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ミリ単位の寸法で描かれる設計と、それを忠実に実現する施工。結果が定められた中でいかに完成度を高めるのか。取材をするまで、建築の施工の仕事はそういうものだと思っていました。
設計者から渡されたバトンに、施工者は自分のアイディアを重ねていく。チーム全員がリレーでつなぐようにして、空間づくりをしている人たちがいます。

自社のアトリエ工場を持ち、そこで制作した内装材や家具による、手づくりの空間を提案しています。
今回募集するのは、クライアントの打ち合わせから施工まで、プロジェクトの進行管理をするディレクター。
建築の経験はないけど、興味があっていつかやりたいと思っている。そんな人にも知ってほしい仕事です。
表参道の駅を降りて、コム・デ・ギャルソンやプラダの前を通りすぎ、根津美術館のほうへ。
眺めの良いゆるやかな坂を下ると、さっきまでの華やかなショップの姿はなくなり、住宅が建ち並ぶ静かな場所を歩いていた。

中へ入り、打ち合わせスペースへ通される。
周りを見渡すと壁、テーブル、椅子が金属でできた独特な形をしている。聞いてみると、これらすべて、墨田区にあるアトリエ工場でつくられたものだそう。

それも、ただ図面が工場へ流される形ではなくて、制作スタッフたちはより良いものをつくるために、デザインに自分のアイディアを織り込んでいく。最後は当初のプラン以上のものができあがるそうだ。
スタッフひとり一人が、いい空間をつくることを追求しているのだと思う。
こうした仕事をするようになった経緯を、代表の田中さんに聞いてみました。

大学2年生のとき、日本と一番違う場所へ行ってみたいという思いもあり、当時飢餓で話題になっていたケニアへ行く。
「引っ込み思案であまり自分を表現するほうではありませんでした。それがケニアだとすごく動き回れた。様々な人に出会って、キリマンジャロに登ったりもして。俺はこんなことができる、変わったんだと。でも帰国してから1週間くらい経つと、元に戻っている自分がいて。ケニアでの自由な感覚はどこからきているんだろうと考えました。」
「あの頃の日本人は、ケニア人にとって完全なストレンジャー。彼らからすれば自分はどんな行動をとってもおかしくない。その行動を拘束する力は、共同体から来ていると思ったんです。それからは、日本人という共同体の中にいることの不自由さみたいなものを感じていました。」
卒業後はゼネコンへ就職。鉄道の高架橋などをつくる土木の仕事を担当した。
ただ、何をつくるかというところから関わることがなく、すでに決められたものをいかにサポートするかの仕事だった。
周りの価値観は、どれだけ大きな現場を任され、世の中の注目を浴びているかというもの。あまり共感できなかった。
「何をつくるのか、というところから自分は関わりたかったんだと気づきました。」
建築ならそれができるんじゃないだろうか。田中さんは会社にアメリカへ留学させてもらい、建築を学ぶことにした。

捨てられたものを見ると、高級車もあれば一般車もあった。ここへ運ばれる前は価値があったものとないものが混在している空間。
アメリカでニッポンジンとして扱われることに違和感があった田中さんは、そんな、全部が一緒くたになって自然にある状況が、気持ち良く見えた。
「誰でも入って来られるような空間の秘密がそこにはあって、そんな空間をつくりたい。スクラップを2枚の格子の壁に挟み込み、それを組み合わせて建物をつくるシステムの研究をしました。」

手元にあるのは開発途中のパーツだけ。それを組み合わせてつくったテーブルや棚を売ったり、青山に事務所を構えてショールームにしてみたけど、なかなかビジネスとして成立するにはほど遠い状況だった。
そんな中、通りがかりに訪れた営業の新人に、ここで働きたいと言われる。
「もともと建築や内装の経験があったわけじゃないんですけど。彼はすぐに原宿で什器を扱うアパレルにガンガン営業をかけて、どんどん仕事をとってきてくれたんです。」
什器をつくって店舗に納めていくうちに、店全体をつくってほしいという依頼が来るようになった。
「最初はアパレルや雑貨からの依頼でした。しばらくして、アメリカで飲食店デザインの経験のある久保が入ってからは、飲食店や美容院のデザインもやらせてもらうようになって。」
加わる人によって、会社のできることも増えていくんですね。
「システムができあがってないから、ひとり一人が会社をつくっていくんです。誰が使われているわけでもなく、誰が経営者ってことでもない。」

基本設計を担当する田中さんは、クライアントから引き出したイメージから、コンセプト文章とパースをつくります。詳細設計図がつくられた後、次の担当者たちは図面だけでなく、この文章とパースも渡される。
「次の新しい担当者は、引き継いだものを『素材』としてみてもらいたいです。素材だから、どう調理するかはその人次第。自分ならこれを足すとか、これを引くとか、そういう解釈をつけて仕事をしてもらいたいです。」
多少勘違いがあっても、それはそれでいいと言う。
「逆に全く一致することは、まずないですね。伝言ゲームで間違えた部分みたいなものは、楽しむべきことだと思っています。」
そうして生まれる「創造性の連鎖」。
「自分が予想していなかったものができるし、世界にひとつしかないっていうかたちを自信をもって出しています。」
「お客さんは『他にはない店』を求めるようなこだわりのある方が多いです。期待度が高い仕事なので、いつも楽しんでやれています。」

けれども、ここ数年に入った人はなかなか続かなかったそうだ。なぜだろう?
「会社のシステムができあがって、それを補填するような募集をしていました。それは明らかに以前の出会い方とは違っていて、合うのが難しくなっていたんです。」
「これからは考えを変えて、ベースとして、ここに共感してくれる人に入ってもらいたいです。そして入ってくれる人によって会社自体が変わっていくかたち。それが正しい人との出会い方かなと、改めて思ったんです。」
新たに募集する人は、どんな仕事を担当するのでしょう?
「ひとつの案件を最初から最後まで管理するディレクターです。僕や久保と一緒にクライアントとの打ち合わせから付いてもらって、プロジェクトについて全部を把握してもらいます。その後は、テクニカルアドバイザーのサポートを受けながら、工場のクリエイターへ依頼をして、施工現場を管理します。」
テクニカルアドバイザーというのは、現場での法規的な部分など様々な面でディレクターをサポートする人。担当する西さんは現場監督の経験もあるので、経験がない人でも分からないことがあれば聞ける環境にある。
基本的にディレクターは現場で工具を扱うことはないのだけれど、次の工程へ急がなければいけないときなどは、インパクトドライバーを使ったり、ノコギリで木を削ったりすることもあるそう。
「力仕事だったりするので大変かもしれませんが、そんなとき施工に来るクリエイターや大工さんに先回りしてお願いすれば解決できます。もう発注して材料も揃っているのでお願いします、と。手が動く人たちなのでみんな嫌がらないですね。」

「コミュニケーション能力がある人。わからないこと、思ったことをストレートに伝えられる人がいいと思います。それと、つくることに興味があるのなら自分で変えてもいい。良くしようという気持ちが確認できれば全然構いません。」
デザイナーやクリエイターとフラットな関係で仕事ができるとはいえ、実際は年齢や経験の差を感じてしまうかもしれません。大切なのはコミュニケーションをとること。相手の話に耳を傾け、自分の思ったことをしっかり伝えること。
そして、それぞれの担当者が自由な創造をしていくためには、ディレクターが最初から最後まで先回りして、ちゃんと全体を管理する必要がある。そうすることで絡まることなく連鎖がはじまっていくのだと思う。
デザイナーの久保さんにも話を聞いてみました。

帰国後は、建築分野の唯一の知り合いだった田中さんのもとで手伝いをはじめ、その後スタッフとして加わる。
「建築家やデザイナーがトップにいてピラミッドになってしまうデザイン、独立をめざして自分の思うままにしようとするかたち。そんなやり方に疑問を持っているという田中の話を聞いて。みんなが自分のプロジェクトと思えるように、それぞれがインプットできたり変えたりできる。そんなシステムに共感を覚えましたね。」
どんな人に来てもらいたいですか?
「うちの理念は、まず楽しめと。楽しめるのが一番なんです。ポジティブにいろいろ吸収するタイプの人がいいですね。」

全体を管理する仕事というのは充足感がある一方、大変なことでもある。だけど、未経験でもチャレンジできる環境がグリッドフレームにはあると思います。
(2014/5/5 森田曜光)