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チームで奏でる、ウェブ&広告愛

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

クリエイティブエージェンシーの株式会社コパイロツト。彼らは外部のデザイナーやプログラマーと一緒に、数々の仕事を世に送り出しています。新しい広告を創り出す「野心」にあふれるWebディレクターを募集中です。

会社組織ではあるが、フリーランスのような自由さも感じる、身軽なチームだから仕掛けられることがある。

コパイロツトは少人数の広告会社だ。彼らは多いときには一人で7〜8本ものプロジェクトを担当する。いろんなクリエイターや異分野の人と絡んでバンバン仕事をするのがモットーで、営業専門スタッフも置かないのにリピーターから仕事が舞い込む。いったいどんな仕事ぶりなのだろう?

平日の夜、ケンタ編集長と築地のビル地下1階にある彼らのオフィスを訪ねた。1階は共同運営している現代アートのギャラリーになっている。地下室のオフィスはクリエイターのアジトのようだけど、扉を開くと白を基調にしたシンプルな空間が現れた。

広告だけでなく、デザインやアート、人文系や社会起業など、幅広い分野の本を収めた本棚が印象的だ。

社員は6名で、男女比率は4:2。フロアの構成はプレゼンができるミーティングルームと、それぞれの社員のデスクが並ぶスペース。プロジェクトに応じて外部からのサポートスタッフの席も用意されていた。

Webの制作というと、プロデューサーやディレクターといった司令塔のほか、デザイナーやプログラマー、コピーライターなどの「手を動かす部隊」がいるのが通例だろう。

今年で創業7年を迎えるコパイロツトは、広告制作の「ディレクション」のみを仕掛ける少人数の組織として、移り変わりの激しい広告業界で着実に実績を残してきた。

今回の募集で採用された人の先輩になるのが、船橋友久(ふなはし・ともひさ)さん。社歴はいちばん短い1年半だ。34歳の彼は、こんな話から始めた。

「僕らの年代って、いくつかのターニングポイントを経験してませんか。突然CDが売れなくなったとか。ソーシャルメディアが流行ってから、いきなり表現がWeb中心になったのもそうだと思うんです。働きながら、紙媒体やテレビCMなど、メディアの総入れ替えが起こっていると肌で感じたんですよ。」

船橋さんは、広告制作会社へ新卒で入社。コピーライターとして5年のキャリアを積んだ後、広告業界でディレクションに特化した会社で仕事を覚える。

「自前で制作機能を持たず、企画をする会社でした。主にディレクターとして制作会社と連携し、クオリティをコントロールしながらも任せていくスタイル。僕はもともと制作会社の出身だったので、最初は違和感がありましたよ。文字や絵を、自分の手でフィニッシュできないのはもどかしいし、どこまで任せるかの加減も難しい。でも、仕事をこなすうちにディレクターの仕事の醍醐味がわかったんです。」(船橋さん)

2年間勤務した後に転職、さらにその考え方を深めていく。

「次の会社では、制作チームやアーティストのコーディネートをしました。ここでの経験から、複数のメディアをチャンネルとして持てば、さまざまな才能と組める面白さに目覚めたんですね。案件によってもトーンが変えられるし、自分たちでできることも広がります。今の時代はオールインワンの大きな組織より、こっちのやり方がいいと確信しました。」

その後、コパイロツトへ入社した。多様な才能を束ねてきた船橋さんの職歴がコパイロツトの業務に合うのは分かるが、彼の側で会社を選んだ決め手はなんだろうか?

「その頃、自分の中で生き方とか仕事とかを模索していたんですね。ちょうどグラミン銀行がノーベル平和賞を受賞したあたりから、大きな注目を集めていたソーシャルビジネスのことが気になり、興味深いNPO活動などを探していったところ、コパイロツトの定金さんの名前に行き着いたんです。」

コパイロツト社長の定金基(さだかね・もとい)さんは、クリエイティブエージェンシーを経営しながら、ソーシャルデザインがテーマのNPO「カット・ジェーピー」のほか、東葛映画祭や、上階にある現代アートのギャラリー「TSCA(タスカ)」の共同運営なども手がけている。

若い頃からやりたかったことを全部実現させようとした結果だが、これらで培った人脈が広告制作において、実に有機的に機能しているみたいだ。

定金さんは岡山出身の36歳。10代後半にインターネットが出現したことで、天地がひっくり返った僕と同世代だ。

取材の冒頭で「僕はこんな会社が理想なんですよね」と、アメリカのとある小規模なゲーム制作会社についての記事を手渡された。書かれていたのは、それぞれ自立したメンバーからなるフレキシブルな組織のありようだった。

会社のあり方や、理想の働き方についても強い関心を抱き続けているらしい定金さんに、社名の由来を尋ねた。

「co-pilot は副操縦士という意味。どうにかしたい、でもどうしたらよいか困っているクライアントの副操縦士となる存在になって、ともにプロジェクトを操縦して社会に実現させたい、という思いを込めています。ツの文字が大きいのは、老舗の屋号のようでカッコイイというだけの理由(笑)」との答え。
すると、プロジェクトマネージャー兼総務の高川弥生さんが、横からすかさず「そんなだから私たち、メジャーになれないんですよ!」とツッコミを入れてくる。

この会社、バリバリ働きつつも、部室っぽい雰囲気があるように僕には感じられた。縦社会のヒエラルキーより、横のつながりに重きを置くようなノリだ。

僕の思ったところでは、プロジェクトを束ねるディレクターとは「オレが!オレが!」とクリエイター風を吹かせて前に出ず、バスケ部や野球部のキャプテンのように、着実なサポートに徹する職人タイプが向くのかもしれない。

定金さんは続ける。「副操縦士というのは、クライアント企業だけでなく、地球環境に関する仕事だったら地球のメリットを、日本の再生を担う仕事だったら日本のメリットを一番に考えようという決意表明でもあるんですよ。」

実は、定金さんは勤めた会社が倒産する憂き目にあっている。プロジェクトを率いるWebディレクターという一介の従業員でありながら、残った社員全員のために奮闘。その後、紆余曲折を経てコパイロツトの立ち上げへと至るのだが、この歴史に興味がある人は面接でぜひ聞いてみてほしい。

僕はこの話を聞き、定金さんの部下に対する責任感と義理固さにうなった。その出でたちから豪快なタイプに見えるが、話の端々に繊細な優しさが覗く。会社で絶対的な権力を発揮するタイプではなく、なんというか、柔らかい。

現在はクライアント先に常駐してプロジェクトを指揮することも多く、そもそも社長が会社にいないという異色ぶりも見事。

定金さんは「今までは自由に働く職場を目指していた。働き方の次のステージは、スタッフみんながディレクターという立場で、プロジェクトも組織のことも意識して、社長の自分がいなくても回る組織」とまで言ってのける。

ノマドワーキングは会社の草創期にさんざん試しているから、社員たちだって心得たものだ。ちなみにノートPC、携帯電話、データ通信カードは支給される。

「席にじっと座っているスタッフは少ないと思います。自由と言えば自由ですけれど、そのぶん常にSkypeで連絡が取れる状態にしておくなどのルールはつくっていますね。個人でバラバラに働いていいと思われがちですが、逆にチームワークが求められる形態なんです。」
こう語るのは高川さん。「だってうちは体力勝負の体育会系ですから!」と付け加えるのも忘れない。新人時代は涙を流すことの多かった彼女に、夜明けの築地市場で寿司をおごるのは社長の役割だった。

ちなみに船橋さんの部活はバスケ。定金さんは中学で卓球、高校でラグビー、大学でバンドに打ち込んだ。いろんな大きさのチームでプレイした経験は、社会人になって理想の組織を考える基盤になったのかもしれない。

「基本は個人が抱えるプロジェクト単位で動く会社です。でも、進行中のプロジェクトの概要は、全員で常にメールやツールでシェアしてますよ。それぞれのディレクションが個人の裁量に委ねられる半面、手が回らない状況になれば、お互い誰かのサポートに入りますからね」と船橋さん。

ドライなようで、実にまとまりがある。それは「プロジェクトを滞りなく完遂させる」ディレクター魂による面が大きそうだ。定金さんいわく「ディレクターは性悪説に立たないとやれない職業」とのこと。「そう、常にリスクヘッジができる人でないと」と船橋さんが言葉を継いだ。

最後にWebディレクターの求人にあたって理想像は?

「デザイン、開発会社、プロモーション会社…コパイロツトでは大きな案件が多いので、人間関係の機微がわかって調整できる人でないと難しい。欲しい職種で言うとテクニカル・ディレクターです。新しいWebサービスやツールに興味があって、最新の動きをフォローしている方だといいですね。例えば、あるプロジェクトにゴーサインが出たとき、ふさわしいチームを編成する能力は大事ですが、それに加えて、技術的に可能かどうかもジャッジできる人が理想です。」(船橋さん)

「コパイロツトのWebディレクターという立場は、プロデューサー職とディレクター職を同時に担う必要があります。技術や情報構造が分かるプロデューサーの能力もないとディレクターは務まらないんです。でも、専門家である必要はありません。僕が理想なのは、国内外の広告賞やニュースのテクニカルな部門にも注目していて、その一端がわかるような人かな。」(定金さん)

定金さんが本格的に広告に興味を持ったきっかけは、ソーシャルデザイナーの池田正昭さんが博報堂時代に編集した雑誌『広告』だ。地域通貨について特集するなど、コンセプトが10年早かったと言われる雑誌だった。

そんな原体験も会社の本棚に現れているのだろう。コパイロツトには「資料はナンボでも買って構わん」という不文律がある。

定金さんは、これからの時代における「ネットと広告の力」を真っすぐに信じているように見える。

「自由で面白いプロジェクトのために、外部のパートナー探しが好きな人がいいですね。結局のところ、概念としての『広告』や『インターネット』を愛している人だと嬉しいなぁ。『ウェブと広告を使って、世の中に新しいことを仕掛けたい!』という野心がある人、歓迎します。」(2012/7/2 up カンキ)