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島はよかろ?

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※かさおか島づくり海社でよい方と出会えたので、予定より早く募集を終了しました(2014/9/2)

産業構造の変化や人口の減少で、全国で進む少子高齢化。なかでも中山間離島地域にはひと足早く訪れています。

地方の現状をネガティブにだけとらえず、そこに眠る魅力や新しい可能性を見つける。失業中の求職者に向けた今回の募集では、瀬戸内の島で1年をすごしながら成長する人材を求めています。

新幹線を福山駅で降りてから、30分とかからずに笠岡港へ着いた。7つの有人島が連なる笠岡諸島への玄関口は、意外なほどアクセスがいい。

船の便数も1時間に1本以上。しかし、この便利さが島の人口を減らしていると取材中に気づいた。高速艇に乗り、北木島(きたぎしま)へ。

kasaoka 船を降りると、取材に先だって中学校の教室を改装した部屋へと通された。島の産業史を伝える小さな展示室だ。

笠岡諸島のなかでいちばん大きいこの島は、人口およそ1,000人。かつては北木石という銘石の産地として知られた。大阪城の石垣や日本銀行の建物にも使われたらしい。

最盛期は127カ所の採石場があったが、現在は1カ所のみ。島外から持ち込まれる石材の加工業が中心になっている。

kitagiishi 産業の衰退とともに、若い島民がいなくなった。島にあった3つの小学校は1つに統廃合され、近くの小学校は廃校になった。

補習の帰りだろうか、中学校の生徒たちは元気いっぱいに校庭で流しそうめんを食べていた。全校生徒は7人だ。

この日の船で一緒に島へ渡っていたのは、島外の中学校に勤める化学の先生たち。北木石の研究と、課外授業の候補としてのリサーチを兼ねていたようだ。こうした見学をアテンドするのも、今回の仕事「地域観光プロデューサー」の1つかもしれない。

NPO法人かさおか島づくり海社のスタッフ募集。読みは「かいしゃ」だが、島民から「うみしゃさん」と呼ばれている。

島づくり海社のスタッフに案内されて着いたのは、元幼稚園の園舎をそのまま使った事務所だった。

jimukyoku 事務局長の石井洋平さんは25歳。岡山の大学を卒業後、新卒で島づくり海社へ就職。現在4年目を迎える。

就職のきっかけは、なんでしたか?

「大学時代、産官学の連携で学生インターンシップの募集があったんです。僕は学生時代バイトに明け暮れていたんですが、大学の掲示板でポスターを見て、就職活動に有利かな、となんとなく応募したんです。」

ishii 「そこから人の縁が生まれて、島への就職にいたりました。だから、離島振興という大きな目標をかかげたのではなく、個人的な動機でしたね。」

具体的にどんな仕事をしているのでしょう。

「僕の仕事は総務に近いものです。島づくり海社の職員は、各支社のパートやアルバイトをあわせて49人なので、その取りまとめがメインです。」

各島にまたがる大きな組織だ。電車に乗るように、石井さんたちは船でひんぱんに島を行き来する。

「北木島で2箇所、別の2つの島でデイケアサービスの施設を運営していて、その専任スタッフが20〜25人です。そのほか、ミニバスによる島内交通(過疎地有償運送事業)も週3回ドライバーとして提供しています。僕もスクールバスで生徒の送迎を担当してますよ。」

そのほかに保育園運営や、笠岡市街地での特産品アンテナショップ運営などもあって業務内容は幅広い。

ふと、スケジュールが書いてあるホワイトボードに目をやると「布団干し」の字が。

「神戸の中学2年生が130人、サマーキャンプで北木島に訪れるんです。昔は島で臨海学校もよく行われていたようですよ。いまは廃校の利活用として、元小学校と離島センターを使ってもらっています。そのために寄付された布団を干すのですが、地元の協力なしではできない合宿です。」

島に暮らす人をふたたび増やすには、まず島に興味を持ってもらうことが必要だ。観光業はその一歩にあたる。

実際、北木島の石材工場には若い職人も働いている。でも、夕方の船で島民が「陸(おか)」と呼ぶ、笠岡の市街地に帰ってしまう。十分に通勤圏だからだ。

島づくり海社の事務局次長、東馬場 洋さんも、家族と暮らす笠岡から船で島に通っているひとり。

今春まで4年間、岡山県西粟倉村で地域資源を使った特産品開発に挑戦していた。第一子が生まれたのを機に笠岡市へUターンし、親戚が所有していた家へと移った34歳だ。

baba 島に住まない理由を、教えていただいてもいいですか?

「僕はぜひ住んでみたいのですが、現状では妻の仕事の都合もあり、島で0歳児を育てるイメージを夫婦で描きづらいんです。」

北木島には常駐の小児科医はいないから、万が一、子どもが急患のときには海上タクシーで陸の市街地の病院へ行くことになる。お母さんの立場だと、大きな病院のある市街地を選ぶ気持ちはわかる。

この日、港には年に数回寄港する診療船が停泊していた。

shinryosen 地域観光プロデューサーは、こうした島の現実、危機も可能性も見すえながら、未来を思い描ける人が求められている。

今回の求人では、東馬場さんが中心になって、人材養成プログラムが作成された。

「笠岡諸島の内外に出かけていき、コミュニケーションをとっていただく内容です。」

どんな人が向いていますか?

「笠岡をかけ回って、土地や人の魅力を見つけていける人、この島ならではの生きかたを考えられる人だと思います。1年は短いですが、島にある程度のきっかけを残してもらいたい。島で暮らしたいと思ってくれて、できれば長期間、ずっと携わってもらいたいですね。」

島の魅力はどこにあるのだろう。画家としての顔も持つ東馬場さんはこう説明してくれた。

「以前、仕事をしながら作品をつくっていたときは、自己実現欲や満たされない承認欲求がありました。そのモヤモヤしていた部分を、いまは島の仕事を通じて実現できていると感じています。作品制作への意識や欲求も変わってきましたね。」

NPOの活動は「ニーズの塊」だと東馬場さんは言う。

送迎のスクールバスを運転する仕事を見学していたときのこと。ある女の子が「プールの教室で靴をなくしてしまった」と途方にくれていた。

子どもたちや校長先生と一緒に、靴を探す。これも島での仕事だ(その後、靴は無事に見つかった)。

誰がなにを必要としているかダイレクトにわかるから、誰かに必要とされている実感も得やすいと思う。

pool 地域の特産品を開発することも忘れていない。

北木島の石材加工技術を応用した近海魚の「灰干し(はいぼし)」は、季節の魚を低温暗室熟成させてつくる贈答品。

紫外線で栄養素を失わない干物は、高級品として販売しようとプランを練っているところだ。こういう仕事では、人に美味しさを伝えられる能力が役立つかもしれない。

取材中、隣りの島で会議を終えた島づくり海社の理事長、鳴本浩二さんが自艇で帰ってきた。

rijicho 北木島で石材会社を営むかたわら、島おこしの活動に携わってきた経歴を持つ。

事務所が置かれている元幼稚園は、鳴本さんや子どもたちが卒園した思い出の施設。すべり台がピカピカの状態で残されている姿に、未来にかける思いを感じる。

こうした施設や空き家を、うまく利用できるといいな。

「空き工場を再生するにしても、いろんな使いかたのアイデアは出るんです。データセンターにしようとか。そのアイデアをビジネスに直結できる人が必要です。学生のアトリエにするとか、実際にそういう動きも出てきてますよ。」

この3月には「北木ノースデザインプロジェクト」という空き工場を利用した取り組みもでき、少しずつかたちになっている。

アートプロジェクトが軌道に乗ったほかの島ではなく、ここだからこそ始められることがきっとある。しかし、理事長は言う。

「もう島には、そんなに時間がないんや。人がいなくなるのは、やっぱり仕事がないからだし、夜も来たくなるような島にしないといかんね。」

その日の夜、何十年も前から理事長が家族ぐるみの付きあいがある「港屋」さんへ。石井さんたちが島の年配者にとけこみ、愛されているのがよくわかる夜だった。

minatoya 理事長が、東馬場さんにこんな相談をしていた。

「いろいろ島を見て、自分が何をしなきゃいけないかを考えるのは大切なことやと思う。でも、それで半年は十分つぶれる。次から次へできることをしないと、そんなに余裕はない。これができる人、という人材の募集がいいのかもしれん。でも、そんな優秀な人がこの待遇で来てくれるだろうか。お金ばかりじゃない、思いが先にないと続かんよ。」

思いだけで食べていけなければ、島を出ないといけない。

「1年で雇用を生む仕事をつくれるとは、とうてい思えない。でもNPOに入って、現場を見てもらい、自分になにができるのかを考えながら、固定給に加えて小遣いが生まれるしくみをつくろう、という挑戦をしてもらえるかもしれない。」

理事長いわく、緊急雇用の1年で実績を残せば、社員登用もあるとのことだ。

「そういうやる気のある若者に来てもらえたら、みんなで応援するよ。そんな人は2年目から島づくり海社で継続して働いてほしい。今回来てくれる人が、次のなにかを見つけるためのつなぎと思っていたら、うちらは寂しいもの。」

まずは、笠岡諸島の魅力を観光業で伝える。そのあとに仕事をつくり、ゆくゆくは住む人を増やす。息の長い仕事になるが、美しい自然が残る島で取り組む価値はある。

morning この島は都会が近いから娯楽はあるし、行き来もしやすい。そのぶんお金がかかるので、島を出ていく人が増えてしまった。どうすればその流れを変えられるだろう。

昔、栄えた歴史がある土地だから、島おこしの取り組みに大変なこともあると思う。島ごとで文化も違うし、北木島のような大きな島では、地域によって異なる決まりごとも多そうだ。

島を愛する人たちの意見をまとめ、調整して、実行する。同じように島を愛する気持ちを持って、自分の仕事にやりがいを見つけられれば、きっとできると思う。

kids 帰りの船に乗るとき、おかあさんからこんな声をかけられた。おだやかで、あったかい気持ちになれる島だ。

「島はよかろ? 気にいったら、住んでくだせえな。」

(2014/8/22 神吉弘邦)

※かさおか島づくり海社でよい方と出会えたので、予定より早く募集を終了しました(2014/9/2)