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人に必要とされ、感謝される。そして人が幸せになる。料理にはそんな力があると思います。

豊かな島の「海のレストラン」から、料理で地域を盛り上げる人を募集します。
豊島は、香川県の高松、岡山県の宇野からフェリーで30分。
豊島には家浦港、唐櫃港の2つの港がある。
今回、唐櫃(からと)港で迎えてくれたのは、海のレストラン店長の門脇さん。
坂道を上って進む車。後ろを振り返ると、棚田が広がる。
「豊島は、湧き水が豊かなんですよ。自動車で20分もあれば一周できる島内には、ため池が300ぐらいあるそうです。この数年で休耕田を開墾して棚田を復活させ、米づくりも行われています。」

さらに進むと左手には牧場。牛の姿が見えてきた。
「オリーブのしぼり粕を配合したエサで育てる“オリーブ牛”です。脂身はありつつもさっぱりしています。オリーブと言えば小豆島のイメージが強いと思いますが、実は豊島も栽培が盛んです。」

「島の規模が小さいので、島外ではなかなか目にする機会がないと思います。けれど実は、名前の通り“豊かな島”なんですよ。」
その歴史は、いまにはじまったことではありません。
戦前は、全国に先がけて乳牛の飼育を開始。ミルクの島と呼ばれ、戦後の食糧難の時代には、乳児受入れに取り組んできました。
現在の人口は約1,000人。ゆるやかに高齢化は進み、一校ずつある小中学校も、数年後には統合される見込み。
そんな豊島の転機は、2010年に開催された瀬戸内芸術祭。
会期後も島内には多くの観光客が訪れます。

豊島の豊かさを、料理を通して伝えたい。
その思いから、海のレストランは誕生した。第2回目の瀬戸内芸術祭が開かれた2013年のことだった。
「人はほんとうにおいしいと感じたり、感動したときは、周りの目を気にしなくなるもの。訪れた人が身も心も解放されてがっつき、かっこんで食べられる。そんな島の食堂になりたいんです。」

今回募集するのは、料理長。
和食、フレンチ、イタリアン… ジャンルは問わないので、料理人やシェフとして働き、料理の基礎のある方が望ましい。
加えてもう一つ大切にしたいことがある。
「料理を通して、人に幸せになってほしい。そんな思いを持っていてほしいです。」

「どんな人に来てもらうのがよいか、少し迷っているんです。」
「技術も大切ですが、それ以上に『“食”を通して地域を盛り上げたい』という思いのある方に来てほしい。海のレストランには、すでに正解が用意されているわけではありません。試行錯誤しながら、一緒に島の料理をつくっていきたい。だから、自分は経験が浅いと思う方も、まずは連絡をほしいです。」
今回の募集は、2016年に開催予定の第3回目瀬戸内芸術祭も視野に入れたもの。
長い目で、料理を通して地域に関わりたい人に来てほしい。
ここからは、豊島の食材を訪ねることに。
レストランから5分ほど歩くと、海では漁師の浜中さんが、素潜りをしているところ。
1時間ほどで、浜中さんは陸へと上がってきた。
この日の収穫は、サザエとアワビを合わせて十数枚。

浜中さんは理由をこう説明する。
「旭川に吉井川。2つの川から栄養分の豊かな真水が注ぐおかげで、海藻が豊富です。海藻を食べることで、魚介類の味もよくなります。」
旬の幸を楽しんでほしいという。
「いまはアワビですね。秋になるとサザエ。冬はナマコやワカメ。ワカメもね… しゃぶしゃぶにするとダシが出ておいしいんです。旬は一ヶ月程度と短く、気候によっても毎年時期が変わります。」
浜中さんは、料理方法にも明るい。
タコは塩ゆで、サザエはお造り、アワビは肝のバターソテー。素材に味がしっかりあるからこそ、シンプルな調理こそいきると話す。
食べてファンになる人も。島民の孫が東京からやってきたときのこと。
「浜中さんのタコをすっかり気に入ったんですね。東京に帰っても『タコ買ってタコ買って!』。でも、まちで食べるタコとは味が全然違うので。最近では『豊島にまた行きたい』と話すそうです(笑)。」
ここでもう一潜りしてくる、と浜中さん。

半年前までは、東京でラジオディレクターとして働いていたそうだ。
当時、担当していた番組で自動車で日本全国を巡り、その土地で活躍する人を取材・紹介してきた。
「5年間で日本を5周しました。その中で、魅力的な場所はそこかしこにあるなと思って。次第に、東京にこだわらなくてもいいなと思うようになったんです。」
奥さんとともに移住したのは今年3月のこと。
現在はレストラン近くにある社宅の一軒家で暮らしている。
「これからやってくる方も、単身者には寮を整備中です。家族連れの方であれば、一軒家も手配していきます。」
生活については心配せずに来てほしいと話す。

門脇さんは、ラジオディレクターの前には、店舗プロデュースの仕事をしてきたという。
「海のレストランはゆっくりした店だと思いますよ。営業時間は11時から17時。ディナー営業は予約をいただいたときだけです。繁忙期は週に1日休みですが、冬に入ると週3日の休みになります。」
休みを活かして、自分のやりたいことにも取り組んでほしいという。
食材の仕入れも島ならでは。島に来た当初をこう振り返る。
「毎日、新鮮な魚と野菜が手に入ると思っていたんです。でも、島中探しても八百屋も魚屋も見つけられなくて(笑)。」
食材を買えない?
「島の人たちはみんな自分で魚を釣り、野菜を育てていました。魚を手に入れるにはまず、漁師さんと友だちになること。人と関係を築くことからはじまるんですよ。」
レストランの食材仕入れは、島の人たちによる持ち込みが中心だという。
「いまの季節はトマトときゅうりがよく採れるので、お母さんたちがお裾分けを持ってきてくれます。それから浜中さんがウエットスーツのまま、アワビ片手に現れることも(笑)。仕入れ一つとっても面白いですよ。」

「山の幸に海の幸。お母さんたちは、季節のおいしいものをほんとうによく知っています。家庭で海で採ったテングサからトコロテンをつくったり。僕も教わるんですね。春にはタケノコがたくさん採れて。そのまま直火であぶって、ほくほく食べるのがもうね、抜群においしい。」
秋になれば、栗や松茸も採れるそう。
そんな環境を楽しめる方に来てほしいと話す。
「豊かな食材の味を活かすこと。そして、地域の人と一緒につくりあげていくこと。そこに、海のレストランの料理があると思います。」
今後は地域の人と協力して、特産品開発にも取り組みたい。
特産品として期待されるのが、レモン。
約2,000本を栽培する合同会社TILの堤さんを訪ねました。
手にとると、表面がごつごつとしている。
農薬を散布していないからだという。

現在は、個人向けの通販を中心に販売。全国の飲食店からの引き合いも増えているそう。
一方で、堤さんはこう話す。
「豊島で使っていただける機会が増えるといいなぁ、と思っていました。」
海のレストランでは、レモネードやリモンチェッロといったドリンクメニューを試作しているところ。
調味料としてはもちろんのこと、レモンから料理のレシピを考えることもできるという。
たとえば海や山の幸を揚げものにする場合。
レモンの風味がより活きるのは、天ぷらよりもフリットだそう。
レモン自体の味も、季節によって変わる。
「冬から夏にかけては黄色いレモンを収穫します。いまの時期は、酸味だけでなく、糖度が高いんです。だから毎日2、3個でも食べられるんですよ。秋になると、苦みを含んだグリーンレモンが成るんですね。」
農家だからこそできる、贅沢にレモンをつかったレシピもあるようだ。
訪れた人へ島の豊かさを届けたいという思いからはじまった、海のレストラン。
実はもう一つ、大切な役割があります。
それは、島民にとってハレの日に使うことのできるレストラン。

話をうかがうと盆に合わせて息子や孫が帰省するので、食卓を囲みたいという。
「子どもの誕生日祝いや、法事で帰省した人が集える。そんな期待に応えるレストランでもありたいんです。」
地域の人からも、馴染みの店になりつつある。
7月に一周年記念パーティを行ったときのこと。
「地域の人が50人も来てくれたらいいねと話していたんです。ところが、オープン前から人の列ができはじめ、オープンと同時に80人以上の島民の方が見えてくれたんです。おかげで食材も人手も足りず、大忙しでした(笑)。」
最近では、ハレの日に限らずランチを食べに来る人も増えているという。
門脇さんはこう話す。
「海のレストランは豊島と切っても切れない関係にあります。海のレストランを盛り上げることは、豊島を盛り上げることでもあるんです。」
訪れた人に地域の魅力を伝えること。身の回りの人に必要とされ、感謝されること。
料理が地域にできることがあると思います。
(2014/9/22 大越はじめ)