コラム

お天道さまの恵みをうけて

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これはしごとゼミ「文章で生きるゼミ」に参加された高瀬楓さんによる卒業制作コラムになります。

高瀬さんの祖母は86歳で現役の農家。趣味は短歌と食べること、それから土いじりなんだそうです。高瀬さんが北海道に帰省したときに話を聞きました。

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「お元気ですか。横浜での生活はいかがですか。帰省の日をおばあちゃん今から楽しみにしています。では、くれぐれもお元気で」

季節ごとに、こんな手紙と野菜が北海道の祖母から届く。思いやりのつまった故郷からの荷物が届くと、今年もまだ帰ってないやと思い出す。故郷を離れて今年で8年目。目の前のことに夢中になってすぎる日々は楽しいけど、たまにふと、何か大切なことを忘れてしまっているような気もする。

祖母が育てた野菜はどれも、大きくて甘くて美味しい。現在86歳の祖母は、現役の農家だ。なぜ祖母は休まず働き続けるのか、そんなことをふと思い、家族が暮らす故郷に今年はじめて帰ることにしました。

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私の故郷は北海道、実家は牧場と農業を営んでいます。鹿やキツネが遊びに来るような田舎で、父、母、兄、祖母の家族4人が暮らしています。

祖母、86歳。北海道出身。趣味は短歌と食べること、それから土いじり。祖母にとって畑仕事は格好の趣味であり、仕事でもあり、元気の源であるといいます。北海道で生まれ育ち、農家歴60年。祖母の「仕事」について話を聞かせてほしいと頼むと、祖母は間食の白飯を食べながら了解してくれた。

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祖母は誰よりもご飯を食べる、よく食べる。目を向けると、いつも何かを食べている。口癖は「なんでもおいしい」。「ばあちゃんは人一倍食べるっしょ。兄ちゃんより食べるんだもの。元気だなーって、みんなに笑われてるさ。さて、ばあちゃんも仕事するかい」

今日の祖母の仕事は、漬物の仕込み。土から収穫した大根を、樽の中で一本一本手洗いする。洗った大根の皮を二人でむきながら、祖母に思い出話をしてもらう。

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祖母が漬物を本格的に漬けたのは、お嫁にきてから。柏の葉っぱが山吹色に変わったら、木枯らしの季節がやってくる。長い北海道の冬を越すために、漬物は昔から大切な保存食だったそうだ。何百本と毎年漬けてきた、祖母の漬物。春になると樽はすっかり空っぽになる。

「みんな、ばあちゃんの漬物おいしいからちょうだいっていうのさ。嬉しいっしょ。だから、今年も家族とみんなの分も漬けるよ。ボランティア精神旺盛さ」

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祖母の写真を撮っていると、聞こえてくるのは自然の音だけ。サラサラと秋の枯葉がこすれる音、木々の隙間をぬって響く鳥のさえずり。柔らかい木漏れ日に包まれながら心も優しくなっていく気がした。

「お天道さまが昇れば起きて、お天道さまが沈めば今日の仕事はおしまい。さて、ばあちゃんも冬眠でもするべか」

祖母は自分が管理する畑の他に、家業であるピーマンの出荷手伝いもしている。50mハウスが15棟。初夏から秋にかけては出荷のピークで、最盛期の起床は朝3時半。薄暗い朝から、空に月が浮かぶまで、パチンパチンとピーマンのヘタを切る音が響く。夏場のハウスは30度以上にまで気温が上がる。

収穫シーズンがすぎれば、ビニールハウスの片付けをして来年の準備にうつっていく。3月になれば新しいビニールをかけ部屋を暖め、それからピーマンの苗を植えてまた1年がはじまる。

決して楽な仕事ではない。野菜も生きている。だから大切に一年中手をかけ、声をかけていく。それでも祖母は「農家で幸せだなぁって思うのさ」と笑う。

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祖母がそう感じるのは自分が育てた野菜を「おいしい」といってもらえたとき。自分の手から誰かの手へと野菜がわたり、おいしく食べてもらえると農家をやっていてよかったなあと嬉しくなるといいます。

そんな話をしていると、祖母は幼少期に体験した戦争の話も聞かせてくれた。

「食べるものがとにかく無くってなぁ。実家は米農家だったけど、それでも白いご飯は食べることができなかったよ。サイレンが鳴れば授業中でも避難するしかない。勉強したくてもできなかったもんさ」

戦争の時代を経て、学ぶこと、食べることへのありがたみを教えてもらったといいます。

「今は夢みたいだよ。みんなでご飯も食べられるし、自分でつくったものも遠慮しないでお腹いっぱい食べられるっしょ。だからお金がなくても、ばあちゃんは農家で幸せなんだ」

祖母は、実家の米仕事を手伝いながら和裁を習い、24歳で結婚。競走馬の飼育を望んだ祖父と一緒に、牧場と畑作の兼業をしてきました。

しかし、結婚20年目に祖父が事故で亡くなりました。

残されたのは祖母と3姉妹の子どもだけ、女だけの牧場経営が突如はじまります。

「当時、女だけでやってる牧場なんてなくてさ。どうしようかと思ってなあ。大きな馬運車も運転したし、男の人がやるような力仕事もとにかく何でもやって、新聞にも載ったさ。8年したら、あんたの父さんが宮城から婿に来てくれて、牧場ついでくれてね。助かったよ」

「馬と一緒に暮らしていて、辛いことも嬉しいこともあった。でも、おじいさんがはじめた牧場を続けることができてよかったなぁって思うよ」

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祖父から父へ受け継がれた牧場の経営も、今年で60年目になる。炊きたてのご飯は一番にご先祖さまの仏壇へ、その次は父へ。祖母は父に「ありがとう」と「お疲れさま」を惜しみなく伝えつづけている。

そんな人一倍働き者で、人に感謝している祖母にも困っていることがある。足が悪いことだ。祖母は生まれつき足が悪い。だが、それがわかったのは40代の頃。なぜそんなに後になってわかったのか母に聞くと、仕事に子育てと自分のことは後まわし、祖母は病院に行く暇もなかったようだ。

「若いときは、年とってから何ぼでも遊びに行けば良いっていわれて働いてきたけど、年とったら体がいうこと聞かないもんさ。もっと歩けたらよかったなぁと思うこともあるけど、元気でいるから十分だな」

祖母に叶えたいことはあるか聞くと「一回おじいさんの故郷(石川県・能登)に行ってみたいなとも思うんだ。足こんなだけどな」と、小さな声で教えてくれた。

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春夏秋冬、太陽といっしょに生きる農家の仕事。

仕事から戻った家族をあたたかいご飯でむかえることも、孫へ手紙や野菜を送ることも、祖母の仕事の一つだそうだ。甘えっぱなしだった自分と、故郷で働く家族の姿。てらしあわせて少しだけ、背筋が伸びた気がした。

「したけどね、思うんだ。自然があるっていいよなぁ。都会で働いてご飯を食べられるのも、ありがたいことだって、ばあちゃん思うよ。体にいいもの食べて、元気に働けよ」

「それから、いつでも帰ってきなさいね」

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祖父は、この家から見える“海に沈む夕日”が好きだったといいます。風が強い場所に家を建てたから、洗濯物や魚がよく乾くと祖母は喜びます。まちには新しい家が建ち、景色は変わっていきます。それでも祖母はいつだって、変わらない笑顔で待っています。

農家歴60年、生きるように働く祖母は今も現役だ。お天道さまの下で、祖母は今日もきっと働いている。自分のために、大切な誰かのために。

自分の仕事のその先が、誰かの笑顔につながることを思い浮かべながら。

(2017/04/10 高瀬楓)