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新しいことをはじめたいけれど、どうスタートすればいいのかわからない。そんなことがあると思います。いなか暮らしだってそう。
雑誌やWebメディアで取り上げられ、ワークショップやセミナーも増えました。
出会いの機会が増えたのはよい一方、そこで伝わる情報がすべてじゃありません。訪れて自分で感じることが多いと思います。
まずは気になったことを小さく試してみてはどうでしょう。

「いなかととかいをつなぐ」一般社団法人いなかパイプが高知県・佐川町から委託を受けて実施する“いなかベンチャーインターンシップ”の参加者を募集します。
まずは試してみる、ぴったりの場だと思います。
高知空港の到着ロビーでは、いなかパイプ代表のササクラレオさんが迎えてくれた。

ゆったりと流れる四万十川に突き当たると、川沿いに上流へと進んでいく。
レオさんは高知県の生まれ。大学から沖縄で暮らし、地域づくりのNPOで活動する中で株式会社四万十ドラマ代表の畦地さんと出会い、四万十へ。いなかパイプを立ち上げて4年を迎える。
レオさんは、はじめて四万十を訪れたときの印象をこう話す。
「わくわくしたんですよ。ここでなんでもできるなーと思って。あたらしいものを自分でつくりたい人には、たまらないところだと思います。」
高知県の森林面積は84%。

畑には上から順に栗、お茶、米に野菜が成る。寒暖の差が激しいことで、農産物はぐっと旨味を増す。
川ではのりに海老、貴重な天然のうなぎも採れる。海にも面していれば、牛や豚の地ブランドもある。
「ここで手に入らないものは?」とレオさんにたずねると、しばし沈黙の後に笑顔が返ってきた。
なんでも揃う、ってことらしい。
四万十町では、20年前から四万十ドラマが中心となり地域づくりに取り組んできた。
お茶と栗は特産品となり、販売するための道の駅やカフェが生まれてきた。その噂を聞きつけて移住者がやってくる、そんないい循環が広がってきた。
いなかパイプでは、「いなかビジネス教えちゃる!インターンシップ」を行っている。
これまでの4年間で約200人が訪れ、30人近くが移住をしたという。
とは言え、アクセスだって不便なところ。
魅力はどこにあるんだろう。
「たとえば地元の人からは一山30万円でどう?って言われるんですよ(笑)。なにか分からないけれど、やれそうな感じがしません?そういう隙間が感じられるんですね。やれることがいっぱいあるんですよ。」

「とかいでは大勢の中の一人も、いなかでは存在が大きくなります。四万十のデザイナーは企画から一緒に考えていきます。地域がその人を育て、地域も育っていく。面白いのは、その関係が商品の売れ行きにもつながってくるんですね。」
かつていなか暮らしは、「とかい」をあきらめるようなイメージを持たれることもあったと思う。けれどいまでは、いなか暮らしこそ創造的なものになっている。
迫田さんのもとには、とかいで働くデザイナーが訪ねてくるという。
レオさんは、いなかととかいの関係をどのように描いているのだろう。
移住ありきでたずねると、ちょっと意外な言葉が返ってきた。
「若い人が入れ替わり立ち代り、やってくる状況をつくりたいんです。全国に四万十のファンがいて、何かあると協力しあえる。もう少しいたくなった人は住んだらいい。たまに来たい人は遊びに来る。移住は一つの結果だと思います。」
今回のいなかベンチャーインターンシップの舞台は、四万十町から少し離れた佐川(さかわ)町。
高知空港、高知駅からは西に各1時間程度のアクセスにある。人口約13,000人。市街地から、過疎の進む山間部までを有する。
ここで一ヶ月間暮らし、働くインターンを募集する。
受け入れ先は、これから活動をはじめようとしている事業者が中心。
レオさんはこう説明してくれた。
「いなかパイプが、受け入れ先の方と話し合い課題を設定しています。いなかベンチャーを、スタートアップから一緒につくってほしいんです。」
受け入れ先となる3つの事業者を訪ねました。
はじめにうかがったのは、酪農を営む横畠(よこばたけ)さんの牛舎。
かつて酪農家は町内に100軒あったそう。次第に減少、現在は5軒が営まれている。そうしたなか、地域ブランドを地乳(ぢちち)と名づけて展開している。
横畠さんの生産規模は約50頭。
「牛にも個性があるんだね。一頭一頭顔も違えば、性格も違うのよ。」

残念なことに訪れたときに牛乳はすべて出荷済みだった。
そこで加工品として人気のアイスをいただくと、甘い香りが口に広がった。
振り返ると、とかいでは価格ありきで買い物をしたり、あるいは頭でばかり考えていたのかもしれない。ここは目に見える範囲で暮らし、働きやすいように思う。
もちろんどちらかが正しいと言うものではないけれど。
ところで、横畠さんは遠くない日に引退を考えている。
お金にはなるけれど、生きもの相手だからこそ、休みがない。一方で新規開業のハードルも高い。においが原因で近隣の理解を得にくかったり、億単位の資金がかかるのも事実。
いわゆる3Kとよばれる仕事で、全国的にも年々成り手が減りつつある。
だからこそ、どうすれば酪農の担い手が増えていくか、そのモデルを佐川から考えていきたいところ。

また横畠さんのもとで学べるのは、酪農に限らない。
酪農から出る堆肥は、野菜づくりへと循環する。自給自足の生活をしているそう。
最近ではパーマカルチャーという言葉で表されるようにもなったけれど、そんな名前のつく前から、当たり前のように営まれてきた暮らしがある。
横畠さんは、昨年受け入れた人の話をしてくれた。
農学部に通う学生で、はじめは進路を考える上で参加したそう。
「野菜が食べられない子だったんだ。けれどうちのにんじんを『こんなに甘いのは食べたことがない』と喜んで食べるようになってね。その後も何かにつけて、訪ねてくるんだよ。」
このあとは、江戸時代の民家を改装したさかわ観光協会を訪ねた。

座敷に上がり、受け入れ先となるお茶農家の澤村さんにもお話を聞いた。
明治時代には高級な輸入品であった紅茶の生産地として栄えた。日本の希少品種“はつもみじ”を栽培している。
澤村さんのご夫婦は、ご主人がJAを早期退職。産業が衰退し、耕作放棄地が増えていくお茶をなんとかしたい、と農業をはじめた。
「お茶づくりは儲けにくいことも衰退の背景にあります。緑茶を生産していたんですが、ストーリーのある紅茶づくりをはじめたのが5年前です。」
はじめはJAに卸していたが、昨年からは炭火で自家焙煎を行った。そして以前から目指していたオリジナルブランド“紅”を立ち上げた。

今後は販路開拓に、手摘みや焙煎体験のできる観光農園も展開していきたい。そこで情報発信に力を入れてほしいと話す。
澤村さんのお茶をお土産として販売するのが、さかわ観光協会。
インターンをしている新潟出身の高橋さんに話を聞いた。もともとは東京在住。
地域に興味があり、これまでは東京にいながら関わってきた。深く入ってみたいと思い、参加したそうだ。
町内の飲食店マップづくりを進めて、取材の毎日だ。

酪農の横畠さん、お茶の澤村さんに共通して感じたのは、仕事に限らず暮らし方にも触れる機会だということ。
昨年長野県から移住、スタッフとして働く竹花さんはこう話す。
「新潟から高橋さんが来た意味は、マップづくりだけじゃないと思うんです。まず観光協会が元気になりました。彼女が自転車で町内を走る姿が見えると、まちのみんなが喜ぶんですよ。」

協会を後にして、空港へと向かう車で、レオさんはこう話してくれた。
「いなかに興味があるけれど、はじめ方で迷う人も多いと思う。きっかけは人じゃないかな。まず会ってみたらいいと思います。」
「『一生ここにいないといけない』なんて気負わず、飛び込んでみたらいい。気になったからもう少しいてみる、ということだってあっていい。すなおに行動することで、次のステップは自ずと見えてくると思います。」
いなかパイプがきっかけとなり移住した約30人も、訪れた経緯に、現在の生き方も人それぞれ。

移住した一人、小清水さんは東京でソーシャルワーカーをしていた。2011年に夫婦で移住すると、カゴノオトという場を立ち上げた。カフェレストランを2人で営みつつ、ご主人は店の改装を手がけ“つくる”仕事に取り組んでいる。
いくつかのパターンに分類することも考えたけれど、なんだか違う。30人30色の歩みがあった。

その背景を読み解くと四国で唯一、本州と陸続きになっていないこと。森林が面積の90%近くを占めていること。だからこそ、企業や工場誘致には向かなかったようだ。高齢化率が全国トップレベルの課題先進地ということも影響している。
一方で「雇用」から「仕事をつくる」へシフトしつつある流れを考えると、いなかのフロンティアと言えるかもしれない。事実、高知は自営業率が日本一。
そして、いなかのフロンティアは、日本のフロンティアかもしれません。
最後に、現地で耳に残った言葉を紹介します。
「地元のお父さんお母さんは苦労も色々してきたと思う。でも選んだ人たちの顔なんですよ。移住したみなさんもそう、いい顔をしていると思います。」
(2014/3/28 大越はじめ)