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岡崎にドンと構える!

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名古屋から電車で30分、人口約37万人を抱える愛知県の岡崎市。徳川家康の生誕地として知られ、東海道の宿場町として賑わった歴史を持っている。

今回、ディレクターとWebデザイナーの計2名を募集するのは、岡崎のクリエイティブエージェンシー、DDRです。

名鉄「東岡崎」駅を出るとすぐ、桜並木が有名な「乙川」が東西に流れている。心の落ち着く風景だ。

対岸の遠く左手には、岡崎城の天守閣が望める。

近隣の名古屋がもともと「尾張国」であるのに対して、岡崎は「三河国」。独自の歴史と文化を持っていて、「八丁味噌」の産地として有名だろう。以前にNHKのドラマ『純情きらり』でも、八丁味噌の蔵元が舞台となっていた。

「岡崎は田舎というわけではないから住みやすいし、物価も東京ほど高くない。アパートの家賃も半額くらいじゃないかな。そして、歴史の残っている街。うちの会社でも、創業600年以上の八丁味噌メーカーさんとお仕事しています。」

そう語るのは、2006年に出身地の岡崎でDDRを創業した、社長の安藤竜二さん。ジーパンとシルバーアクセが似合う41歳。肩書きはブランディング・プロデューサーだ。東海三県(愛知・岐阜・三重)に向けたラジオ番組のパーソナリティーも務めている。

DDRが最初に有名になったのは「サムライ日本プロジェクト」だった。地サイダー、八丁味噌、灯明油、洋菓子、和蠟燭。岡崎の中小企業5社の代表製品を、地域ブランドとして統一展開した。

その後は「藩」という区切りで、ブランドのシステムを全国に波及させた。1地域に1業種というルール。目印は黒と赤のキーカラー、侍とロックを融合したキャラクターをあしらう。

新規の商品を開発せず、その企業の核となるものを探り当ててヒットさせる手法。この地域ブランドの成功例は、『地元の逸品を世界に売り出す仕掛け方』(ダイヤモンド社)に詳しい。経営者がブランディングを求める理由は、こう語られる。

今の中小企業は、次の社長への事業継承が比較的早いうちに行われている。おそらく、先代が世の中の未曾有の変化に戸惑い混乱して、一縷の望みをかけて未来を時代に託すのだろう。30代、40代の新社長も多い。

現在、DDRのクライアントの7割近くは地元である東海三県の企業。それ以外の地方都市にもクライアントがいる。経営者は30代から60代までと幅広い。安藤さんが企業の経営者にインタビューして文章にまとめる「社長の自叙伝」を読むと、どういった方々と仕事をするか、その様子が分かる。

なぜ、中小企業のブランディングをテーマにするのか。まずは起業への歩みをうかがった。

「僕も昔はヤンチャやってましたね。高校を卒業した18のときロックスターを目指して上京。でも、二十歳のときに挫折して帰ってきたんです。トラックの運転手などをした後、地元の『岡崎製材株式会社』に22才で入社しました。」

それまで休日にバイクに乗り、仲間と遊ぶことが充実した人生を送ることだと信じていたという。しかし、ここで仕事の面白さに目覚めた。

「当時の僕は1日に10何時間も働いてました。ふと、人生の大半である仕事も楽しい方がいいんじゃないか、仕事でお客さんに喜んでもらえる方が素敵な人生じゃないかと思ったんです。」

自ら企画したアイデアを元にする提案型の営業努力が受けて、社内で成績トップとして表彰されるまでに。その甲斐あって、念願だったアメリカの文化に仕事を通じて触れられるようになる。

現地へ買い付けに行くのは「メイド・イン・USA」のブランド力を持つ商材。だが、それらが徐々に「メイド・イン・チャイナ」に押されるようになった。入社6年目の冬、安藤さんは中国へ渡る。1999年2月のことだ。

「1年の3分の2は中国にいましたね。丸太をどこで仕入れ、どこで加工し、といった工場の立ち上げからです。最初の1年で全土を回り、言葉も覚えました。行く先々の人々と一緒にご飯を食べて、楽しかったな。」

だが、アメリカの商品のコピーを開発しても、大した価格では売れない。つまり、ブランド力がないからだ。ならば、自分たちのブランドを作ろう。

こうして岡崎製材が上海に立ち上げたスタジオは、海外向けと国内向けのブランドラインを展開。2000年代前半の雑誌にも頻繁に登場したから、安藤さんの会社員時代の仕事を見ていた人もいるかもしれない。

「ブランドについて考えるため、当時はよく本を読みました。『ブランドとは、消費者との約束の証』なんですね。体系化されたデザインというのは、あくまでもブランディングの補助作業。何を約束するか見つけること。約束する相手を探すこと。これが大事です。」

こうした知見を中小企業の経営者や従業員に伝える講座「ブランド道場」も、DDRの事業として新たに開講したところだ。

10年以上も組織に身を置き、責任のある立場にいたからだろう。安藤さんと話すと、大手企業の部長クラスの人物と向き合った気になる。たぶん、礼儀作法やビジネスマナーといった常識がないと、DDRでは勤まらないのではないだろうか。

現在の社員は5名、写真の右に見えるビル3階の一室がオフィスだ。東海道の歴史を今に伝える街道「伝馬通り」に面している。左は創業100年を超える肉屋さん。

オフィスはお世辞にも立派と言える広さではなく、学習教室の隣り部屋というロケーション。東京での仕事に比べたら、仕事1件あたりの単価は大きく違うこともあると想像する。

「私たちの会社は、中小企業の社長さんが直接の相手。厳しい経営環境の中でつくってくれたお金をブランディングに投資されるので、こんなもので、という中途半端は許されません。お客さんの核となる部分を明かしていただき、その表現を社長さんの右腕、補佐官となってやるんです。」
今回、募集するディレクター職では、安藤さんと一緒にクライアント先へ行き、何を伝えるのかをヒアリングすることになる。そこで議事録をとって流れをつかみ、企画書やパワーポイントをつくる仕事が多いという。

半年前に入社した山田実希さんもディレクターだ。的確な事務処理能力と感性のしなやかさによって、安藤さんからの信頼も厚い。

「ディレクターはお客様とデザイナーをつなぐ仕事だと思って取り組んでいます。小さな町工場さんから、大きなプロジェクトまで、さまざまなお仕事に携われるのが特徴かもしれません。小さな会社ですから、安藤の講演の手配や総務のようなことまで、皆で分担して仕事をしていますね」と山田さん。

ちなみに、前職はどのようなものでしたか?

「東京で『楽天株式会社』のダイニング事業部に席を置き、優良顧客様の会員制サイトに掲載する飲食店への提案営業をしていました。営業のスタイル、営業先、掲載方法など自分たちで作りあげる新しいプロジェクトに携わり、苦労もしましたが、とても良い経験になりましたね。」

山田さんは岡崎市の隣りにある蒲郡市の出身。岡崎って、どんな街なんでしょう。

「歴史と伝統が詰まった街ですね。徳川家康のエピソードが詰まったお寺も多いですし、伝統的な企業さんもあって、美味しいお店も多くあるのが嬉しいです(笑)」

取材時期はクライアントである岡崎市の依頼を受けて、まもなく12月9日にオープンする『道の駅 藤川宿』のPRや、ロゴ、ポスター、リーフレット・Webなど、制作関連を手がけていた。

仕事のやりがいはどこに感じますか?

「この仕事は、1つとして同じ仕事がないんです。内容もさることながら、お客様のご要望も、人柄も、多種多様ですから。社長様と直接お会いする機会も多く、お客様から学ぶことも多々あり、毎日が発見と勉強の日々。そのためとても大変なのですが、だからこそ、非常にやりがいを感じます。」

DDRではクリエイティブの会社一般にあるような、深夜までダラダラ仕事をする雰囲気はないという。目標は20時台の退社だ。でも、自分の責任で頑張っている社員もいる。

クオリティを上げるためには際限がない仕事。だから、時間と作業のコントロールが自分でうまくできる能力はおのずと求められるだろう。

山田さんに、安藤さんの印象についてもうかがった。

「こんなことがありました。以前、ブランディングについてご相談に来られたお客様がいらっしゃいます。弊社に入ってきたときは、下ばかり見て、目も合わせず、どうしていきたいかと明確な意見を持っていませんでした。でも30分、1時間……と安藤がヒアリングを重ね、お話をするうちに、目がキラキラして、こうしたい、ああしたい、とお客様が饒舌になってくるのが分かりました。答えは、本当はお客様が持っていたんですね。安藤は本来、お客様が胸のうちに持っていること、その魅力を引き出すのがとても上手なのです。」

「仕事が終わったら終わり、というお付き合いの方は少ないですね。お客様とお客様がつながり、新しいビジネスも多く生まれていますから」と山田さん。

「いい意味で公私混同したほうがいい」と安藤さんは言う。例えば、積極的にお客さんとご飯を食べに行く。すると、ビジネスパートナーとも単なる友達とも異なる、新たな信頼関係が生まれる。

安藤さんの話には、自分が地元でお世話になった社長、同僚、仲間などの名前がよく出て来る。『小さな会社と小さな自分を大きくする51のスキル』(アスペクト)という著書では、東京から岡崎に戻ろうと考えた気持ちを、こんな言葉で表現していた。

ときどきでいい。感謝の気持ちを持って、故郷を思い出してほしい。たとえ遠く離れていたとしても。昔、故郷のみんなが自分を支えてくれたように、自分自身も、誰かの役に立つ人間になりたい、その志で仕事を続けて、いつの日かなんらかの形で、故郷に還元したい。こういう気持ちを「故郷愛」というのではないかと、僕は思う。

生まれ育った土地にどっしりと腰を据え、その地域に根ざした逸品の魅力を全国へ、さらに世界へと発信していく。

ここ数年は「きしめん」を世界に売り出そうという国のプロジェクト(きしめんでらパスタ委員会)で毎年、香港の展示会に出展。パンフレットや展示ブースも手がけている。

今後も安藤さんはこれまで培ってきたものを生かして、さらに活動の領域を広げることだろう。ディレクターのほか、Webデザイナーの求人も同時に行う。

岡崎近郊に地元があってUターンを考えている人といった応募者のイメージはしやすいが、特にこの地域の出身者でなくてもOK。ただ、クルマ移動が多い土地柄なので、ディレクターは普通自動車免許(AT限定も可)の所持が応募資格となる。

安藤さんの仕事ぶりから、地域ブランドの発信の仕方を吸収したい人。しなやかな感性と正確な事務処理能力で、地域の中小企業の役に立てると思う人。岡崎でDDRのメンバーが待っています!(2012/11/27 カンキup)