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贈る島から

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福岡からは約140km、そして韓国釜山からは約50 km。

国境に位置する長崎県の対馬(つしま)を訪ねました。

約33,000人がくらすこの島は、かつて朝鮮半島と日本の交易拠点を担ってきました。

稲作、そば、仏教、陶器… 多くの文化がこの島を経由して、日本へと伝来したといわれます。

1 「島の日常をくらすように旅する」ツーリズムコーディネーターの仕事です。

募集を行うのは、対馬に移住した7名からなる一般社団法人MIT(ミット)。

2013年に立ち上がり、日々地域づくりに取り組んでいます。

対馬へは、博多から飛行機もしくは船で向かうことができる。

土曜の朝、博多港を出発したジェットフォイル。

「本日は穏やかな天気につき、大きな揺れはないものと予想されます。」

アナウンスの通り、船は静かに進んでいく。

船内は、方言混じりに話すお父さんたち、釣り客らしき人、週末を過ごす親子連れでにぎわっている。ちらほらと、若い人の姿も見える。

2時間ほどで、対馬が見えてきた。

港を降りるとMITの理事、川口さんが迎えてくれた。

2 「わたし、青森の出身なんですよ。」

バンを運転しながら、川口さんは移住までのいきさつを話してくれた。

「東北の大学院の研究室に所属していました。企業向けの環境コンサルティングを行ってきたんですが、提言だけで終わってしまうことも。政策を現場に落とし込むところまで手がける必要性を感じたんです。」

「そんなときに、対馬の地域おこし協力隊の募集を見つけて。」

対馬は日本の中でも独自の生態系が見られる土地。

サルやクマがいない代わりに、ツシマヤマネコが見られる。国内で唯一ニホンミツバチのみが生息する土地でもある。

また、島の1/7が壱岐対馬国定公園に指定されており、天然記念物の植生も多く見られる。

川口さんの仕事は、生物多様性をテーマとした研究員。着任したのは2010年6月のこと。

活動拠点となった志多留(したる)地区で、歴史、自然、文化と日々の暮らしが重なり合うことに魅せられる。

任期終了後もこの土地に暮らし、魅力を伝えていきたい。その思いから、2013年3月に仲間たちとMITを立ち上げた。

3.. MITはみつける(M)・いかす(I)・つなぐ(T)の頭文字をとったもの。

コンサルティング、大学生のインターンシップ受入、デザインと多様な切り口から対馬の地域づくりに取り組んでいる。

そしてMITの軸を担っていくのが、今回募集を行うツーリズムコーディネーター。

その仕事は大きくわけて2つあります。

「まずはグリーンツーリズムの推進。対馬には、伝統的な養蜂や、原種に近いソバの栽培、弥生時代から続く稲作など、日本人の暮らしの原点ともいえる人の“営み”があります。また漁場が近く、旬の魚を鮮度よく食べれるのも対馬の漁業の魅力です。訪れた人が、島に暮らす人と共に時間を過ごす。そして暮らしを見つめなおしてほしい。本当に豊かな時間を過ごしてほしい。そのためのグリーンツーリズムです。」

「暮らしに裏打ちされた極めて独特で貴重な自然もあります。その背景をきちんと説明してほしいんです。ツアーに参加した後、自然と人間とのかかわり方を見つめなおせる。そんな旅をコーディネートしてほしいです。」

現在はトライアルの段階として、モニターツアーを実施しているところ。

川口さんは、対馬を「掘れば掘るほど魅力の出てくるマニアックな島」と説明する。

それもそのはず。

対馬は、600年頃より、朝鮮半島との交易の地として栄えてきた土地。

3. 江戸時代には国の収支の四分の一を稼ぎ出したほど。

物流の経路が変わる中で、戦後には交易の地としての役割を終えたが、1,000年以上にわたる歴史文化の積み重ねは、島の随所に見受けられる。

けれど、現在行われているバスツアーで名所を巡り、お土産屋さんで買い物をする観光が、地域資源を十分に活かしているとは言いがたい。

そのことは、数字にも顕著に現れている。観光客の約9割は韓国人。

韓国から一番近い“外国”には年間30万人訪れる一方、日本人観光客は年間2万人に留まる。

「まず、日本で知られていない現状があると思います。ターゲット設定や広報に取組み、ツーリズムを事業化していってほしいんです。」

これからやってくる人は、まずは素直に聞ける人がよい。

「対馬には、各分野の暮らしのプロがいます。そうした方たちの話を聞き、出合わせるようなツアープランをつくってください。地域にすでに魅力はあるんです。あとはいかに伝えていくのか、ということです。」

まずは、自分が対馬を楽しむことからはじまると思う。

ここからは、地域の方を訪ねていきます。

最初に話をうかがったのは、対馬エコツアー代表の上野さん。

4 北部の上島、南部の下島に分かれる対馬。その中央に位置する浅茅(あそう)湾でのシーカヤックを行っています。

上野さんのツアーの特徴は、カヤックで遊びながら、対馬の歴史文化に触れることができる点。

「たとえば浅茅湾には、約1,300年前に防人が建てた日本最古の山城“金田城跡”があります。その周囲の自然も保全されており、防人の見た景色がそのまま残っています。この土地の自然の成り立ちを聞きつつ、その周りをシーカヤックで巡るんですよ。」

その景色は、海外の方にも喜ばれるという。

あるドイツ人ツアー参加者は、「世界中を旅してきたけれど、こんな景色を見たのは対馬がはじめて」と話したそう。

その他にも、サツマイモを主原料とする郷土料理のろくべえをいただいたり、1,500年前から続く養蜂の巣箱である丸太をくりぬいた “蜂洞(はちどう)”も見学する。

上野さんは、10年間の活動を通してお客さんに出会い、対馬だからできることに気づく。

「対馬ほど歴史や文化が伝えられるところはないんです。エコツーリズムのメッカは、西表島や小笠原諸島とされていますが、並ぶことのできる島だと思います。」

「実は自然も極めて豊かな土地ですよ。浅茅湾は、リアス式海岸に囲まれた独特の地形をしています。無数の小島と入り江という複雑な地形は、色々な景色を楽しませてくれます。感度の高いお客さんにも恵まれています。」

4.. 続けて向かったのは、30年以上にわたり農家民泊を営まれている神宮(しんぐ)自然農園さん。

この日、神宮さんを訪ねると並べきれないほどのご馳走が。

カツオのたたきに、旬を迎えたイサキの刺身。この神宮さんが絞めた鶏を一匹丸ごと出汁にした“いりやき”という鍋料理。その他にもサザエのつぼ焼き、伊勢海老の味噌汁、うに、ぼたもち…

6 これだけのご馳走をいただいて、一泊二食で6,500円。

川口さんは、対馬の“贈る文化”を体現していると話す。

「野菜や魚は日常的にいただきます。軽トラに収穫用の農機具をいただいたこともあります。そこでお礼をしようとすると、『いいからいいから、見返りがほしくてやったわけじゃない』って言うんです。」

贈るのはものに留まらない。

「あるとき、田植えのイベントを企画したんですね。けれど前日に、用意していた苗を鹿に食べられてしまったんですよ。そのとき神宮さんが苗を分けてくださったんですよ。おまけに一日つきっきりで米づくりを教えてくれて。」

「対馬に来て、お金を得ることだけが豊かさではないと教わりました。民泊って、地の人に触れる機会です。たくさん話をして、ここにある豊かさに出会ってほしいです。」

7 人との出会いは、移住やリピーターへとつながっていく。

MITのメンバーもそうして対馬へとやってきた。

国土交通省に勤務し、離島振興の政策に携わってきた冨永さん。

美大を卒業後、上野動物園に勤めた後に島デザイナーとして移住した松野さん。

そして、環境コンサルタントを経て島に飛び込んだ吉野さん。

川口さんはこれから来る人について、季節に合わせて色々な仕事に取り組んでほしいと話す。

MITの目指すツーリズムは、着地型観光とも呼ばれる。オルタナティブツーリズムとして着目されつつある一方、事業化は決して簡単ではない。加えてオフシーズンがある。

そこで求められるのが、旅のお土産となる特産品づくり。

「今後は通販サイトを立ち上げる予定です。日常から商品を通して対馬とつながり、休暇には再び対馬を訪れる。そうした流れがつくれたらと思います。」

対馬には、豊かな海山の幸がありながら、それらを十分に活かせた特産品がないという。

実はひじきの生産量が日本一。けれど原料として県外に出荷するため、知名度が低い。一方日本一ともされる原木しいたけは、桐箱に詰められた超高級品としてお土産屋さんに並ぶものの、手にとりにくい。

8 旬を活かした海の幸は、ツーリズムとお土産のセットで提案できるかもしれない。

紅葉の季節に旬を迎えるのはいなサバ。一年を通して漁獲量の多いイカは、たたきイカとして販売される。

「ここに来て、魚のほんとうのおいしさに出会いました。たとえばブリ。市場で高値がつく12月のものは、地元の人は食べないんですよ。ほんとうにおいしいのは2月なんです。これを口にすると… 魚の見方が変わりましたね。」

最後に、MITの地域づくりに対する姿勢が伝わってくるプロジェクトを紹介します。

川口さんが取り組む志多留地区における耕作放棄地の再生です。

「山を切り拓いてつくった田んぼ。その脇を流れる蛇行した用水路。わざと曲げることで、水流を抑え洪水を防ぐんです。用水路にはメダカにウナギが生息して。ツシマヤマネコがエサを手に入れる場でした。それから畦道には葦原が広がっていたそうです。大陸へと向かう渡り鳥が、外敵から身を隠し、羽を休める場でもありました。」

9. 現在は耕作放棄が進み、地形も荒れつつある。ウナギも、渡り鳥の姿も珍しくなった。

「何世代もかけてこの土地をつくり、受け継いできたんですよね。川の水の流れ、木を植えた位置、家々を形成した場所も。一つひとつが試行錯誤の結果です。いま田んぼを再生することは、次の世代が渡り鳥に出会えるということです。」

MITでは、一人ひとりが地域に関わりながら、自分の好きなことに取組み、カタチにしていく姿が印象的でした。

ツーリズムにも同じことが言えると思います。そんな生き方をしたいと思っている方は、対馬を訪ねてみてください。

夏真っ盛り。気持ちのよい季節です。

(2014/7/30 大越はじめ)