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一見ただの野原に見える場所にも、あらゆる草花や生き物たちが生きている。ひとりだったら通り過ぎてしまう道も、子どもたちと一緒に歩けば、一歩一歩発見に満ちている。
武蔵野台地のほぼ中央、狭山丘陵の麓の豊かな自然に囲まれた東京都東村山市。
このまちに、四季折々の外遊びを通して学んでいく「空飛ぶ三輪車」という保育園があります。

ここで、これからの園を一緒につくっていく、保育スタッフと事務局スタッフを募集します。
保育士の資格はいりません。それよりも、子どもと一緒に遊ぶことを楽しめたり、知らないものを知ろうとする好奇心がある人、太陽や土や生き物に近いことを日々の仕事にしたい人。
そんな人なら、ここで働くことを楽しめると思います。
まずは、「空飛ぶ三輪車」の日常がどんなものなのか、知ってみてください。

少し早起きして、東京都新宿と埼玉県本川越をむすぶ「西武新宿線」に乗り込む。
窓の外を眺めていると、だんだん空が広くなってきた。新宿のビル群から30分ほどで、東村山駅に到着する。
ここから車で、商店街を抜けて5分ほどの場所にある「空飛ぶ三輪車」へと向かう。
東村山市は、いわゆる東京郊外のベッドタウン。都心で働く人々の暮らしの場になっている。
実は、わたしは2年前まで、家族と一緒に東村山市の隣町に住んでいた。だから東村山市は、よく自転車に乗って遊びにきていた馴染みのあるまち。
今は都心でひとり暮らしをしているのだけれど、一度離れてみると、あらためて驚く。都心からそう離れていない場所に、こんなに豊かな自然があるなんて。

静かな湖畔があり、木の実がとれる雑木林があり、自然を生かした公園がある。子どもが遊ぶには、もってこいの場所。
この豊かな自然を求めて、「空飛ぶ三輪車」が東村山市に開設されたのは、1981年のこと。
自然をキャンパスにした独自の保育は、だんだん口コミで広がっていき、今では子どもを通わせたいという問い合わせが遠方からも沢山くるそうだ。

園舎の屋根からは、種から育てたという大きなひょうたんがいくつも吊るされていて、地面の隅っこのほうでは枯れ葉に包まれた亀が寝ている。子どもたち曰く、この亀は冬眠中なのだそうだ。
園庭の鶏小屋では、生まれたての卵を2つ発見。それを子どもが袋に入れて、給食をつくっているキッチンへ届ける。
園の畑で採れた野菜と一緒に、今日のご飯かおやつにこの卵が使われるのかもしれない。

そんな話をしてくれたのは、「空飛ぶ三輪車」の園長、土屋さん。
熱さのなかにも穏やかさがあり、笑うととても柔らかい。子どもたちには「つっちー」と呼ばれ親しまれている。

卵は鶏から生まれるということを、あとから知識として知ることはいくらでもできる。でも、鶏が卵を生む瞬間を見ていることのほうが、どれほどすごいことか。
知るよりも先に体験してしまうことの強さ。子どもたちは、世界のなりたちを当たり前に理解していく。

土屋さん自身は、長野の大自然のなかで生まれ育った。川で魚やエビを釣って食べたり、植物や昆虫を採集したり、とにかく外で遊ぶのが大好きな少年だった。
大学入学を機に東京にやってきて、結婚し子どもができたことをきっかけに、郊外のこの辺りに引っ越してきた。
そこで出会ったのが、この素晴らしい自然環境だった。
当時の仕事は、保健所の三歳児検診の心理判定員。子どもに心理的・知的発達の問題がないかどうか調べる仕事だった。
色々な保育園を視察するなかで、部屋のなかで大人数の子どもを1人の先生がずっと見ているという状況を、何度も見かけた。

大きい子も小さい子も、障がいがある子もない子もみんな一緒に、日々たっぷり遊んでご飯を食べて、満ち足りて眠るような保育があったらいいのに。
土屋さんのなかで、だんだんそうした想いが膨らんできた。
そこで、最初にはじめたのは「共同保育所」。これは、自分たちの子どもは自分たちの手で育てよう、という親たちの手によって生まれた保育のかたち。土屋さんの考えに共感するお父さん、お母さんたちが集まった。

空飛ぶ三輪車は、こんな歴史を経て今に至る。
さて、今日はとても天気がいいけれど、みんなどこへ行くのだろう?
三輪車の一期生でもあり、今は事務局スタッフとして働いている麻衣さんが、大きな地図を持ってきて見せてくれた。

最初は、こんなに沢山の遊びがあったわけじゃなかった。みんなでバンに乗って町を走りながら、少しずつ自分たちの遊び場を開拓してきた。この地図には、園の歴史が詰まっている。
「今日は、『自然の八百屋』というところに行きます。」
自然の八百屋?
「30年前の園児がつけた名前なんですけど、自然のものが八百屋のようにいっぱいあるからって。」
春は、ノビルやカンゾウ、セリをとって天ぷらにしたり、ヨモギ団子をつくってみんなで食べた。スカンポはすっぱいけどそのまま食べる。今日は、みんなで”むかご”という山芋の球芽をとりにいく。

あっちではカマキリの卵を見つけ、こっちでは「カラスウリ発見!」と声がする。
草花を身につけて”森のオバケ”になっている子もいれば、木を編んで実で飾ってリースをつくっている子もいる。

みんなに「けいたくーん!」と呼ばれているのは、ここに勤めて2年になる保育者の啓太くん。
原っぱで休憩中に、話を聞いてみた。

どうしてここで働くことになったんだろう。
「今小学4年生の僕の妹が三輪車に入ったことをきっかけに、僕も関わるようになりました。短期のアルバイトとして夏場の遊びを手伝ったりとか。そのうちに、ここで働きたいと思うようになりました。」
それまでは、倉庫整備や飲食店など、さまざまな仕事を経験してきたそうだ。
「でも僕、小さい頃から、晴耕雨読の生活がいいな、と思っていたんです。この仕事は、晴れたら外で遊んで雨だったら部屋で遊んでって、天気に左右されるじゃないですか。なかなか天気に影響されない仕事のほうが多いなかで、そういうところがいいな、と感じて。」

「最初は、一生懸命接してもうまくいかなくて、子どもも僕もお互いに泣いたりしていました。どうしよ〜って。」
意固地に、こうしなきゃいけない!と頑張ってしまっていた。だけど、お互い人間同士。相手も自分も調子が悪いときだってある。
そういうときは無理しないで、ゆっくりと向き合っていけばいい。だんだん、肩の力が抜けてきた。
「最初の頃、園長の土屋さんに、『子どもと接するときの声が高い』って注意されて。最初は意味が分からなかったのですが、今はよく分かります。今ではときどき、自然体過ぎて怒られることもあるくらいです(笑)」
園に戻り、給食を食べてお腹いっぱいになると、お昼寝の時間。みんなが寝てしまうと、すっかり静かになった。
収穫したトマトを分類していた麻衣さんにも、話を伺ってみる。

「毎日外で遊んで、畑でとれたものを食べて。三輪車の子たちは、幸せだと思うんです。でも、それを他の園の子たちはきっとそんなにたくさんは味わえていない。施設の中だけで保育をするしかないという社会の仕組みや状況はまだまだあって、うちのような保育はなかなか成立しないんです。三輪車のやり方をどうやって確立していくか、それから、もっと多くの方に知っていただくためにはどうしたらいいか、考えています。」

麻衣さんは、ここで働く人として、どんな人に来てほしいと思いますか?
「好奇心旺盛で、子どもたちの置かれている現状に疑問をもっている人かな。たとえば、『こういうことやったら面白いですよね』と提案してもらえたら、それができてしまうコミュニティやネットワーク、下地がここにはあるので。」
「広々とした公園や畑、田んぼをどうやって残していくかというのも大事な問題です。これから先も緑のある風景の中で子どもたちが遊べるように、何かできないかな?と考えています。これからの三輪車を、一緒につくっていけるような人にきてほしいと思います。」

でも、それは裏を返せば、大人数をひとりで相手するような流れ作業的な仕事ではないということ。
「他の園からきた保育者は、ここへきて、『わたし遊んでいるだけなんですけど、いいんですか?』と言うんです。給料だったら他の園には敵わないけれど、うちは大事にしているものが違うんです。」

三輪車が続けてきた保育の良いところはそのまま引き継ぎながら、アイデアをかけあわせて、これからの三輪車を一緒につくっていける人を求めています。
ぜひいちど、麻衣さんや園長の土屋さん、三輪車のみなさんと話してみてほしいです。移住するとなれば、そうした相談にも乗ってくれるそうですよ。
