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「取材日はいつにしましょう。」「この日はどうですか?ちょうどその頃、見てほしい花があるんですよ。」そんなやりとりから取材日は決まりました。
三重県・桑名駅でNPO法人三重県自然環境保全センターの内山さんと合流した。
これから向かうのは、三重県北部、菰野町(こものちょう)にある御在所岳(ございしょだけ)。標高1212mの山だ。東海圏の人にとっては、山歩きの入り口とされる。
「この道が僕の通勤路です。満月の日は、太陽を背に、月を正面に見ながら帰宅するんですよ。」
田植えのはじまった街道を走りながら話をする。
内山さんは東京生まれ、高校までを練馬で過ごした。
「母の実家が三重なんです。子どもの頃、夏休みに帰省しては、いいところだなと思っていました。」
内山さんは大学進学を機に東京を離れた。静岡の大学へ進んだのち、東京の自然系財団法人に就職する。
「いつかは三重に住みたい。そう思いながら働いていたある日、ございしょ自然学校立上げの話が来たんです。」
ございしょ自然学校の前身は、1960年代にオープンした日本カモシカセンター。特別天然記念物のニホンカモシカをはじめとするカモシカ専門の民間動物園だった。
もともと御在所岳は愛知・大阪の奥座敷とされた場所。けれど、休みの過ごし方が多様化するなかで観光客が減少、2006年に閉園が決まった。
閉園すると、ある変化がまちに起きた。
「周辺地域のにぎわいが失われたんです。一施設としてはたしかに厳しい経営状況でしたが、菰野町という地域全体で見ると、様々なメリットがあることに気づいたようです。」
内山さんはNPO法人三重県自然環境保全センターを立上げ、ございしょ自然学校の運営を行うこととなった。
内山さんが移住を決めたのにはこうした思いがあった。
「住む人がいて、生活があっての自然だと思うんです。生態系の保全は、地域の元気な姿があってのもの。地域資源をいかしてお金を生み出し、地域の活性化につなげていきたいと考えました。」
立上げから7年。現在では職員は10名まで増えた。事業内容も自然学校にくわえて「三重県民の森」「観光情報ステーション0番線」の2施設を運営するようになった。
「現在は施設の維持管理で手一杯なところがあります。今後は菰野町を盛り上げる活動に取り組むために、仲間を募集します。切り口は色々とあると思うんですね。」
車が御在所岳のふもとである湯の山温泉に到着した。ここからは、ロープウエイで御在所岳の頂上にあるございしょ自然学校へ向かう。
「ロープウエイが通勤路です。僕はもう6年。毎日だとさすがに慣れてきましたが(笑)、同じ風景は2度ないんですね。季節、気候によって様々な表情があります。今はちょうどアカヤシオ(ツツジ)が一番きれいな時期。この花を見てほしかったんです。」
緑という一言では表しきれない木々の彩り。そのなかにアカヤシオが映える。
ロープウエイに乗っている時間はほんの15分ほど。その間に別世界に来たような気持ちになる。
頂上に到着してしばらく歩くと、ございしょ自然学校が見えてきた。
自然学校の内部に入る。施設はかつての動物園を転用したもの。
現在の主な運用方法は、土日祝日を中心に行われるイベントの企画運営だ。
年間を通して行われているのが、自然素材を材料にしたクラフト教室。
また、季節にあわせてさまざまな活動も行われる。
毎年夏には子どもたちがアカトンボを捕まえ、マーキングを行い、移動範囲を調査するアカトンボ教室を開催している。遠方は福井県でも発見されたのだという。
1mほどの雪が降る冬には、スノーシューでのトレッキングツアーも行う。
また、山登りやハイキングで訪れた人に向けて、展示も行うようになった。
動植物の標本や写真の展示をイメージしていたけれど、壁面に並んでいたのは山ガールのひと言掲示板、訪れた人たちを撮影して紹介するコラムなど。
「使い方に決まりはなくて。ここを御在所めぐりのホーム、人の交流の場にしていきたいんですよ。」
来館者はイベントに参加する親子連れやハイキング、山登りに来た人たちとさまざま。最近では山ガールも増えつつあるという。
これから働く人は、ございしょ自然学校の管理運営からイベント実施まで担っていくことが一つの仕事になる。
仕事内容は1から10まで決まっているわけではない。むしろこれからつくっていく部分が多い。
「今は特に知識はなくても、自然に関心を持っている人、自然を好きな人がいいですね。好きであれば覚えていけると思います。もちろん道しるべは示していきますが、将来的には自分の仕事をつくっていってほしいです。今すぐに思うような給料は払えないかもしれませんが、きちんと還元していきたいです。」
「僕は基本的にその人に任せていく。変に枠を設けると可能性が消えてしまうと思うんです。“資源を活用して地域を盛り上げる”ことを共有できていたら、きっと色々な可能性が見えてきます。」
内山さんはこれから働く人に伝えたいことがあるという。
「自然の仕事には、好きなことができればお金は二の次という雰囲気があると思います。でも、それでは長く続けていけませんよね。結婚して家族を養えるぐらいにはちゃんとお金も生んでいきたい。だから、きちんと事業感覚も持ちながらやっていきたいです。」
たとえば自然学校でのイベントは現在ほとんどが無料。十分に準備をしきれていないこともある。これからはきちんとお金をいただけるものにしていきたいし、実際にそれは可能だという。
自然と関わりながらの仕事だからこそ、働き方も柔軟なものにしていくそうだ。
「勤務時間に休日… きちんと仕事をやってくれれば、細かいところは任せていきたいです。現在のスタッフたちもそうしています。」
下山して、他の2施設も訪ねてみる。
センターが目指すのは菰野町の活性化。そのためにも、今後はさらに3施設の有機的な連携を深めていきたいと考えている。
はじめに訪ねたのは、観光情報の発信を手がけている「観光情報ステーション0番線」。御在所岳の電車最寄り駅である、湯の山温泉駅に隣接している。
ここではスタッフの山岡さんに話を聞いた。
どんな人に来てほしいですか?と聞くと、「一緒に楽しいことをやりましょう!」と話してくれた山岡さん。
菰野町に生まれ育ち、大学進学で離れたときに、地元のよさを再認識したという。
「自然がいいんですね。朝起きたら目の前に山が見えます。6月には、玄関を開けるとホタルが飛んでいるんですよ。」
プラントメーカーでシステム関係の仕事を経て、この4月から働きはじめた。
「住んではいたんですが、菰野町の役に立てる仕事がしたいと思ったんです。今は観光に力を入れているところですが、どうしても行政だけではスピードの遅い部分もあります。民間の力でも盛り上げていきたいですね。」
「まずは温泉街のPRからはじめていきたいです。温泉にある20の旅館をショートムービーで紹介しようと考えています。いることで、色々な人やことが結びついてくる。自然とアイデアが浮かんでくる場所だと思います。これから色々取り組んでいきたいですね。」
たとえば湯の山温泉にやってきた観光客を招いてのホタル鑑賞ツアーを開催したり。仕事の種はいたるところにあるのだと思う。
ちなみに山岡さんは現在育児をしながら働いている。そうした働き方もここではしやすいという。
「暮らす環境としても、いいと思います。子育てに関して言えば、自然体験を売りにする幼稚園がありますが、ここは生活が自然に直結しています。ごく普通のことなんですね。」
続いて訪ねたのは県営の自然公園「三重県民の森」。指定管理者となっている。
色々な樹木に草花、野鳥や虫のいる森を散策したり、植林や標本づくりといったイベントで訪れる人もいる。
この日は、翌日のイベント準備に追われるなかで話をうかがった。
桝田(ますだ)さんは菰野町の出身。種苗会社などで働いたのちに、県民の森で働くようになった。
現在は、木々の手入れからイベントの企画運営に事務、HPやfacebookでの情報発信まで。幅広い仕事に取り組み、飽きることのない毎日だという。
「わたしはもともと自然に関わる仕事がしたかったんです。今は働きながら自然のことをより深く学べて、自分が思っていた以上に楽しいことが多いです。本で見ていた植物や虫に直接触れる。イベントを通して人とも出会うことができます。」
自然の話をしているときの桝田さんは、ほんとうにうれしそうな表情だ。
以前の施設は維持管理が主な仕事だったけれど、桝田さんが加わったことで、情報発信にも力を入れるようになったという。
「好きなものはまず自分が知りたいし、自然と人にも伝えたくなります。」
最後に、名古屋駅に隣接するJR名古屋タカシマヤに向かった。
催事会場では、アウトドアウェアを紹介するイベント「Active style Festival」が開かれていた。
菰野町ではブースを出展、登山や菰野町に興味のある人の相談に乗っていた。
合間を見て、自然環境保全センターの理事長である森豊さんに話をうかがった。
森さんは愛知出身。日本カモシカセンターで30年間飼育員をしたのち、御在所ロープウエイに勤務する傍らNPOでの活動をはじめた。現在は理事長を務めており、菰野町の活性化を目指して様々な活動に取り組んでいる。
これから働く人とも一緒に活動をすることになる。
「僕は18でこのまちにやってきました。色々な人に、山に育ててもらったからなぁ。恩返しがしたいんです。人間施されたら施さにゃあ、そう思います。」
「人が嫌いだから自然の仕事に就く、ということではないと思います。人と付き合えないとカモシカとも付き合えません。むしろ、地域の人に色々教わったり、人とのつながりこそ自然の仕事の原点じゃないかな。」
最後に森さんはこう話してくれた。
「僕らは平均点の人間は目指していなくて。これから菰野町に来る人も、お互いの強みを活かしあい、補いあって地域を盛り上げていけたらいいね。」
自然のあり方には、国ごとの特色があります。日本では、人が関わることで自然が形成されてきました。
いま菰野町で生まれようとしているのは、自然を通して人と地域とつながっていく仕事。それはごく自然なことなのかもしれない、そう思います。(2013/5/29 はじめup)