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設計の仕事は、設計図を描きおこして、施工を担当する人に引き渡すこと。本当に実現したい建築があったとしても、施工次第で実現性は変わってきます。それは施工担当者の技術力次第なところもあるし、予算やスケジュールという制約もある。
でも株式会社水雅には、それを乗り越える若い大工集団がいます。しかも、どうしたら形にできるか、とても建設的に仕事を進めていく雰囲気がある。
デザイナーのとなりには、いつも大工たちがいるから、とことん話をすることができるし、工夫することで予算の壁を乗り越えてしまうことも。
今回はこんな工務店のデザイナーを募集します。
普通の工務店とは違うので、ぜひ読んでください。
杉並区の静かな住宅街の中に、水雅の事務所はある。大きな看板はない代わりに、正面脇に片付けられた、たくさんの脚立や一輪車などの道具が目にとまった。
いろいろな工作機械のある作業場の脇の階段を上がって二階の事務所のなかに入ると、打って変わって落ち着いたデザイン。ふんだんに木が使われているし、緑も多いから気持ちがいい。
すぐに代表の田代さんが迎えてくれた。
ミーティングスペースで、まずは水雅ができた経緯を聞いてみる。
「広島の高校を出て、東京で音楽やりたくてこっちに来たのがきっかけ。音楽だけでは飯食えないので、バイトで建築にたずさわりだして、そっちのほうが面白くなって、気づいたら大工になってた。それが、20か21くらい」
現在38歳の田代さん。一人の大工からスタートし、その後施工管理も担当することになり、今から10年ほど前に独立することになる。
こんなに仕事が広がってきたのは「なんでもやる」という意識を持っていたから。
どうして「なんでもやる」ようになったのか。
「工務店で大工として働いていたとき、管理がずさんなせいで自分のやりたい仕事がうまくできなかった。たとえば、床を施工したあとに壁をやったほうがきれいに仕上がるんですけど、フローリングが海外からの取り寄せで納期が長くかかるせいで、床があとまわしになることがよくあった」
「職人さんがやりやすいようにちょっと工夫するだけで、スピードも上がるし、精度も上がる。そっちのほうがいいと思って、それで自分が施工管理もやろうと思って」
どうせやるなら納得した仕事がしたい。
そのためには、従来のやり方にとらわれるのではなく、状況に応じて自分で考えながら働くことが求められる。
たとえば、事務所のとなりには工事中の空間がある。天井にカラフルな板材が組み合わされていて、今後はアトリエとして使用予定とのこと。
今回募集する設計とデザインの担当者は、このアトリエにも仕事として関わることになるかもしれない。その用途はまだ具体的には限定されておらず、ワークショップやイベントも開催できるスペースとして整えている最中なのだそう。
ほかにもプロダクトデザインの仕事もある。
よくある工務店の設計やデザイナーの働き方とはどうやら異なるようだ。
具体的にはどんな働き方なのだろう。
すると、隣に座っていたデザイナーの白石さんが話してくれた。
田代さんと同い年で、IT関係の仕事をしながら30歳のときに美大に入り、プロダクトデザインについて学ぶ。
「就職活動のときには、年齢も考えてプロダクトデザインの事務所はあきらめていたんです。そんなときに日本仕事百貨を見て、家具やキッチンもつくる工務店って面白そうだなと思って」
「会って話してみると、落ち着いて話す人たちで、柔らかい印象がありました。変な圧みたいなものはなかった」
働きはじめてからはどうでしたか。
「デザインの仕事は継続的にできているし、たまに建築現場に行ったりすることもあって面白いです」
白石さんが関わる仕事の一つが、大工の技術を生かしたプロダクトを提案するプロジェクト。
四枚の板を組み合わせて作られた「井(せい)」という名前のライトは、ねじる動きの美しさを形にしたいという大工のアイデアから生まれた。
「束ねた木の隙間から光が漏れるのがきれいだし、ずらして調光もできる。長くすると、フロアライトにもできるんです」
大工さんが近くにいると、改良の相談もしやすそうですね。
「そうなんです。これも10回以上色々な方法を試したんですよ。コードを収める仕組みや、中身の構造がなかなかうまくいかなくて」
アイデアを出す人と作業する人が近くにいるから問題点がすぐに見つけられるし、やりとりの回数が増えることで課題も解決しやすい。テンポよく形になっていくから、最終的な精度も高いものになっていく。
たとえば、障子のデザインを考えたときのこと。
デザインを考えていたら、ふと玄関のタイルの目地が気になった。
これと同じようなものがいいと思って建具屋さんに頼んだら、コストがかかりすぎて断念。
「そしたら大工さんが1枚の板から丸ノコで切り抜いてつくろうとしてくれていたんです。試作品もできていて『こんなのどう?』って」
1枚の板から、型抜きのように細い枠を残して切っていくのは相当大変そう。
「みんな、難しいことのほうがワクワクするからやっちゃうんです。社長もよく『やりすぎちゃった』って言っていて」
大変なことだけど、白石さんはちょっと楽しそうに話す。
なんでも形にしてくれる大工集団と一緒に働くのは心強い。
設計担当の伊藤さんも、こんな環境だから安心して働けているひとり。
伊藤さんも、もともと建築を勉強していたわけではなく、英文科を卒業したあと、しばらく事務の仕事をしていた方。
どうして建築に興味を持ったんですか?
「母が工務店で働いていたんです。特に資格がなかったんですけどね。それで今の実家も、自分が高校生のときに母が設計してくれて」
「ただ、わたしの意見は聞いてもらえなかったので、あまり好きじゃない。それでいつか自分も設計をしてみたいと考えていたんです」
働きながら建築を勉強して資格を取得。はじめに設計と不動産をしている会社に入社して、そのあとアトリエ系の設計事務所に転職。2年ほど働くことになった。
「けどその事務所もなくなってしまったので、CADオペレーターとして派遣の仕事をはじめたんです。ちょうど大きくなりつつある会社で、分業が進んでいました。効率はとてもいいのでしょうけど、本当は現場も見たかったんです。もっとつくる工程を知りたかった」
そんなときに出会ったのが水雅だった。
第1印象はどうでしたか?
「大工さんって、おじいさんが多かったのに、ここは若い人ばかりで驚きました。いいな、と思って。面談のときも、ふわっとしていたし、すごい無口な人たちだなあ、と思いました」
「働いてみて感じたことは、普通なら無理だからいいか、と引っ込めちゃうことも、まずはやってみようっていうところ。大工さんがどうにかしてくれる感はあります」
たとえば今担当している家もそう。そこでは古い建具を再利用してほしい、という要望があった。
「お施主さんは姉弟です。彼らのおばあちゃんの古い家を壊して、そこに家を建て直すというもの。そして、愛着のある家の一部を残したい、ということだったんです。そんなときも大工さんがすぐに対応してくれて、建具を再利用してくれました。そういうことも工務店で設計のできる良さだと思います」
大変なことはありませんでしたか?設計事務所と工務店って、また違うこともあるような気がするんですけど。
「そうですね。大工さんって、口数が少ないんですよね。でも最近はコミュニケーションができるようになってきましたし、新しい人が入ったらわたしは一生懸命話しかけようと思います!」
ほかに伊藤さんがびっくりしたのは、大工さんと同じく8:00に出社してほしいと言われたこと。
でもそれは、田代さんの現場感覚では普通だと思っていただけで、大工さんのやり方に合わせてほしいということではなかったそう。田代さん自身も白石さんや伊藤さんのように他所から入って来た人に教わることも多いという。
たとえば、水雅が人を採用するとき、経験について細かい条件を設けていないという。それは、それぞれの能力を見て一人ひとりに応じた仕事を与えたい、という思いから。
慣習や経験だけにとらわれず、柔軟に働く人たちだと思う。無口な人たちだから頑固なんじゃないか、というイメージもあるけど、そんなことはない。
根っこには納得して働きたい、という思いがあるから。
最後に田代さんがこんな話をしてくれました。
「なんでこうなってるの、が知りたいだけ。大工から管理になったときもそうだし。設計にしても、やってみてはじめて、設計ってこういうものなんだなっていうのがわかる。そういう感覚でみんなにいてほしい。ものづくりの現場を見てお互いに、やりづらそうだな、っていうことに気づける感覚を持った人が来てくれれば最高かな」
それって、どういう感覚なんでしょう?
「考えたことなかった。うーん、なんだろう… 自己満足なんでしょうか…」
自己満足。自分自身を納得させることが、案外一番難しいこと。
「つくりたいって思ったものをつくる。そのためには自分がものをつくるっていう意識を持つことが大事。やらされたものにお金をかけたくない。本当にやりたいことやりたい」
もしそれで予算を超えたらどうなんですか。
「自社で足が出た分はしょうがない。つくりたい思いがあるから。ただ、そういうことやっているから、利益が出ないんだけど… そこはいつも反省してます」
満足するまでやっていい、という価値観はこの職場の中で静かに共有されているように思いました。
今回はまず、設計とデザインの担当がメインですが、大工と施工管理も同時に募集しています。経験の大小ではなく、まずは、なんでもやってみたいという好奇心があれば大丈夫。
能力に応じたところから少しずつ。そして一つずつ納得できるまで、時にはやりすぎるまでやれる。そんな会社だと思いました。
(2017/11/13取材 高橋佑香子)