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東京や大阪のまちなかで、地域をテーマとしたワークショップを開くと、たくさんの方々が参加します。潜在的に「地域を知りたい」人が多いと感じます。機会は増えているものの、まだまだ都会からいなかは見えにくく、いなかから都会も見えにくい。大きなすき間が空いているようにも思います。実は深く関わり合い、つながっているのだけれど。
いまは過疎が進む地域にも、昔から積み重ねられてきたものがあります。
地域に根ざして、過去とつながりながら生きることは、仕事、暮らしの両面を「豊か」にしてくれるように感じます。
今回募集するのは、奈良吉野・東吉野村。コラムを連載している川上村から山を越えたお隣の村です。
ここで、地域おこし協力隊を募集します。
京都、あるいは大阪から電車を乗り継いで1時間ほどの榛原(はいばら)駅。

榛原駅でタクシーに乗ると、運転手さんは東吉野村在住の方。これから訪ねる村長の同級生だと言う。
「ここは林業の村なんですよ。なかでも年輪の詰まったひのきの品質は日本一。寒暖の差が育むんですね。」
「いま、林業に国産材が注目を浴びているんでしょう?10年経つと、より違いが出てきます。吉野の木は年を重ねるほどに油が出てきて、きれいになるんですよ。」
最後に、現在では林業従事者も減り山も荒れているんです、と付け加えてくれた。
しばらく行くとなだらかな山が続き、その合間の平地に家を建てている。そんな街並みが見えてきた。
役場では、水本村長さんが迎えてくれた。

「少子高齢化が激しく、若者が出ていく。典型的な山村の村ですわ。村長に就任した平成18年には2700人超の人口が、いまは2000人前後。8年間で700人、毎年90から100人減少している。そのうち半分が亡くなり、半分は転出。なんとかこれを止めたいし、若者に定住してほしいんです。」
若者定住に子育て支援。これまでもさまざまな施策をとってきた。水本さんは、数えきれないほどのリストを見せながら説明してくれた。
けれど、依然として人口の減少は続いているという。
高齢化率も約50%と全国的に見てかなりの高水準だ。
そんななか、一つの希望も見えつつある。
東吉野村では、以前に村外の児童を一定期間受け入れる山村留学を行ってきた。
その一人の男性が大人になり、2007年に村へ移住してきたのだった。
彼の名前は坂本さん。
さらに去年。坂本さんを頼りに、2組の夫婦が移住をした。
そこで彼らと話した水本さん。
「我々にはない視点を彼らは持っていました。ぜひ一緒に村づくりをしてくれないかと伝え、話を進めているところです。会いに行ってください。」
役場を後にして15分ほど。
訪ねたアトリエで坂本さんは薪ストーブで部屋を温めて迎えてくれた。

移住して7年が経ついま、「ここに住むからできるデザインの仕事」も増えつつあると話す。
「吉野の十津川村では、自治体主導で空き家を宿泊施設に改装したんです。そのプロモーションをやらせていただいています。山添村ではかつての保育園を、いなかと都会の交流拠点として活用する協議会が立ち上がりました。デザイナーとして施設改装などをさせていただく予定です。」
「住んでいるからこそ得られる説得力がある、と思っています。表面的なことは技術で取繕えても、実際に人を動かしていくには、そこから先、たとえば一緒にやっている感じが大事なのかな。言葉に表しきれない『こうしたい』という思いも、汲み取れるものがあるんですね。」
現在は奈良県と一緒に発案した“クリエイティブビレッジ構想”に取り組んでいる。
これは過疎の進む吉野地域の村々をクリエイティブの力により盛り上げていこうというもの。その一つとして、坂本さんは東吉野村でのシェアオフィス創出を企画から手がけている。
「空き家を改装して、シェアオフィスとカフェスペースにします。自由に出入りできる場をつくりたいんです。加えてここに来たらとりあえず村のことがわかるように。村の情報、村で必要な仕事、空き家も紹介したいんです。」

「山村留学で過ごした1年間が、どこか心に残っていました。社会に出てからは、大阪でとにかく働いていました。でもあるときに『あれっ?』って。」
「年収や仕事の大きさを気にしていたんですね。でも、それは他人からの評価で、自分の求めているのもではないな。自分はどうしたいんだろう?そう思うと、ずっとは続けられなかった。その道が間違っていると言いたいわけじゃないんです。でも、別のルートがあってもいいんじゃないか。実際に僕の周りにも『東吉野村に来たい』と話す人がたくさんいるんです。」
都会といなかの流れがあまりにも違いすぎて、うまくつなげていない、そう感じるなかで、ちょうど狭間にいる坂本さんは、クラッチ役ができないかと考えている。
一方、移住にあたっては仕事も必要だ。
「まずは仕事をつくれる人たちをここに呼ぼうと考えています。たとえばデザイナーにWEBの仕事。都会にいなくてもできる仕事も増えてきました。むしろ、ここにいるからこそ生まれる仕事もあると思っていて。」
「いなかって、かつてはできあがった社会があったと思うんですけど。いまは時代に合っていないというか、僕らが入ることで変わっていく隙間がいっぱいあると思うんです。デザインと村にある仕事。2つの生業をつないでいけたら、面白そうじゃないですか。」

協力隊は坂本さんと恊働することも出てくるだろう。どんな人がよいだろう。
すると坂本さん。
「いまは、都会からいなかへ人の動き出す、まだまだ創成期だと思うんです。協力隊として活動できるのは3年間と限られているんですよね?自分で仕事をつくり、切り開いていく人が必要ではないでしょうか。」
「ただ、ほんとうに面白がれるか、が一番大事かもしれないですね。生活も含めて、いろいろ面白がれたら、きっとやれることがあると思う。ここでの3年間はきっと裏切らないから、感じたことから考えてみては。ゆくゆくは、お互いに独立した仕事を持って、その上で協力できるとうれしいですよね。」
今回は協力隊として3人に来てほしいと考えている。
一つは、村役場に村の若手、そして坂本さんとともに村づくりをしていく人を募集する。
これから来る人は、どのように関わっていくのだろう。
一つの拠点となりうるのが、東吉野村の中心地で最大の小川集落。

「空き家を活用して、喫茶店や商店もできるとまちが再生していくんじゃないか。その姿を見て、村の人たちも一緒に頑張ろうという気持ちになってくれたら。そんな夢がわいてくるんです。」
林業が栄えた40年ほど前までは料理旅館に、魚、肉屋。山の中にも関わらず寿司屋もあった。
現在も300人ほどが暮らすけれど、お婆さんが一人で暮らしていたり、空き家となった家が目立つ。
一軒一軒はモダンでぜいたくなつくりがされている。
林業の村だからこそ木材にこだわっていれば、細かい装飾も施されている。かつては木を一本切ることで何十万円、というゴールドラッシュのような時期もあったからだ。
いまも続く店は数軒ある。その一つ、和菓子屋「西善」のおかみさんを訪ねると、「このまちなみを壊したくない。」と強く話をしてくれた。
人が住まなくなれば家も朽ちていく。小川の街はいま、その境に来ているのだと思う。

「若い人には来てほしい。けれどどんなことをしてほしいかは、よくわからないの。」
まだまだイメージが湧いていない印象を受けた。一方で不安もある。
「かつてはお土産や贈答品ににぎわったけれど、現在では人の往来もなく、古くからの常連さんがたまに見えるくらい。いまは夫婦で営んでいるんです。後を継ごうと和菓子屋で修行している息子がいるんですが、果たして商売が成り立つか。それならEC販売もしたら、と言われることもあるんですが、顔の見えないことが不安で。」
まずは寄り添うことからはじまるのかな。
日も暮れてきたので、宿で休む。
翌日訪ねたのは、協力隊のもう一つの活躍の場となる農林水産物加工組合だ。

なかに入ると、地元のお母さんたちが生姜湯をつくっていた。手間ひまかけて一つひとつていねいにこしらえている様子。
写真を撮らせてもらおうとすると、はじめは「写さんといてぇ」と恥ずかしがるお母さんたち。色々と試食をさせてもらった。
よもぎ餅にゆずジャム。どれもほんとうにおいしい。
「木と同じで、寒暖の差が激しいことでおいしい農産物ができるのね。」
一方で収支面は厳しく、行政が管理しているから運営が続く現状も見えてきた。
せっかく味はよいので、デザインにマーケティング、価格設定といったブランディングをきちんと行うことで、展開は考えられないか。

役場の鍵谷さんはこう話す。
「ゆずです。奈良県内で特産品にしている地域はなく、近年東吉野村の農産物が悩まされている鹿や猪に猿といった獣害にも強いんですね。」
現在は収量を増やすべく、希望のあった家庭にゆずの苗木を配布している。実がなるには5、6年を要するが、商品開発にマーケティングを進める準備期間と位置づけている。
その他にも猪に鹿、そして川魚。食材、料理ともに深い蓄積のある村だと思います。

「特産品開発からマーケティングまで、とても幅が広いです。一つでも専門的な知識を持った人に期待を寄せています。今後は加工組合の工場をリニューアルし、産直市場を開く予定もあります。そうした計画にも関わってほしいです。」
他の協力隊と協働して、小川の空き家を活用することも考えられるのかな。
吉野は現在、日本全国でも有数の過疎高齢化が進む地域になっています。そもそも名前を知らなかった人も多いと思います。
けれどかつては王朝があったり、日本林業の礎を築いた歴史も持ち合わせています。
単に古いものが残っているということではなく、深い懐を持っている地域だと思います。
(2014/2/17 大越はじめ)