※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
「ぼくらは商売人じゃないといけない、という想いがあります。日本のいいもの、つくり手の想いを伝える、ということも大切ですが、継続できなければ伝えることができなくなってしまう。」日本百貨店の佃さんの言葉です。

ささやかにお店をする、というように趣味程度にできることもあるだろうけど、本気でものづくりをしている人たちは趣味では食べていけない。本気のものづくりに付き合うには、こちらも本気でものを売らないといけない。
そんなことを感じる取材でした。
日本百貨店では、店舗で働くスタッフを募集しています。今回はとくに全国各地をかけめぐる「出張!日本百貨店」で働く人の募集です。
羽田空港第1ターミナル。出発ロビーのある2階に日本百貨店のお店がある。

普通の人は通り過ぎるような場所で、お客さんが足をとめる。さらに店員さんとお客さんで会話していることが多い。
しばらく見ていると、日本百貨店の佃さんに会うことができた。
従業員用のエレベーターをつかって、バックヤードにある社員食堂のような場所で話を聞く。空港で働く人たちの憩いの場所だ。
佃さんは社会人になって、必ずしも順調に働いてきた方じゃない。人材サービスの会社に入ったけど子会社が倒産し、グループ会社で働くも悶々とする日々を過ごす。
「辞める前は自分が何をやっているのかよくわからなかったんですよ。いつかは社長になろうと考えて入社したんですけどね。」

そんなときに日本仕事百貨で、日本百貨店のことを知る。
「日本仕事百貨は読み物として読んでいたんですよ。そこで日本百貨店ができることを知って、スタートアップだし、好きにやらせてもらえるんじゃないか、と思ったんです。ゼロからはじめるから、仕事をしっかりすれば社長にも認められて、自分のやりたいことができるようになるかなって。それに日本のいいものを紹介するってこと自体も面白そうだなと思いましたし。」
2010年に入社して、佃さんは今では執行役員になった。日本百貨店では、ほかの役員は代表の鈴木さんだけだから、本当にすごいなあと思う。
鈴木さんはどういう人なのか聞いてみる。もともとは大手商社に勤めて、独立してからアパレルや日本百貨店をはじめた方だ。
「面接でもその場でどんどん決まっていったし『いままでこんなことないな』って思ったのが第1印象。あとは語弊があるかもしれないですけど、『軽い』というか。」
軽い?
「面接では正直に話そうと思ったんです。はじめはなんで転職したのか、矛盾とかを指摘されるかと考えて。そしたら『いいね、いいね、やろうよ』って。すごい感性の人なんだなって。頭いいのに、自分の気持ちでパッと決めちゃう。それを『軽い』って言ったんですけど。なんか、ぼくも直感でいいな、って思ったんですよね。」

「そうですね。だから要求されることの締切までの時間が短くて。あとはじめは『無茶ぶり』みたいなことも感じましたけど、今はそんなことはなくて。」
ちゃんと一貫性はありますよね。直感もあるんでしょうけど。
会社の雰囲気って、体育会系なんですか?
「体育会系です。ほんわかした雑貨屋さんではないですよ。」
あー、でも熱血とか根性とかではないですよね。たしかにのんびりとした感じじゃないけど、論理的にコミュニケーションしている。
こんな会社の雰囲気に佃さんは合っているように思った。
もともと野球部でキャプテンをしていたそうだ。そのときの経験から社会人になってもトップになろうと社長になることを志したそうだけど、話を聞いていると監督の指示を忠実にチームに伝える役割を担っていたことがわかる。
トップよりも参謀タイプなのかもしれない。
鈴木さんも面接で「野球部に悪いやつはいない」と話していたそうだ。野球部の人はいいかもしれない。
佃さんが入社してから1ヶ月半後には日本百貨店がオープンした。はじめは接客などを担当していたが、転機となったのは日本百貨店の「しょくひんかん」の立ち上げだった。
「立ち上げからずっと関わっていて。あそこは形態としては売り場を貸すような委託販売なんですね。だから取引先が100社くらいあって、問い合わせもたくさんあって大変だったんです。」

その場で佃さんの名刺を取り出すと、「執行役員」とペンで書く鈴木さん。
「『これで名刺つくってもらいな』って。『おまえでぜんぶ決めちゃっていいからさ。これまでやってきたことを、ここでしっかりアウトプットできればいいから。』って。そこから仕事がスムーズになったんですよね。」
「役員どうこう、という話ではなくて、たとえば鈴木さんが迷っているときに自分の意見をもっているかどうか。あの人の中では答えが出ているんでしょうけど、『ぼくはこう思います』って言うことはありますよ。」

いきなり自分の意見を表明しても誰も聞いてくれないし、言われたことをやり続けるだけでは次に行けない。
今回の募集も、まずは全国各地の催事場で働くスタッフになる予定です。まずはそれを受け入れて、求められていることができるかが大切なんだと思う。
そうすれば、自ずと自分がやりたいことに近づいていくと思う。
ちなみに催事場などに日本百貨店を出張させる事業「出張!日本百貨店」は、今までは佃さんが担当していたけど、今後は今野さんになるとのこと。
佃さんと話していると、今野さんが横浜から羽田まで駆けつけてくれた。取材時間はたっぷりあったので、まずはランチを食べていただいて、そのあとゆっくり話を聞くことにする。

今野さんが日本百貨店に入社したのは1年数ヶ月前。はじめは「しょくひんかん」のスタッフとして働いていた。
最近は「出張!日本百貨店」を担当するために、大阪へ佃さんと2人で行ったそうだ。場所は江坂にある東急ハンズ。
それまでは同じホテルだったそうだけど別々に泊まったそうだ。やりながら、いい方法を柔軟に考えているように感じた。
「出張!日本百貨店」はどんな仕事なのか、今野さんに聞いてみる。
「基本的には納品がたくさんあるので、検品作業もありますね。もちろん接客やレジ対応などもします。あとは商品のことをちゃんとお客さまにお話するんです。最初に研修とかしたんですよ。」
研修?
「日本百貨店の商品をある程度ざっと把握しておく意味があって、試食をしたりとか。それはすごい楽しかったんですね。お醤油だけで10種類弱とかを、舌がバカになりそうになりながらもペロペロなめたりして。そうやって、僕のモチベーションは上がっていましたね。」

「北海道出身なんですけど、東京に出るために1年間フリーターをやっていたんです。はじめはキッチンで働いたんですけど、きつくて3ヶ月で辞めて。そのあとに服屋さんで働いたんです。ノルマとかもあったんですけど、お客さんとしゃべるのは楽しいし、キッチンのような裏方よりも向いているな、って思って。」
貯めたお金で上京し、専門学校に入学する。その間は全国チェーンの雑貨屋で働くことになった。
「品物は悪くないし、システムも企画力もすごいな、って思いました。でもぼくの勉強不足もあるんですけど、どうやってつくられたかとかわからなかったから、自分の思いを乗せて販売はできなかったんです。それで卒業してから日本百貨店に応募しました。」
「でも、また売ることに絶望するような気がして、選考の途中で辞退したんです。それで靴の修理を1年間やって。」
靴の修理。専門学校の専攻はなんだったんですか。
「イタリア語選考です。」
(笑)
「黙々と靴を修理するので、みんなで協力していくことは一切なくて。そのときはよくわからなかったんですけど、違和感しかなかった。結局ここしかないなと思って日本百貨店にもう一度面接を申し込んだんです。」
日本百貨店で売るものは、どういうものなのかひとつひとつ知ることができたそうだ。スタッフと一緒に働いている実感もあった。そしてやっぱり接客は楽しかった。
「この商品はどこで誰がつくっていて、それをお客さまに説明する。ぼくが当初から考えていた日本百貨店だったんです。ちゃんとこだわりをもって、対面で販売しているんだなって、実感できて。モチベーションがあがりますよね。」

最後に佃さんがこんなことを話していた。
「社長からのメッセージなんですけど、迷ったらここに戻ろうみたいなものがあるんです。」
「昔ながらの商店街にあるような風景、人付き合いっていうのを僕らはやっぱり大事にしなきゃいけないって。常連さんやお客さんが来て、『こんな味がして美味しいんですよ』、『こうやって使うんですよ』って、しっかり会話しながら、きちんと関係が築けて、しっかり売れていく。昔の商店街ってそういう風景がたくさんあって、そこが僕らの一番やりたいところだよねって。」

日本百貨店で働くことは、チャンスもあるし、一緒に働く人やお客さんと何かを共有できるものだと思います。
(2014/10/9 ナカムラケンタ)