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「職人は、自分の技術を売って飯が食える人間です。手づくりでもね、下手くそやったらしょうがない。機械の方が、よっぽどかちっとしたものをつくりますわ。左右対称でね、美しくて。じゃあ、人の手でつくる意味はどこにあるのか。」
徳永さんは、従来のサンドペーパー仕上げをやめ、7年前から鉋(かんな)で家具を仕上げています。
きっかけは鍛冶師大原康彦さんとの出会い。
県内を流れる千種(ちくさ)川で砂鉄を採り、たたら製鉄により玉鋼(たまはがね)をつくる。
切れ味を追求して製鉄から行うこともある鉋をはじめて使ったとき、その経験したことのない切れ味に、鳥肌が立ったと言います。
「鉋仕上げをして、はじめて木のほんとうの表情を見れた気がします。」
徳永さんは、木には生まれ育った気候、さらには山の植えられた場所により、一本一本異なる表情があると言います。
「日本にしかない鉋、そして500年にわたり植林されてきた木。日本の培ってきた技術を、家具という形で伝えていきたい。そう思うんです。」
この秋、徳永さんは奈良県吉野郡に新たな家具工房をはじめます。
鉋仕上げの技術を習得しつつ、工房を軌道に乗せていく。
人の手による木工家具づくりを仕事にする弟子を募集します。
工房が軌道に乗るまで給与は発生しませんが、2年間の研修期間は寮生活となり、生活にかかる費用が保障されます。
木工に関する現時点での経験は問いません。
記事を読み気になった方。木工への道を探していた方。すでに道を歩み、次のステップに進みたい方。
まずは最後まで読んでみてください。
神戸市の北、六甲山系を越えたところに徳永家具工房を訪ねました。

工房からは丸太を製材する音、シュッシュッと鉋で木を削る音が聞こえてきた。
徳永さんに話をうかがいます。
兵庫県出身の徳永さんは岩手大学に進み、農業を学ぶ。そこで人間国宝の氷見晃堂氏に出会い、紹介された選択無形文化財保持者の竹内碧外(へきがい)氏に弟子入りした。
「職人の道に入り、最初に覚えるのは技術力ですわ。いかに正確に削れるか。早く挽けるか。たしかな技術力を身につけた先に、木の表情を引き出すデザインができるようになるという考えでした。」

過去にさかのぼると、家具職人としての経験をベースに、デザインを生み出したデザイナーは多いという。
たとえば、500種類もの椅子を生み出したデンマークのウェグナーもそう。
「技術とデザインは、頭と体のようなもの。体がしっかりしないことには、頭だけではいいものができない。僕はそう思います。」
ここで鉋仕上げの椅子に座らせてもらう。
印象的だったのは、肘掛けの手触り。どこか人の手のような温もりが感じられる。
「そこに人の手でつくる意味があるように思うんですよ。」
そう話すのは、あらたな工房の指導運営の中心となる森幸太郎さん。
奈良の高等技術専門校で木工を学んだ後に、工房を訪ね歩き、徳永さんに出会う。
「いままで見てきた家具とは違うと思ったんです。すぐに頼みこんで働きはじめ、今年で4年目になります。」
工房では仕上げをサンドペーパーではなく、鉋で行っている。
鉋で仕上げると、木本来の美しさや手触りを引き出せるという。
「以前に電子顕微鏡で撮った写真を見比べたことがあります。ペーパーでは木をこすって仕上げるために、表面の細胞や導管がつぶれてガサガサです。よく切れる鉋で仕上げると、細胞や導管がきれいに残って見えます。生命感があるというのでしょうか。」

ここで、あるエピソードを聞かせてもらう。
「以前あるメーカーが、徳永の家具を機械で量産したいと提案してきたんです。当時最先端のNCルーターでつくったんですよ。形はほんとうにきれいですが、美しさが感じられない。おまけに腰かけると、どうにもしっくりこないんです。」
お客さんから声をいただいたこともある。
結婚を機に椅子を購入したご夫婦から届いた手紙。そこには「子どもがずっと椅子を触って離さないんです」と書かれていたそう。
「人が毎日の生活で使う家具や料理は、人の手で仕上げることが大切だと思うんです。」
現在手づくりの家具は、個人工房で受注生産によりつくられることも少なくない。価格や流通面において、手にとれる人が限られている。
「人の手でつくる家具が、もっと家庭で使われるようになったら。そして、家具づくりを志す人が仕事として成り立たせていけたら。その最初の試みだと思っています。」
ここからは、奈良県の工房予定地を訪ねることに。

かつては日本で最初の手形が発行されたほどに商業が栄えたまち。
また家々では、木材を原料としたものづくりが行われている。
神社の賽銭箱や神棚をつくる神具(しんぐ)。正月にお餅を載せる三宝(さんぽう)。そして、洗って何度も使いたくなる割り箸。
「吉野郡は、日本林業のメッカです。独自の植林技術を編み出し、全国へと広めていったんです。年輪の幅が狭く、色目がよい杉・ひのきは、日本一とも呼ばれています。」
ところで柔らかい木質の杉は、これまで家具には不向きとされてきた。
けれど、使い方次第で可能性はあるという。
強度の求められる脚には欅(けやき)を。そして座面や背もたれなど人の触れる部分には杉を用いると、柔らかさと温もりのある椅子が生まれた。
徳永家具工房では、すでに吉野杉を材料とした家具を制作。展示会も行い評価を得ている。

「吉野では500年にわたり人が木を育ててきました。実はすごいことなんですよ。ドイツの黒い森でもせいぜい200年ですからね。世界的に見ても、これだけ良質な木材が安定して手に入るのはすごいことです。木工を営む上で、極めてうれしいですね。」
ここで、下市町にある製材量県内一の㈱大紀製材所を訪ねる。
木を前にすると、徳永さんの足取りは途端に早くなった。
「これはええですわ。」
「こんなにいい欅があるとは思っていませんでした。吉野は杉ひのきだけでなく、広葉樹もいけますよ。」
工房は、市街地から5分ほど坂を上がった高台に位置する。
町の協力により、かつて水道局の管理センターとして使われていた施設をリノベーションすることに。
実家が製材所という町長の杦本(すぎもと)龍昭さんはこう話す。
「工房の立上げ、家具職人の育成には県と連携し、町としてサポートをしていきたいと考えています」

職人を志す上で、必要な経験はあるのでしょうか。
「これまでの経験や職歴は問いません。まずは気持ちを大切にしたいです。というのも、会ってみないとわからない部分も多いんですよ。たとえば一番若い大濱は、企業の内定を辞退して工房に入りました。木工の経験はないけれど、職人の気質を備えていると思います。」
工房を訪ねて、その雰囲気に触れてわかることもある。9/13には工房見学会も行います。引っかかるものがあれば、まずは連絡をほしいという。
弟子入りすると、どんな日々を過ごすのだろう。
まずは、自分の手に合った鉋の木台をつくることからはじまる。そして、刃の研ぎ方、そして削り方を覚えていくことになる。

「訓練というよりは、最初から仕事として商品をつくっていきたいです。まずは小物、ゆくゆくは家具。自分のつくったものが世に出る緊張感を持ちつつ、鉋一本で食べていける腕を身につけてほしいです。」
同時に数をつくることも追求していきたい。
「たとえば脚は、機械で大まかに成形してから鉋で仕上げていきます。ひたすらに同じ作業をくり返す日もあるでしょう。流れ作業のようで、一見面白くないかもしれない。」
「ただその中で、技術が身についていきます。その先にデザインもある。信じてやってほしいです。」

徳永家具工房では年に3、4回のペースで展示販売会を開いているという。
なかでも前衛的な展示が目立つ。
奈良の寺院“旧世尊院”や、灘の酒蔵“酒心館”における企画展。来年10月に、パリで開かれるデザイン市“メゾン・エ・オブジェ”への出展も視野に入れている。
また、富山や静岡の取扱い家具屋から依頼を受け、展示実演を行うこともあるという。
「職人と聞くと、寡黙にものづくりだけをしているイメージかもしれませんね。展示は、日々の仕事を言葉に表すよい機会でもあるんです。」
「あらたな工房においても、積極的に展示を設けます。販売を見据え、早い段階からお客さんを広げていきたいですね。徳永家具工房や、奈良県内のものづくりとの連携も考えられるでしょう。」

一脚が10万円以上する椅子だけれど、意外に若い方が購入していくそうだ。
「不思議なことに、60代以上の方は見向きもしないんですよ(笑)。結婚の記念や、家を建てた際に購入する人。20、30代の方が、一生ものとして買っていくんです。ものに対する価値観が大きく変わってきたのかもしれませんね。」
「あらたな工房では手頃なラインもつくることで、手でつくる家具の裾野を広げていきたいです。海外への展開も行っていきますよ。」
最後に森さんから。
「この先こうなります、って約束はないんですよ。でも、鉋仕上げの家具には手応えを感じます。将来形になる希望、確信があるんです。その点では、師匠である徳永も、僕らもみんな同じです。一緒につくっていきたいです。」
技術を身につけつつ、工房を軌道に乗せる。寝ても覚めても木工に取り組める2年間だと思います。
木工で食べていく。自分の2年後を形づくっていってください。
(2014/8/29 大越はじめ)