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コンセプトを打ち立てたわけじゃない。もともとあったものを汲み上げた。だからここには、ここにしかないものがある。そんな宿で、お客さんを迎えもてなす接客スタッフ、調理スタッフを募集します。
瀬戸内海に浮かぶ小豆島へは、高松港から高速船で30分。
小豆島には6つの港があり、本州では神戸・岡山・姫路などからもフェリーが出ている。瀬戸内国際芸術祭の期間中は、直島はじめ他の島嶼部への臨時便もあるそうだ。
島には県道がくまなく巡っていて、どこにでも車で行けてしまう。病院もあれば、コンビニやスーパーもある。
生活には困らないけれど、自然との距離もすごく近い。
かもめの鳴き声がすぐそばで聞こえるし、丘の上にはオリーブ園が広がっている。空の向こうに、紅葉で有名な寒霞渓(かんかけい)も望める。
ご夫婦のお遍路さんがゆっくりと坂を登っていく。小豆島には、「小豆島八十八箇所」と呼ばれる88の霊場があり、巡拝者も多いそうだ。
人の暮らしと自然がいい関係だから、豊かな産業があるのだと思う。
小豆島には多数の半島と入江があり、上から見ると牛の体のような形をしている。
今回訪れるのは、ちょうどその牛の後ろ足の付け根にあたる場所。
そこは、「醤の郷(ひしおのさと)」として400年以上前から醤油の生産地として栄えてきた。今も醤油蔵が残り、小豆島の醤油づくりを伝え続けている。
マルキンという老舗のお醤油屋さんが、島宿真里(しまやどまり)への目印。
お醤油の香ばしい香りが漂う坂道を登っていくと、一軒の宿が見えてくる。
部屋数はたったの7つしかない。だからこそのこだわりが、ひと部屋ひと部屋に感じられる。
和とも洋とも言い切れないのだけれど、独特の趣がある。部屋に入ると、なんだか時の流れが違う。光も柔らかく感じる。
もともとお醤油屋さんだった頃の建物と離れの蔵は、国の登録有形文化財になっているそうだ。
ここで食事として出される「醤油会席」は、小豆島の醤を基につくった秘伝の自家製調味料で、瀬戸内海の山海の恵みを味わうことができるというもの。
美味しい食事と天然温泉。それから一つひとつ表情を変える客室。訪れる人のなかには、観光目的というよりも、ここに泊まるために小豆島に来る、という方も多いそうだ。
「チェックアウトの時間は11:00と遅めに設定しているのですが、それでもみなさん、いつもギリギリまでここで過ごされていくんですよ。」
そう教えてくれたのは、スタッフの中野さん。
中野さんは、8年前に岡山県から移住し、ここで働きはじめた。今はこれまでの接客の経験を生かして、他のスタッフを指導する立場にもなっている。
中野さんの実家は看板屋さん。幼い頃から絵を描くのが好きで、大学ではデザイナーを目指し勉強していたそうだ。
「どうして今、ここで宿の仲居さんをしているの?とよく聞かれるんです。でも、ここでやっていることは、すごくデザインに近いんですよね。」
「デザイナーを目指していたわたしが本当にやりたかったのは、デザインではなく、デザインを通して人にものを伝えることだったんです。今は、お客さんと接することで自分の気持ちを伝えられているので、そういう意味では、夢が叶っているんだな、と感じます。」
相手を目の前にして、自分自身を伝えるための媒体にする。
「お水をくださいって言われてから出すのは、誰でもできます。でも、水が欲しいと思ったときにすっと出てくるのが理想ですよね。たとえば、薬を持っている方がいたら、氷を抜いて常温の水にするとか、食後のデザートと一緒に持って行くとか。そんなふうに先回りして考える。」
「遠慮する方もいらっしゃるんですよ。そういう方をどれだけ我が儘にしてあげられるか。お客さんが心を開いてくれる瞬間が、嬉しいんですよね。」
何か形を生み出す仕事じゃない。でも、お客さんの心のなかには残る仕事。これだってデザインだと思う。
話を聞いたあと、宿のなかを案内してもらう。
「7つの部屋は、デザインだけではなく、中にある照明器具も全て違うんですよ。だから、スイッチの入れ方を覚えるだけでも大変です。」と中野さん。
部屋や廊下に飾られている挿し花も、全て毎日入れ替える。これは、基本的には店主の眞渡(まわたり)さんがしているのだけれど、たまに中野さんが手伝うこともある。
「うちは畑を持っているのですが、そこに花を摘みにいくんです。最初『ちょっと葉っぱとってきて』と頼まれたときはびっくりしました。葉っぱを摘みにいくのが仕事なんて、素敵じゃないですか?わたしはここにきて、花の種類に詳しくなりました。」
「こんな風に、仕事を楽しめるようになるまでは大変なこともあるかもしれません。でも、一通りできるようになってやっとここで楽しむための土台ができた瞬間に辞めてしまうのは、すごくもったいないことだと思います。」
外の世界に次を見出だす人もいるけれど、中野さんにとっての次はまだまだここに沢山ある。勤めて長いけれど、まだまだ全然、終わりが見えてこないそうだ。
それは、中野さんが、些細なことでも自分のものにできる人だからだと思う。たとえば、花を摘みにいくことを心から楽しむことができたり。
「わたし、欲があるんですよ。いつも、もっと知りたいし、もっと成長したいと思っているんです。だから、『ここまでで十分です』とすぐに満ち足りてしまう人よりも、『どんどん吸収したい!』という欲がある人の方がいいと思います。」
最後に、母屋にある囲炉裏のスペースに案内してもらった。そこには中野さんが漬けた果実酒が並んでいる。
夜はお客さんが集い語らう場になるというこの場所で、店主の眞渡さんに話を伺う。
眞渡さんは、宿を営んでいたお母さんを継ぎ、25年かけて少しずつ、建物のリニューアルを重ねてきた。
「いいものやろうと思ったら、なんでもできちゃうんですよ。それに、そういうのは何でも集まる都市の方が長けている。ここに大間のマグロがあっても、東京の人は喜んでくれませんよね。お客さんは、ここにしかないものじゃなかったら納得してくれんですから。」
ここにしかないもの。それは、ここで生まれ育った眞渡さんが一番よく知っている。
「僕はまさに、今話をしているこの母屋で生まれ育ちました。父親を早くに亡くし、母はここで宿をやりながら女手ひとつで僕を育ててくれました。ボロボロの小さな宿でしたから、ふすま1枚隔てたところにはいつもお客さんがいた。僕はよく、お客さんに面倒をみてもらっていたんですよ。」
高校卒業後は、小豆島を出て調理の専門学校へ。その後飲食店の調理場で6年修行を積み、26歳のときに小豆島へ帰ってくる。
いきなり宿をはじめたのではなく、最初の4年間は仕出し屋を営み、週末を利用して宿泊サービスなどを試みた。
次第に、ここにやってきた建築家やデザイナーたちと意気投合し、一緒になって「いつかこんな宿屋を開きたい」というイメージを膨らませていった。
眞渡さんが生まれ育ったこの場所には、醤油造りの伝統があり、母屋と蔵があった。山からの恵みも海の幸も、すぐそばにあった。
「ここにしかないもの」がここには沢山あったから、わざわざどこかからコンセプトを持ってくる必要なんてなかった。
眞渡さんの役目は、外から来た人にそれを感じてもらうための最適な方法を、考え続けていくこと。
今、自家製調味料の商品化や新しい宿を建てる計画なども進めているところ。でも、そういう大きな計画だけが全てじゃない。
たとえば食事の器を変えるとか、挿し花の位置を変えるとか、そういう細かいアップデートを、日々繰り返している。
オープンした時は30代が主なお客さんの年齢層だった。10年かけて倍の60代がメインになってきた。色々見てきて目の肥えた人たちに「やっぱりここだよね」と認めてもらえる宿になってきた。
でも、眞渡さんはまだまだ満足しない。話を聞いていると、中野さんが「終わりがない」と言っていた理由がよく分かるような気がする。
ただ、いくら眞渡さんの考え方や生み出すデザインに共感していても、日々の仕事はあくまでも宿の仕事。お客さんと接するだけが仕事じゃないから、見えない大変さも沢山あると思う。
最後に、新卒で真里に入社し、今年2年目になる長尾さんにも話をきいてみた。
長尾さんの出身は高松市。大学では観光系の学科でツーリズムを学び、就職活動のときに大学の教授からの紹介で真里のことを知る。
学生最後の夏休みは、2週間アルバイトとして真里の仕事を体験した。その後、決意を固め就職する。
「本当に体力仕事なんですよね。仕事が終われば、あとは寝るのみという感じです。悩んだこともあって辞めようかと思ったこともありました。」
「でも、中途半端なこと言いました、と取り下げてもらいました。将来、自分の旅館を持ちたいという夢があるんです。今は、その夢のために頑張っていこうと思っています。」
建物にしてもインテリアにしても食事にしても、そういうお客さんの1日をつくるひとつひとつのものが、どう生み出されているのか。今はそれを、実践で勉強する期間と決めているそうだ。
将来、宿の店主になるかもしれない長尾さんに、新しくスタッフとして入る方に対してなにか一言、とお願いしてみる。すると、こんなことを話してくれた。
「サービス業ですから、どんなに大変なときでも、お客さんに笑顔を見せることはできると思うんです。でも、もう1つ大切なのは、隣で一緒に働く人を思いやることだと思うんですね。」
「僕は音楽をやっているのですが、音楽って1人ではできないんです。明日もし誰かがいなくなったら、もう今と同じ曲を演奏することができなくなってしまう。宿の仕事も同じだと思います。その人と笑えること、一緒に苦しめること。そういうありがたさを感じながら、お互いに働けたらいいですね。」
ここにしかないもの。感じ方はそれぞれだと思うけれど、自分がこの島で感じたものを汲み上げて大切にできたなら、きっとここで成長しながら働いていけると思います。(2013/6/28 ナナコup)