※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
日本一のキャンプ場が北軽井沢にあります。でもそれは設備が充実しているとか、最高のロケーションだとか、そういったことだけじゃない。この場所をつくってきた人たちの姿勢が、訪れる人を惹きつけているように思う。スウィートグラスでは、キャンプ場で働くスタッフを募集しています。

東京から新幹線に乗って1時間ほどで軽井沢へ。そこから車に乗って北上する。軽井沢というと、軽井沢駅の近くをイメージすることが多いかもしれないけれども、ぼくはさらに標高の高い北軽井沢のほうが好きだ。
なぜなら緑が輝いているように感じられるから。その理由はあとでわかることになる。
車はより標高の高い場所へ進んでいく。30分ほどして車はルオムの森に到着した。
ここは北軽井沢にある古い洋館を改装したもので、もともとは大正時代に数々の事業を興した実業家、田中銀之助の別荘だった。薪ストーブのあるカフェがあり、素敵な本がセレクトされた小さな図書館のような空間もある。
1階のカフェでスウィートグラスの福嶋さんに話を聞いた。
「ここは歴史そのものが古くない場所なんです。天明3年、1783年に一度壊滅状態になってますので。噴火が落ち着いたのが1800年代だと思います。それから大正2、3年くらいから開発がはじまります。そのことがとても大切なことです。古くないということはこの土地を自分たちでつくってきた、ということなんです。」

「朝起きてみたら隣にいるやつが死んでたとか、そういう世界です。枕元に雪が積もっていましたから。」
それくらいの掘建て小屋に住んでいたということ。電気もなければ、水道もない。
「そんな、開拓二世の小せがれが嫌で嫌で、こんなところにいたくない、こんな狭いところにいたくない、って強烈な思いがありましたね。で、中学から外に出て、帰ってきたのが39歳のときでした。都会生活にくたびれたんです。とてもハードな生活でしたから。今もハードなんですけど(笑)」
帰ってきて何をしようか。そのとき福嶋さんのお父さんは開拓から方向転換して、別荘地を分譲するような不動産の仕事をしていたそうだ。
「ろくな不動産業をしていなかったですね。土地を転がすって感覚が彼はとても嫌だったんです。自分の本当に気に入った人に、気に入った土地をちょっとだけお分けするってスタンスでしたから業にならない。」

「その動きがおさまった頃に、さぁ俺の出番だって、強く思いました。」
普通の人はみんなうなだれてる時期なんでしょうけど。
「こんな素晴らしい大地があるんだからこれを活かして多くの人に楽しんでもらったらいいんじゃないかって思ったんです。父が存命だったので『この地べたを活かしてみたい、キャンプ場を考えているんだ』っていったら、『それなんだ、お前』って。」

福嶋さんの中で、バブルのときと何が変わったんですか?
「継続をしていく、ということがとても大事なポイントだと思いますね。蓄積といいますかね。不動産のバブルというのは蓄積にならないですから。これはもう決定的に生業にならない。利益をどこで引き出すかというと、ほとんど国の政策に依存する部分があって、それもまた生業にならない要因で、そんなものに付き合ってるのはアホらしい。やめたほうがいいっていうのはありましたね。」
「でも考えようによると、キャンプ場も地べたに線をひいて、日割りで場所を貸すわけです。そういうことになると、不動産業と大して変わらないかなって気がしました。」
たしかにそうですね。
「でも違ったんです。ぼくは何をしていたかというと、ずっと木ばかり植えていたんです。」

「たくさんの木を植えたと思いますね。ある樹木は300本植えて翌年全部枯れました。泣いたもん、ほんとに。植木屋に大丈夫か?って確認したのに、300本全て枯れた。」
「でも素晴らしいことをしたと思っている。なにがよかったかっていうと、人間の一生って100年くらいで、木も同じくらいで成長していく。木を植えてわかったんです。」
何がわかったんですか?
「木は100年、人間も100年。木が育ち、人も生きていく。木を植えていくことで、木を媒介にして、同じ時間、同じ目線で自然と付き合えるようになった。でも自然は木だけじゃないんです。木に親しむ感覚をもったときに、次にスケールの大きいもの、もっと小さなものに気づきはじめるんですね。それは1万年先まで考える可能性にもなるんです。」

「はじめて『自然』というものを全体像としてどう捉えるか、ということが考えることができるようになったんです。未来が自分の射程にはいってきたんですね。火山だって生きている。しかも寒冷地である。特別な大地なんですね。だから新緑がきれいなんですよ。発展途上の森だから。」
発展途上?
「火山ですべてなくなった土地だから、植物の変遷のまっただ中にある。さまざまな植物が競争しているから若々しいんです。」
なるほど。ところで「未来が射程に入る」というのは面白かったんですけど、仕事って日常的なことですよね。未来が射程に入ったときに、日々の仕事はどうなるんですか。
「今の話の延長でいうと、自然はとても強いんですね。自然の強さが圧倒的なことがわかるんです。だから、使い古された言い方をすれば自然とともに生きる、ということをせざる得ない。会社の理念にルオムって言葉を持ってくるんです。フィンランド語で自然にしたがう生き方。」

「たとえば、自然がとても強い場所では分業はうまくいかないんです。」
都市のような場所ではいろいろな人が集まっているでしょうから、餅は餅屋、ということもあるでしょうけど。開拓するような場所では、すべてDIYでやらないとできないこともあるでしょうね。
「そうですね。植木だって、建築だって、自分たちでやるんです。こういう場所ではむしろ合理的なことです。もちろん、お金がなかったということもありますよ。お金があれば有名な建築家に頼むこともできたかもしれない。でも今考えてみると、そんなことしなくてよかった、ほんとにお金がなくてよかった。」
スウィートグラスのロッジはどれも手作りだ。それぞれに薪ストーブもあって、ツリーハウスもある。どれも洗練されているようなものではないけれど、居心地がいい。

木を植えることで、未来が見えてきたり、自然にしたがうという姿勢に定まった。自然と一体になってこそ、この場所は生まれたのだろうし、訪れる人たちにも伝わるような気がする。
「ぼくたちはキャンプ場が日本一なんて正直なところ、どうでもいいと思ってるんです。次に考えていることは365日。」
365日?
「普通はリゾートだから非日常を提案するということなんでしょうけど。でも、それはもうやめようと。ようするに、365日のここの自然空間あるいは暮らし方、あるいはよりよき自然との付き合い方など、あるがままを表現する。すると訪れる人は北国の日常を体験しにくる。だから冬だって営業するんです。効率悪くて事業採算あわなくなっちゃうかもしれないけど、我々の理念からすればこの冬の素晴らしさも体験してもらいたい。」
なぜ日本一なのかわかるような気がする。お金をかけてどんなに素晴らしい施設をつくっても、そこにいる人次第なんだろうな。働いている人たちの姿勢が、この場所ににじみ出ているように思う。
スウィートグラスで統括マネージャーを務める梶野さんにも話を聞いた。もともと大手アパレル会社に勤めていた方だ。
なぜこの仕事をすることになったのですか?
「たまたまパンフレットを手にして来ちゃったんです。そしたら、こんなところがあるのかと、こんな世界観があるのかって。アウトドアは未経験だったんですけど、社長と出会い、話をする中で魅力的に思いました。こういう人と仕事をしたいと思ったんです。」

「そうですね。雪が降れば雪かきをしなきゃいけない。それで業務は2、3日遅れるかもしれない。でもやらなければいけないことは進めていかなきゃいけない。」
「当然自然にはかなわないのです。すべて飲み込んで、しょうがないな、よしここでやっていかなきゃ、って腹を据えてやっていけるかが肝なんです。僕らの社内の共通の言葉でいうと、根を張って仕事をするということ。」
働きはじめてから、印象的なことがあったそうだ。あるとき福嶋さんが現れて、「熊探しに行くぞ」ということになった。
「仕事をしていたんですけどね。そしたら別荘の壁に大きな穴が空いていたんです。結局、中に熊はいなかったんですけど。一見無駄なようなことなんだけど、好奇心だったり、躍動感だったり、わくわく感だったり、そういうものをお客さんに表現するということがとても大事なんです。」
お金儲けをするということであれば、一切の無駄を排して、客単価と回転率をあげていく、というようなことが効率的なことなのかもしれない。たとえば、目先の利益を目指すならば、別荘地で投機的な不動産売買をすることなのかもしれない。
その対局にあるのが、この土地に根ざして自然とともに生きていくこと。だからこそ、スウィートグラスには魅力があるのだろうし、結果として日本一になったのだろうと思う。
お金が目的じゃないからこそ、商売としてもうまくいく。

「ここは自然の厳しい場所です。日々、人が生きてく上で仕事ってなんだろうかなって考えてます。試行錯誤です。ただ、上場会社をつくってみたいなとは思いませんし、社長が威張る会社をつくりたいとも思いません。大切にしていることは、自分たちが働いてみたい、という会社をつくることです。」(2013/3/5 up ケンタ)