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綱がつなぐ商店街

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

年始に、リリー・フランキーの「東京タワー」(2005年出版、2007年映画化)を読んでいると、九州の炭坑町の商店街が目に見えてさびれていく様子が描かれていました。

“シャッター通り”という言葉に表されるように、北海道でも、東京でも、九州でも。全国の商店街で、空き店舗が目立ち、人通りがない姿が日常の光景になったように感じます。

「一昔前は、肩がぶつかるくらい人が歩いていたんだよ。」

かつてのにぎわいを知る人はそう話します。

まちを見渡すと、設備の整った空間が余っている。活用のハードルも下がりつつある。若い世代には、過去にとらわれない見方を持つ人もいるように思います。

今回の舞台は、約10万人が暮らす鹿児島県・薩摩川内(せんだい)市。その窓口となるのが、新幹線・川内駅から徒歩圏内にある向田(むこうだ)地区の商店街。

1 このまちで、これからの商店街のあり方を、地域の人たちとともに模索する人を募集します。

その先には、豊かな地域のあり方が見えるように思います。

募集するのは、3年間総務省から報酬が支給される「地域おこし協力隊」。活動を通して仕事をつくり、できればその後も地域に根ざして働いてほしいと薩摩川内市では考えています。

まずはこの地域を知ってほしいです。

訪ねたのは年の瀬のこと。鹿児島空港から高速バスは1時間ほどで薩摩川内市に到着。

薩摩川内市役所へと向かう道中で、今回のフィールドとなる向田地区を歩く。飲み屋が目立ち、昼間は閑散とした印象だ。

市役所では、受入の窓口となる古川さん(写真右)、有馬さん(写真左)が迎えてくれた。

2 古川さんは以前に甑島(こしきしま)の協力隊募集でお世話になった方。
まず、古川さんは地域の概要を紹介してくれた。

「2004年に市町村合併したんですね。それで甑島を含む薩摩川内市となりました。鹿児島県は、鹿児島市が人口60万人。続いて10万人規模の市が3つある。その1つに当たります。」

現在の市街地は、かつての薩摩藩の中心地であったそう。

「鹿児島一の一級河川である川内川に囲まれています。水上貨物、水上交通の要所として栄えたところです。市街地は産業で見ると、企業城下町と言えます。製紙メーカーに電力会社、半導体メーカーなど。上場会社の工場が雇用も生み出してきました。」

3 ここまでは、特に問題もないように思える。

けれど、一企業の工場が撤退、人口は緩やかに減少を続けている。そこで活路を見出そうとするのが、観光だ。

2004年には九州新幹線が開通。県内にはすでに鹿児島、霧島、指宿といった観光地がある。そこで人に焦点をあてようと考えた。その一環として2011年から「ぽっちゃん計画」と称して甑島で地域おこし協力隊を採用。実を結びつつあるという。

2013年からは、2期目と位置づけ、地元の若手が頑張るエリアで協力隊を募集しています。

現在すでに、4つのエリアで8名の協力隊が活動しているとのこと。

今回募集する向田地区はどういうエリアなのだろう。

続いて有馬さんが説明してくれた。

「かつては一帯における買い物の中心地でした。2つのデパートを囲むように個人商店が立ち並ぶ商店街だったんです。子どもの頃は、週末に家族で出かけるのが楽しみで。」

けれど、2000年代に入り片方のデパートが郊外へ移転。その周りに家電量販店、洋服屋、パチンコなどの大型店舗が立ち並ぶようになる。

4 移動の手段が徒歩から車へと移り、中心市街地が空洞化する。日本全国の地方都市で同じ現象は見られるので、「自分のまちもそうだ」と思う人も多いかもしれない。

加えて、高速道路が開通すると、鹿児島市内、福岡へのアクセスも格段によくなった。

次第に人の流れは変わり、商店街はにぎわいを失っていった。将来を悲観した商店主は自分の子どもを外へと送り出し、空き店舗が増えていった。

もちろん市役所はにぎわいを取り戻そうと、さまざまな手を打ってきた。

「ポイントカードの発行にフリースペースの設置、自転車の無料貸し出し。ソフト面も色々と取り組んできましたが、効果はいま一つでした。住んでいると、どうしても考え方が固まってしまう面があります。そこで、今回の募集に至ったんです。」

これからの商店街の姿については、どのように考えているのだろう。

「『近き者来たれば遠き者来る。』という言葉があります。まずは暮らす人が集う場所になること。そうなれば、自然と観光客にも喜ばれるのではないでしょうか。」

言葉の背景には、こんな思いが見えてきた。

「週末になると、商店街はがらがら。みんな鹿児島市内や福岡へ向かうんですね。子どもについて考えると、小さいうちから楽しみを外へ外へと求めていくと、30年後の薩摩川内市はどうなっているでしょうか?」

「『こんなつまらないまちは早く離れたい。』そう思いながら育ち、進学を機に都会へ出て行くかもしれませんね。まちの持続可能性を考える上でも、個人の生き方を考える上でも、暮らしている地域に誇りを持てることが大事だと思うんです。」

5 向田商店街を盛り上げることは、薩摩川内市の30年後の姿を考えることなのかもしれない。

ここで、実際に商店街で商売を営みつつ、まちづくりの活動する人たちの話を聞いてみる。

これからやってくる協力隊も、ともに活動をしていくこととなる。

訪ねたのは、割烹旅館安藤さん。

創業は明治19年。100年以上続く老舗だ。現在は“くじら”料理を名物に営まれている。かつて甑島で捕鯨が行われていたことに由来するそうだ。

6 5代目の安藤邦光さん(写真左)は、鹿児島市内のホテルで修行した後、川内へと戻ってきた。

聞けば、薩摩川内には名物と言われる祭りがあるそうだ。

それが、400年もの歴史を持つ川内大綱引。

関が原の合戦の際、島津家が士気を高めるためにはじめたとも言われている。

「毎年9月22日。全長365m、重さ7トンにも及ぶ「日本一の大綱」を3000人もの人が、上下にわかれ、2時間近くに及び引き合うんです。」

「この日だけは、どこからともなく若い衆が集まってきます。朝から10時間近くをかけて、綱を練ります。みんな気迫がすごいんですよ。まちが一つになります。この力が日ごろからあれば、まちももっとにぎわっていくはずなんです。」

7 同席をお願いしたのは、近くでスポーツカフェ&バー「ドリームパスポート」を営む青﨑(あおさき)さん(写真右)。

公務員を経て、スポーツ好きが高じて自ら店をはじめた。

現在もプロレス団体を誘致するなど、地域を盛り上げようと取り組んでいる。

そのなかで手応えを感じたものがあるという。

「昨年ハロウィンパーティを実施したところ、500人もの子どもが集まりました。両親におじいちゃん、おばあちゃんも付き添うことで大にぎわいを見せて。いまは商店街に子どもの居場所がないんですね。だから子育て世代も来にくいということもあると思います。」

カギを握るのは、若い力。そして子どもを自由に連れて来られる場。

2人はそう感じているけれど、実際の空間については見出せていない様子。

いったい、どんな場なんだろう?

旅館を後にして、青﨑さんと日の暮れた商店街を歩いていると、雰囲気のよい店が現れた。

10.. 気になって覗くと、地場で有名な精肉店が直営の飲食店をはじめるという。

オーナーさんは30代と若い。母方の実家であり、かつて板金屋だったこの建物を活用しようと考えたそうだ。

偶然にもこの日が身内を招待してのプレオープン。

よかったらどうぞ、と中に入らせていただいた。

席が隣り合ったのはリノベーションを手がけた30代の地元の建築士さん。話を聞くと、

「若い人が入りたくなるような店が少ないんですね。こういう場ができることで、人は集まってくると思います。」

たしかに飲食店の数は多いけれど、カラオケが設置された年配の方向けの店が目立った。

若い人たちは、住みながらも、出てくる居場所がなかったのかもしれない。

商店街が衰退した理由としては「郊外型大型店舗の進出」がよく挙げられる。影響は否めないけれど、原因はそれだけではないと思う。

薩摩川内で出会った人々から共通して聞こえたのが、「かつて商店街は行くのが楽しみな場所だった」ということ。

若い人たちが、鹿児島市内や福岡に求めているのも、「心が満たされたい」という欲求かもしれません。

たとえば、コーヒー。チェーン店に入れば、一杯180円で飲むことができるけれど、たまには雰囲気の良い空間で、ゆっくり過ごしたいことだってある。100円ショップでも食器は手に入るけれど、料理が楽しくなるような一枚だってほしい。

9 もし、向田の商店街がいま再び人に必要とされるなら、そこにしかない楽しみを届けることに意義があるように思います。

向こう3年間で商店街のにぎわいを生むことは、薩摩川内市の30年後をつくることにつながるのでしょう。

最後にもう一つだけ、紹介したいことがあります。

今回の募集の特徴として、薩摩川内市に散らばる協力隊との連携が挙げられます。

食文化の豊かな甑島、温泉のある市比野(いちひの)、重要伝統的建造物群保存地区のある入来(いりき)。計8人の協力隊が活躍しています。

市比野の海木さん、小林くんからはこんな声が聞こえてきました。

「どうしても地域に入ると同じ境遇の人と話すことが難しくて。その点、薩摩川内は恵まれていると思います。」

10 「最近では、甑のメンバーと休みを合わせて出かけたり。ふつうに話せて、遊べることが大きい。入来にはないけれど、市比野にあるものを教えたりと仕事の上でも連携がとりやすいと思います。」

観光に眼を向けると、向田地区は、訪れた人にとって薩摩川内市の顔となる存在。

各エリアと連携したハブ的機能も求められてくるでしょう。

これから入ってくる人の仕事には、「豊かな地域を築くために商店街を、そして薩摩川内市を編集する」こともあるようです。

けっして楽ではないけれど、可能性はある。2日間歩いた率直な感想です。

可能性を感じたら、これからの商店街の姿を築いていってほしいです。

(2014/1/19 大越はじめ)