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仕事のあり方がいろんな業界で見直されはじめているように感じます。紀伊クリニックの秀樹さんは、“お医者さん”という仕事を改めて考え直しています。
「お医者様ではなく、お医者さん。お医者さんが日本一幸せになれる病院をつくりたいです。患者さんや従業員の幸せも、お医者さんが幸せじゃないと叶わないと思うから」
秀樹さんはお医者さんではありません。
でも、お医者さんの息子として『紀伊クリニック』の将来を託されたのきっかけに、これからの病院のカタチや医師のあり方をゼロから考え直し、模索しています。
ようやく「お医者さん自身が幸せになれる病院」というビジョンが見えてきたものの、具体的な策はまだまだ。
本音で語り合い、ときにはぶつかり合えるようなお医者さんを求めています。
新大阪駅から特急列車に乗って約1時間40分。
和歌山県・御坊駅から10分ほど歩くと、紀伊クリニックに到着する。
消化器外科・内科を専門に18床を持ち、麻酔や手術、透析など、この規模の診療所にしてはかなり幅広く取り組んでいる。
「病気には区分けがないでしょ。それなのに患者さんを診るとき、私は内科の専門医だから内科のことしかわかりません、と言うとったってしゃあない」
医者として“普通”の仕事をしてるだけ。
取材中、院長の川端さんが何度も口にしたのが、その言葉だった。
川端さんは、冒頭に登場した秀樹さんのお父さん。
昔から医療業界の『地位』や『派閥』というものが苦手で、ただひたすら患者の役に立つ医師になることを目指してきた。
出身大学は和歌山県立医科大学。
病理を専門に博士を修了後、臨床医になるには現場が一番と、臨床学科に通いながら外へ飛び出て実際の患者を相手にし、塞栓術や腹腔鏡手術、麻酔や透析など多様な技術を習得してきた。
「とにかく消化器の手術をやりまくってきた。一番はガン患者を相手にしてきたんやな」
「それで未だに思うのは、世の中はガン細胞が縮んだことに対して『効いた』っていう。でも、抗ガン剤を打つ最大の目的って、長生きさせること違う?ガン細胞が小さくなったことちゃうやろ」
一般的に化学療法というと、静脈注射による抗ガン剤投与のことを指す。
だが、それは1回打つだけでも患者は体力を消耗し、ガンが再発した場合に次の手術や投薬に耐えられなくなってしまう。
そこで川端さんは抗ガン剤を飲み薬で投与し、吐き気が出る手前で量を緩くしている。患者さんには毎日飲んでもらうので総量としてはかなりのものになるが、1回の量はとても少なく、身体への負担は軽い。
寿命は人それぞれ。何をもって長生きしたかはハッキリ言えないもの。でも30年以上抗ガン剤を扱い、何千人というガン患者と向き合ってきた経験を通じて、川端さんはこの治療法が一番長生きすると確信している。
「ガンって“自分”なんよ。他人じゃない。身体がヘトヘトになるまで抗ガン剤を使ったら、免疫力も何もふっとんで、再発したときに死ぬまで早いこと。僕のやり方だったらガン細胞が半分になることはまずない。でも、そのほうが長生きしている」
どんなときも患者さん本位に考え、点数稼ぎも絶対にしなかったという。
川端さんは手先が器用で手術が非常に上手く、遠くからでも患者さんがやってくるほど、名医として知られていたそう。
看護師さんの多くは、そんな川端さんのもとで働きたいと集まってきた人たち。院内には殺伐とした雰囲気はない。
そんな病院での仕事が、川端さんは何よりも楽しかった。
「仕事が生きがいだった。けど、2年前にそれが変わっちゃった」
変わっちゃった?
「もう、やる気がなくなっちゃったんだ」
理由のひとつは、自身の体力の衰え。視力もわるくなり、手術はもう辞めている。
そして一番の大きな理由は、紀伊クリニックを継ぐ予定だった医師の長男さんが、突如として継がないと決断したことだった。
「オトンにとって兄ちゃんは特別なんですよ。小さい頃から何をするにも『宏樹、宏樹』と言っていて。親子で一緒に医者をやるのがずっと夢だったんです」
「でも、兄ちゃんの人生は兄ちゃんのものやし、仕方ありません」
事務長の秀樹さんは、川端さんの次男。
秀樹さんは医師ではない。以前はずっとアパレル業界で働いていた。
当時の仕事は、大好きで大好きで仕方なかったという。
それなのに退職して実家に帰ることを決めたのは、お母さんからの一本の電話がきっかけだった。
「乳ガンになった、帰ってきてくれへんかって。オカンは絶対に弱音を言わない人なんですよ。そんなオカンが助けを求めてきたし、僕には断る理由がありませんでした」
お母さんが秀樹さんに帰ってきてほしいと願ったのには、もう一つ理由があった。
それは病院の経営のこと。秀樹さん曰く、院長の川端さんは経営自体に興味がないのだとか。
それでいろんな問題が起こってしまったのだが、話が長くなってしまうので伏せておく。詳細は秀樹さんが会ったときに正直に話してくれるという。
そんななか秀樹さんが紀伊クリニックにやって来たわけだが、そもそも医療のことも経営のことも何も分からない。自分にできることをやろうと、それこそ掃除からはじめてみたものの、父親と母親の板挟みに苦しむ日々だった。
「毎日病院ではオトンに怒鳴られ、家に帰ればオカンに病院はどうなるんだと詰め寄られ。自分は何のためにここで働いているんだろうって、頭がおかしくなりそうで」
そして2年ほど前に、お兄さんは紀伊クリニックを継がないことを秀樹さんに伝えた。
それっきり院長の川端さんは仕事に一切のやる気を見出せなくなってしまった。継ぐ人がいないならもう一層のこと、病院を売り払ってしまえばいいという。
たしかにそのほうが手っ取り早い。次男の秀樹さんも慣れない仕事や板挟みの苦しい状況から離れることができる。
でも、秀樹さんはそう簡単に割り切ることができなかった。
「いまでもオカンは、しんどいならもう辞めたらいいやんって言ってくれるんです。けど、オトンがずっとやってきたこと、オカンが守ってきたものに対して僕はそんなドライになれないし、従業員さんたち皆がいろんな苦境を乗り越えてきてくれたおかげで今がある。その中で僕も生かされてきたんです」
父親はややこしい人だし、嫌いな部分もある。でも医師として愚直に患者と向き合ってきた姿はとても尊敬しているし、育ててくれた親への感謝の気持ちが大きい。
また、田舎の医療があと20年で崩壊していくと言われているなか、地域の人たちから信頼されているこの病院をなくしてはならない。
何とかして紀伊クリニックを残したい。そんな想いが、秀樹さんにあった。
院長の川端さんは、病院をどうにでもしてくれていいという。自分の代わりに院長になる人に来てもらって、早く自分を降ろしてほしいと。
それは一方で、秀樹さんの思うように自由にできるということでもある。幸いにして借金はなく、業績も伸ばしていける見込みがある。これ以上のマイナス要素は一切ない。
そこで秀樹さんが考えたのは、今までにない新しい病院をつくることだった。
「幼い頃から医者の息子っていうだけで、人から気構えられたり、チヤホヤされたり。そういうのよくないなってずっと思ってたんです」
「65歳まで大きい病院の院長をやって、辞めた後に困ったことがあっても誰にも相談できない。勤めていた病院では権力を振るってきたけど、まわりの人は院長だったその人にしか興味がなかった、そして寂しくなって最終的に人に騙されてしまう。そんなドラマのような話、ほんまにあるんです」
収入・地位・権力・プライド… 様々な要因が医師を特別な存在につくり上げ、お医者さんを孤独にしてしまっていると、秀樹さんは話す。
「最近お会いしたお医者さんも、ベッドがあるから20年間県内から出たことがないって。それって普通の人だったらありえない」
「だからお医者さんにいろんな方と会って話して、楽しい時間を過ごしてもらいたい。いろんな人たちと出会い、友達になる経験があれば、引き出しはいっぱいできるでしょ。お医者さんていう仕事を根本から変えたいんです」
目指すは、お医者さん自身が幸せな病院。
言い換えれば、お医者さんが自分の人生を大切にできる病院づくりだ。
だから、まずは拘束時間を短くする。給与は比較的少なくなるが、複数の医師で回すことで、勤務日数と時間を減らす。
ゆくゆくは完全シフト制にしてオンコールをなくせば、医師の負担も減らすことができるだろう。
経営に関しては今後も秀樹さんが担ってもいいし、新しい医師の方にすべてやってもらっても構わない。その場合、秀樹さんはゆくゆくその医師の方に病院を譲るつもりだという。
「父に代わって院長になる人に来てほしいんです。自分のやりたい医療をやってもらえたらと思うので、たとえば手術をまたはじめたり、ベッドをなくしてリハビリにしたり、相談してくれたら設備投資だってできる」
「いままでにない新しい病院を目指して食堂や本屋を入れたりして、まったく違う分野に挑戦したっていいかもしれない。全部やりたいようにやって、どんなことができるか一緒に考えたいです」
ただ一つの条件は、院長の川端さんが現役でいる限り、川端さんを紀伊クリニック内で雇用してほしいとのこと。川端さん自身は院長や理事長という役職にこだわりはないという。
医師免許を取ったばかりの人でも、医療を深めていきたいという志があれば問題ないそう。また、個人でやることに限界を感じている人でもいいという。大失敗を経験した人なら、次は一緒に何かを成し遂げて、一緒に笑い合いたい。
「うちのオトンみたいに、医者っぽくない人がいいですね。それと、本音を言い合える人。いい病院にしたいって、言うのは簡単だけどやるのは難しい。ほな、どうすんねんっ?って、一緒に考えてくれる方がいいです」
それと、院長の川端さんに技術を教わりたい!という人に来てくれたら、きっと川端さんもやる気を出して、新しい病院づくりを手伝ってくれるような気がする。
「そうなんです。本音を言うと、オトンは寂しいんですよ。本当は兄ちゃんに技術を継いでほしかった。だから、教えてくださいって心から言ってくれる人がいたら、オトンは元気を出して喜んで力を貸してくれると思う」
「だから、オトンと一緒にやってくれるお医者さんが来てくれるのが理想なんですよね。でも、そんな人おるかなぁ」
たしかに、どうだろう。言ってしまえば、田舎の診療所だ。
けど、ここで医師になるというのは、いい環境で働けること以上に、前例にない日本初の新しい病院をつくれる可能性があると思う。
“お医者さん”という仕事をもう一度考えてみたい方、ここで秀樹さんたちと一緒にチャレンジしてみませんか。
(2017/11/6 取材 森田曜光)