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一つのまちには実にたくさんの人が暮らしている。メディアで大きく取り上げられることはないけれど、毎朝歩道を掃除している人だったり、珈琲屋を営みながら地域の子どもたちに関わる活動をしていたり。
ついつい、メディアに取り上げられる人ばかりに目がいきがちだけれど、実はそうした名前もない人たちの存在が、まちににぎわいを生み、よいまちをつくっていくのだと思う。
一方で、そのまちの将来像は有識者、という誰かによって知らず知らずの間にデザインされることも少なくない。
そうしてつくり出され、ぽん、と与えられた将来像は決して悪いものばかりではないけれど。
どこか自分との距離を感じる。良し悪し以前に、将来像をつくるプロセスへの関わりが欠けているのだと思う。
まちに暮らす人が自ら未来図を描く。そうした仕組みづくりを地道に行っているのが、株式会社エコエナジーラボです。
東日本大震災からの復興に取り組むいま、新たに人を募集します。
上野からスカイツリーラインに乗って15分ほど。梅島駅から住宅街に進むと、エコエナジーラボのオフィスが見えてきた。
ここはもともとの町工場をリノベーションした建物。すぐ向かいは公園で開けており、とても気持ちがいい。

「自分たちでエコ改修の設計をしたんですよ。蓄熱・畜冷をすることで熱効率に優れたエコオフィスなんです。」
善養寺さんはもともと一級建築士事務所を構え、環境に配慮した暮らしを実践するエコハウスの設計を中心に手がけていた。
その後、環境により大きな影響を与えるため、まちづくり、そして社会システムづくりへと軸足を移してきた。
現在手がけている仕事の多くは、環境省をはじめとする中央官庁がクライアントだ。
その仕事は大きく2つに分けられる。
まず、地域住民を巻き込んだまちづくりのための、話し合いの場づくり。そして省庁に対して提言を行い、政策を実現していく仕事。
学校のエコ改修から、エコタウンづくりに復興支援… さまざまな事業に取り組むエコエナジーラボだけれど、共通して大事にしていることがある。
それは、人を肩書きではなく、思いで見るということ。
たとえば、まちづくりにおいては次のようなことを心がけている。
「これまでまちづくりは行政主導で進められてきました。関わる地域の人も町会長に、PTA会長といった役職持ちの人たちに限られて。住民からすると、まちの未来図は与えられるもので。でも、それってどこか他人事というか。愛着が持てないし受け入れられなかったりしますよね。」

そのために善養寺さんは、すべての人がプロセスからまちづくりに関われる仕組みづくりを提供していく。
「差別なく誰もが参加できる場を設け、そこで上がってきた声から一緒につくっていく。わたしたちの仕事なんです。」
差別なく、という言葉を口にしたとき、善養寺さんの表情が少し変わった。
「 ほんとうは現場で見ている普通の人たちこそ、何が課題で、改善したらよいかわかっている。けれど、ただの一住民だから。機会が与えられないんです。」
「どうして子どもの通う学校はこうなの?どうしてこういうまちなの?普通に生活をしていて、おかしいと思いながらも、飲み込んでしまうときってあると思う。そういうことが疑問でしかなくて。わたしはどうしてもあきらめきれない。人間の個の感情を何よりも大事にしていきたいんです。」
善養寺さんは、ある出来事がきっかけとなり、疑問に声をあげる機会を持つようになった。
「与えられたなら、他の人にも機会をつくっていきたいと思って。それで、仕組みづくりに取り組むようになったんです。」
2003年に環境省へ政策提言し、「学校エコ改修と環境教育事業」のサポート本部を8年間担当し、全国20ヶ所、約1万人の人達と地域住民参加型のエコスクールづくりに取り組んだ。
そして、東日本大震災が起きた後、善養寺さんは復興に携わるようになった。
昨年取り組んだのが、福島第一原発のある福島県・双葉町の復興まちづくり「7000人の復興会議」だ。
「自分の復興は自分の意思で決めたいですよね。」
善養寺さんは、各地でワークショップを開催するとともに、全国に点在する人達がコミュニケーションできるように「双葉町みんなでまちづくり」の専用サイトを開設した。
また、7000人の町民一人一人に日記帳形式のノートを渡すことで、行政に対して全員が意見を言う機会をつくり、自分たちの意志による復興まちづくりを実現するためのツールの提供を行った。

それが復興庁との「官民連携支援のプラットフォームづくり」と、「ツインコンテストの開催 」だ。
官民連携支援のプラットフォームとは、民間企業から被災地で支援活動を行う中間支援組織、産学連携を行う大学、さらには行政まで多様な主体の支援者が集う場のこと。
そこへ、2006年から続く環境ビジネスコンテストの「eco japan cup」のコンテンツを活用して、復興のための「RIVIVE JAPAN CUP」とのツインコンテストを開催し、環境や復興に関連する事業や取り組みをの情報を収集する。
ビジネスコンテストで選ばれた提案者には、プラットフォームに参加する多様な支援者が、活動資金や事業提携などの多様な支援の形を生み出していく。そんな姿を目指している。
eco japan cupは、2006年に環境省の政策事業としてはじまったものを、2007年に善養寺さんが政策モデルのつくり直しを行い、7年間かけて発展させてきた事業。

「ビジネスコンテストはどうしても受賞が目的になってしまうんですが、わたしたちはプランが事業化したり、事業が発展していくことが何よりも大事と考えています。」
これまでeco japan cupに参加した人からは高い満足を得ているそう。
そこには、人的なサポートの存在が大きい。
「2次審査と称して、中小企業診断士に経営コンサルタント、産学連携を手がける大学といった人たちが、事業発展のための企画会議を行います。各分野の第一線で動いている人たちが、それぞれの立場からアドバイスをくれるんですね。」
一つの製品に対しても、ブランディングからアドバイスをする人もいれば、流通の見直しを伝える人もいる。
そうした意見をどう活かすかは、その人次第。
もう一つ、コンテストの特徴と言えるのが、偶然のマッチングだ。
審査員のつながりによって、人を紹介してもらうこともあれば、製品の展示会にお誘いをいただくこともある。ときにはスポンサー企業からCSR事業として仕事の依頼をいただく場合も。

事業者の熱や思いに影響を受けた審査員やスポンサーが、「僕がこういうことをすればこの人は喜ぶかな」と自らの意志で行っているそう。
「どこに何が転がっているかわからないんですね。思いが人と人をつなぐ場なんです。」
今回は、その仕組みを復興に活かしていく。
そこで、事務局としてコンテストにプラットフォームづくりを進める人を募集する。
「東北がこれから復興に向けて、どんな未来図を描いていくのか。東北に暮らす人や支援に関わっている人が、被災地で何を言っても届かないのが、一つの現実です。わたしたちは、被災地の実状を霞ヶ関に届ける。いや、政策としてどう実現させるかを考えていく。そういう仕事です。」
向かいたい先は見えているけれど、どうすればたどり着けるのかわからない。そこで一歩一歩道を切り開いていくことになるのだろう。
「日々の仕事はとても地味な、裏方の仕事が多いです。コンテストに関しては応募者の資料を読み上げ、専門家やゲストのコーディネートに当日対応。コツコツこなしていく一方で、ときには臨機応変に対応していくことが求められるんです。」

日ごろ生活するなかで矛盾を感じることはあるけれど、そこに向かっていくことは、とてもエネルギーのいることだと思うから。
そう伝えると、善養寺さんは少し置いてからこう話してくれた。
「うん。楽な仕事ではないよね。求められるものは高いし、わたしは扱いにくい上司かもしれない(笑)。でも、ダイレクトにまちづくりに復興、政策へ反映できるんですよ。矛盾に正面から向き合って、変えていける場所が他にあるの?って思う。一人一人の声から描かれる未来図。そのためのプロセスを一緒につくっていきたいんです。」
ここで、善養寺さんと一緒に働く高柳さんにも話を聞いてみる。
「大変ですけど、わたしは楽しめているんですよね。人、の部分が大きいと思うんです。」

そして、こんなことを言われるのだそう。
「『お前さんのところはほんとうに人使いが荒くてなぁ。で、次は何しようか?』って(笑)。こちらのお願いを断られたことがないんです。」
大切な軸を共有していて、何かがあると集まって一緒に動きはじめる。そんな関係性がある。
だから、これから働く人も、会社にやってくるというよりは一つの輪に加わるようなイメージかもしれない。
「そう、輪に入って、その人たちと動く感じかな。」
「一つの事業を経たときに、いろいろな人と出会って、思いを共有できる仲間も増えて、自分自身が変わっている。その前とは違う景色がきっと見えています。」
そう話す高柳さんの目の前には、何かが広がっているように感じます。一人一人の声から描かれる未来図。それはきっとあなただからできる仕事なのだと思います。(2013/10/03 大越はじめup)