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ここで生きるためのアート

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アートプロジェクト。そう聞くと瀬戸内国際芸術祭のような、設置されたアート作品をみて巡る期間限定のアートフェスティバルを想像する人も多いかもしれません。

訪れた富山・氷見で行われているアートプロジェクトは、会期を設定したものではありません。海や山に恵まれた土地で暮らす人たちの、日常の中で行われています。

募集するのはアートNPOヒミングのスタッフとして、アートマネジメントを担う人。専門知識よりも、まずはやってみたいと思う好奇心が湧くかどうか。

参加する人、支える人、そして働く人にとって。このプロジェクトはそこで生きるために行われているように感じました。

himing - 20 氷見と言えば寒ブリ。ちょうど旬の季節に取材が重なったので楽しみにしていたのだけれど、今年は暖冬の影響か、あまりブリが獲れないらしい。

新幹線でそんなニュースを見ながら、新高岡駅で乗り換え氷見駅へ。

たどり着いたのは昨年完成したばかりだという魚々座(ととざ)という漁業交流施設。中には漁業で使われていた道具が展示されていたり、食に関するイベントができるようなキッチンが設置されている。

  

その一角にあるスペースを氷見市から委託され運営しているのがヒミング。

3Dプリンターやレーザーカッターなどの設備が整えられていたり、漁村文化に関する体験をすることができる。

どこからともなく聞こえてくる波の音を聞きながらお話を伺ったのは、帽子をかぶった鎧高(よろいだか)さんと高野さん。2人ともヒミングが立ち上がった当初から関わっているそう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 高野さんは現在映像アーカイブを中心にしつつ、全体の運営にも関わっている。もともと氷見出身で、中学生までは水泳選手として部活ばかりをしていたそう。映画が好きになったことをきっかけに映像の仕事をしていた。

そのころに出会ったのが、氷見を映像で切り取り上映する「氷見クリック」。ヒミングの前身となったプロジェクトだ。

「学生のころは地元に興味がありませんでした。でも、氷見ってこんなにおもしろいんだって。生まれた町に対する見方が変わったんです」

もともとアートの仕事をしていたわけではないんですね。

「アートは自己表現で、わけのわからないものだと思っていました。けれどアートを切り口に社会と関わることができるということを知ったんです」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「アーティストとプロジェクトをつくっていく中でさまざまな発見があります。それをいろんな人と共有したいと思ってヒミングをやっています」

ヒミングのプロジェクトに参加していく中で、今まで知らなかった氷見の側面に触れるようになった。

「みんな自分の生活でいっぱいいっぱいかもしれない。お金を稼いで、ご飯を食べて、家族を大切にして。でもそれにもう少し町の文化に関わることを取り入れたら、自分の暮らしがすごくおもしろくて豊かになると思うんです」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA ヒミングでは魚々座の運営以外にも、食、漁業などに関わるプロジェクトをアーティストとともに行っている。絵を描いたり彫刻をつくったりするものは少ないから「これがアート?」と思う人もいるかもしれない。

先日は高野さんたちのところに、地元のおじさんから「蛸壺漁を復活させたい」という相談が寄せられた。蛸壺漁をほとんどしなくなってから、そこを住処にしていた蛸が氷見の海から減っているのだと言う。

「最初は別にヒミングでやらなくてもいいんじゃないかって思いました。けれど熱い思いを聞いているうちに、じゃあやってみるかって。うまくいけば来年度からアーティストを呼んで取り組むことになります」

「普通にやろうとしたら、みんなで蛸壺漁を毎年やっていきましょう!ってことになるんだと思います。でも蛸壺漁が目的ではないんです。まだ気づいていない、文化の新しい価値を見つけたいんです」

最終的にそれが蛸壺とは関係ないものになるかもしれない。提案はあくまできっかけで、まずは関わる人と考え動いていくプロセスを大切にする。アーティストがプロセスに関わることで常識だと思っていたことに、新しい視点が加わっていく。

「うまく言えないんですけどね。今まで動いていなかったものを動かす、突破する力がある。アーティストは、この場所で暮らすというのはどういうことなのかに視点を向けさせてくれるんです。」

鎧高さんは「アートは暮らし」だと話す。

「おばあちゃんがつくる梅干しとか、畑を耕すこととか。アートとは言わないけれど、私の中では同じ位置なんですよね。私がつくれないものをつくり出す。それに感動するし、一緒に参加できるたのしみがあるというか」

  

現在プロジェクトを実際に動かしているのは主に4名のスタッフ。上地さんはもともと沖縄の宮古島出身なんだそう。とても明るく話しやすいからか、人に呼び止められる姿をよく目にする。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「宮古島の町のことに関わりたくて。コミュニケーション・デザインに興味を持って大学院で研究室に入ったら、プロジェクトの一環として三宅島に行かないかと誘われたんです」

東京都の島、三宅島。当時ここでは、島全体を学びの場に見立て、アーティストや研究者がさまざまなプロジェクトを展開する「三宅島大学」がはじまるところだった。

「日比野克彦さんとか、開発好明さんとか。そこではじめていろいろなアーティストに出会うわけです。今ヒミングでご一緒している五十嵐靖晃さんもそこに来ていて、漁師さんから網の編み方を教えてもらっていました。それで『編みました!』って、小さい網を発表していて。これがアートなのか?って思いました(笑)」

大学院を卒業後、そのまま三宅島大学のスタッフとなった上地さん。仕事をするためにアーティストたちと関わる機会も増えていった。

「見ているうちに、アーティストは地域の人や文化からさまざまなことを感じて、自分の考えを表現する方法を模索しているんだなって。真面目なんだってことはわかってきましたね」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「正直なところ、島の人全員に受け入れられていたわけではなかったと思います。けれど、少人数でもあってよかったと思ってくれた人はいると思う。自分のやりたかったことを実現して自信をつけたりとか、作品に感銘を受けてたりして表情が変わっていく。人のポジティブさのきっかけになっていたんですよね」

そんな三宅島大学も上地さんが勤めてから半年で終了することが決まった。その後どうしようかと考えていたとき「氷見で人を探しているらしいよ」と声がかかった。すぐに連絡をとり、その2日後には氷見を訪れた。

当時ヒミングは、築100年の醤油蔵を改装してつくったアートセンターを拠点にいろいろなプロジェクトを行っていた。

「面接で話をしていると、そこに地元のおじさんが入ってきては話していく。仲間もいるし、なんだかいい場所だなって。どうやってこういう場ができたのか、これからどうなっていくのか、興味のが出たんです」

himing - 21 上地さんが担当しているプロジェクトの1つが、三宅島で会っていた五十嵐さんとの「そらあみ」。プロジェクトはどんな風に進んでいくものなのか聞いてみる。

「この建物は全体に定置網が再現されていて、その入り口になる部分を五十嵐さんとつくりたいと思ったんです。当時ブラジルにいた五十嵐さんに連絡をとって、リサーチに来てもらって。氷見について知ってもらうために、一緒にいろいろな場所をめぐり、人に会いにいきました。予算や制作スケジュールを決めて、実際にどうやるか五十嵐さんと相談して」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「そらあみ」はいろいろな人たちと一緒に網を編み、つくりあげていくプロジェクト。1番苦労したのは。氷見での制作コンセプトをいかす場所探しだったそう。1ヶ月間使え、寒くなく作業ができ、人が集まりやすい場所。いろいろな要素に配慮しながら、場所を決めていった。

候補になる場所はあるか、どうすれば使えるのか。何をするのにも町の人に相談し、協力してもらいながら進めることになる。

himing - 1 はじまってからはアーティストが中心になって網を編んでいく。1度きりのワークショップとして参加する人もいれば、毎日のように、まるで自分の仕事のように本気で編んでくれる人も出てくる。

「アートプロジェクトっていろんな人が関わるんです。その人たちがよかったなとか、楽しみができたとか、そう思えるように動いています。結果として、氷見ってやっぱりおもしろいって思ってもらえたら嬉しいです」

集まって編む、ということを通して知り合いが増えたり、自分に役割ができたりする。日常の中に起こる小さな変化が、生きやすくなるためのスイッチになることがある。

  

一見まちづくりのためのプロジェクトに似ているようにも見える。けれどここでは、アーティストという存在は大きい。

「価値がないと思っているものに価値を見出してくれるんです。三宅島で見たあえてみんなで編む、空に掲げる。そのときに感動があるって誰も知らなかったけれど、実際やってみてすごく綺麗だった。三宅島で見た網が、こんなにも人を巻き込む作品になることにびっくりしました」

「普通に生きようと思えば、普通に生きられるんだけど。日常はおもしろいから。それをみて、確かに!って思ってもらえたら嬉しいな」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 今はアートマネージャーとして活躍している上地さんだけれど、最初はアーティストと話すことに自信がなかったそうだ。

「アーティストが考えていることをくみ取れていないんじゃないか不安で、ちゃんと話もできなかった。でも最近は、自分の考えを言えるようになりました」

「ただ調整をするためにいる人ではなくて、私も一緒に『そらあみ』をつくりあげたって思いたい。私が関わった意味をちゃんとプロジェクトに反映したいと思いました。この2年で五十嵐さんに教えてもらったことがたくさんある気がするな」

himing - 3 アートマネジメントという仕事は、安定した職業ではないかもしれません。実際にヒミングも毎年のように助成金を申請して体制を維持しています。上地さんのように、人の紹介でさまざまな現場を経験していく人も少なくありません。雇われる、というよりは、一緒につくっていくような感覚に近いと思います。

けれどヒミングには、今まで10年以上育んできた人との関係があります。

「地域おこし協力隊が地域に入りやすかったのは、ヒミングのベースがあったからだねって言ってもらったときは、本当にうれしかった」と高野さん。アートNPOに「蛸壺やりたい」と話してくる人がいるということが、ヒミングがどんな存在なのかを表しているのかもしれません。

ただ楽しいだけではないけれど、たくさんの感動に立ち会える仕事です。

この世界に飛び込んでみたいと思ったら、ヒミングはいい入り口だと思います。

(2016/2/22 中嶋希実)

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