求人 NEW

アートを織り込む

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

街ゆく人たちの生活のなかに、アートを織り込んでいく。それは、思ってもみなかったインスピレーションが生まれる可能性を秘めている。

パブリックアートの企画から制作・施工までを手がけるタウンアートで、完成までの一連の流れに関わっていくアートディレクターと、それを補助するアシスタント、CGスタッフを募集します。

そもそも、パブリックアートってなんだろう?名前のとおり、公共の空間にある芸術作品のことだそうだ。でも、最初はあまり身近な存在ではないように思えた。

だだ、意識してみれば日常の様々なところにアートがあることが分かってくる。いつも利用する駅や公園、病院や街の中。生活のなかにはまだまだ、色々なアートが隠れているのかもしれない。

東京・駿河台。お茶の水駅を降りて、大学生が行き交う学園通りのなかを歩いていく。古いビルをリノベーションして新しく生まれ変わったビルのなかに、タウンアートのオフィスがある。

一階の会議室で、取締役の吉田さんに話を伺う。

「パブリックアートは、時代とともに移り変わっています。高度経済成長の時代は、豊かさの象徴として取り入れられる傾向がありました。でも、今はまちづくりとか地域活性化や癒し、社会の中にある課題解決のきっかけづくりなど、新しい意味でアートを取り入れたいという方もふえてきました。」

パブリックアートの立ち位置とともに、表現方法も進化してきた。

タウンアートでは、シンボルアートのような形のあるものからメディアアートやワークショップなど形のないものまで、色々な種類の手法でアートを展開している。

パブリックアートの最大の特徴は、対象が必ずしもアートに興味のある人ではないということだと思う。

ギャラリーだったら、アートが好きな人が自分の意思でやってくるけれど、パブリックアートを見ることになるのは、通りすがりの人や別の目的で訪れた人たち。

そこには、忙しい人もいれば、暇な人もいる。悲しい人もいれば、喜んでいる人もいる。アートに興味のある人も、興味のない人もいる。

「そういう方々がアートに遭遇したときに、心を動かし、何か気付きや元気のもとになるような可能性を提示していくということ。それが『公共』を考えていくということじゃないかなと思うんです。」

吉田さんは、もともとこの「公共」という言葉に導かれて、この会社にやってきたそうだ。

「大学では社会福祉を専攻し、社会的弱者が社会の中で生活をしていくにはどんなサポートが必要なのかを考えていました。ただ、全ての人は、大なり小なり何かしらの問題を抱えていますよね。あるカテゴリーにはめられた人だけを対象とするのではなく、すべての人を対象にする『公共』という考え方に、開かれた可能性を感じたんです。」

タウンアートの親会社であるコトブキは、公共家具を取り扱っていた。そこにピンときた吉田さんは、入社を決める。その後、もともと社内のいち事業部として立ち上がったタウンアートの中で、経験を積んできた。

アートに拒否反応こそなかったものの、最初は知らないことだらけだった。今でもまだまだ、日々考えることは山ほどある。

タウンアートの仕事の多くは、ゼロからつくるミッションワークになる。だから、既存の作品を買い取って設置するということはあまりない。

まず、依頼者の意見をヒアリングし、その施設や土地の特徴、風土などを徹底的に調査する。そして、そこを訪れアートを受け取ることになる人たちのことを想像していく。

「たとえば、病院だったら、そこに来る人たちは少しネガティブで感じやすい状態になっていますよね。診察を待つ間に痛い辛いと思ったときに、何か眺められるものがあれば、その瞬間だけでも、不安や先入観から患者さんの注意をそらしてあげることができるかもしれない。なにかその作品によって心が少し動かされ、希望を持ってもらうきっかけになるように、と考えていきます。」

それと平行して、このプロジェクトにふさわしいアーティストは誰だろう?ということも考える。日頃からアーティストの展覧会に足を運び、リサーチするのも欠かせない。

「この場所にはこういう問題がある。そうしたら、あのアーティストの考え方とつなげたら可能性が広がるかもしれない!という感じ。構成されている地域の要素にアートの力を織り込むことで、新たな何かが生まれるんです。」

ゼロから完成まで全てに関わるアートディレクターは、アシスタントを含めて5名ほどいるそうだ。

同じディレクターでも、ヒアリングから答えを導く人もいれば、オリジナルのアイデアで説得する人もいる。色々なカラーがあっていい。

入口は、美術だけではなく、建築、デザイン、文化政策など。タウンアートのスタッフたちは、本当に色々なところからやってきているそうだ。

吉田さんの次に、アートプロデューサーの渡辺さんに話を聞いた。

渡辺さんの場合は、もともとは建築を勉強してきた。ここに来る前は設計事務所に勤めていたそうだ。

一級建築士の資格も持っているそうだけれど、どうして今、ここでアートプロデューサーをしているんですか?

「建築設計に携わっていたときは、クライアントと一対一で空間を完成させていくことが多かったんですね。それだと広がっていかないなと思って、理想との間にギャップを感じました。反対に、公共空間の場合は、そこを利用する万人のことを考えながらつくることになるんです。そういうことがしたいと思ったので、ちょっと道を踏み外してみたんですね。」

アーティストと関わる仕事を選んだのには、きっかけがある。それは、思いきって設計事務所を辞めたあとに行った、1年間の海外留学での経験だった。そこで人生を変える出会いが沢山あったそうだ。

「一緒に暮らしていたシェアメイトが写真家だったんです。わたしは、彼女の周りのアーティストたちに囲まれて生活していました。日常のなかに面白いアイデアをいっぱい埋め込みながら暮らしている彼らを見て、憧れましたし、刺激もたくさん受けました。」

建築とは違うカタチで空間や場を魅力的に変容させてしまう人たちに出会い、心が動いた。

「創造力あふれるアーティストたちのアイディアを、どのように日常に織り込むかを考えられるということ。同時に、自分の『こうだと思ったらこう!』という感性を生かすことができそうだったこと。それが、タウンアートに入ることにした決め手かもしれません。」

気づけばもう、入社して16年になるそうだ。

仕事をしていて、どうですか?

「アーティストもクライアントも、みんな見ている先が『そこに集まる人』のことなので、固定されずにアイデアがどんどん広がっていく感じです。だから、毎日が暗中模索。何が出てくるのか分からない。色々な人の色々な想いが組み合わさると、何億パターンあるんだろうか、みたいなワクワクがあります。誰かの心に届けるためには、まず自分の心が動くことが大事なんですよね。」

実現できないプランも山ほどある。どれも面白いから選ぶのは大変。

そうして膨らませたアイデアを、次は実現に向けて落とし込んでいく。ここからは、予算と時間に加えて、どうやって制作し、設置するのか、という現実にも向き合うことになる。

そこで登場するのが富樫さん。

富樫さんはタウンアートでアート設置に関わる、まさに現場の仕事をしている。

アートをより美しく設置するにはどうしたらいいのか、耐久性は大丈夫なのか、安全面は配慮ができているだろうか、など、具体的なところを考えていくのが役目になる。

まだこの世にはないものをつくるから、毎日が前代未聞のリクエストばかり。
名古屋の商業施設ミッドランドスクエアを手がけたときは、こんなことがあった。

「真ん中にある球体は、直径3メートル以上あるんです。そして、この下は陶
器でできているんですね。まずは、こんなに大きな陶器を焼ける場所があるのか。それを探すところからはじまりました。山奥に一軒だけ見つかりまして、わたしたちも立ち会いながら作家に制作してもらいました。だけど、納入直前に、ばりーん!と割れてしまうなんていうことも起こったりして、もう大変だったんですよ。」

大変といいつつ、なんだか楽しそう。

「ひとつひとつ語ればキリがないですよ」と富樫さん。

アーティスト淺井裕介さんとタウンアートスタッフ

きっとアーティストにも感謝されていると思うし、プロデューサーやディレクターにとっても頼もしい存在だと思う。いいチームでものづくりを進めているのが伝わってきた。

そのなかでディレクターは、アーティストをどう起用し、プランニングをどうバックアップしていくかを、ひたすら考えていく役割になる。ときにはヘルメットを被り、建設現場にも足を運ぶ。

「華やかそうに見えるかもしれないけれど、黒子の仕事です。」と渡辺さん。

ただ、黒子だけど、完全に透明になるのは違うのだそうだ。

「人と人の間に立って、調整する能力はもちろん必要です。でも、そこに自分の思考が一本ないと、たんなる伝言係になってしまう。自分で考えて発想して筋道を立てていけないとだめだと思います。」

アーティストとは、対等な関係でものづくりを考える。お互い話のなかで生まれたものを引っ張りだしていく感じ。ときには、説得の度が過ぎて口論になることもある。でも、それも作品をつくる上で必要なこと。

「最初は、揺らされて揺らされて、悔いの残るような終わり方をしてしまうこともありました。でも、だんだん、自分のこうだ!と思った芯の部分がぶれないように、ちゃんと伝えて着地させられるようになってきました。」

一人前になるまで、どのくらいかかりますか?

「だいたい、3年で全体が見えてくると思います。というのも、ひとつのプロジェクトの計画から実現までは、だいたい3年ほど必要なんですね。ひと通り経験することで、見えるものがあると思います。」

「まだまだわたしも、3年スパンでいったら5回しかやっていないんですよね。だから飽きないんでしょうね。そんなことを言っているうちにおばあちゃんになれたら、幸せだと思います。」

ゼロから完成まで関わるから、じっくりと育てるように関わっていける。

「終わった瞬間に達成感を感じることもありますが、2年後にようやく感じることもあります。つくったものが、時を経てその場所にちゃんと馴染んでいるのを見ると、嬉しくなります。日常では起こりえないことを、アートを介して起こすことができるんですよね。それができたんだと実感できるときは、やっぱり嬉しいです。」

作家やクライアントから、『ここで作品を見てファンになったという方から連絡がきた』という報告をもらったこともある。こうやって見る人とつくる人がつながるのも、本当に嬉しいこと。

押し付けるわけではなく、何気なく、人の心の琴線に触れるような作品がある。そして、それをつくるためには、沢山の人たちの想いがあり、試行錯誤がある。

アートの力を信じ、その力を社会と人へ繋げていきたいと思えるような人に、来てほしいと思います。(2013/3/5 up ナナコ)