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カフェからまちづくり

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そこにちゃんと「人」がいるプロジェクトには、いろいろなものが集まってきて、自然とマーケットのようなものができるように思う。さらに人が集まってくると、それは街になる。

日光珈琲の風間教司さんと話をしていると、そんなことを実感する。風間さんが一人ではじめたカフェは、路地に広がり、ひとつの街になった。まちづくりというものを考えるときに、最も大切なことはシステムでもデザインでも、そしてお金でもなく、そこにちゃんと居て、工夫と行動を繰り返す人なんだと思う。

今回はもともとあったカフェである鹿沼の「饗茶庵」、日光今市の「玉藻小路」に加えて、鹿沼と日光東照宮近くにできる2つのカフェのための募集です。単に雇われて働く、というだけではないものがあるように思います。

浅草から東武線に乗って特急で1時間半ほど。日光珈琲のお店はすべてここから日光につづく例幣使街道沿いにある。小さな駅舎から出ると、風間さんが車で迎えに来てくれていた。

まずは鹿沼にできる新しいお店にむかった。「街の駅」のとなりで、ちょうど今宮神社の南にあたる。古民家は、少しばかり解体がはじまったような感じで、まだまだこれから、というところ。

今宮神社の北側にある路地には、風間さんがカフェをはじめた饗茶庵がある。平日だというのに駐車場は車でいっぱいだった。主に近隣の宇都宮ナンバーが目立つ。休日になると他県から来る人たちも増えるそうだ。

路地には饗茶庵をはじめ、珈琲を焙煎する小さな小屋や、野菜をつかったフレンチレストランもある。もともと倉庫だったそうだ。さらに路地では定期的に「ネコヤド大市」が開かれた。これは新しくお店をはじめたい人たちが商売をする腕試しの場で、月一回行われていた。その出店者たちが、近くの空き店舗を借りてお店をはじめるようになった。

「この近くに15店舗くらい増えました。生活必需品とか生鮮食品なんかは、みんな宇都宮に行って買うけれど、ネコヤドにあるお店はそうじゃないんです。他にはない、独自性を持ってるお店だから、逆に外から人が来る。それに影響されて地元の人が動きはじめる。」

雑貨屋、居酒屋、古着屋、それにカフェ。地方都市の一角に、突然お店が並んでいるのが面白い。ひとつのカフェからはじまった動きは、もう街全体に広がっている。

車の中でどうしてカフェをはじめたのか聞いてみる。すると話は大学時代にまでさかのぼった。

「東京の大学に行けば、東京の企業に就職できて、オシャレな生活ができる、そういう憧れが根本にあって。いざふたを開けてみれば、その憧れが崩された部分があった。仕方なしに地元で採用してもらえる会社に入ったんです。」

けれども風間さんは半年で会社を辞めてしまった。そしてバーテンダーのアルバイトをはじめる。でもそれもまた半年で辞めた。

「オレこんなんで一生終わっていいのかな?っていうのがあって。それでカフェをはじめた。どこの国にも、コーヒーを飲む文化のある国には、カフェがあるし。」

自宅を改装したカフェがスタートする。

「少しずつお客さんが増えてきて。席が足りなくなったら、いくらか貯まったお金で材料を買って、また次の部屋を改装して… という感じで、どんどん、どんどん。はじめは和室が残っていたんですけど、たまに常連さんが長居して、結局そのあとはお酒飲んじゃったりして泊まって帰っていったりとかしてました(笑)。」

少しずつ改装して、手狭になったら増築もする。それでもいっぱいになると、日光今市に2店舗目をオープンさせた。

「意外と経験がほとんどないようなもんで始めちゃったので。お店始めてからも、じゃあ経営って、どうやってやるんだ?とかね。帳簿づけとかも全然分かんなかったんだけど、意外と来るお客さんに経営者の人がいて。できないことは大工さんにお願いしていたけど、大工さんに教えてもらってできることを増やしていって。そうやってみなさんにいろいろ教わりました。」

お店をはじめて、試行錯誤して12年。

「けっこう自分自身は、面白いか、面白くねぇかで動いちゃう人なんで(笑)。まず動いて、壁にブチ当たって、じゃあどうやって回避しようかっていうパターン。嫌々やってね、失敗するよりは、面白いなと思って失敗したほうが、ぜったいラクだし、ずっと続くわけだし。そういう考え方を持って仕事ができる場所ではないのかな、と思います。」

風間さんが独立して今に至った経験は、自分のものだけにしておくのはもったいないし、それはスタッフにも共有したい、という気持ちがあるように思う。

「飲食業って、給与もそれほど高いもんじゃない。でも、カフェの仕事というのは、ただの憧れだけではなくて、カフェをやって一生食べていけるとか、そういう形を自分は示したいです。」

鹿沼を出た車は、例幣使街道を通って日光へ向かった。街道沿いにずっと杉並木がつづいている。太くて立派な杉ばかり。少し車を降りて街道を歩く。古い民家が街道に面して並んでいて気持ちいい。見上げれば男体山などの白い山並みが見えてくる。

あれ?日光って、こんなに素敵な場所だったんだ。

那須や軽井沢のような高原のようでもあり、京都と並ぶ修学旅行で訪れるような歴史を感じる場所でもあり。それでいて東京からも近い。

もしかしてすごい恵まれた環境なのかもしれない。

日光東照宮の前を抜けて少し行ったところに、もう一つのお店ができる。古民家があって、細長い敷地の奥には庭が広がっている。となりの家や、さらに背後に広がる山々が借景となる素敵な場所だった。

「この辺りは、もともとお寺とか神社で働いてる人とかが多かった場所。あと、職人町だったりするところ。上のほうに大正天皇の御用邸がある。だから前の道は御用邸通り。大正時代は、馬車が通る道で栄えていた場所です。」

さらにほかにも面白い物件があって、この場所だけではなく、面的に何かをしようと考えているそうだ。

風間さんはカフェをしているのかもしれないけれど、それが広がって、自然とまちづくりをしているように感じる。

「まぁ、まちづくりの専門家でも何の勉強もしてるわけではないから。ただ、一商店主なりの、ちょっとした意識の変化だけで、ここまで変わる。意外とたくさんの予算をかけなくても、心がけ次第で変えられるものって、いっぱいあるなぁって思う。ただ、そこにいる『人』じゃないと、分からないことはあるし継続できない。」

ディレクターとかプロデューサーとかがお店づくりやまちづくりをして、たしかにオープニングパーティーでは盛り上がるのだけれど、あとは誰もいなくなって段々と寂しくなっていくようなプロジェクトには、みんなうんざりしているように思う。

それよりも好きで続けていたら、自然と広がっていくようなプロジェクトのほうが共感できるし、いろいろな協力も得られる。

風間さんは、そんなことを自分自身も楽しみながら、同時に誰かに共有したい、と考えているように思う。子どもの頃にとても面白い遊びを発見して、自分も楽しみつつ、誰かに教えたくなるような。

それがスタッフへの思いかもしれない。風間さんはお店の経験を通して、独立したらいい、と考えているそうだ。この「遊び」を自分のものだけにしていてはもったいない、と考えているのかもしれない。

ある一人のスタッフは、こんなことを言っていた。彼女はお客さんとして、はじめてここを訪れ、求人を見つけて飛び込んだ。

「働きはじめて、思ったよりも大変だと思いました。ただ、のんびりしてないんですけど、せかせかはしていない。自由なんだと思います。例えば、こういうふうに変えたらもっと良くなるんじゃないかっていうのを提案したら、『あぁ、じゃあ、変えてみよう』となるんです。必ずしも長く勤めている人が決めるのではなくて、みんながみんなの話を聞いてくれる。すごい自由です。」

建設的で、自由な雰囲気を感じる。風間さんが、いい意味で放任しているからかもしれない。たぶん、自分が感じた面白いことを、スタッフにも感じてほしいから。

日光をあとにして、例幣使街道を通って今市へ少しもどる。ここに2店舗目の玉藻小路がある。ここも路地を囲んで、店舗があるような場所。

ゆっくり会話していると、自然とどんな人に来てほしいか、という話になった。

「自分が何かやりたいんだっていうビジョンを持ってて、そのステップとして、ここを使ってもらって構わない。ここでずっと、いままで自分がやってきたような動きを一緒にやっていきたいっていう人もいいし。」

「お店をつくるときに、ペンキ塗りや左官を自分たちでするのだけれど、やっているうちにうまくなればいい。『やってみよう』というのと、『やってみたら楽しい』っていう、その経験をしてもらいたい。そこなの。」

働く人が手を入れる空間。すべてがデザインされた完璧なものよりも、自分たちで手を入れながら少しずつよくなっていくような場所のほうが心地よかったりする。

「そうなんだよね。この店にしても、まだ出来上がってない。その余地を残してあるというか。日光の東照宮に、逆さ柱ってあるんだけど、あれも同じだよね。まだ完成していないことになっている。変化っていうのは、成長であったりもする。それが面白い。」

それぞれのスタッフが夢を持って進む、その過程にこそ、大切にしたい時間があるのかもしれない。

そうそう。風間さんは、優しそうに見えて、基本的に体育会系。それは言われるまで気づかなかった。どうやらスタッフに対して、厳しいと同時に情に厚い人のようだ。

「甘えてる部分に関しては、手は出ないけど、非常にキツい指導をする。それは当然のように。でも成長してくればフォローもする。たとえば飲み行きましょうよって言われて、飲みに行って。で、結局、飲まされて。最後に奢らされるっていう(笑)。」

夢がある人には、いい機会だと思う。まずはこの場所で目の前の仕事を大切にして働いていけば、自ずと夢は近づいていくように感じました。(2013/3/19up ケンタ)