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暮らすように働く

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お風呂から上がり、綿のタオルで体を包む。ガーゼのパジャマを着て、豚毛の歯ブラシと笹和紙で歯を磨く。それから布団のなかで、夢も見ずに朝まで眠る。

石見銀山で過ごした一晩のことは忘れられないし、これから色々な人に伝えていくと思う。

そんな特別な場所に会いました。

今回は、島根県にある「石見銀山生活文化研究所」で、服づくりを通して暮らしの文化を伝えていくデザイナーとパタンナーを募集します。

地域に根ざしているけれど、地域おこしとは違う。かといって、利益一直線のビジネスもしていない。暮らしそのものが仕事になっているような、そんな会社です。

出雲縁結び空港からバスと電車を乗り継ぎ、島根県大田市内へ。2007年に世界遺産になった日本最大の銀山、石見銀山のふもとのバス停に降りる。

赤煉瓦の渋い町並みのなかに、「群言堂(ぐんげんどう)」という看板が見える。

美術館のようだけれど、衣類や雑貨、食品を扱うお店だった。カフェには、中庭を眺めながら食事を楽しむ人たちがいる。

土地のものにこだわっているようだけれど、それだけではない。全国のとっておきを集めたセレクトショップに近いかもしれない。

ここで売られている洋服は、デザインから全てを手がけるオリジナルブランド。もともとは、夫婦2人で、はぎれ布を継いで作った服をワゴンに乗せながら行商して歩いたのが始まりだった。

石見銀山生活文化研究所を立ち上げ、群言堂ブランドを手がけている、代表取締役兼デザイナーの登美さんと、取締役の大吉さんご夫婦に話を伺う。

「わたしはデザインの勉強をしたこともないし、流行も知らない。子供が幼稚園に行っている間に台所でこつこつつくっていたものが、今こうしてブランドになったんです。」と登美さん。

群言堂の服のデザインの多くは、登美さんによって生み出されている。素材は全て天然素材で、肌触りや色合いを大事につくられている。

織機も、最新の高速織機を使えば1時間で50m織れるけれど、あえて古い織機を使い、空気を織るように紡いでいく。

こんな田舎でファッションやるなんてありえないでしょう、と笑う登美さん。

どのようにしてこの会社を立ち上げることになったのか、伺ってみる。

大吉さんと登美さんは、大吉さんが21歳のときに学生結婚したそうだ。

「わたしの実家は、洋服やタバコ、塩などを売る小さなよろず屋さんでした。10坪の小売業では、家族を養っていくことができない。長男だったので、どうやって家業を継ごうか考えた。そして、新しい業態を持って帰ってくるために、名古屋で10年間あらゆる仕事を経験しました。」と大吉さん。

夫婦2人、拾い物の家具を直して使いながら暮らした。貧乏だったけれど、不自由だとは感じなかった。

その一方で、高度経済成長の時代のなか「都会が捨てる文化」をいくつも目にする。

「子供を幼稚園に迎えに行くと、お母さんたちは針仕事ができない。手を汚さずに、お金でものを買おうとするんだ。こうやって日本人の手仕事の勘や文化は失われていくんだな、と感じました。」

わたしたちは、都会の人が捨てた文化を田舎から届けよう、と大吉さんは思った。そして、石見銀山を出て10年後に、登美さんとともにこのまちへ帰ってくる。

まずは、「お母さんのぬくもり」というテーマでアップリケの販売をはじめた。商売は順調だったけれど、だんだんと、自分たちが欲しいと思うようなものづくりをしていこう、という考え方になっていった。

「流行も関係ない。かといって民芸活動のようなことでもない。この地に根ざしながら、自分たちの形を生み出していきたいと思った。まずは、自分たちがこれからつくろうとしているものイメージを確立するために、建物を一軒買って、茶室のようなものをつくりました。」

それは、電気もガスも水道も引かずに、ろうそくの灯りだけで過ごす静かな部屋。

「その部屋にいると、気持ちが穏やかになる。自分がここでどんな服装でいたいかな、と想像したときに、男性だったらこんな服、女性だったらこんな服だよね、と発想が広がっていった。和服でも洋服でもない、肩の力が抜けるようなリラックスした形と素材が浮かんできた。」

まずは理想の空間をつくり、そこで過ごすためにふさわしい服装を連想した。そしてそこからブランドが生まれてきた。「石見銀山生活文化研究所」の全ては、この部屋の延長線上にあるのだと思う。

「服だけ売ろうとしても売れないんだ。まずはわたしたちの考える衣食住を知ってもらうことで、はじめて服にも意味が出てくる。服の後ろにはいつも、わたしたちの暮らしがあるんです。そして生業は、その証のためにあるんだ。」
と大吉さん。

登美さんが、こんな話をしてくれた。

「中国の古書のなかに『服薬』という言葉があって、そこには『衣服は大薬なり』と書かれているそうです。服は心を整え、体を整える薬だと。わたしは最近までその言葉を知らなかったけれど、ずっと、わたしの服は体を楽に心を元気にする、と言い続けてきた。だからみなさん、ここの服を着ると他の服を着られなくなるほど楽だって言ってくれるの。」

確かに、洋服は肌の隣に常に触れているものだし、着心地や色、形が、気持ちに影響することだってある。服と暮らしは切り離せないものなのだな。服だけではなく、群言堂で売っている全ての商品は、暮らしをより良くするための、生活の薬なのだと思う。

取材を終え、大吉さんとともに、本社のすぐ向かいにある宿「他郷阿部家(たきょうあべけ)」へ向かう。ここは、登美さんの住まいでもあり、経営する宿でもある。

250年前の武家屋敷を8年かけて改修したこの宿は、捨てられるはずだったものたちでできている。

たとえば、瓦工場が閉鎖するときにもらった耐火レンガを敷き詰めた庭道。ガラスの破片をはめ込んだ格子窓。廃線になった線路を脚にしたテーブル。

台所には竈(かまど)があり、色々な食材や調味料、お鍋などがかかっている。その目の前にある大きなテーブルで、スタッフのみなさんと一緒にご飯を食べる。

感動したのは、竈で炊いたご飯をおあげで包んだおいなりさん。ふっくらしていてとても美味しかった。

「炊飯器を使えば、ボタンひとつでご飯が炊けるのだけれど、わたしたちは竈で炊くんです。指の先で水加減、火加減、蒸し加減を感じながら、勘を使って料理する。食べる人のことを思ってつくっていると、それを見た食べる人は、もっとおいしく感じるでしょう。だから、お客さんには台所がよく見えるこの場所で食べてもらうんです。」と登美さん。

「『社長自らお料理ですか?』と驚かれる方も多いですが、わたしは当たり前のことをやっているだけなんです。普通の主婦がみんなやっていることだもの。理論を並べるだけではなくて、自分で手を汚して這いつくばってみれば、分かることっていっぱいあるのよね。」

登美さんが原点にしているのは、貧しいながらも豊かだった、登美さんのお母さんの時代。

「本当に贅沢な時代でした。晴れ着は手縫いだし、食べ物も旬のものが食べられたし、お風呂も木だったからお湯が柔らかい。今は、お風呂はステンレスでそこにバスオイルを入れて、足し算足し算の考え方ですよね。そうではなくて、引き算で人間の暮らしに必要なものを残していけばいいと思うんです。それこそが豊かなことだと、わたしは伝えていきたい。」

オーガニックやスローフードという言葉とともに、昔ながらのものを見直す人は増えてきている。今、登美さんたちの暮らしに、みんなが戻ってきはじめているのだと思う。この宿に泊まりにくる方を何人か教えてもらったけれど、有名な方の名前が次々に出てきたので驚いた。

翌日、帰る前に、本社での服づくりの過程を少しだけ見学させてもらった。

案内してくれたのは、パタンナーの安江さん。

「この間春の展示会が終わったので、パターンの修正をかけて完璧なものにして、本番に向けて動いています。今は、サンプルが上がってきたら検品して修正して、という検証の繰り返しです。」

パタンナーは、デザイナーが描いたデザイン画をもとに、縫い方、縫い幅など、実際の服の仕組みを考えていく仕事。

CADソフトを使いながら、図面と数字と向き合う。生地によって縫い方は変わるし、0.1、2ミリの差で服の見え方も変化するそうだから、とても細かい作業になる。

「やっぱり、いい形で服ができるときは嬉しいです。サンプルから、ああでもないこうでもないとデザイナーと工場さんと話し合いながらつくるので、感謝の気持ちとほっとした気持ちでいっぱいになります。」と安江さん。

多品種少量だから手間もかかる。ファストファッションとはまったく逆のやり方。けれど少しずつ、群言堂のつくる服とその考え方は、広がりはじめている。群言堂は、今では全国に20店舗以上あり、その全ての服は石見銀山から生まれている。

実は東京にも6店舗ある。そのうちのひとつ、西荻窪にある「Re:gendo(りげんどう)」へも行ってみた。

1年前にオープンしたRe:gendoは、業態もお店の雰囲気も本店と似ていて、兄弟みたい。大吉さんも、「東京でうちの雰囲気を味わうならここが一番」だと言っていた。

石見銀山の大工、職人さんたちが勢揃いで東京にやってきて古民家を改装したという建物は、夕方になると窓からオレンジの光が浮かびあがり、暖かさと懐かしさに包まれる。

平日だったけれど、お客さんは途切れることなく入ってきた。すでに常連さんもいるみたいだ。

ここのシェフの田中さんは、おばあさんが石見銀山の出身で、お父さんと大吉さんは、子供の頃によく遊んでいた間柄だそうだ。

もともとフレンチ専門だった田中さんのつくるメニューは、『鱈のソテー~白菜のクリーム煮がけ~』だったり『鶏モモ肉の梅煮』だったり、日本料理をベースにしつつも、オリジナルのアレンジが入っている。

「月替わりの上に、週替わりでもメニューを変えているので、メニューを考えるのは大変です。ただ、任せてもらえるのですごく楽しいんですよ。」

会社は大きくなって、こうして色々なところにお店ができているけれど、全て同じところに通じている気がする。

それは、ここで働いている人たちを見れば伝わってくる。みんな、それぞれに日々を大切にしていて、それが仕事へ繋がっているのだと思う。

この会社が暮らしながら伝えていることに共感し、一緒に歩みたいと思う人は、ぜひ仲間に加わってください。そして、疲れている人には、ぜひ群言堂に行ってみてほしい。ここにはこれからの暮らし方のヒントが沢山あります。(2012/12/3 ナナコup)