訪ねたのは、鹿児島と奄美大島の間に浮かぶトカラ列島のひとつ「悪石島(あくせきじま)」。
ぐるっと一周しても12km。住んでいるのは72人という、とても小さな島です。
この島で過ごした4日間を、日誌をめくりながら振り返ってみることにしました。
飛行機は羽田から奄美大島へ。
トカラ列島へは、奄美大島から鹿児島まで結ぶ、週に2便の村営定期船「フェリーとしま」に乗っていきます。
奄美大島から悪石島までは、船で6時間ほど。今晩は船中泊です。
翌朝港に着くと、とてもいい天気。
港には島の男の人たちの姿。てきぱきとフェリーの綱を引いたり、食料や日用品が入っているコンテナを下ろしていた。
迎えてくれたのは、1年半前に大阪から移住して漁師になった津波古(つはこ)さん。
津波古雅也(まさのり)さんと、奥さんの香織さん、2歳になる充航(じゅうこう)くんの3人家族です。
津波古さんの港での「荷役」が終わると、今日は畑へ行くそう。わたしもお手伝いすることに。
急な坂道を車で10分ほど登っていくと、上集落が見えてきた。
端から端まで歩いても15分かからないこの集落に、集会所のようなコミュニティセンター、看護師が常駐する診療所、学校、民宿、発電所、貯水タンク、神事を行う広場、お墓など、まちのほとんどの機能がつまっている。
畑に到着すると、長靴と手袋を装着。はじめて育てたという島らっきょうを収穫する。
「島での仕事は、百姓みたいなもんかな。なんでもやるよ。けどもともとは、漁師になりたくてこっち来てん」
津波古さんは、大阪生まれ、大阪育ち。実家の町工場を手伝ったあと、住宅設備の会社でサラリーマンをしていたそうだ。
「このままずっと会社おると思ってたなあ。結婚もして、生活のために稼がなあかんと思ってたし」
「けど、小さいころからずっと釣りが好きやってん。親父が釣り好きやったし、近くに川も海もあったから、川釣りも海釣りもやってきた。なんとなくやけど、漁師になれたらいいなっていうのはあったな」
でも、どうしたら漁師になれるのかまったく想像がつかなかった。
「あるとき、通勤の満員電車で “おれは漁師になる”って広告が目に飛び込んできて。ちょうどいい機会かなって、軽い気持ちで説明会に行ってみたんです」
「1ヶ月くらいして奥さんにチラッと話してみたら、ふたつ返事で『ええんちゃう』って。もっと色々言われるかと思っていたから、あれっ?って拍子抜けして(笑)けど、背中を押してもらったことで、本格的に興味が湧いてきたんです」
あらためて説明会に行ったり、子育ての補助制度を調べたり。ふたりでたくさん話し合って、気持ちも固まった。
そして昨年の8月に移住してきました。
「こっち来て、よかったな」
「来るまえは、離島だしもっと大変やろなと思ってたけど、実際は何でもネットで買えるし、島の人たちは親切で、すうっと馴染めた。それに、サラリーマンやったら遅くまで仕事して寝に帰るだけやったけど、今の仕事ならずっと子どもとおられるし。…うん、それはよかったな」
充航くんが畑でのびのび遊んでいる。らっきょうも、あらかた抜けてきた。
「怖いのは病気くらいやね。看護師はおるけど、医師は常駐してないから」
仕事は、どうでしたか?
「漁師やっとるよ。でも海は荒れるから、毎日は出られない。それで島の漁師は、農業や民宿を兼業してるんやけど」
「やっぱり、漁出てるのが一番楽しいな」
この辺りの漁は深海釣りといって、糸を300~400メートルの深さまで落とすそう。珍しい魚もいるから、釣れれば高値で売れる。
はじめは先輩漁師の船に乗って色々教えてもらい、昨年の11月からは、自分の船を買って一人で海へ出ている。
「サラリーマンのときほど儲からんし、安定してない。けど、お金のためにおもしろくないこともやらなあかんっていうのがないから、なんやストレスがないな」
海の上で一人きりなのが気楽なんだそうだ。
「たしかに、もうちょっと頑張って釣って、稼がないかんと思うけど…。ぼちぼちでいいわ。目の色かえて金儲けしたら、ここで長続きせんような気がするし」
ぼちぼち、ですか。
「うん。ここに長くおれるように。漁に限らず何でもそうやけど、島にはたくさんの人がいてないから、お互い助け合うんです」
たとえば、車が壊れたとき。都心なら整備工場に行けばいいけど、ここは得意な人に頼むしかない。
「その代わり、『なんか手伝って』って言われたらすぐ行くし。人間関係が密っていうより、それがふつうやねん」
「今はこっちのほうが馴染んでんちゃうかな。お盆に大阪に帰るけど、向こうおったら、やることなくて3日くらいで飽きてくる(笑)こっちやったら船いじったり畑行ったり、神事や学校行事なんかも多いから。居心地ええんかな、はよ帰りたなんねん」
らっきょうをもらって、宿に帰る。
夜は、民宿「南海荘」のお父さんと、島に屋根を直しに来ていた大工さんの3人でお酒を飲んだ。
宿のお父さんは、有川誠司(ありかわ・せいじ)さんという。昼間は漁師、夜は民宿を営む。
この家も自分で建てたし、船や車が壊れれば修理もする。なんでもできるので、島の人だけでなく、いつもIターン家族の面倒をみているそう。
「大変なんだよ」とぼやきながら、こんな言葉を続けた。
「人間はさ、心だよ。『ありがとう』の言葉だけで気持ちが晴れるのよ」
きっとお金よりも、心が巡っている島なんだと思った。だから、どこか懐かしくて、あたたかい感じがするのかもしれない。
今日もいい天気。
朝ごはんを食べたら、コミュニティセンターへ。香織さんと充航くんと、島の子どもたちを遊ばせる会にお邪魔しました。
入ってみると、小さな体育館のような部屋。それぞれが好きなことをはじめている横で、かおりさんに島に来るまでのことを聞いてみた。
「結婚してからずっと、旦那さんは普通にサラリーマンしていました。けど、つまらなさそうに見えたし、ずっとこのままなんてもったいないなあって思ってて」
「そんなとき、『ちょっと漁師フェアいってきてん』ってパンフレットを見せてくれたんです。話を聞いたら、楽しそうって思いました(笑)知っていますか?漁師の募集って、日本各地であるんですよ」
目をきらきらさせる香織さん。雅也さんが一歩踏み出したことがほんとうにうれしかったんだろうな。
「その中でも、わたしたちは南のほうに呼ばれている気がして。トカラ列島は、役所の人が熱心だったことと、子どもへの手厚い補助に惹かれて決めました」
「それに、離島は人が少ないから、全員が知り合いみたいになっていいだろうなって」
地元がそんなふうだったんですか?
「いいえ。私は生まれも育ちも大阪市です。でも、旦那さんの親戚がみんな近くに住んでいたんですよ。道端やスーパーで会うと立ち話したり、しょっちゅう集まったり。そういうのいいなあって、憧れてたんですよね」
島暮らしはどうでした?
「島の人は、みんなめっちゃ親切やなって思います。引っ越してきた当日なんか、島には引越し業者がいないから、みんなで運んでくれるんですよ。ごはんもないだろうからって、2食分差し入れてくれて」
「もっと暇になるかと思ってたけど、毎日島の人と顔合わせるからかな。毎日忙しくしています」
春からは、島にあたらしくできる郵便局の事務員としてはたらくそう。「島の人も便利になる」というかおりさんからは、すっかり島の人になっているのが伝わってきた。
午後は「生まれたばかりの子牛を見に行きませんか?」と誘われ、牧場へ。悪石島では牧畜がさかんで、島のあちこちでこんな風景を目にする。
ここでもう一人、仕事が好きという島の人に会いました。
子牛がいる小屋で面倒を見ていたのは、牧畜をしている敏江(としえ)さん。生まれたばかりの子牛が懐いて、ぐいぐい頭を押し付けていた。
「よしよし、遊びたいんだよね〜。でももう重くて、抱っこしきらんの(笑)」
めろめろ、という言葉がぴったりな敏江さん。聞けば、牛の世話をしながら、毎日一緒に走り回っているそう。
「わたしはこの仕事大好き!動物が大好きだから、飽きないよね。とくにこんな小さいの見たら、やっぱり癒される。けど食用だから、10ヶ月育てたら出荷しちゃう。…最初は涙がでたけどね、もう慣れた」
そう笑うけど、泣きやんだあとみたいな声だと思った。自然を相手にするって、こういう厳しさもあるんだ。
今日は島にフェリーが来る日。船に乗る前に、香織さんと充航くんと散歩した。
小さな集落のなかで、いろんな人に会う。
先輩漁師の和則さん、猫をたくさん飼ってるお母さん、新卒で赴任したばかりの学校の先生、散歩中のおばあちゃん…。顔を合わせば話すし、充航くんを見れば、みんな笑顔になった。
すると、「もう都会には戻れへんなあ」と香織さん。
「ここのみんなと、ずっと一緒にいたいです」
港までは、津波古さん一家が3人で見送りにきてくれた。ぼおおーと汽笛を鳴らして島を出港する。
見えなくなるまで手を振ってから、島でのことを考えた。
海のある風景や、家族が生き生きしている風景。
一歩踏み出すのは怖くもあるけれど、見たい風景が待っていることもあるんだと知りました。
島での暮らしが気になった方は、ぜひ一度訪ねてみてください。
小さくて、あたたかい島でした。
※ 悪石島では、ボランティアの受け入れもしています。
※ 船の着港時間は変動しやすいので、余裕をもってスケジュールを組むのがおすすめです。