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後継起業家という生き方

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「目的を持つ・持たないで生き方や働き方は全然違ってくると思うんですよ。」

そう話すのは、株式会社スコラ・コンサルトで“後継起業家塾”という新規事業の立上げをすすめる與良(よら)さん。

與良さんは伊藤忠、アクセンチュア、そして家業のシステム開発会社を経て、2010年から現在の仕事に就いている。これまでに“「応援したい会社」プロジェクト”、“ハタモク”といったプロジェクトに取り組んできた。

キャリアを見ると、いかにも順調にエリートコースを歩んできた印象を受けます。けれど、話をうかがっていくと様々な失敗、挫折を重ねて38歳の現在、ようやく自身が取り組みたい仕事にたどり着いたことがわかりました。

まずは、與良さんのこれまでの歩みを知ってほしいです。

大学では体育会系だった與良さん。新卒で入社したのは伊藤忠商事だった。

「モテる会社に行きたい、というぐらいしか考えていなかったんですよ(笑)伊藤忠に入れば人生なんとかなるだろう、と思っていて。」

営業として世界を飛び回るつもりだったが、配属されたのは経理。いずれ異動できるように経理を極めることを決意、簿記1級まで取得するものの、上司からは経理財務のプロになる道しかないことを言い渡される。

「この会社では一生経理しかできないんだなと思い、外資系コンサルへの転職を決意します。ぶっちゃけると、このときも会社選びの基準はもっとモテそう、イケてそうというぐらいで。」

「はじめの一年はプログラマーをしていたんですね。でも、経営やマーケティングのコンサルティングがしたいと思い、社内公募で戦略グループに異動しました。」

新しい部署では、ベンチャーの立上げ支援から飲料メーカーのM&A検討支援まで、様々なプロジェクトを担当する。

「結局4年間働いたんですが、とにかく忙しくて。自分が何をしたいかはあまり考えずに、与えられた仕事を日々全力でこなしていました。ただ、事実を分析して施策を出し、計画を立てるなど、力はついたと思うんですよ。」

「そのうちに、『コンサルは虚業だ』なんて若気の至りで言うようになって。実業で自分の実力を試したいと思い、色々な会社をまわった結果、親の会社で働きはじめます。このときから、充分に考えて生きてこなかったつけがまわってくるわけです。」

與良さんのお父さんが起業して30年、社員70人ほどのシステム開発を手がける会社だった。

「事業の詳細は詳しくありませんでしたが、コンサル時代と同様に現状を把握して計画書をつくり、社内に指示を出していきました。でも、人は思うように動いてくれなかったんですよ。」

それから考え方を変え、「働くみんなが誇れる会社づくり」に向けた取組みを続け次第に実を結ぶようになった。しかし最終的には、色々事情があり、志半ばで後継ぎをあきらめることとなった。

「勝手ですが、そのときから僕は十字架を背負いました。社員に『いい会社にしよう!』と言いながら僕が先にリタイアしてしまったんだから。」

その後、求職活動中にスコラ・コンサルトの募集を知り、働きはじめる。

「実は数年前から知っていたんです。組織風土を改革をすることで、業績と働きがいの両方を高めていこうという会社の考え方に共感を覚えていて。タダでもいいから働かせてほしいぐらいの気持ちで、拾ってもらいました。」

会社に入ってからは、世代を超えた先輩たちが「お前はどうして入社したんだ」「ここで何がしたいんだ」と日々問いかけてきた。ともすればおせっかいと思うぐらいに人が向き合ってくる環境で、はじめて真剣に「何のために働くのか」を考えるようになる。

「もちろんそれまでも考えたことはありましたよ。でも、親の会社では、『後継ぎとして入社したからには会社をよくしたい』とか、『きちんと会社を継いで親に幸せな老後を過ごしてもらおう』とか。自分からわき上がってくる意志というよりは、いま思えば、与えられた環境への義務感に近かったんでしょうね。それだけでは足りなかったことに、辞めてから気づいたんです。」

そして2011年の3月に、東日本大震災が起こる。当時1歳の子どもがいたこともあり、與良さんは奥さんの実家がある名古屋に一時的にうつる。

「そこで募金活動をはじめます。精神的にゆとりができたこともあり、名古屋でできることをやろうと思いました。」

活動の最中にTwitterで仲間を募集して、一人の高校生と出会う。

「彼とは、どうしたら募金が集まるか本気で相談しあったんですね。そのおかげで募金もなんとか実を結びました。そのときに気づいたんですよ。実現したいことのためには人は一生懸命相談しあっていくんだ、そこには年齢や経験は関係ないんだな、って。」

東京への帰り際、彼からこんなことを言われた。

「與良さんと真面目に熱く語り合って、この2日間で僕の人生は変わってしまいました。でも、どうして普段の生活では親や先生以外の大人と話す機会がないんですか?もっとあった方がいいと思うんです。與良さん、増やしてください。」

「僕も流れで『うん、わかった。やるよ。』とつい言ってしまったんです。でも不思議なもので、その一言でスイッチが入ってしまった。ひたすら周りにこの話をしたところ、共感してくれる人が次々に現れます。」

そうして、学生と社会人が何のために働くのかを真面目に気軽に話し合う場である“ハタモク”が生まれた。これまでに80回近く、約3,000人が参加する活動に広がってきた。

ハタモクを進めるなかで、「会社選びが難しい」という学生たちの声を聞くようになる。そこで生まれたのが“「応援したい会社」プロジェクト”。就活では埋もれてしまう、名は知られていないけれどいい会社を学生に伝えたいと考えた。社会人3,000人から5,000社近い回答を得てランキングをつけていった。

そこで注目したのが、これからの会社というキーワード。社会的に意義がある、若い考え方で経営している、外に開かれている、社員を大事にしているといった特徴がある。

そうした企業の多くは歴史自体が新しいところ。けれど、歴史ある企業のなかに一社、例外があった。

それがシゴトヒト文庫の印刷もお願いしている長野県の藤原印刷だった。後継者候補にあたる兄弟の藤原隆充さんと章次さんは、新規事業やキフ印刷というプロジェクトを立ち上げていた。

ここで與良さんにある思いが生まれる。

「これからの会社にフォーカスするのではなく、これからの会社を目指す歴史ある企業に伴走したいと思ったんです。そして、歴史ある企業がこれからの会社に生まれ変わるには、後継者の継ぎ方が大きな影響を与えるのでは?と考えるようになります。」

そして、色々な後継者に出会うなかで、継ぎ方のカギをにぎるのは、親の会社に入る前の目的意識の持ち方と20代の生き方や働き方だと考え、後継起業家塾を開くことを決めた。

與良さんは、後継者には1.0から3.0まで、3つのタイプがあるという。

「1.0は親の会社や同業他社で修業して引き継いでいくタイプです。次は2.0です。家業の○○商店を株式会社化する、つまり家業を企業にといったように、経営にマネジメントを導入していきます。キャリアで見ると銀行、商社、コンサル、MBAを経る人が多いようです。僕も2.0に入ります。最後に3.0です。僕は“後継起業家”とも呼んでいて、藤原印刷さんがこれにあたります。新しいコトを起こすことを早くから何度も経験し、それを肌感覚として身に付けているタイプです。」

「藤原隆充さんは15歳で創業者のおばあちゃんのお葬式に想像を超える数の人が集まる姿を見て、この会社を絶対に継ぐと思ったそうです。大学卒業後はベンチャー企業で働き、のちに新規事業子会社を立ち上げる経験を積んでから、藤原印刷に入社しました。そして、同じくベンチャーで経験を積んだ弟の章次さんと一緒に新規事業やキフ印刷を次々と立ち上げるんです。そして、これからの後継者には3.0の生き方が求められてくると考えています。」

どうして2.0ではなく、3.0なのだろう?

「事業のライフサイクルが長い時代には2.0でよかったんです。でも、今はどんどん短くなっています。そのなかでは既存の事業の良さをいかしつつ、新しい波を起こし続けていける後継起業家が求められてくると思うんです。」

後継起業家塾では、学生から社会人まで、いつか親の会社を継ぎたい、継ぐかもしれない、そうした20代の生き方・働き方を見つめ直す機会にしたいと考えている。

「後継者たちは、たとえば、周りから『ボンボン』なんて冷やかされるので、なかなか言いたがらない人が少なくないようです。でも、内心ではいつか継ぎたい、いつか継ぐかもって思っているんです。同じ境遇の人と話せる機会もなかなかありません。そうした人たちが出会い、20代の生き方・働き方を考える場をつくりたいんです。」

親子で将来について向き合える機会も増やしていきたいと考えている。

「親子で話ができていないという問題もあるようです。僕もあんまり話せていませんでしたね。ただ、この事業をはじめるにあたり、一度ちゃんと父と話さなきゃと思い、先日3時間近く会ってきました。ほんとうに話して良かったし、これは絶対に必要だと思いましたよ。」

実際に親である社長と後継候補者と一緒に話したとき、潤滑油の役割を果たして感謝された経験にも裏付けられている。

これから入社する人はどんな風に働くのだろう。

「新会社を立ち上げることも視野に入れています。そして6月に後継起業家塾の0期を開講します。その立上げから一緒にやっていきたいです。」

「具体的には、どう事業をすすめていくか、一緒に議論するところからはじまって。セミナーの企画から当日の運営、そしてフォロー。また僕がゲストの後継起業家に会いに行き、話をするのに同行してもらったり、かなぁ。正直、どんな仕事をして、どんな働き方になるかって僕自身わからないところが多いんですよ。」

行きたいところは見えているけれど、明確な計画や道筋が用意されているわけではなくて。そこへ行くためにはどうしたらよいか、與良さんと考えていくことになるのだろう。

「働き方にしても、結果として忙しくなることもあるかもしれない。でもね、たとえば土曜にイベントが入ったとして、『嫌だな』ではなくて『空いてますよ!』と言えるような仕事を一緒にしていきたいです。」

最後に與良さんはこう話してくれた。

「原点は、名古屋での募金活動を通じた高校生との関係です。思いを共有して、お互いに思うことは言いあって前に進んでいきたい。採用する・されるというよりも、人生を一緒につくっていけたらいいなと思います。」(2012/2/20 はじめup)