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なにもない島あの募集からもうすぐ2年。鹿児島の離島である甑島(こしきしま)に移り住んで、地域と向き合い、そして世界に発信する仕事の募集です。何もないような島に見えて、目を凝らすといろいろなものに出会えると思います。ただ、今回ちょっとだけ違うのは、新しくできる観光会社のスタッフ募集であること。
飛行機で鹿児島まで2時間、そこからリムジンバスに乗って1時間で鹿児島中央駅へ。さらに九州新幹線に10分ほど乗れば甑島のある薩摩川内市に到着する。
ちょうど大震災の翌日に全線開通した九州新幹線は、すっかり街に溶け込んでいた。
甑島に渡るには、ここからさらにバスで串木野新港まで向かわなければならない。港から高速船に乗れば1時間ほどで甑島が見えてくる。高速船とフェリーが、それぞれ往復2便就航しているから、それほど不便な島とは感じない。
甑島には上甑、中甑、下甑というように、3つの島が連なっている。自然が豊かで、長目の浜のような珍しい地形が見られたり、海も山も楽しめる場所だ。南にある島だから温暖な気候で、植生もどことなく南の島のように感じられる。
最近では島米をつくっている山下賢太さんなど、若い人たちもがんばっている。ほかにも原木椎茸を栽培したり、焼酎用のサツマイモを育てたり、最近では豆腐づくりをはじめようとしているらしい。前回の仕事百貨の募集で島に移り住んだ人たちも島に馴染んできているようだ。
ものすごく大成功している地域ではないけれど、少なくとも悲壮感ばかり漂う島ではない気がする。何だかいい予感がする。
薩摩川内市役所を訪れて、観光・シティセールス課の古川さんに話を聞くことにした。古川さんは前回の募集でもお話をお伺いした方で、薩摩川内市のことをものすごく考えている方だと思う。
まず聞いたのは、なぜ新会社をつくるのか、ということ。
「公益性のある企業をつくろうと考えています。利益追求だけではないけど、民間主導の形をつくっていきたいんです。観光・シティセールス課よりも柔軟に動いていくためにDNAを変えたいだけです。」
「あとは地域商社をつくりたいです。薩摩川内の産品を外に売ろうとしたときに、事業者規模が小さいと取引できなかったり、独自にセールスやマーケティングをしていくこともコスト的に難しかったりします。だから集まる。あとは観光物産の中核的な会社として、観光協会や特産品協会、組合などをまとめて一丸となってやっていきたいんです。」
どういう人が合っていると思いますか?
「そうですね。働くスタッフには二つの役割があると思っています。」
「一つは外からの目で地域の良さを掘り起こしてもらって地元の人に自信を持ってもらうということ。もう一つはその良さを外に売り込むということですね。」
なるほど。「掘り起こし」と「発信」ができる人か。
具体的にどういう仕事なのかもう少し聞いてみる。
「観光案内と商品開発ですね。あとは情報発信やイベントの運営も。たとえばイカ釣り大会をしたり、アクアスロンとか。」
アクアスロンというのは?
「トライアスロンからバイクを除いたものです。去年はじめてできて、参加者は100人くらいだったんです。宿のキャパがそれしかなかったので。6,7割が県外からの参加者だったと思います。日本トライアスロン連合の公認の大会になっています。」
「あとは観光協会の仕事もありますよ。ただ、今まで観光案内と情報発信だけでよかったのですが、これからは旅行代理店をサポートするような、ツアーオペレーションも必要になってくると思います。」
単に受け入れるのではなく、企画から一緒に考えたり、現地でのサポートをするようなものでしょうか。
「そうですね。たとえば船が欠航になったときや、島に渡れたとしても予定通り観光船に乗れなかったときにどう振替するのか。1日目と2日目の行程を変えるためにバス会社との連絡、宿の手配、観光船の手続きなどをサポートする。添乗員さんが一人でやるよりも、よいかと思っています。」
「あと今の観光協会は変な話ですが、宿の斡旋もしないんですよ。それは苦情が来たりするからです。個人的には新会社は斡旋して手数料とればいいと思っています。それでちゃんとお客様の希望を伺えば、そんなに難しい話じゃない。」
無難なサービスを提供するよりも、本当に求められているものが何かを知って、甑島を訪れる人に寄り添った形にしていきたい。
そうすれば満足していただけるだろうし、交流人口も移住者も増えていく。
「単に経済合理性だけじゃないんです。住み続ける人が誇りを持ちながら次の世代に生活を引き継ぐことが大切なんです。私は田舎暮らしの最先端が甑だと思っていて。それを残してくことが目的で、観光は手段になるんです。」
「可能性は感じていますよ。観光客も4年前の2倍になっていますから。」
前回、訪れたときよりも前進しているように感じた。やっぱりこの場所に移住した人たちが活躍しているからなんだと思う。
日本仕事百貨の募集を見て下甑島に移住した竹内さんにも話を聞いてみる。もともとは旅行会社に勤めていた方だ。
「大学生のときには、地域振興の勉強をしていたんです。あとは自転車のサークルに入って、マウンテンバイクとロードの間くらいのランドナーに乗って、日本中を旅していたんです。地域とか田舎とか興味があって、こういうのが仕事にできたら楽しいだろうなって思って、旅行会社に入りました。」
旅行会社では主に修学旅行の営業を担当していた。北海道から沖縄まで、いろいろな地域と仕事をする中で、より「地域の人」と関わっていきたいと考えるようになったそうだ。
「着地型の観光というものがあることを知ったんです。」
着地型というのは旅の目的地に所在する旅行会社が企画する旅行のこと。そんなときに日本仕事百貨の募集を知ることになる。
その後、東京に来ていた古川さんとお会いして、移住することを決意する。つまり、甑島を訪れる前に決めていたということ。
不安はありませんでしたか?
「仕事のことだけじゃなく、この仕事をすることによって生活がどうなっていくのかが想像しやすかったです。全体をイメージしやすい。だからあんまり不安に思わなかったんです。もうワクワクして。」
島の第1印象はどうでしたか。
「思ったよりも開けていました。でも暮らしはじめたら、田舎らしいというか島らしいというか。」
下甑島には2,600人ほど住んでいる方がいるそうだ。いくつかの集落に分かれているので、ひとつの集落ごとに500人ほどの方々が住んでいる。
「はじめはアパートとか想像していたんですけど、実際に住んだのは平屋でした。一人で住んでいても落ち着きますよ。」
はじめはどういうことからはじめたんですか。
「まずは挨拶回りからですね。地区の支所とか公民館みたいなとこの会長さんだったりとか。」
「でも、はじめの反応はあまり良くなかったです。」
よくなかったのですか。
「これまでも地域おこしとか特産品開発って言うのは何回も試みられていて、それでも上手くいってなくて。また来た、何が出来んねん、っていう感じのところからのスタートだったので。」
島のことをまったく知らなかったので、まずは勉強からはじめたそうだ。郷土史を読んだり、島にどういうものがあるのか人に尋ねながらいろいろなものを見て回った。
そして、島の人たちはどういうものに困っていて、何を必要としているか少しずつ話してもらった。
「何回も訪ねましたよ。営業と同じです。嫌な反応されたからって行かなくなることもできないので、何回も何回も行って。こういうのを作ってほしいと言ってくれる方ができたらそこに行きます。」
「セミナーをしていると、毎回いらっしゃる方がいるんです。そういう人たちとだんだん建設的な話になっていきます。次に具体的にどうしていくか考えるんです。」
どんな地域でも同じだけれども、いきなり自己主張するとあとが難しくなる。まずは相手の話を聞く。自分のことは聞かれてから答えても遅くはない。はじめは最低限の自己紹介でいいと思う。
「これまでの経験はいろいろあると思うんですけど、一回忘れてもらった方がいいかなと思います。自分のキャリアとか。」
「例えば私は旅行会社の出身なので、それはきっと活かせるかもしれないんですけど、活かせないものとして謙虚なほうがいい。新しい世界に来たから一から全部経験をやり直すみたいな気持ちで来られた方が、楽しいしガッカリもしないと思うんです。」
まずはコミュニケーションありき。
どんなにすごい経験や素晴らしい過去を持っていても、そればかり言っても話は進まない。過去にとらわれるのではなく、まず目の前にいる人たちに向き合っていく。
竹内さんも少しずつ自分の経験を活かすことができるようになったそうだ。
「何ヶ月か経っておばあちゃんに『竹内さん旅行会社いたんでしょ、これどうしたらいい?』と聞いてきてくれたんです。それから話をした方がスムーズでしたよ。」
竹内さんの活躍の場も広がっていく。たとえば、島のおばさんたちとつくったのが「ドレスソース」というドレッシング。
きっかけは島内で多く生産されている、苦みの少ないサラダ用玉ねぎだった。
「規格外の玉ねぎをどうしようか、ということになっていたんです。じゃあドレッシングを作ってみたらどうなのかなって言う話になったときに一緒に入って。各家庭にはダイダイの木も多いので、その絞り汁も加えて酸味をきかせたドレッシングにしたんです。」
このドレッシングは1,000本完売したそうだ。今年はもっと多く生産して、みんなで北海道旅行に行くのがおばさんたちの夢になったそうだ。
アクアスロンも竹内さんが関わったもの。
「私、海を泳ぐのが好きでいつも泳いでいたんです。夏は毎日仕事が終わってから泳ぎに行ってました。めちゃくちゃ楽しくて。それではじめはトライアスロンをしたかったんです。」
「島が大きくて、各地域もバラバラだったこともあって、何か島をあげてできることを考えていたんです。そしたら島が団結して一つになるんじゃないかと思って。」
大会当日、沿道には島の人たちが集まった。応援がよかった!という参加者が多かったそうだ。トンネルの中は電波が入らないため、緊急連絡用も兼ねて中学生も等間隔で立って応援したそうだ。ほのぼのした光景が思い浮かんだ。
そうそう、甑島はDrコトー診療所のモデルになった島です。この島に移住して、じっくり時間をかけて島の人に関わるのはどうでしょう。たくさんのものであふれていることがわかると思いますよ。
今回は甑島のほかにも薩摩川内市内の温泉地など、魅力的な移住先があるのでぜひ問い合わせください。(2013/3/22 up ケンタ)