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開拓のための仕事

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何もないところを開拓し、家を建て、仕事をつくる。日本バイオテックが沖縄糸満でしていることは、そういう『場づくり』なんだと思う。

そうやって生まれたのは、小さな村のような場所。いろいろな役割の人たちがそれぞれの力を発揮しながら、村民のように関わっている。

今回、募集するのは、このコミュニティの糧となる仕事をつくる人。具体的に言えば海ぶどうを育てること。ここが自立していく上で、もっとも大切な仕事です。

那覇空港から南へ車で数十分。新しくできた広い道を進んでいく。市街地が途切れて、緑が増えてくるところに日本バイオテックの事務所がある。

広い道を折れて畑や草原を進んでいくと、真っ白な建物が現れた。目の前には真っ白な砂浜とエメラルドグリーンの海が広がる。敷地内にはヤギや犬が歩いていて、すぐにこちらに駆け寄ってきた。

建物の中にはいると、油田さん夫婦が迎えてくれた。

ぼくがこの場所を訪れたのは2度目になる。前回が1年半くらい前だった。それから時間が経ち、この場所も変化しているようだ。白い建物には沖縄の風を感じられる気持ち良さそうな客室ができ、海側には新しくカフェを建てようとしている。

この風景を一緒に見ながら、油田さんは次のように話してくれた。

「この場所は彼女のお父さんがロケーションを重視して買った場所です。けどはじめは沼地だったんですよ。」

沼地?

「海老の養殖場だったんで、今でも掘れば養殖のためのプールがでてきますよ。敷地のあちこちに水が溜まってるような状態でした。こんなに海が見える状況じゃなくて、雑草とかがうっそうとしてて、誰も見向きしない場所だったんです。」

すると隣の由希さん。

「でも父にはこの風景が見えていたようなんです。建物のイメージとかロケーションのイメージとか、先の先まで。それがわかっている人だから、家族も反対しませんでした。それでこの土地を購入して、兄を呼び寄せて、コツコツはじめたんです。」

由希さんのお父さんは、もともと新宿で沖縄の物産店をしていたそうだ。今から10年前のこと。さらに飲食店舗にも沖縄のものを卸していた。そのときに海ぶどうがよく売れたので、仕入れるよりも自分でつくったほうがいいと考えた。

海ぶどうづくりの経験もなかったけれども、この場所に出会った。

油田さんは話す。

「新しい場所で何かをはじめるには、とりあえずお金も必要になる。思いとか気持ちだけとか、趣味に走ると結局食べられなくなってしまう。そういう例ってたくさんあるじゃないですか。特に沖縄だから、みんなこういうロケーションが好きだからってたくさん来るんです。でもずっといる人ってほとんどいない。」

でもこの場所を開拓しようと考えたときに、お父さんには見えていた。白い建物があって、砂浜にすぐ出られて。そして、そんな風景を維持していくための『仕事』が必要だということを。

「父にはこの場所を人が集まる空間にしたいって思いがあったんだと思います。ただ思いだけじゃ仕方ないし、経済的に自立する方法を考えている中で、海ぶどうは売れていたんです。すごくニッチな産業だし、賞味期限が短いから、大手が参入することも難しい。大きな資本がなくても勝負できるんじゃないか、と思ってはじめた経緯があったんだと思いますよ。」

「この場所で、遊びも暮らしも産業もつくっていく。そういうことがベースにあります。さらにこういう風に使いたい、という希望も取り入れていきたいです。どんどん集ってもらって、それぞれが思ったことを体現するような場所にしていけたら、と思っています。」

このコミュニティを維持していくための大切な産業が海ぶどう園であり、そこで働くことは、この場所が自立していくために最も重要なこと。

油田さんも海ぶどう園で働いている。もともとはインテリアデザインの会社で働いていたけれども、由希さんと結婚してからここで働くことを決意した。

「海ぶどうをやっているのは知っていたんで、一緒に働きたいな、って思いました。そのときはまだ、この建物の骨組みだけがあったような状態でしたね。」

はじめはまったく手探りだった。海ぶどうを育てたこともなかったし、ノウハウが蓄積されていたわけじゃない。

大変じゃなかったですか?

「大変な時期はもう通り越しましたね。入って1、2年目は海ぶどうもつくったことないし、満足にできない時期ばかり。全然育たないし、その原因もわからなかったです。」

光の加減だとか、海水の量とか、そういう調整が難しそうです。

「そうですね。あとは肥料の量とかタイミングだったり。たくさんあげ過ぎてもいけないんです。あと苗にも種類があるんですよ。冬の苗。夏の苗。それに通年の苗も。ぼくは海ぶどうを全滅させたこともありました。」

育成とともに大変だったのは、インフラづくり。

海水を引くポンプやビニールハウスのメンテナンスも必要だった。はじめは業者にお願いしていたことも多かったけれど、それでは採算が合わない。近くの養殖所の人に頼み込んで教えてもらったこともあった。

でも基本は自分たちでやる。

「そのほうがお金がかからないし、自分たちにノウハウもたまります。そして、自分で考えて行動することが会社の哲学でもある。」

「ぼくは大企業にいて、仕事をするときは手順を踏むことが大切だったから、はじめの1、2年はギャップがありました。教科書通りにやったらまわらないし、社長がどうしたいのかよくわからない。でも今は社長の考えていることも理解できますよ。すべて正しいとは思わないですけどね(笑)。慣れたら楽しいですよ。」

自然を相手にしたり、事業が小さな企業で働くことは、常に変化していく自然や事業周辺の環境に柔軟に合わせなければいけない。マニュアルなんてないから、自分の頭で考えなきゃいけない。慣れるまでは大変だったと思う。

どうやっても経営者の考えていることをすべて理解できるわけじゃない。ときには「なぜ?」ということもあるはず。

本人は全然ぶれていないと思っていても、その結果だけ聞くと、理解できないこともあるはず。

でもこの場所をよくしていく、という根っこにある思いに共感できるのならば最後は納得できると思う。

次に油田さんたちがはじめようとしているのが「家族の学校」というプロジェクト。これはどういうものなのか聞いてみる。

「海ぶどうを軸にしながら、いろいろなことをやっているのですが、そういうことを体験できるような学校をつくろうと考えているんです。ここで働き、暮らしながら、地域と連携していく。たとえば都会で働いているような人たちに、ぼくたちはこういうことをしているよ、というものになればいいと思っています。」

油田さんが伝えたいものはどういうものなのだろう。ここで生きていくときに大切にしていることを聞いてみる。

「これはぼくの思いですが、自分の家族たちがやってきたものがここにはあって、それをみんな大切にしているんです。ぼくはそれを守りたい。そして発展させていく。それが根っこにはあるのかな。」

この場所は自分たちのコミュニティの拠り所になっている。ここで暮らしながら生まれてきているものを大切にしたい、誰かにも共有したい、という思いが伝わってくる。

「あとは、なにか物事ができていくのってすごく楽しいんですよ。それは自分自身やってきたから思うことです。今までなかったものができあがっていく。頭にあったものが形になる楽しさ喜びが共有できれば、と思います。」

「それにこの自然ですよね。一日として同じ風景がない。草木も空も。こんなに変化していくんだって。奥が深いです。曇りだからこそ見えるものもあるし、そういうときにいる鳥もいる。純粋に感動できる心でありたいです。」

海ぶどう園で働く人は、どういう人が求められているのだろう。油田さんに聞いてみる。

「まず海ぶどうをつくる人を募集するんですけど、でもそんな経験がある人ってほとんどいないと思うんです。だから農業とか、何かを育む仕事をしたことがある人がいいかもしれない。」

どんな毎日になるんですか?

「朝は8時に朝礼です。そのあとは海ぶどうを見回りします。昨日からどれくらい成長しているか。病気になっていないかとか、栄養バランスはどうとか。」

「それから作業ですね。植え付けするところもあれば、掃除しなきゃいけないところもある。あとは病気になっていたら対処する。そういう繰り返しです。生き物なので、光の調整など、とても繊細なこともあります。夏は成育が早いから摘み取りも増えますし、台風が来るので大変です。ハードワークで力仕事もあります。けど冬は落ち着きますね。」

何人で海ぶどうを育てているのですか?

「ぼくが頭脳になって、パートさん4人に作業してもらっています。新しく入ってくる人は、ぼくと同じ役割をしてもらいたいです。はじめはぼくと一緒になって、基本的なことをおぼえてもらいます。ただ、まだまだ育成については確立していないこともあるんですよ。」

「だから、こうしたらいい、っていう完璧なものはないんです。日々、新しい情報を仕入れたり、企業や大学の先生たちと一緒に研究したり。どうやったら少しでも美味い海ぶどうができるか、模索していく仕事になっていきます。」

どういう人が合っているのでしょう?

「ものづくりが好きな人がいいですね。毎日規則正しく、コツコツ研究していくようにできる人。」

由希さんは次のように話してくれた。

「なにかを育てるってことに熱心だったり、興味がある人。それで育っていく過程に関心があったり喜べる人でしょうね。あと海ぶどうって、デリケートだから、優しさをもって育てていける人がいいと思います。」

あとは繰り返しになってしまうけど、新しいことに挑戦しているわけだから、柔軟に考えて行動することができるといい。それに力仕事もできて、どんなことも楽しめるような人。

いろいろな人がこの場所を訪れて、関わっていくようになると思う。そんなコミュニティの一員になって、基幹産業を担いながら、この沖縄の地で暮らしていく。それはシンプルだけれども、素敵な生き方だと思いました。(2013/2/27up ケンタ)