求人 NEW

日光の自然が育む氷

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

見る、描く、叶う、叶える… 色々な表現のある「夢」。普段あまり使わない言葉かもしれない。

けれど、もっと身近なものかな、と思います。

夢を描き、遊ぶように仕事をしながら叶えていく大人たちと出会いました。

40になっても、60になっても子どものように目を輝かせて。

「たとえば、川向こうに行きたいけれど、橋が通行止めになっていたとするでしょう?それなら、船をつくって川を越えちゃえばいいじゃん。」

もちろん、楽なことばかりではないけれど。楽しみながら進んでいくんだろう。

日光はこれからとても面白くなると思う。とっておきの場所を紹介します。

10月の中旬。東京から電車に乗って2時間ちょうどで、日光に到着した。

紅葉を楽しみにきた観光客でにぎわう駅前から、車を走らせ10分ほどで、チロリン村が見えてきた。

1 霧降高原に位置するチロリン村は、自然の中でさまざまな遊びができる場所だ。

山を開拓して村をつくったのが、山本雄一郎さん。

この場所をベースキャンプに、日光で遊ぶように仕事をする人を募集します。

まずは、チロリン村をはじめるまでの話を聞いていく。

かつては車のレーサーを目指していたそう。生まれ育った日光の山に入り、チロリン村をはじめたのは24歳のとき。

「自分の進む道はどうやら違う、と思ったんだね。それで、日光に楽しい場所をつくり、人がやってくるようにしたい。そう決めたんだ。」

2 テーマは自然のなかでの遊び。まずは自分があったらいいな、と思うことを一つ一つかたちにしてチロリン村を営んできた。

そして56歳で天然氷づくりをはじめる。4代目徳次郎を襲名していまに至る。

天然氷は、森から引いた水を池に張り、冬の寒さで凍らせてつくられる。そしておがくずをかけて夏まで保存されるというもの。

起源は、記録に残るだけでも平安時代まで遡る。

かつては家庭用にも用いられてきた。昭和30年代に家庭で氷をつくれるようになると、天然氷屋は減ってきた。現在は全国で5軒が営まれている。

その1つがチロリン村の仕入れ元、氷屋徳次郎だった。

氷づくりをはじめたきっかけをたずねてみる。

ある日、当時70歳の3代目から廃業の話を聞かされた。

設備が老朽化し、後継者もいないなかでの決断だった。

「最初はよそから買えばいいと思ったんだ。それぐらいに天然氷が当たり前の土地だったんだね。けれど、あらためて話を聞けば聞くほど、これは日光の文化だ、すばらしい食文化だと思うようになった。」

3 「はじめは自分たちが手伝うことで残していけたらと思ったんだ。けれど、何度通っても先代は首を縦に振らない。それならば自分がやるしかないのかな。」

そうして1年間の修行を経て、4代目徳次郎を受け継ぐ。今年で7年になる。

天然氷づくりには、これまで数百年に渡り積み重ねられてきた、いわば自然との作法がある。

「紅葉が終わって、最後の葉が落ちると氷づくりのはじまり。氷池に森の水を引いて波立たせておくんです。そして、最高の寒波を待つ。0℃以下になれば一応氷は張るけれども。日本一堅くていい氷は、マイナス6、7℃度でじっくりじっくり冷え込むことでつくられていくんだ。」

どうやって寒波を見わけるんですか?

「日光連山は雲の流れでわかるのね。夕方になると、空を見るんだね。山の稜線が近くに見えるときはダメ。飛行機雲は湿気があるからで翌日は天気が崩れる。いい寒波が来るのは、なんの瀬もなく、雲が銀に光るとき。氷池の波を止めます。」

4 朝になると氷の張り具合を見に行く。

氷が15cmの厚さになるまでには、約2週間がかかる。この間も、毎日氷上をきれいに磨き、思うような冷えが来ないときには氷を砕き、再び水を張り直すという。

氷が完成すると、のこぎりで切り出し、氷室(ひむろ)へと運ばれていく。

氷室では、積み上げた氷の上からおがくずをかけて保存する。

手作業で進められる一つ一つの工程にも理由があるという。

「油を嫌うんだね。だから、チェーンソーは使うことができない。それから、おがくずには、溶け出す水分を吸いとり、空気中に蒸発させることで熱を逃す作用がある。日光杉のものでないとダメなんだ。松ではヤニが出て、氷に油がついてしまうからね。」

5 自然にあるものを活かす工程は数百年前と変わらないそう。

徳次郎さんが受け継いだことは、氷をつくる作業だけでない。その背景にある日光で脈々と続いてきた自然と人との関わり方なのだと感じる。

文化を受け継ぐ一方で、新しいことにも取り組んでいる。

氷を切り出す工程は、氷点下のなかで重たい氷を運ぶ。黙々と一人でやるには、とてもしんどそうな作業。

そう思っていると、息子の仁一郎(じんいちろう)さんがこう話してくれた。

いい兄貴分といった雰囲気の仁一郎さんは、一度東京に出て10年ほど飲食の修行をして日光へ戻ってきた。

6 「そう、大変な作業なんだよね。それなら楽しくしちゃえ、と思って、みんなでやるようにしたんです。」

みんな?

「最初の年は、マスコミに取り上げられたこともあって、地元の人が大勢やって来たんです。カメラを構えて撮影しようとしてる人を呼びとめて、『一緒にやろう』って。」

「そうしたら面白いんですね。次第に仲間が増えていきました。北は北海道から南は沖縄。全国からこの日になると人がやってくるんです。会社勤めの人もいれば、山岳ガイドも、登山家… それから、お客さんとも一緒にやるんです。」

お客さんとですか?

「そう。うちの氷を使っているカフェや飲食店の人ですね。」

その1人、日光珈琲の風間さんは、切り出しの様子をこんな風に話したとか。

「年が明けると、ああ今年もやってきたな、って思う。寒いなか、みんなで切り出していくんだよね。車を降りて、最初は寒いんだけど、みんなで切り出しをはじめると暑くなってくる。氷室のなかではもうみんな半袖で。音楽をかけながら、わいわいしゃべりながらやっているわけ。」

7. 今年1月には、切り出しに広報… 合わせて50人もの応援隊が集まったそう。加えて、マスメディアの取材に国内外の観光客でごった返したという。

そうしてつくられた天然氷は、ドリンクに用いると固くて溶けにくい上に、味がまろやかになる。

また天然氷をきっかけに、日光にもっとたくさんの人に訪れてほしいという思いから、チロリン村や市内の飲食店で、かき氷の提供をはじめた。

いまでは、かき氷を目当てに全国から人が日光にやってくるようになり、夏場にはオープン前から行列ができるほど。

かき氷に行列?と思ったけれど、僕も実際にいただいて合点がいった。

目の前に現れたのは、これまで食べてきたかき氷とはまったくの別物。はじめはなにが運ばれてきたのかわからずキョトン、としてしまった。

7 見た目に美しく、食べると新雪のように口溶ける。

氷のかき方にもこだわりが見える。再び徳次郎さんに聞いてみる。

「氷の温度は−2℃。温まってきたら、冷凍庫で冷やして再びかいていきます。お客さんの行列を思うとついつい急ぎたくなるけれど焦らず。目の前のお客さんを思って、手を抜かず。ていねいに、ていねいに。一杯一杯つくっていくんだね。」

冬の寒さのなかでつくられ、氷室で春を越えて夏に届く。そしてかき氷となり、外気に触れるとあっという間に溶けていく。

そこには何か大きなものを感じる。

「先代に言われたのが、冬の陽気を夏に届けるということ。冬季は人間本意で考えると、寒くてお客さんも来ないでやんなっちゃうね、となる。でも、実はこの寒さが日光の資産なのよ。氷は、日光の自然を届けているんだよね。」

8 日光での仕事は自然に合わせたもの。一年中同じ仕事をするのではなく、季節に応じて様々な仕事をしていくことになる。

これから働く人も、冬には氷づくりを行い、夏にはかき氷をかいていく。

加えて、自分でも仕事をつくっていってほしいと言う。

「仕事って、遊びながらやるからいいものが生まれてくるんだよね。はじめは軽いノリでいいんだ。みんながやりもしないようなことを、どんどん考えて、そして実現していってほしい。」

「夢を持っている人がいい。みんな、自分には何かがあると思うんだ。どれだけ計画を綿密に立ててもできないから、人に言う。そして実現に向けて踏み出せたらいいよね。夢って、どこでも描けると思う。」

徳次郎さんと仁一郎さんを見ていて感じたのは、親子というよりもそれぞれが
日光でやりたいことに夢中になっている姿。

今回の求人も、日光で自分の夢を描いて、実現していく仲間探しなんだろうな。自然を活かして何かしたい人にはよい機会だと思う。

現にこの場所ではさまざまなことがはじまっている。

今年から取り組んでいるのが、メープルシロップづくり。

これは、日光に原生する天然のイタヤカエデから冬に樹液を採取して、煮詰めてつくるもの。

「カエデはジャマもの扱いされて、江戸時代に日本中で伐採されてしまった。そして成長が早く、家づくりや薪に用いられる杉・ひのきが植林されていった。けれど日光には残っていたんだね。」

さらに今後はメープルの森づくりを考えている。

9 「林業が成り立たず、荒れてきた山を間伐して、さまざまな木を植林していこうと思っている。それは、氷づくりにもつながってくるんだ。」

森づくりが氷づくりに?

「氷のもとは森から引いた水です。雨が降ると山肌に水がしみ込み、時間を経て水となるんだね。いま氷づくりに用いられる水も何十年前のもの、ということ。」

「杉・ひのきと植生がかたよった森ではうまく保水ができず、みんな流れていってしまう。だからいま森をつくることは、自分の子や孫、何十年先の水をつくることなんだね。」

この後もアイデアは尽きない様子。はじめはただの景色にしか見えなかった辺りの自然が、遊び場に見えてくる。

東京から2時間のアクセスで世界遺産もある。そんな日光は、持っているポテンシャルを活かしきれていないように感じる。

「一緒にやっていても楽しいんじゃないかな。仕事を通して実現していく。そういう遊び方を習得できたら面白いんじゃないかな?一緒にやっていきたいね。」

10 現場を見て体で感じることがたくさんありました。

あなたも何かを感じたら、まずは一歩踏み出してみてはどうでしょうか。

自然を活かして自分が生きる。そんな毎日が、ここにはあると思います。(2013/12/13 大越はじめup)