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温かな豪雪村より

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「田舎は遅れている」

果たして本当にそうだろうかと、実際に訪れるたびに思います。

地域のために努力している人たちは必ずいて、むしろ都市部に比べて十分な人手も資金もない中、知恵を絞り工夫を凝らして状況を打開している。

そこには学ぶべきことがたくさんあるような気がします。

今回の舞台は、岐阜県飛騨市河合町。人口は1000人にも満たないし、冬には約2mもの雪が降り積もる豪雪地帯。

ただ、その厄介者な雪を最大限に活かしている地域でした。

今回はこちらで地域おこし協力隊を募集します。


名古屋駅から特急列車に揺られること約3時間。

到着した飛騨古川駅で車に乗り換え、北へ30分ほど走ると河合町が見えてくる。

旧村役場の河合振興事務所を訪ねると、中畑さんが待っていた。

中畑さんはもともと合併前の河合村役場の職員で、昔からずっとこの地域のために奔走してきた方。

現在は旅館・飲食店・スポーツ施設・温浴施設など様々な事業を飛騨市で展開する株式会社飛騨ゆいの副社長を務めている。

「ここはね、雪が非常に多い。昭和56年の大雪のときにはひとつの集落が河合から出て行ったことがありました。それほどの豪雪地帯なんですよ」

「けど、そんな悪条件を上手く利用した特産品が昔からありましてね。山中和紙がまさにそうです」

山中和紙とは約800年前から河合で続く伝統工芸。

農家の冬仕事として原料の採取から紙すきまですべて手作業で行われ、中でも特徴的なのは『雪ざらし』というこの地独自の製法だ。

全国的には和紙の原料となる植物のコウゾは薬品を使って漂白するのが一般的だが、河合では天然の雪の上でさらすことで自然漂白している。

コウゾの繊維を傷つけることなく独特の白さが生まれるため、昔は最高級の和紙として重宝されていたそうだ。

ただ近年は生産農家が減少し、技術の継承が危ぶまれている。

河合自体も時代の流れによって人口が減り、限界集落となっていった。

そこで当時の村長をはじめ中畑さんたちが考えたのは、ほかの地域の政策を真似るのではなく、河合独自の方法を探ることだった。

「まさに山中和紙のように、雪を悪いものとして捉えるのではなく逆手にとって利用しようと。平成元年から役場の職員たちでいろんなアイディアを出しながらやってきたんですね」

最初に試したのは雪室の活用。もともと河合では秋に採った作物を雪の中で保存させる方法が各家庭に浸透していた。

「大根とかカブを雪の中に入れて、春先に出すとこれがまた美味しいんですよ。それで新たに村で雪室をつくっていろんな野菜を入れてみたんだけど、雪室が大きかったせいかカビが生えたりネズミが出たりして、ダメになって」

「その後もいろいろ実験して残ったのが、花木と日本酒です」

春に花が咲く木を雪室の中で保存しておくと、夏に出したときに1週間ほどで開花するのだとか。

また、厳寒期に搾った生酒はすぐに雪室に入れ寝かせることで、ゆっくり熟成されまろやかな味わいになる。

このふたつを組み合わせて『飛騨かわい雪中酒』という商品が生まれた。雪中酒の下に河合の雪を敷き詰めて桃の花を添えた、贈り物にもぴったりな商品だ。

ほかにも夏に岐阜市で大きなイベントがあったときには大量の雪を運び、雪像をつくったり桜の木を飾ったりして大きな反響を得たことも。

それをきっかけに、なんと麻布十番の夏祭りからオファーを受け、約15年もの間河合の雪と特産品を運んで、地域のPRに役立てた。

「こういうことをするとマスコミが飛びついて、新聞の一面に載せてくれる。しかもタダなんですよね」

「地域のみんなで協力し合いながらやってきたから、地域の人もだんだん慣れてきて。地元では雪祭りをしたり、雪像コンクールを開催して岐阜や名古屋の大学生にも来てもらったりしてね。いろんな形でまちおこしをやってきたんです」

都市部と違って人は少なく、潤沢な予算もない。あるのは山や雪ばかり。

言ってしまえば、どこにでもあるような山奥の田舎だ。

それでも必死に知恵を絞り工夫することで、悪条件を地域の魅力へと変えてきた。その取り組みは過疎化が進む今でも続いているという。

続いて話を伺ったのは、地域振興協議会の事務局長を務める中矢さん。役場のOBで、中畑さんとは共にまちおこしに励んできた仲だ。

河合では8年ほど前に唯一の中学校が統廃合され、残る教育機関は小学校と保育園だけになってしまった。

小学校も年々生徒数が減少し、現在は全校生徒50名ほど。このままでは地域はもっと疲弊してしまう。

そう考えた中矢さんたちは地域振興協議会で様々な部会を結成し、地域の人たちの協力を得ながら小学校を盛り上げてきた。

「河合っ子応援部会では『ふるさと大運動会』の企画をしていて。ここの小学校の運動会では、老人会とか保育園の子とか、地域の人たちが一緒になって参加するんです」

「よそからもらってきた古い鯉のぼりをいっぱい掲げて、音楽は大人たちが生演奏してね。それはもう、びっくりするぐらいの風景ですよ」

ふるさと芸能部会では地域に伝わる地歌舞伎や太鼓、盆踊りを子どもたちに継承している。

日々の練習の成果は、毎年秋の学習発表会でお披露目される。

「4、5年続けてきたら、親世代よりも子どもたちのほうがうまくなって(笑)。今度は逆に、父兄に呼びかけて子どもたちから教えてもらう会を開くんです。小学校の行事を地域のみんなで楽しんでいますね」

このほかにも豆菜会部会では、子どもたちに安心安全な食材を食べてもらおうと、栄養士さんと毎月会議をして地域の食材を保育園に提供したり、親雪部会ではプロのクロスカントリー選手を招いて体験会を開いたり。

子どもが少ないのなら地域のみんなで学校を盛り上げたらいいと、地域ぐるみで子どもたちを育む環境をつくってきた。

「ちょうど今日、小学校の卒業式でね。子どもたちが発表した思い出は、運動会のこととか歌舞伎を習ったこととか、地域と関わったことの話が多かったなあ」

これだけの活動を行うのに、補助金は一切受けずに独立採算で行っているというのは驚きだ。

「みんなの知恵と労力をかければ、こんなことができるんです」


河合の魅力はこれだけでない。

見渡せば山ばかりのこの環境、実は薬草の宝庫だった。

まちのお母さん4人組が結成した『かわい野草茶研究グループ』では、薬草の栽培・採取、そして薬草茶の製造・販売を20年ほど前から行ってきた。

代表を務めるのは宮下さん。

「私が子どものときは風邪を引いたら薬草を煎じて飲ませてもらったりしてね。薬草は体にいいからつくってみようってことで4人のメンバーで栽培をはじめて、お茶もずっとつくっています」

訪ねたときは、ちょうど薬草をブレンドしてお茶をつくっているところ。

オオバコ、クコ、クマザサ、ドクダミ、スギナ、クワ、ハトムギ、オオムギ…様々な薬効を持ち合わせたものがふんだんに入っている。

「よかったら飲んでみて」と、お茶を1杯いただく。

臭みも苦味もまったくなく、安らぐ香りでとても美味しい。

「はじめはスギナを多めに入れたら青臭くなっちゃって。子どもさんからお年寄りまで飲みやすいように、何度も調合を試したんですよ」

研究所に調査を依頼した結果、宮下さんたちがつくる薬草茶には農薬が一切なく、ミネラルが豊富に含まれていることが分かった。

「体調が良くなった」「病気に罹らなくなった」というお客さんの声は以前からたくさん届いていたそう。

最初は町内だけで販売していたところ、次々と口コミが広まっていき、今では県外から注文する個人のお客さんがとても多い。

「とあるお客さんは、かかりつけのお医者さんから『どうしてこんなに血圧が下がったの?』と言われたんですって。私も20年間ずっと飲んでるけど、風邪は引かないし、検査してもオールAですよ(笑)」

ただ今後のことを考えると、後を継いでくれる人がいないのが心残りだ。

4人のメンバーのうち宮下さんを含め3人は70歳以上。もう1人は40代だけれど、1人だけでは難しい。

「もし協力隊の方に興味を持っていただけたら、手伝ってもらえるとありがたいです。山に入って薬草を採ったり、天日干しにしたり、全部手作業だからえらい作業なんですけど。継いでくれる人が見えるとありがたいですね」

今回募集する人は地域振興協議会に属し、まずは1年間様々な活動に参加することになる。

そうして河合のことを知り、地域の人たちとつながりながら、山中和紙や薬草茶など、何かひとつ自分がやりたいと思うことを見つけてほしいという。

最後に、ふたたび事務局長の中矢さんに話を伺う。

「僕らもだんだん年取ってきて、考えが凝り固まってきてね。外からの目線でいろんなアイディアを出してもらうことも期待しています」

雪中酒は誕生してからもう30年が経ち、だんだんと下火になっているものの、現在は受けた注文に対して商品を発送するだけで営業はしていない。

それはかわい野草茶研究グループがつくる薬草茶も同じ。PRや販売先の選定など、できることはいろいろありそうだ。河合の魅力を詰め込んだ体験ツアーを企画しても面白いかもしれない。

「基本的には河合にあるものを上手く活用してほしいけど、ほかにやりたいことがあればまったく目新しいことでも別に構わないです。何年かすれば、それもまた地域の宝や伝統になっていくと思うので」

「だから、あまり過去ばかりにとらわれて、河合はこうだからって固定概念を押し付けたくないんです。細かいことは後から僕らが調整すればいいので、遠慮なくいろいろ相談してほしいな」

きちんとした挨拶や基本的な人付合いができるのであれば、どんな人でも構わないそう。たとえ社会人経験がなくても、ここで育ってもらえたらいいという。

悪条件を逆手に取って地域を活性化させていく手法も、きっと中矢さんたちから学ぶことができるだろう。

「僕はそういうことが根っから好きなんやろうね。いろんなことを企画して、みんなを巻き込みながら好きなことを実現していく。それが地域のためになれば一番いいですよね」

現役を引退後も地域のために奔走する中矢さんたち。その姿からも教わることはたくさんありそうです。

(2018/3/22 取材 森田曜光)

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