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街のにぎわいをつくる

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

名古屋駅から地下鉄に乗り約20分。原駅を降りて少し歩くと、間宮晨一千(しんいち)デザインスタジオはあります。

時間は朝10時。ドアを開けると、スタッフとインターンが入り交じって仕事をしている。

「空間づくり(設計)、場づくり(不動産)、そしてしくみづくり(企画)という3つの切り口で、“街のにぎわい”をつくっていきたいんです。」

そう話すのは、代表の間宮晨一千さん。

今回は、間宮晨一千デザインスタジオで働く人を募集します。

もともとはいわゆる設計事務所としてスタートしたという。どうしてしくみづくりという取り組みははじまったのだろう。

まずは今に至るまでの経緯を、間宮さんに聞きました。

「学生時代は建築を専攻していました。建築には、大きくわけて2つあるんですよ。一つが建築としての美しさを追求するもの。そしてもう一つは、そこに人がどう住み、どう利用するかという人の関わり方をふまえた建築です。僕は前者を追い求めていたのですが、転機が訪れます。」

それは大学の卒業制作でのこと。作品は学内で高い評価を受け、全国学生卒業設計コンクールにも選出される出来だった。けれど、尊敬していた先輩からは、「間宮、二度とこういう設計はしちゃダメだ。」そう言われる。

「建築は単に美を追求するものではなくて、そこに人がどう関わるかが大事なんだ、と先輩は伝えてくれたんです。」

同時期に訪れたパリでも、建築と社会のあり方について考えることとなる。

「ノートルダム寺院に憧れたんです。最初は建築としての美しさに圧倒されて。でも、よくよく調べると、教会を取り巻くフランス社会のしくみが見えてきました。たとえば子どもには、学校に加えてボランティア、部活、教会と色々な居場所がある。だから、もし学校にいづらくても教会ではいきいきとしていたりします。」

「一方で日本を見ると、子どもは学校、大人は会社といった風に、社会との接点があまりに単一化されているように感じて。建物をつくることに加えて、社会のしくみをつくることにも取り組みたいと思うようになります。」

そうして、“商店街プロジェクト” と“産学連携プロジェクト”がはじまった。

ここで、“商店街プロジェクト”を担当している樽見さんに話を聞いてみる。今年1月に東京からやってきた樽見さんが取り組んでいるのが、名古屋城近くの柳原通商店街だ。

「基本にあるのは、空き店舗が目立ってきた商店街に、にぎわいをつくりたいという思いです。プロジェクトもまだはじまったばかりなのですが、現在は主に、年に3回開かれるお祭りの企画を商店街の人と一緒に考えています。どんな街にしたいのか。そのためにはどんな内容にして、どんな準備が必要か。そうしたことを話し合い、祭りが近づくと告知を行っていきます。」

「また将来的には、大学が商店街近くに移転するという話があるんです。そこで今後は空き店舗から、人の集まれる場所をつくれたらと考えています。その場では商店街で働く人、買い物をする人、通学路にしている小学生、そして大学生。そうした色んな人が交わり、みんなでにぎわいを生み出せるようなデザインをしていけたらと思うんです。」

そんな樽見さんは、以前所属していたデザイン事務所で、シゴトヒト文庫の共著者でもある友廣裕一さんのプロジェクト“OCICA”を担当していた。

もともとは地域のためになる仕事がしたいと思い、イギリスに留学してグラフィックデザインを学んだ。卒業間近に東日本大震災が起こり、帰国を決意した。

OCICAを通して、デザインについて感じたことがあるという。

「もともと、デザインは何かを伝えるための触媒だと思っていたんです。OCICAのお母さんたちのいきいきした表情を見たときに、『デザインって人の役に立てるんだ』ということを実感しました。」

OCICAがきっかけとなり、間宮さんとも出会う。もともと地域に関わりたいと思っていた樽見さんは、商店街のプロジェクトに共感して働きはじめた。

「入社の前に1週間、柳原通商店街の冬祭りにスタッフとして参加させてもらったんです。そのときに代表だけでなく、スタッフみんなが思いを共有して働いていることが感じられて。その雰囲気がいいなと思ったんです。」

樽見さんの仕事は、デザインを通してコミュニケーションを行うことだ。

商店街プロジェクトだけでなく、グラフィックデザインや広報の仕事もしている。大変なことってありますか?

「デザインスタジオでは、本当に色々な取り組みをしているんですね。空間づくりにはじまり、商店街・産学連携といったしくみづくり、そして場づくりまで。ともすれば『何をしたいの?』と思われてしまう。だからこそ、どのプロジェクトも“にぎわいをつくる”というコンセプトでつながっていることが伝わるように心がけています。」

一方の“産学連携プロジェクト”は、学生が主体となり、実際の街や住宅をつくるというもの。

まず第1弾は、大学の研究室とともに名古屋市内に住宅を計画するというもの。名城大学の学生が実際にクライアントの声を聞き、設計を行った。この春には竣工予定だ。

そして現在は第2弾が進行中。愛知県日進市において、3区画の住宅を提案するというもの。複数の研究室からアイデアを募り、実施設計を前提としたコンペティションを行うことで、学生たちにチャンスを贈りたいと考えている。

でも、デザインスタジオで設計をすすめた方がスピーディかつ、利益にもつながるはず。どうしてわざわざ、自社の案件を学生と一緒にやるのだろう?

「その通りですね(笑)。でも、僕らには考えていることがもう一つあって。名古屋という街を若い人の力で盛り上げていきたいんです。そして、ここでは若い人にもチャンスがある。名古屋がそういう街になっていけばと思います。」

そうした思いを持つきっかけは、間宮さんの学生時代にある。3件設計の打診を受けながらも、実施まで至らなかったという。

「家や店舗の設計をするときには、クライアントさんの気持ちを汲み取ることが必要ですよね。でも、当時の僕は全然そうしたことができていなかったんです。一番足りなかったのは、僕自身の経験。それと同時に、学校で学ぶ建築にはクライアントとの対話が想定されていないということもあって。だから僕は学生に、クライアントと話して設計を進めていく機会を持ってほしいんです。」

第2弾では、間宮さんの思いに共感した著名な建築家たちが、コンペティションの審査委員として参加することが決まっている。

今回は、空間づくりをする人も募集している。

大学で建築を専攻していた石田さんは、新卒入社した大手ハウスメーカーで営業として働いた後に転職をした。

はじめに営業を選んだのにはこんな思いがあった。

「間宮が話すように、大学で学ぶ設計課題にはそこに人が住んだり、利用する姿が見えなかったんです。それで設計を仕事にするのは違うのかなと思って。それでも建築は好きだったし、人と関わりたかったんです。」

けれど分業的な働き方のなかで、契約件数を重ねることだけが求められる。

「契約を取ると設計に仕事を引き継ぎ、クライアントさんとはそれ以上関わることができなくて。そうした家づくりに対する疑問が抑えられなくなり、退職しました。クライアントさんの声を聞き、最初から最後まで関わりながら設計する道もあるのでは?と思ったんです。」

そうして通いはじめた専門学校で、非常勤講師をしていた間宮さんと出会う。

現在はどんな風に仕事をしているのだろう。

「デザインスタジオの空間づくりでは、“クライアントさんの宝探し”を大切にしているんです。」

宝探しですか?

「打ち合わせの際、自宅の雰囲気や話し合いの内容から、クライアントさんが望むデザインのヒントとなりそうな言葉を探すんです。たとえば、絵本、おもちゃ箱、だまし絵、広場… その宝物を見つけることから、空間づくりがはじまります。」

次に、クライアントさんにプレゼンテーションをする前に、スタッフを集めて作成したデザイン案を発表してみるという。

「スタディ会議と言って、デザインをブラッシュアップさせていきます。この場では、お互いに思ったことを包み隠さず伝えるようにしているんです。」

宝探しとスタディ会議に共通するのは、担当者が自分のなかにあるアイデアに固執するのではなく、クライアントさんやスタッフといった、周りの人の考えを聞くことで、よりよいデザインを届けようとする姿勢だ。

「実際にそうすることでデザインの幅は広がるし、クライアントさんの希望に応えることができると思うんです。」

石田さんは、デザインスタジオが空間づくりを手がけた「ことり食堂」を案内してくれた。

その空間からは、クライアントさんとよく話し込んでつくられたこと、インテリアの細部まで手を抜かないこだわりが伝わってきた。

スタジオへ戻る途中、こんな話を聞いた。

「設計という言葉からイメージするよりも、できることの幅が広いと思います。関連する不動産会社と協力して、建物というよりもその地区のデザインをすることもあるんですよ。傾斜が強く不動産としての評価が低い土地に、造成から関わり、魅力的な区画をつくることで新たな価値を創出したり。仕事の内容もどんどん面白くなっている感じがします。」

スタジオに着くと、みんなは昼ご飯の準備をしていた。二人一組の当番制で、毎日食事をつくるのだという。

僕も皆さんの分を少しずつわけてもらい、一緒にいただく。事務所を見渡すと、食事の時間をお互いの進捗確認にあてるスタッフもいれば、わいわい雑談しているスタッフもいる。

みなさんと話すなかで、聞く姿勢がある職場だと思いました。 一人一人が自立していて、相手のことをお互いに尊重している。そんな印象を受けました。

いい空間をつくりたい、街を元気にしたい。その思いが共有できれば、年齢や役職に関係なく、お互いに意見を言い合える関係があるようです。

この日の夜は、樽見さんと飲みに行きました。その席で、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。

東京を離れることには迷いはなかったんですか?

「迷いましたよ。仕事内容は純粋なグラフィックからは離れるし、新しい土地で働く不安もありました。でも、そういうことじゃなくてやろう、この人たちとやってみたい。そう思ったんです。」
(2013/3/18 はじめup)