものがなくなったとき、生きる気力もなくなってしまって」

学生時代に一つのことに打ち込むのはすごく大事だし、できれば子どもたちにもやってほしいこと。

「とはいえ、それだけ集中力をもっているのに、部活以外でやりたいことを描けていないのはすごくもったいない」

「子どもたちには、一緒に未来を描ける大人が周りにいるって環境をつくろうと思ったんです。その思いは今も変わりません」

卒業後は起業し、誰でも通える学習塾を開いた。

そこで、こんなことに気づく。

「子どもたちが将来を描くとき、たとえば『親が安定している仕事に就けと言われたから看護師になる』というように、無意識の制約みたいなものが見えてきて。子どものうちからいろんな価値観に触れさせないと、自分の意志で選ぶことがなくなっちゃうと思ったんです」

キッズドア - 1 (8) そこで、プロジェクト学習やキャリア教育などを取り入れ、子どもが自ら考え、行動を起こせるものを取り入れた。

「一番最初に教えていた中学生は、今大学生になりました。ときどき連絡をもらうんですけど、ボランティア活動に参加したり、学生団体をつくってる子もいて。しっかり自分で考える子になっていました」

一度は、マクロな教育現場を経験するため大手企業の教育部門に就職するも、担当になった南三陸町に来て、現実を目の当たりにした。

あらためてもっと近い距離で子どもたちと関わろうと、キッズドアに入り直したと言います。

「放課後、子どもと顔を合わせて『今日こんなことがあった』って何気ない話をするのが、ぼくにとってすごく大事な時間で。会話も勉強も、その子の一部になる。そこに自分がいるから、その子の未来が変わっていくんですよね。責任もあるけれど、やりがいの大きい仕事だと思います」

花がほころぶ瞬間を待ちわびるように、子どもたちを見守る。

なにか気になったら、まずは南三陸町をたずねてみてください。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA この場所だからはじめられることが、きっとあると思います。

(2017/4/17 倉島友香)