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島を伝える

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

長崎の西の海。どこにでもあるようで、ここにしかない、世界中から人が訪れる島があります。今回は旅人を迎えて島をガイドする人、そして料理でもてなす人の募集です。

小値賀は佐世保から高速船で2時間、もしくは博多から客船で5時間ほどの島。暖流である対馬海流が流れ込み、海はエメラルドグリーンで南の島のように美しい。その昔、遣唐使の時代から多くの船が行き交い、様々な文化が交差した場所でもある。

なだらかな島を歩いていると、立派な古民家が立ち並んでいる。困っていると助けられたり、人も環境も何かに満ちているように感じられる。

都市で生きるのとは違う、リズムがあるように思う。

今回の募集をする小値賀観光まちづくり公社やNPO法人おぢかアイランドツーリズム協会の高砂さんは次のように話す。

「人間って便利な方に生活を合わせていってしまう。たとえば島って家にテレビがあまりないんですね。テレビはないけど、すごく時間がある。それと同じじゃないかな。便利になると、実は自分の時間を失っている気がするんだよね。」

高砂さんはこの島に来る前、劇団に所属して全国各地で公演をしていた。ノマドのような生活を通して、腰を下ろして自給自足できるような生活がしたくなった。いくつかの場所に移り住み、最後に行き着いたのが小値賀だった。

「僕自身も、ちょうど8年前に家族を連れて、まったく縁もゆかりもなかったんですけど移住してきて。ほんとに『ど』が3つぐらいつく田舎にこだわった(笑)。」

この前に住んでいたところも、コンビニもあるし特急に乗ったら大阪まで30分ほどで行けるような場所だった。田舎の時間の流れではなかった。

「テレビがあったら夜起きちゃうのと同じで。夕方になったり日曜日には商店がお休みになる。ちゃんと自然とともに生きるスタイルがあるんです。日が沈んだら寝ましょうって雰囲気になるし、日が昇ったら起きましょうねってなってるから。そういう場所で子どもを育てたかった。」

朝起きて畑作業をしてから子どもを保育所に連れて行く。そのまま出勤して、昼休みはそれぞれの家に帰る。家であたたかい食事を食べたらまた働いて。日が暮れたら家に帰る。ときには飲みに行ったり、一緒にスポーツをしたり、島の人にごちそうになることもある。

魚が大漁のときは、島内放送が流れてくる。ブリやマグロの子どもが数十円で購入できるそうだ。都会のような贅沢をしなければ不自由はない。むしろ、こちらのほうがいい。

季節ごとに島の風景も変わっていく。春が来て梅雨が明けたら、たくさんの人が島を訪れるようになる。その間は休みがないくらい忙しくなる。秋になって落ち着くと「お疲れさま会」を開催、みんなでBBQをするそうだ。

新年を迎えるときは、島全体が神に祈る感じになる。家族で氏神様などハシゴしてお参りする。元旦には初寄りと言って、世帯主が神社にあつまる習慣もあるそうだ。それは特に明文化されているわけではないけれど、ちゃんと朝8、9時にみんなが集まってきて、新年の挨拶をかわす。

「里帰りって気持ちも分かるけど、おじいちゃんおばあちゃんところには、どこかのタイミングで行けばいい。正月はここで迎える。だって子供は島の子供だもん。」

移住してみると、島の良さを実感するとともに、島からどんどん人が減っている現実を目の当たりにした。

若い人の仕事がないから島を出る。そうすると少子化が進む悪循環。この10年間で1000人近く人口が減ってしまった。根本的な解決には働く場所をつくることしかない。2004年の平成の大合併で「一町独立」の答えを出した小値賀は、07年より町の観光協会をNPO法人として独立させた。旅行者が島内の漁師や農家の民家にホームステイできる「民泊」や、世界遺産候補にもなった隣にあるほぼ無人の島「野崎島」体験ガイドなどのプロジェクトがはじまることになる。

「若い人は仕事があったら島に残りたいとか、島に帰ってきたいと思っている。島の人たちと相談して、観光で仕事をつくることにしたんです。でも観光はあくまで手段だから、リゾートホテルを誘致したらこの島の良さが失われてしまって本末転倒。目的は島の良さを子どもたちに残していくためだった。」

今回募集する仕事は島の自然や暮らしをガイドしたり、島の食材で料理をつくりもてなすもの。

この仕事によって若者が島に残ることができ、その仕事を通して島を訪れる人たちに島の良さを伝えることもできる。

どのような仕事なのだろうか。まずはガイドの仕事について高砂さんに聞いてみた。

「そうですね。自然体験などとともに、島の生活や農業を体験してもらうガイドです。お客さんと島の人の間に入って、つなぐ役割になります。」

「自然体験だったら野崎島に船で行きます。そこでシュノーケルやトレッキング、シーカヤックをします。」

ガイド中はどういうことを考えていますか?

「まわりを把握しながら危険がないか気をつけています。きちっと事前に訓練をしてもらって、うちのスタッフをお客さんにして試験します。それに受かればガイドができるようになります。リスクマネジメントできることが最低限求められること。それに加えて、きちっとメッセージをもっているということ。」

メッセージ?

「たとえば、野崎のガイドツアーだったら野崎島の自然だけではなく歴史や文化とか、なぜ無人島になってしまったのかとか。そういう時代背景も話します。人が減っていることは、全国で起きていることだし、社会的なテーマをしっかり持っていないとメッセージにならないわけです。」

「ただ、メッセージに関してはそれぞれのインストラクターにまかせているので、教育するのは最低限のリスクマネジメントと技術だけですね。メッセージはそれぞれにあればいい。でもそのためには島を好きになる必要があると思うんです。人生のなかから生まれたメッセージを発信できないと。口だけだったら伝わらないですよね。」

「自分ごと」だからこそ伝わるだろうし、そのためには島が好きではないと務まらない。

仕事の喜びはどういうものか聞いてみると、高砂さんは次のように答えてくれた。

「自分の好きなものを紹介して、わたしも好きっていってもらえるのがすごく嬉しいですよね。」

「たとえば修学旅行生は小値賀島にいくよりディズニーランドに行きたいわけですよ。でも先生が決めたから来たからはじめはイヤだと思っているかもしれない。でも帰るころには島の人が大好きになって別れるときに涙してって姿を見ると嬉しいですよね。嬉しさの根底に共感があるというか。同じものを好きになってもらえた嬉しさです。」

「料理人からインストラクター、古民家管理、それに電話オペレーションまで、色々なスタッフがいますけど、共通しているのは、みんな島のことが好きなこと。自分が好きな島のことを好きになりました、って言ってくれるのがやりがいです。」

料理でもてなす仕事はどうだろう。

こちらはもともと豪邸だった家をきれいにしてできた「藤松」というレストランで働くことになる。季節ごとに変化していく島で穫れる魚や野菜を活かした和食を提供している。

ここで働いている料理長である土屋さんに、なぜこの島で働くことになったのか聞いてみた。

「はじめは料理の仕事をしようと思っていなかったんです。映像の仕事をはじめようとして学校に通っていました。」

学校に通いながら、生活費を稼ぐために居酒屋で働きはじめた。卒業したあとも、映画の仕事が少なかったこともあり、そして料理が好きだったこともあって、居酒屋で働き続けた。

「卒業して1年間は契約社員で働いていました。そのあと映画の仕事を2年間することになったんです。ただ、映画の仕事をしていて思ったのは、本当にやりたい仕事なのか、ということ。高校生がバンドをやるような感じに近かったかもしれません。」

そうして沸き起こったのは「包丁を持ちたい」という思いだった。料理をしているときの自分が活き活きとしていることに気づいた。

先輩に親方を紹介してもらい、懐石料理店で働くことになった。2つの懐石料理屋で働き、スイスで3年間働いたあとに帰国して、仕事を探していることを親方に相談した。

そのときに話したことは、東京は全国でもレベルが高いけれど、田舎で働いてみたい、というものだった。すると親方から小値賀を紹介してもらった。

「はじめは抵抗感がありましたよ。生まれは海のない群馬県。でもまずは行ってみるかということで行ってみたんです。それで藤松の生まれ変わる前の建物を見て、すごいなと思った。お庭から海に直接つながっていたり、すごい豪邸だった。これが飲食店になったら!とワクワクしたんです。多少は給与が安いことが気になったけれど、家賃も安いし、こづかいとして考えれば東京にいるときよりもよかったです。」

実際に小値賀で働きはじめてどうでしたか。

「はじめは肌が合わない、というものもありました。かといって仕事だからこそ、簡単に投げ出すこともできない。でも少しずつ馴染んでくる。田舎に入っていくのは簡単ではなかったけれど、時間が解決していく。人付き合いを大切にしていけば、よくなってくる。シャットアウトしてしまってはいけないんです。」

なるほど。どんな人が合っていますか?

「料理に対して真剣な人がいいですね。たとえば10人お客さんがいて、鯛の焼き魚を出すことになったときに、全て同じ大きさに切りたいと思うかどうか。はじが小さくなってしまったり、もしくは真ん中が大きくなってしまったりではなくて…。そういうことに気を配れる人がいい。」

「あとは提供できる食材が限られるんですね。それを楽しめる人がいいです。東北のタラを使いたい、大間のマグロをつかいたい、ということはできない。」

一泊していくお客さんならまだしも、連泊するお客さんに満足してもらうには、限られた食材の中で、違ったものをださないといけない。そこが面白いところでもあり、大変なところ。

「でも時間はあるから、自分でカラスミをつくったり、山菜を探して料理にしてみたり。そういう面白みはあります。」

なんというか、レストランというよりもアトリエのような場所だと思う。じっくり料理をつくるような暮らしをしていくには最高の環境。

ガイドも料理人も経験者が望ましいようだけれど、心機一転、新しい世界に入ろうという人も歓迎だそうだ。

小値賀には、日本仕事百貨を通して移住して働いている人もいる。若い人も増えてきているので、少しでも興味があれば、まずは連絡してみてください。そして時間があるときに訪れてみることをおすすめします。(2012/8/17up ケンタ)