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「仕事にはCANとWANTとMUSTがあると言います。何ができるか、何をしたいか、そして何をしなくてはいけないのか。僕らのような地域活性化の仕事って、CANとWANTを重視しすぎることがある。でも一番重要なのはMUSTで、どれだけそれを意識できるかが、CANとWANTの機会になっていく。」こう話すのは合同会社五穀豊穣の西居さん。
「農」や「食」をテーマにした地域活性化の仕事をしている。たとえば、地域の食ブランドをつくることや、学校給食の改善、温泉街での地産地消など、農林水産省と一緒に仕事をすることもある。
西居さんが話すように、たしかに地域の仕事は夢見がちになるのかもしれない。想いやビジョンも大切だけれど、しっかりと事業として成立させることも求められていること。
そのためには単なるアイディアではなくて、しっかりとした商売にする。そうすることで、プロジェクトは持続可能なものになっていく。
西居さんはだんじりと商人の街、大阪府・堺市出身。商売センスは小さなころから磨かれていたようだ。
「父は20代後半からリフォームの仕事を創業して、ずっと子供の頃から、『自分で考えろ』『自分でやり遂げろ』『やったことを振り返れ』と、本当に経営者的哲学を教育に入れてもらっていました。」
小学校4年生の時には「4年からお小遣いやらん。お年玉を使って1年間やり遂げろ。」と言われた。もらえるお年玉は多くても2、3万円程度。どうしたら1年間楽しく暮らすことができるか、知恵をしぼった。
「大阪っていうのは地域ごとにたこ焼き屋があるんですけど、家のまわりにはなかった。たこ焼きをやるのは大変なので、たこせんを2つに割って、ソースを塗って、かつお節と青のりをふって、サンドにして売ることにしました。原価10円のものを50円で売った。はじめは父や母などに買ってもらったのですが、レモネードスタンドみたいなもので、家の前でも売ったら近所の方や友達が買ってくれた。」
父からは「言葉」だけじゃなく、「背中」から学ぶことも多かった。
「昔から、父が仕事を自らつくり出して、お金を現金でお母さんに渡すところを見ている。そのお金はすごく貴重なもので、色々なものに変えられる。それを自分でつくり出すのってかっこいいなと小学校のときから思っていた。お客さんからの『ありがとう』も近くで見ていたんです。」
お金を得ることで生まれる一時的な喜びよりも、自分で稼ぎだす喜びの方が大きかった。
大学生のとき、あらためて商売をしっかりとやってみようと考える。まずは1年生のときにあらゆるアルバイトをはじめる。ただ、アルバイトではできない仕事もあった。だからバーテンダーになって、いろいろなお客さんに商売について聞くことにした。
働いているとバーの経営に疑問を感じることもあった。改善の提案をしてみたけれど、受け入れてもらえなかったので、自分でバーをやってみよう!ということになった。
「当時持っていたお金が7万円しかなくて。当然お店は借りられない。じゃあ路上で売ろうと。そしたら何もかからないと思って。」
友達のおじいちゃんが乗れなくなった軽トラックを借りた。それにやぐらを組んで大きなスピーカーを積んで、路上でお酒を売りはじめる。
「わたしを入れて9人仲間が集まって、計15万円の資金ができた。1日目が98,600円、2日目が86,900円の売り上げで、2日合わせて15万超えた。あとは利益だけ、という形になったんです。」
商売がうまくいった要因のひとつに、商品の仕入れがあった。
集めたのは輸送途中でラベルが剥がれてしまったようなボトル型の飲料など。こういったものは問屋さんのファミリーセールで販売しているそうなのだけれど、ビールや焼酎、日本酒は売れても、ボトル飲料は売れ残ってしまう。そういったものを1本10円で仕入れる。大阪中のボトル系飲料を集めた。
「1本10円で仕入れたものを、350円で売ったから340円の利益ですね。電気代も水道代もかからないし、けっこう利益をあげた。でもキャデラックを買ったり無駄遣いが多くなって、最終的にはインよりアウトの方が多くなった。」
「あと季節商売なんですよ。だいたい5月から9月末まで。で、生活レベル下げられずに10、11、12月もビニール張って暖房やってとやっていたけど、限界がきて、お客さんがどんどん減って。車の修理代、ガソリン代、保険代、ってコストがかかって、結局耐えきれなくて倒産した。まあ会社ではないんですけどね。」
このとき大学3年生。これではいかんな、と考えた。1回ちゃんとビジネスの現場に入って、お金の流れを見て、仕組みを理解しようと考えた。
就職活動をはじめて、希望する会社に内定を得る。
「東京に出てからは、自分の能力のなさに打ちひしがれました。理由は、人と違うことを考えたり、実行することは得意だったけど、みんなと同じことをロジカルに考えて、ソリューションを提案するという、そういう頭の筋肉が、そのときはまだなかった。」
後輩たちは給料が上がって役職にもついていく。自分がお荷物のように感じた。
「鳴り物入りで東京に来たのに、何もできずに落ちていく自分を見て本当に辛くて。最後に任せてもらった仕事があって、それは農林水産省の『田舎で働き隊!』というプロジェクト。都会で働く人たちにIターン、Uターンをしてもらおう、というものでした。」
これから飲食業界で働く若者を集めて、地域に送り込み、食について考える機会を提供するプログラムだった。
「それで若者が来てだんだん地域に感化される様を見ていたんですけど、1番感化されていたのが、実はわたしで。」
「上手くいっているところ、いっていないところ、地域ごとに差がありました。だけど、素晴らしい地域資源はどこにも一緒にあるんですね。何が違うのかというと、その資源を発信できているかいないか。それによって雲泥の差がある。なんとかできないかなと思って。それができる部署に移らせてもらえないかと思って提案したんですけど、叶わず。そこで『辞めます』と。」
地域の仕事をしたい、と思ったことには、母親の影響も大きかった。
「母の実家が大分県の農家なんですよ。今まで意識したことなかったけど、昔から盆と正月は帰って、ばあちゃんが畑から収穫したものを食べたり、饅頭つくったり。それに流しそうめんをやった思い出もあって。それが良きもので守るべきものだ、という感覚がすごくあるんですよ。あと、食べ物にすごくおかんが厳しくて。今思うとお弁当っておかんの愛情が詰まったもので、それが僕にとっての食に対する考え方になっている。」
独立したのは、今から4年半前。
けれど、地域の活性化をやろうにも、信頼もなければ会社もない。お金もないし、ノウハウも分からない。退職してから2ヶ月間、色々なビジネスや地域活性化の例を知ろうと思って、地域をまわって人を訪ね歩いた。
その間は収入がないので、週末は屋台をはじめた。また東京でも「10円ノウハウ」で問屋さんに当たって仕入れることができた。月15万ほど利益をあげることができた。
そのあとは地域活性化に関わらない仕事はしていない。お金のためにイベントの運営をしたり、自分ができるから、という理由でお金を稼いではいないそうだ。
自分がやらなければいけないことを仕事にしている。
仕事には主に2種類ある。
1つは農山漁村の活性化、もう1つは都市の食の活性化。
農林水産省の事業で、全国の主要都市部の学校の給食を改善することを行っている。
「地域を変えたくて地域に取り組み、地域に残れる人を増やしたくて農業や漁業といった一次産業を支援し、一次産業を成り立たせるために食べる人を変えようということで、学校給食の改善に取り組みはじめました。」
現在、学校給食でのご飯の登場回数の全国平均は、週5回のうち3.2回。都市部では2回しかないところもある。また、家庭での食の欧米化などもあり、ハンバーグやチーズなどの欧米型のおかずが多くなっている。日本の伝統的な食文化を、学校給食を通して伝えようと農林水産省とともに全国で学校給食改善の検討会を行っているそうだ。
農山漁村の活性化では特産品の開発や、地産地消の推進などを行っている。
たとえば、熊本県南小国町。ここにある有名な黒川温泉では、様々な問題により地元農産物を旅館で使うことが難しい。それを生産者と料理人、八百屋さんや直売所をつなげることで少しずつ地元のものを使おうという機運を高める、「黒川おいしい会議」というつながりづくりを行っている。
新しく入る人には、こういったプロジェクトをサポートする役割が求められている。たとえば薬膳のメニューを開発することになったら、リサーチして資料を作成する。イベントでは、現場に応じた先回りの運営を考えて実行する。
だから消費者や利用者、そして地域の人たちの目線で見ることができる人がいい。
ほかにはどういう人が必要なのだろう。
「指示待ちの人はダメ。自ら動いて、自ら企画を出して、自ら変える人。そういう発想がある人。気遣いだったり、好奇心のある人。あとは人に喜びを与えることで自分も喜びを享受できる人かな。」
西居さんは全国を飛び回っていると思うのですが、コミュニケーションはとれますか?
「分からないことがあれば聞いてくれると嬉しいです。『こうやろうと思うんですけど、これでいいですか?』って聞き方はOKです。『どうしたらいいですか?』って聞き方はNGです。『こらっ!』って怒ります。考えろって。」
考えたとしても、見当違いだったらどうですか?
「OKですよ。考えたなら。違っていても考える意思と努力があれば。」
単に言われたことをやるというよりも自分の頭で考える。たとえば、地域の人はどういうことを望んでいるのか、どういうものであればお客さんは買いたいのか。自分のこととして考える。
いわゆる「商売センス」みたいなものかもしれない。思いつきじゃなくて、プロジェクトを一から順番に思い描いて形にすること。相手がまだぼんやりと求めていることを形にして、実行できること。
最後に五穀豊穣はどこに向かっていくのか聞いてみた。
「日本の地域にあるものを世界にも発信していきたいです。思っている以上に、海外では日本の食べ物が評価されていますよ。」
日本の地域には良いものであふれている。思いもある。
それをしっかりとした形にして届けること。それが五穀豊穣のMUSTなことであり、ミッションなんだと思う。(2014/1/14 ケンタ)