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どこで暮らすのか。どんな仕事をするのか。誰といるのか。仕事においても暮らしにおいても、自分で選び、つくる機会が増え、今後さらに増していくように感じます。
自然に囲まれ、暮らしと仕事の距離が近い“村”だからこその可能性もあるはず。
一言で言えば、ものごとがシンプルに考えられる。だからこそ小さくはじめられるように思います。

大阪阿倍野橋駅から近鉄線に乗り、約1時間20分。大和上市駅から車で20分ほど走ると、川上村が見えてきた。
役場に入り、職員のみなさんにあいさつをして栗山村長のもとへ。
栗山さんに会うのは、前回の求人から約半年ぶりになる。“村長”らしからぬフランクな人だ。
「今回久々に思いが届いた、届いてくれたな。協力隊で入った6人みんな、ほんまがんばってくれとるわ。」

続けて村長はこう話す。
「協力隊も村民やんな。なかには、『どんな目的で来とるんか。』『川上のこと知ってるんか、好きなんか。』そう言う住民もいるけれど。関係ないと思う。住民は、離れるも残るも自由。ここにいたい、と思ってくれる人はみんなおんなじ村民。村づくりは1,600人みんなでやらな。」
村長の言葉はいまの川上村をよく表しているように思う。
村長は村として生きる選択をしたけれど、もちろん村民全員が、一丸となっているわけではない。
地域には色々な背景を持った人が、それぞれの思いを持って生活している。

この日、協力隊のみんなとはじめて会う。
出身は東京から大阪、奈良までさまざま。来た理由も、性格も人それぞれの印象を受ける。

そうたずねると、はじめの半年間は村に馴染む期間だったと言う。
特に夏から秋にかけてはお祭りにイベント続き。聞けばこの日も高原(たかはら)という集落でお祭りがあったそう。
前日は遅くまで住民ともちをつき、今日はそれをまいた。
「毎日祭り祭り祭りで。からだがいくつかあっても足りないぐらい(笑)。出る前は『休みたい… 』って。でも参加するとめっちゃ楽しいんです。『あんた盆踊りで踊ってたなぁ』『また会ったなぁ』。住民から少しずつ顔も覚えてもらえるようになりました。」
この夜は村上航(わたる)くん、早稲田緑(みどり)さんの2人が参加する地域の太鼓「龍幻(りゅうげん)」の練習に同行。
会場の川上村中学校では、役場の職員に学校の先生… さまざまな人が一緒に練習している。
休憩時間に輪になり話す姿からは、村上くんと早稲田さんが地域になじんでいる様子が伝わってくる。

孝則さんは村の状態をこう説明してくれた。
「いままでは役場主導で動いてきた村です。いまはじめて役場と住民が一緒にやろうという雰囲気になってきていて。」
その一つが集落懇談会。
住民が役場に来るのではなく、村長をはじめ役場の人たちが26の集落へと出向く。そして、住民と一緒にできることを探そうとする活動だ。
一方で役場も住民も、変化に戸惑っている人も少ない様子。
「たとえば役場。これからは一人ひとりが住民とも話すなかで方向性も考えなあかん。いまは過渡期にあると思う。」
そのまま、早稲田さんに話を聞いてみる。

半年間住んでみてどうですか?
「わたしはこんなに厚待遇だと思わなかったな。昨日ね、日付けが変わるまでこんにゃく名人の大辻さんと話してたんです。こう言われたんですよ。『3年間過ごして、何か見つけてくれたらいい。あかんかったら帰ってもいい。俺らの努力が足りないんだ。魅力的な村だったら住みついてくれるだろう。』」
「わたしたちのことを考えて、ほんとうによくしてくれるんですよ。その上、こちらの思いを汲んで話してくれる。そういう人がいる村なんです。」
こんなやりとりもあったと言う。
「あるとき村民が村長に『なんで呼んだん。この子たちの将来をどうするん?』って聞いたんですよ。その人は外から来てくれるのはうれしいけれど、自分の子どもが村を離れることだって仕方のないことだと思っていた。そこで村長は『百も承知の上で、村が生きることに賭けたい』って答えたんです。」
村は、みんなが来るのを待っていたのかな。
「いろんな人と毎日のように夜遅くまで話しこむんですよ。村を閉じるなら、そのための行動もいいと思う。でも、ここは続けたい、つなげたいと思っていて。続けるために仕事を興していきたいんです。」
地域おこし協力隊として給与が支払われるのは最長で3年間。起業についてはどう考えているのだろう。
「過疎には特効薬がないのかな、って。吉野林業には、木を切り出せばお金になる、バブル期があったんですよね。いま村に必要なのは、特効薬がないことを受け入れることかもしれない。地道に歩いていくことからはじまると思うんです。」
「答えはすぐには出なくて。それでも考え続けていきますよ。」
気づくと日付けが変わっていた。明日の約束をつけて解散した。
翌日訪ねたのは、森の達人「達っちゃん」こと辻谷達雄さん。

一つが、キラキラプロジェクト。「山を元気にしたい」という思いをもとに、林業・木工製品・観光による起業を進めようと考えている。
早稲田さん、そして協力隊の鳥居さんとともに車で向かう。
その車中で鳥居さんと話す。
出身は大阪。以前は学校職員をしながら、達っちゃんのもとに通っていたそうだ。
「もともと海が好き。沖縄の八重山に10年以上通ってるんです。好きすぎたんでしょうね。海の豊かさは、山から。林業に関わることに賭けようと川上村に来ました。」
海での活動も考えられたのでは?
「そうですね。珊瑚を育て、マングローブを植えることも大切。でも山が豊かで養分が蓄えられて、はじめて海も豊かになれるんですね。」
ここ川上村は、かつて日本の林業の礎となった吉野林業発祥の地。
いまでは間伐もままならず山は「瀕死の状態」にあるそうだ。
道中で、きちんと間引きされて育った吉野杉の森を見せてもらう。目の前に立つと、何か胸に来るものがあった。

「人それぞれ、感じるものがあるみたいなんですよ。樹齢で言うと200−250年です。この間ね、見学に来た人がぽつりと『ちょんまげが植えたんだなぁ』って。自分が植えた木は、自分で使うことはできなくて。250年間かけてだれかの商品になったんですね。」
ある人はこう話したそう。
「樹齢4000年とも言われる屋久島の縄文杉もすごいよ。でも吉野杉はもっとすごいと思った。人が技術を磨いて植え、紡いできたんだから。」
川上村の冬の寒さは厳しい。しかしこの寒暖の差があるからこそ目の詰まった良木が育つと言う。
吉野杉でしかつくれないものがあるそうだ。
「樽丸、って知ってますか?酒樽に使う木材を言うんです。味を損なうことなく、酒を寝かせるため、釘も使わず、酒も水も油も通さない。灘五郷の酒蔵で用いられています。」
「わたしは木に触れて仕事に対する考え方が変わったと思う。いまの自分が生活をしていくことはもちろん大事。加えて、わたしが生まれる前から死んだ後まで。紡がれていく時間も大切にしたい。そういうことが腑に落ちたんですよ。川上村は自分で意識すれば、実感できる場所だと思います。」
川上村で暮らし、働くことの一つの意味は、「時間」かもしれない。
鳥居さんと早稲田さんは、今後どのようにプロジェクトを進めていくのだろうか。
車は達っちゃんの家へと到着した。
達っちゃんのインタビューは
「こちら」から
もう一つのプロジェクトについて、村上航くんを訪ねる。

いわゆる就職は考えなかったの?と聞くと、
「自分はこっちで行こう、と思ったんです。」
どんなプロジェクトを考えているのだろう。
「空き家を活用した粋な場所づくりを考えているんです。」
粋?
「普通の土地の生活から生まれる自然な美意識ということです。暮らす人がその土地を好きなことから川上村らしさは生まれてくる。そして、人にも伝えたくなると思います。」

これまで実際に、国内外の色々な友だちを招いてみると、みんな「こういう場所があるんだ、来てよかった。」「また来たい」。そうした反応が返ってきた。実際に何度か訪ねてくる人もいるとか。
粋な場所のキーワードとして挙がっているのは、面白い、おしゃれ、コミュニケーションの場など。コンテンツはいままさに考えているところ。
「僕たちが全力で取り組むことで、村中を巻き込んでいきたいです。」
彼は、自分がこの村にいるために、自分の居場所をつくり出そうとしているのだと思う。
最後に協力隊のみんなに、どんな人に来てほしいかを聞きました。
まず、自分のやりたいことが明確にある人。
そして自立しつつ、お互いの強みを活かしあえるパートナーでいたい、ということ。
とは言え、実際に村を訪ねてみないと、できることも見えにくいと思います。
そこで、今回はワークショップ・ワークステイも開催します。事前にお互いを知った上で、働きはじめてほしいと思います。ぜひ、こちらも参加ください。
(2014/1/22 大越はじめ)