求人 NEW

風を待つ島

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

名古屋駅から近鉄特急で2時間ほど。志摩半島を南北に走る近鉄志摩線・鵜方駅を降りる。

15分ほど車を走らせ、渡船場に着くと、対岸に島が見えた。

210人が暮らす島、渡鹿野島(わたかのじま)を訪ねました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 渡鹿野島があるのは、三重県志摩市。入江が入り組む複雑な形をした島で、波の穏やかな湾のなかに浮かんでいます。

かつて帆船の時代には、船が立ち寄って食料や薪を積み、いい風を待つ「風待ちの港」でした。

江戸時代には船乗りを相手にした遊女や芸妓が集まり、華やかな時代もあったそう。

現在は、温泉と的矢(まとや)牡蠣で有名な的矢湾の魚、おだかやな海や時間を求めて人が訪れる、観光の島になっています。

歴史と自然のぎゅっとつまった小さな島で、お店をはじめたい人はいませんか。どんなお店にするか一緒に考えるところからスタート。もしかたら「お店」という形にならないかもしれません。

雇用形態としては、地域おこし協力隊になって、市の委嘱で最長3年まで給金が支払われるというかたち。

島、歴史、自分のシゴトをつくること。ひとつでも気になるキーワードがあったら、ぜひ読んでください。



渡鹿野島のある志摩半島は、2000年の歴史をもつ伊勢神宮とその森がある内陸部、岬や入江が入り組んだリアス海岸からなる、自然豊かな土地。

とくに、渡鹿野島が浮かぶ的矢湾は、波が穏やかでプランクトンが豊富。日本3大ブランドと言われる的矢の牡蠣の養殖場でもある。

渡鹿野島 - 1 (1) 安乗の港から渡鹿野島までは、船で3分ほど。対岸から人の姿も見えるほど近いけれど、島につくと穏やかな空気に変わった。

観光客らしい夫婦が、のんびり海辺を散歩している。

「ここには温泉があるし、冬場は的矢の牡蠣、安乗フグもおいしい。伊勢志摩で遊んでから、島に渡ってゆっくりするお客さんが多いんですよ」

そう教えてくれたのは、渡鹿野区区長の茶呑(ちゃのみ)さん。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「向こう岸が見えるといっても、海に囲まれていますから、とてものんびりしています。島は、端から端まで歩けるし、車も軽トラが数台あるだけ。歩行者天国ですわ(笑)」

島生まれ、島育ちの茶呑さん。

これまで、一度は島外で自衛隊として勤めるも、お父さんがやっていた島唯一の食料品店を継ぐため、30年前に島に帰ってきたといいます。

「島は旅館業が主体で、ほかは飲食店が8つ、海苔養殖をしている家が2軒です。外に勤めに出ている人もいますね」

島というと、漁をしたり畑をしたりというイメージもあった。渡鹿野島は旅館業が中心だから、おもてなしの風土が濃いよう。

お話を聞きつつ、島をぐるりと案内してもらう。

港を背にして細い路地に入ると、木造の古い家屋や、かつて飲み屋だった建物などがひしめくように並んでいる。

ふっと路地を抜けると、お社に続く階段が見えた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「山の上にある八重垣神社には、スサノオノミコトが祀られています。渡鹿野島には、過ぎたるものが3つあるって言われているんですよ」

過ぎたるもの?

「ひとつは、塩気のない、おいしい井戸水。もうひとつははっきりしていなくて、最後のひとつが文政2年から200年続く天王祭(てんのうさい)です」

市の無形文化財でもある天王祭は、この神社の神輿で島をお祓いする神事。

夏、島じゅうの明かりを消した暗闇の中で御神体を移し、その後、灯りをつけた町の中を、若者が大声をあげながら神輿を担いで練り回る。海には花火が上がり、島はものすごい熱気に包まれる。

「古い文献に見ると、5世紀の時の天皇が、この島に神様を祀った過去もある。それから、明治45年に合祀令が出るまで、この島ではアマテラスのアラタマをはじめとしたたくさんの神様を祀っていたんだって。ぼくは、ここは神様の島やって思ってるんですよ」

さらに進んで、港の裏側、見晴らしがよい「わたかの園地」へ来た。

渡鹿野島 - 1 (4) 園地の両端には、2本の石柱が立っている。

「昔は、あの岬と岬の間から船が入ってきたんです。この石柱に竹を差し、入江から見て重ならないように進むことで、暗礁に乗り上げず島にたどり着きました」

渡鹿野島 - 1 (10) 渡鹿野島の浮かぶ的矢湾は、波のない穏やかな海。

かつて大阪から江戸へ資材を運ぶ帆船が、ここで休憩しつつ天候を見ていたそう。

「造船所もあったから、島には大工さんをはじめとして、船乗り相手の食べ物屋や雑貨屋、遊女や芸妓も集まって『風待ちの港』として栄えました」

帆船の時代が終わると、遊興的な雰囲気だけが残ることになる。ユートピアと称して、文壇の谷崎らもここへ来ていたという。

島が落ち着いてきたのは1960年ごろ。昭和31年にできた売春禁止法とともに廃れていった。

「一昔前は、面白半分で男の人が来ていたけれどね。すっかり雰囲気が変わったのは10年くらい前かな」

わたかの園地から、港のほうへ戻ってくる。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 現在、飲み屋や遊郭はすっかり暖簾をおろし、今はどこもおばあちゃんちのような風体。人口も減り、空き家が目立つ。

光も影もあっただろうけれど、歴史のぎゅっと詰まった島だと感じる。


そんな渡鹿野島で、かねてより島の観光化に尽力してきたのが、旅館「福寿荘」を運営する木村さん。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 木村さんにもお話を伺います。

「親父が大阪の商家の生まれで、画家でね。文壇の人たちとグループで島に来て、親父はここで旅館をすることになった。わたしは2代目です」

福寿荘は、島から出ている温泉と、的矢湾のおいしい魚料理が評判のお宿。

お客さんの7割が島でゆっくり過ごしたいという女性で、リピーターも多いのだとか。

「今でこそ女性も多いけど、昔はそうじゃなかった。うちで仲居さんを募集して面接に来てもらっても、女性が島へ渡るというだけで変に思われる時代がありました」

「自分の生まれ育った故郷を、そういう目で見られるという辛い思いは、次の世代にはさせたくなかった。なんとか転換したいと、ここまできました」

渡鹿野島のいいところを引き出すよう、はじめは自ら調理場に入り、的矢湾の魚を使ったおいしい料理でお客さんをよろこばせた。

渡鹿野島 - 1 (14) 20年前には温泉も掘り、「風待ちの湯」として打ち出した。

「反応はありました。現在、お客さんの多くは女性です。昔は大手旅行会社さんは見向きもしてくれなかったけれど、今では送客いただく。確実に変わってきています」

お客さんも、浜辺をのんびり歩いたり、島を散策したり、いかだ釣りに出かけたり。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA おだやかな海と島の雰囲気に、ほっとくつろぐ人が多い。

「昔から風待ちの港というくらい、島も人も、おだやかなところなんですよね。お客さんの中には、3泊4泊、パソコンや携帯の電源をすべて切ってリフレッシュする人もおる。何かあるわけじゃないけど、ただゆったりと自然を感じてもらえる場所なんです」

もともとあった渡鹿野島のよさが、よみがえりつつあるんだろうな。

木村さんが島で運営する旅館の数も、3つに増えた。

「わたしらの商売は、ここに根を生やしている。ここをよくしないと、お客さんは来てくれないんだから」

もし、ここでお店をひらきたいと思ったら、まずは島のこと、木村さんや茶呑さんたち島の人をよく知ることが第一歩になると思う。

できれば、毎日の朝日や夕日など、あるがままの渡鹿野島を発信するところも担ってほしい。

1年ほどかけてじっくりと島への理解を深め、2年目にお客さんや島のニーズを拾いつつ、お店をはじめる準備をしていく。

現実的にお店をひらくとしたら、どんなものがいいでしょう。

「わたしも旅館の中でいくつか飲食店を経営していますが、正直、なかなかむずかしいんですよね。お客さんの求めているものがだんだん変わってきて、昔ほど夜の宴会などを好みません」

「そうかと思うと、私たちにとってなんでもないようなこと、たとえば星空を見るために山に登ること、ボートにのって海の上で朝焼けを見るといったことには価値を感じる。あたらしい仕掛けを考えなければ、ターゲットを観光客に絞ったお店は厳しいかもしれません」

渡鹿野島 - 1 (11) たとえば飲食店をひらくとしたら、ふだんは島の人たちに使ってもらい、プラス観光客で利益を考えたほうがよいかもしれない、とのこと。

「空き物件も探してもらったら、家主と交渉しますよ」と茶呑さん。

お二人からは、協力的な姿勢を感じる。

自分で生業をつくるという覚悟があるなら、とても恵まれた環境だと思う。



島の暮らしはどうなんだろう。

旅館「寿屋」の若女将、竹内美樹さんに聞いてみました。

美樹さんは「寿屋」の3代目。家族5人で切り盛りしています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「高校進学で名古屋へ出て、卒業後は英語の先生をしていました。24歳のとき、そろそろ宿のこともあるし、って島に戻ってきて。都会はすごくばたばたしてたから、帰ってきてほっとしました」

ふるまいが素朴で温かくて、いい人だなあと感じる。

「多少収入は減りましたけど、島にいると衝動買いがないので、支出も減ります。本当に欲しいものにお金が使えるようになりました」

車が走っていない、のんびりした風景が好きだそう。

「歩いて移動するから、かならず顔を合わせるんですよね。すごく密な関わりというわけじゃないけれど、島の人はみんな顔も名前も誕生日も、性格までわかります(笑)」

「わたしも3歳になる娘がいるんですけど、治安は最高にいいので、子育てにはいいですよ」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 島には保育園や学校がないから船で通学となる。乗船時間も短いし、そんなに大変じゃないんだそう。

「大変なのは、病気くらいです。病院がないので、とくに救急のときは焦ります。それから、やっぱり人口減は感じています」

現在島の50%が65歳以上で、40歳までの人は5人ほど。

島のことを客観的に見ながらも、ここに根付く人が求められています。

ここで、話を聞いていた茶呑さん。

以前、地域活性化を学ぶ四日市大学の学生がやってきたときのことを話してくれた。

「彼らに島を知ってもらって、どうしたらいいかな、と話を聞いてみました。すると、島を上からみるとハートの形をしていることを誰かが発見して。『ハートアイランドとして、ウォークラリーイベントをしましょう』と企画してくれたり、『自分が担当するから、HPをつくりましょう』と意見をくれたんです」

渡鹿野島 - 1 (12) 意見をもらうだけじゃなく、茶呑さんもイベント開催に協力したり、HP作成のための予算を確保した。情報発信のために、苦手だった携帯もスマートフォンに変えたという。

「ぼくらじゃ出ないようなアイディアと行動力がほしい。とはいえ、本人の気持ちが大事だと思うから。まずは島に来てみて、ここで自分が生きていけるか判断しないとね」


おだやかな自然に、神さまや風俗の歴史が重ねられた島。

渡鹿野島は、ちょうど節目にあると思います。

興味がわいたら、まずは訪れてみませんか。

人も島も、あたらしい風を待っていると思います。

(2015/5/15 倉島友香)