※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
ブリュッケは舞台や映画、そしてCMの衣裳から、さまざまなプロダクトや書籍、そして空間まで、いろいろな仕事をしている会社です。例えば、個人的に印象に残っているのはNHKドラマスペシャル「白洲次郎」の衣裳。その完成度に、今思い出せば納得するものだし、最近ではTOYOTAのドラえもんのCM衣裳や、Lafore2012のポスターでのアーティスティックな衣裳など。
そのほかにも、身近なところにブリュッケの仕事があふれている。
今回はそんなブリュッケが最高の仕事をつくり続けるために、マネジメントしてくれる人とアシスタントを募集します。
渋谷駅からしばらく歩くと閑静な住宅街が広がる青葉台にたどり着く。赤れんがの外壁が印象的な、一軒家のような建物がブリュッケのオフィス。インターホンを鳴らすと、スタッフの前田さんが笑顔で迎えてくれた。
中に入ると、雑然としているようで、キリッと透き通っている。奥にはたくさんの衣装や布が見える。机の上にはいろいろな道具や資料であふれている。
今回、募集するのは前田さんの後任になる。会社の窓口になって、仕事の依頼を受けたり、様々なものを手配したり、スケジュールや予算を管理する。見積をつくることもあるし、広報の役割をすることだってある。
実は前田さん、十一月に出産予定。それまでに新しい人に来てもらう必要がある。
まずはデザイナーである伊藤さんに話を聞くことにした。はじめはちょっと緊張してしまったけれど、話を聞いていくうちにどんどん引き込まれていった。
「私は子どものときから、物をつくるのが好きでした。手を動かして、特に布をいじっていると安心したのです。」
はじめはグラフィックデザイナーを目指し、尊敬する木村恒久さんが教える美学校図案科に進んだ。けれど、自分でつくっていた洋服が大きく影響していく。
「世の中に自分の着たい服がなかったから、つくって着ていたんです。それがある雑誌の編集長の目に留まり『どこの服?』『自作です』となった。私はグラフィックデザインを学びたかったんですが、なぜか服が素敵だと言われて。それでそういう川の流れに入ってしまったんです。」
求められるものに応じていたら、イメージしていた未来とは異なる流れに入っていった。
仕事が来れば、嬉しいものだし面白いもの。それを続けていくと、洋服にはとどまらず、空間、化粧品、店舗、映像に広がっていった。
「私の周りも、みんななりたくてなったというわけでもないみたい。ミュージシャンも、歌いたい歌がなかったから作って歌った、とか。私も同じ。非常にシンプルなスタートなんです。」
大層な思いを掲げて、というよりも目の前の人に応えた結果なんですね。
「全くその通りだと思います。応える、ということにずっと全身全霊でやってきたと思います。」
大変だったことは?
「山ほど。」
「はじめたときは、すべて一人でやっていましたからね。ニューヨークの夜景をドレス一面ビーズ刺繍したいと考えたことがあったんです。全然寝る暇がなくて、少し寝るじゃないですか。でもマラソンする夢を見ちゃって、くたびれちゃうんです。」
「そのうち優秀なアシスタントができて。彼女も泊り込みで服つくるんですけども。私がすごく寝言を言うんです。しかもはっきり。スカート丈を10cm上げてと(寝言で)言ったんです。それを彼女が聞いて、徹夜で10cm縫い上げたんです。でも、それはまったく関係のない、夢の中の話で(笑)。」
働く人にも、自分と同じようなスタンスを求めるのですか?
「仕事を24時間考えていてほしいとは思いませんが、ブリュッケにいる時間は、色々な方向に頭を巡らしてほしいと思っています。」
「今、目の前の仕事に対してどういう手立てがあるのか。どういう手法で何を表現するのか、そういうことに切磋琢磨してほしいです。それは喜びでもあるし、会社のためではないです。自分自身のため。私たちの仕事は好きじゃないと絶対にやっていけないんですね。」
そうですね。好きな仕事をしたいです。
「ただ、好きなだけでもだめなんですけども。そこにはある種、引いて見る力。溺れてのめりこむだけではなく。はじめこそ、溺れるぐらい中に入ってくれないと、次の行動に移せないですけれどね。」
「9to5(ナイントゥファイブ)」や「時間の切り売り」という考え方では、ブリュッケの仕事は難しい。「どの時間も自分の時間、自分の人生だと思っている人でないと」と伊藤さん。
そうやって働いていく人は「美しくなっていく」そうだ。
まずは伊藤さんの話に耳を傾けて、言われたことを形にする。すると少しずつ一歩先、二歩先が見えてくる。引いて見る力がついてくるし、美しくなっていくのかもしれない。
どういう人を求めているのか聞いてみると、すぐに伊藤さんは答えてくれた。それにしても無駄がない、的確な言葉が続くので、聞いているほうは楽しい。
「姿勢が一番重要なんです。洋服、ファッションの世界にいた人がいいかと言うとそうでもない。スキルがある、という思い込みによって、逆にブリュッケ流のやり方を阻めることもある。ただ、洋服が好き、つくるのが好きというのは前提にないと。」
「あとは好奇心を持って、色んなことにあたってほしいです。それに自分の身体の声を聞く人であってほしいなと思います。」
「頑張る時期は必要なのよね、それがないとバランスが自分の中でつくれない。やればやるほど、そのものの深みとか高みとか、そういうものを味わうことになるので。ここまでと決めている人は味わい深い味覚を手にすることなく終わってしまいますよね。だから頑張らないで頑張ってほしいという感じかな。」
頑張らないで頑張る。
身体の声に耳を傾ける。けれど「自分がどうしたいか」という声にも、とことん向き合ってまじめに挑戦していく、ということかもしれない。
伊藤さんと話をしていると、いろいろな苦労を積み重ねてきたからこそ見える世界に住んでいらっしゃる方のように感じる。観念的になるのではなく、伊藤さんの言葉を借りれば「吸い取り紙」のようになって、まずはすべて受け入れてみる。
そうすると、また仕事はやってくる。
「私はあとからお金はついてくると思っているのね。まだついてこないけど(笑)。ただ、先にあるもんじゃない。それに仕事は絶対に裏切らないわね。」
こんな伊藤さんと一緒に働くことになるわけです。
それは魅力的で充実した日々になるような気がするのだけれど、一方で大変な毎日になるかもしれない。
伊藤さんが、次の仕事のため席を立ったので、今度は前田さんとゆっくり話をはじめる。まずはなぜこの仕事に出会ったのか。
以前は雑誌の仕事をしていたそうだ。ただ、しばらくして悩むようになる。
「社会人になって3年くらい経ったときに、一生できる仕事がほしい、プロフェッショナルになりたい、と強く思ったんです。」
あるとき新しい女性誌の立ち上げに関わった。そして、デザイナー、コピーライター、プロデューサーの3人とプロモーションを担当することになった。
「3人には、手に仕事があって、役割がはっきりしていて、とてもかっこよかったんです。」
悩みながら服飾の学校に通い始めた。そこで出会ったのが、伊藤さんの仕事だった。
「伊藤が2005年に出した本なんですけど。宮沢りえさんとは、昔から一緒に仕事をしているんですね。伊藤は、みんな同じような流行に目が向いてしまう現状を憂いていて。女の子はもっとファッションを自由にできるはず、ファッションのテキストをつくりたいという想いがあり、この本を作った。それで私はこの本に惚れ込んじゃった(笑)。」
この人と働きたい。でもそれは「夢みたいなこと」だったそうだ。
ところがマネージャーの募集をしていることを知ることになる。すぐに手紙を出してみると、面談の機会を得ることになった。
はじめて事務所を訪れたときはどうでした?
「最初は夜6時ぐらいに来たのでみなすごく忙しそう。電話はガンガンなって、アシスタントは走り回って。私は面接を待って座ってるんだけど、耳を澄ますと忙しそうだな、という印象でした。」
働いてみて印象的なことはありましたか。
「(少し考え込んでから… )一人でする範囲がここまで、ということがないということでしょうか。自分でやろうとしさえすれば、仕事も自分の範囲にも、境界がないことですかね。」
入社半年ぐらいのときに、井上陽水さんのコンサートで、セットデザインの仕事をすることがあった。
「その仕事をしていて、私は蚊帳の外だと思っていて。何も求められていないし、発してもいけないと思っていたんですよ。」
「その話をしたときに伊藤から『何を言ってるの』と怒られたんです。私は他人事だったわけですよ。一緒に打ち合わせに出ているにもかかわらず。」
「自分は何かに口を出す立場にないと思っていた。そう話したときに、伊藤が『そんなことは全然ない。一緒につくっていくんだから何に関しても意見を言ってほしいんだ』と。はっとして、そういうことを求められていたんだと気づきました。それまで、立場を理由に、仕事にきちんと入り込んでいなかった意識が変わりました。」
マネジメントの仕事は、何かをデザインするように分かりやすいものではないかもしれない。
ただブリュッケという船の船長が伊藤さんなら、進路を確認したり、食料を調達して管理するように、船長をサポートして目的地に行くことがマネージャーの役割。ときには船長の前に立って、大きな波やトラブルに対応することもある。
船が進む目的地に、自分も行きたいと思えて、そこに向かっていることが喜びになるような人がいいと思う。
最後に前田さん。
「絶対的に私が言えるのは、最終形に責任を持つのが伊藤なので、変なものが出来上がることは決してないことです。こんなに頑張ったのに、いいものができなかった、という絶望的なことは今までありません。演出家や俳優、観客、みんなの心に残るいいものが出来上がり達成感がある。それは本当に伊藤のそばでないと感じられない仕事だと思います。」(2012/8/20up ケンタ)