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茅葺き職人になる

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

夏は川辺に、ヨシ(葦)が青々と生い茂る。

ヨシは、その成長過程で多量の水を吸収する。そして、この作用によって川の水が浄化される。

SONY DSC 葉が黄金に染まる秋頃には、刈り取り乾燥する。ヨシは屋根に上がると「茅(かや)」と名前を変え、これが茅葺き屋根の材料となる。

刈り取った後の土地は、次のシーズンに向けて火入れする。すると翌年の夏も、また青く光る美しい水辺の風景を見ることができる。

これは、この土地でずっと続けられてきた自然と人のサイクル。人の手が加わることで、自然も活きていく。

今回は、そんな関係を継いでいく人の募集です。

世界各地でもっとも原初的な家づくりの手法とされている茅葺き屋根の、職人さんを募集します。

SONY DSC 東京から新幹線で宮城は仙台まで。仙台からは「東北本線」に乗って、松島駅まで行く。

駅に着くと、熊谷産業の社長である熊谷さんが迎えてくれた。そこから、熊谷産業の拠点がある石巻市へ向かう。

石巻は、2年前の東日本大震災で大きな被害を受けた地域。今の状態からは想像しがたいけれど、1ヶ月間水に浸かっていたそうだ。

熊谷産業の会社も倉庫も、全て津波で流されてしまった。残ったのは、近所の人が届けてくれた看板ひとつだった。

近隣に住んでいた人も、亡くなったり引っ越してしまったりして、ほとんどいなくなってしまった。

だけど熊谷さんは、震災の2週間後から、流された倉庫があった場所に新しいオフィスを建設する計画を立てはじめたそうだ。

まずは、完成したばかりだというそのオフィスを見せていただいた。

SONY DSC 「茅葺き」と聞くと屋根のイメージがあったのだけれど、倉庫の壁が全面茅葺きになっている。

これは、世界遺産にも登録されているオランダのキンデルダイクの風車の外壁と同じ手法でつくったそうだ。

茅葺きは日本だけの技術ではなく、オランダ、ドイツ、南アフリカなど、世界中に伝わっているそうだ。

「もしかしたら、東京に茅葺き屋根のビルがあってもいいかもしれない。唯一火災に弱いっていう欠点もあるけど、美しいし断熱材になるし、古くなったら土に還るし、茅葺きはこれから、本当に色々な可能性があると思っています。」と熊谷さん。

倉庫の隣は、この地で採れる堆積岩「天然スレート」でできた瓦を外壁にあしらったというオフィス。

ツバメが巣をつくっている玄関を抜けガラス張りの扉を開けると、うるし塗りの床が広がる。

オフィスの窓からは一面の田んぼが見える。椅子、机、棚、絨毯などアンティークで統一されていて、ひとつひとつデザインが凝っている。ロフトまであり、多国籍な雰囲気のいい空間だった。

SONY DSC ここまで案内してもらって、気になったことを質問してみた。

どうして、またこの場所に会社を建てようと思ったんですか?

「僕は23歳のときに、フィリピンに青年海外協力隊として3年派遣されていたことがあるんです。フィリピンはとても台風の多い国で、台風が来るたびに家が飛んでしまったり、洪水で流されたりしてしまう。でも、フィリピンの人たちは、何度でも同じ場所に家を建て直すんだよね。壊れること前提で家をつくっているから、すぐに建て直すことができちゃうの。僕もそういうやり方をすればいいんだって思ったんだよね。」

日本の建築も、昔はそうだった。でも、だんだん鉄筋コンクリートが普及するにつれて、建て替えのきかないものになってきた。

このオフィスもとても立派に見えるけれど、構造は至ってシンプルなのだそうだ。何度でもこの地でやり直していけばいいと、熊谷さんは考えている。

SONY DSC 伝統技術を扱う会社だから、もっと固い人をイメージしていたのだけれど、会ってみたら全然印象が違った。

熊谷さんを紹介するとしたら、一言でいえばロビンソン・クルーソーみたいな人だと思う。

熊谷さんは、山と川に囲まれた石巻で生まれ育った。少年の頃は犬2匹をつれて山に入り、魚を釣ったり山菜をとったりしていたそうだ。

そして、なぜか世界中に友達がいて、震災直後にはフィリピンやフランスの友人たちが支援に駆けつけた。

モンゴルの知り合いからはゲルが一式送られてきて、家をなくした熊谷さんは、しばらくそこで生活したりもしていたらしい。

熊谷さんだったら世界のどこでも生きていけると思うけど、どうして石巻で茅葺き屋根の会社をすることになったんですか?

SONY DSC 「もともと父親が茅葺きとしじみ漁をしていて、大変そうだし絶対跡は継ぎたくないって思っていたの。それに、当時日本は景気が良くて、どんどん茅葺きの家が壊されて新しい建物が建っていた時代だったから、そろそろこの仕事も終わりかな、という話になっていた。」

熊谷さんは別の道を歩もうと、北海道の大学で畜産を学んだあと、青年海外協力隊としてフィリピンのルソン島へ。あるとき、世界遺産のコルディリェーラの棚田をを見学する機会があった。

「その棚田は、自然と人の力を生かし合うとてもいい構造だったんだよね。でも、後継者不足で耕作放棄なんかの課題もあったりして。そのとき、うちがやってる茅葺きと全く状況が同じだ!って思ったんだよね。いいことやってたんじゃん、繋げていかなきゃいけないよなって。」

SONY DSC 帰国後、3年間茅葺師の親方に弟子入りし、茅葺き職人として働いてから独立。20年前に熊谷産業を立ち上げた。

この地でとれる良質な素材を全国に届けたい。今は、日本各地の重要文化財施設などから依頼を請け負っているそうだ。

実際の仕事を見せていただくために、石巻市内で行なわれているという作業現場へと向かうことになった。

石巻市内を流れる北上川(きたかみがわ)。その横の道をずっと進んでいく。川縁には、青々と茂る原っぱが続いていた。

「あれが、ヨシ原ですよ。秋になると黄金色になって、茅葺き屋根の原料になるの。」

河口から10数キロにわたるヨシ原からは、建坪50坪の民家を20棟ほど葺き替えられるほどのヨシがとれるそうだ。

今は津波の影響もあって一部地盤沈下してしまっているけど、都市開発などで全国のヨシ原が失われているなか、ここまで良質な素材がとれる場所はなかなかない、と熊谷さんが教えてくれた。

10分ほど車を走らせ、「齋藤氏庭園」という明治時代に建てられた建物や庭の見られる記念館へ到着した。

建物のまわりには足場が組まれていて、横には沢山の茅が積まれている。

屋根の上では、職人さんたちが、古い茅を降ろして新しい茅を葺く「葺き替え」作業の真っ最中だった。

SONY DSC まず、竹でつくった下地の上に、茅の束をのせていく。「茅押さえ」と呼ばれる竹の串を差し込み、押さえながら紐で結んで固定する。この作業を積み重ねることで、厚みのある屋根になっていく。

作業中の職人さんに質問してみた。

どんなことに気をつけていますか?

「台風が来ても大丈夫なように、隙間なく葺くことね。それから、茅葺きは軒先の断面の美しさが命だから、ちゃんと揃ってきれいにみえるようにしっかり固定しなきゃいけない。」

一緒に働く人として、どんな人に来てほしいですか?

「器用じゃなくてもいいよ。みんな最初は不器用だっちゃ。最初から器用な人はいないでしょ。僕ももう30年この仕事してるけど、まだ一人前じゃない。」

SONY DSC 「田舎でのんびりしてていいんじゃないと思う人もいるかもしれないけど、けっこう重労働だよ。力仕事。それにお天気仕事だから、天気が休みを決めるの。雨だと休み。これがけっこう気まぐれなんだよね。それから、外の県に行くことも多いしね。」

話しながらも、職人さんの分厚い手が、てきぱきと屋根を葺いていく。

熊谷さんも、職人の仕事についてこう話してくれた。

「僕は、職人は家庭の主婦みたいなものだと思うんですよ。掃除したり料理したり洗濯したり、単純作業のようなものが多い。職人も、実際には足場を組んだり茅を刈ったり、人に見えない部分が主な仕事になるからね。段取り8割の仕事。」

「歴史的建造物も手がけているし、儲かる仕事だと思われてしまうこともある。でも、実際には楽して稼げるわけじゃないよ。現場で指示出しもできるような責任者になれば、給料は自然に上がっていくけどね。」

「東京で年収1000万稼いでも、家のローン1200万だったら赤字だよね。こっちは中古の家、500万くらいで買えちゃうから。だから、結局は何に生き甲斐を感じるかだと思うよ。」

現場から戻ると、熊谷さんのお父さんである会長の貞好さんがいらしたので話を聞いてみた。

SONY DSC 「日本の古来の文化を継承する貴重な仕事だから、誇りを持たなくちゃ。技術だけではなく伝えていくっていう大きな目標を持つこと。」

「いつも、盗みなさいって言ってる。技術は教科書で教えるもんじゃないから、人の仕事を見て学びなさいって。俺の場合は、親方が結んだものを一度解いてみて、また同じように結んで。そうやって目も耳も研ぎすませて技を盗んできた。常に進化していきたいって思ってる人に来てほしいね。」

伝統を守るという大きな意識を持ちながらも、日々の仕事のなかでこつこつと成長していける人がいいのだと思う。

もう1人紹介したい人がいます。金沢さんです。

金沢さんは新潟の美術大学で彫刻を学び、卒業後、教授のすすめで熊谷産業にやってきて働きはじめた。

茅葺きをやりはじめたのは、去年の12月。

SONY DSC 「最初はとにかく、あれ持ってこいこれ持ってこいって感じでものを運ぶところからはじまったんですけど、だんだん自分でしなきゃいけない場面が出てきて、少しずつ作業させてもらえるようになってきました。」

職人の世界は人間関係も厳しいイメージがありますが、どうですか?

「上下関係はありますね。でも、あいつは気に食わないとか、そういう陰険な感じはありません。仕事では、毎日のように怒られています。ただ言われたことをやるのではなく、どうしてその作業をするのか考えて動かないとだめなんです。」

例えば、茅を渡すにしても、100も200も量がある。作業が雑になってしまうのは危険だけど、できるだけ効率よく渡すことも大事。ていねいに早く作業するにはどうすればいいか?それを考えるのも頭の使いどころ。

「そうじゃなくてこうだ、と言われても、それをその通りやるだけではだめで。自分のなかで噛み砕いて、動いてみて正解を見つけていけなければいけない。それが難しいです。」

金沢さんは、どちらかというと自分の世界に入りこんでしまうタイプ。だから、最初は意思疎通に苦労したこともあったそうだ。

でも、だんだん分からないところを聞けるようになったり、できないところをお願いできるようになったり、チームでやる仕事の楽しさが分かってきた。

SONY DSC 「半年やってみて、これから面白くなっていくのかもしれないな、と思っています。多分、自分に責任が生じてくる方が面白いんじゃないかな。任せたよって言われると嬉しくなります。」

いちばん最後に、仕事をしていて楽しいと感じるときを聞いてみた。すると金沢さんは、こんな話をしてくれた。

「茅を葺き替えるときに、昔の古い茅を降ろすんですね。そのとき、例えば、30年前にこの屋根を葺いた人がいて、その人はこの部分をこんな風にやったんだなっていう痕跡のようなものが、ちゃんと分かるんです。」

「また30年先に、今自分が葺いている茅が降ろされることになったら、自分の仕事も誰かに見られるわけですよね。この部分は下手だから新人がやったのかな、とか思われるかもしれない。そういう、30年スパンのコミュニケーションがある。こんな仕事はなかなかないと思います。」

SONY DSC おおげさかもしれないけれど、自然と人が築いてきた歴史の一部になって働いていくような、そんな仕事だと思う。仕事というよりも、こういう生き方をしたい人に来てほしいと思います。

(2014/1/8 笠原ナナコ)