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港町資本主義

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「仕事の依頼が増えて、自分一人では仕事が回らなくなってきた。」

「一つひとつ手づくりしてきたものが、半年先まで予約待ちが続くようになった。」

サービスやものづくりが人気を集めるようになり、選択を迫られる局面が訪れます。

人を雇用したり生産方法を見直して、ニーズに応えていくのか。現在の魅力を損なうことなく、どの程度規模を拡大できるのか。

判断の軸になるのは、「なんのために仕事をするのか」「どれくらいのお金がほしいのか」そして「どんな暮らしをしていきたいのか」。そうした価値観だと思います。

今回は地域をフィールドに、事業の将来性を考えていく仕事です。

人口2万人弱が暮らす三重県尾鷲(おわせ)市。その旬の特産品に、地域で頑張る人、季節ごとのイベント紹介。

魅力をまるごとお届けするのが「尾鷲まるごとヤーヤ便」です。

1 尾鷲の市役所、商工会議所、観光物産協会。そして市内31の小さな生産者が一体となり、取り組む事業です。

立上げは2009年。575件の注文からはじまりました。6年目に入る今年は、9月の時点で2,500件を受注、生産が追いつかないほどに育ちました。

来年度以降はさらに注文依頼が増えることも予想され、大きな分岐点に立っています。

ヤーヤ便の今後を、地域の生産者とともに考え、つくりあげていく人を募集します。

尾鷲市の人口は少しずつ減少し、30年前から見ると3分の2になった。

2 まちにはフランチャイズの大型店舗も現れるように。来年には新しいコンビニエンスストアもできるらしい。地域からは待ち望む声が聞こえてくる一方で、「どこにでもあるまちになっていくな」。そんな声も聞こえます。

近い将来には、高速道路が延伸されて尾鷲市が通過点になってしまうのではないかという心配の声も。

そうしたなかで、「尾鷲らしさ」が色濃く表れる“食”に力を入れてきました。

尾鷲の魅力は何といっても、魚。定置網から底引き網まで多様な漁法を行うことで「少量多品種」の魚が水揚げされていきます。

3 マグロ・ぶり・アジ・イワシなどは尾鷲産として出荷。一方で漁獲量が少なく地元でしか食べられない、格別においしい魚があります。

ヤーヤ便を立ち上げた2009年は市役所が声かけをして、数件の生産者たちが集まりました。

東京の百貨店にも卸している事業者から、一人で魚の佃煮をつくるお母さんまで。

コンセプトは、“モノ”ではなく、つくる“ヒト”を売りだそうというもの。

ヤーヤ便に同封される「尾鷲がんばんりょる新聞」では、生産者の思いを記事で紹介しています。

4 そのコンセプトは着実に届いています。

お客さんからの便りである「ご意見通信」には、 “ヒト”や“尾鷲”の魅力に触れる感想が目立ちます。

年4回のお届けで26,800円という価格にも関わらず、申込数は着実に伸びていく。

ここで話をうかがったのは、尾鷲市役所の野地(のじ)さんと山本さん。

5 ヤーヤ便の企画立上げから中心となってきたお二人。印象的だったのは、頭だけでなく手も動かしていく姿勢。日々の出荷梱包作業も自ら行っています。

「広報には力を入れてきました。市長自らトップセールスを行い、大阪や名古屋へメディアキャラバンを行いました。また、早期からYouTubeでチャンネルを作成。生産者さんを映像で紹介してきました。カメラを回しているのもわたしたちなんです(笑)。」

うまい映像とは言いがたい… けれど、ヤーヤ便の空気感が手にとるように伝わってきます。

メディアでの特集を入り口にリピーターとなるお客さんが増えていく。現在のリピーター率は50%にのぼるという。

また、ヤーヤ便がきっかけで尾鷲に興味を持った方を招く交流ツアーも行っています。

「尾鷲市には、世界遺産登録されている熊野古道があります。熊野古道を歩き、生産者の方に出会うツアーも企画しています。」

6 野地さんと山本さんも、お客さんと直接触れ合う機会を大切にしている。

「顔の見える関係はヤーヤ便の特徴です。お客さんからは、『いなかの母親から小包が届いたみたい』と言われるんです。鮮度が命の刺身をお届けするときは、事前に僕らから一件一件電話を入れることもあります。うーん、手間はかかりますよ(笑)。けれど、小さな積み重ねがファンを増やしてきたと思います。」

「尾鷲のファンづくり」は大切なキーワード。

「ヤーヤ便を楽しんでほしい。“おいしい”は大前提です。リピーターとなる人は“楽しさ”に期待していると思うんです。」

楽しさ?

「尾鷲では色々な種類の海老が採れます。最近、クモエビについてFacebookで情報発信したところ『食べたい!』という声がたくさん寄せられました。身はほんとうにごくわずかで、味で言えばやはり伊勢海老には適わない。それでも食べたくなるのは、好奇心だと思うんです。」

そんなヤーヤ便は、今年からふるさと納税へのプレゼントとしてサービスを展開。さらに注文が増加しています。

小規模な生産者のなかには、出荷に対応しきれない方も現れてきました。

7. 「お客さんを一定数確保する段階までは来ました。今後はさらに拡大路線を目指すのか。それとも、よりリピート率を高め、回遊性のあるコミュニティをつくるのか。今回募集する方には、生産者さんと話し合いながら、事業としてヤーヤ便の今後を描いてほしいです。」

必要な経験はありますか?

「生産者はつくるプロです。その人たちに認められ、対等にやりとりしていける届けるプロを目指してほしいです。マーケティングや流通、ブランディングにおける専門性があるとよいです。」

今後ヤーヤ便が目指すことをうかがいます。

「地域の小さな生産者たちは、販路を広げたくても、手段がわかりませんでした。そこで、尾鷲をまるごと売り出すヤーヤ便が生まれたんです。今後はヤーヤ便をきっかけに、生産者とお客さんが直接やりとりをしてほしい。確実に売上げを積み重ねていき、尾鷲で豊かに暮らし続けられる基盤になりたいんです。」

今後はWEBでの展開も進めていきたい。

「ヤーヤ便を食べて気に入った商品を購入できるオンラインショップを立ち上げたい。モノを売るだけではなく、尾鷲がんばんりょる新聞と同様にヒトの魅力も前面に押し出していきたいですね。」

また、年間の売上げは5,000万円を越えるまでに育ってきました。今後は、事業の企画運営を民間に委譲。行政はサポートに徹するフェーズに差しかかっているという。

今回募集する方にはヤーヤ便の顔として事業を担ってほしいと考えている。

ここで野地さんは、ぜひ生産者を訪ねてほしいという。

「僕らはお客さんの暮らしに楽しみを届けます。そうやってお金をいただき、尾鷲が豊かに暮らしていける。フェアな関係で、お互いの豊かさをシェアしていく。持続可能な仕組みをつくりだすプロジェクトだと思います。」

ヤーヤ便の先には、あらたな経済のかたちがあるのかもしれません。

まず訪ねたのは、マグロの卸売りと海産物加工販売を手がける尾鷲金盛丸の4代目村瀬晃健(こうけん)さん。

8 高校までを尾鷲で過ごした村瀬さん。当時は尾鷲を出たくてしょうがなかったと振り返ります。

「東京の大学を出て、IT関連企業に就職しました。毎日働いてお金を稼ぎ、遊ぶ。そんな毎日が楽しくて。帰るつもりはまったくなかったんです。その後、NTTへ転職して30歳を迎えたとき、ふと自分の今後を考えると『尾鷲』の二文字が浮かんできたんです。」

そしてUターンをした。

「親からは『月25万ぐらいは出せるよ』と言われて戻ったものの、帳簿を見直すと、給与が出ないことがわかった(笑)。自分の給与をつくるところからのスタートでした。」

そこで着目したのがマグロの角煮。すでにあった商品のターゲットを女性に絞り、販路を変えたことで売上げが増えていく。

現在では3人のパートさんを雇うまでになりました。

村瀬さんは、自社のオンラインショップ、メールマガジンを活用。ヤーヤ便で出会ったお客さんが、尾鷲金盛丸へ個別注文をできる取組みも行ってきた。

9 あらたな商品開発にも取り組んでいます。

新商品の「極上ツナ」は、グレープシードオイルを使用することでコレステロールゼロに。

マグロに含まれるDHAは母乳のもととなるそうで、妊娠中のお母さんにも安心して食べてほしいと話す。

健康面に配慮した商品づくりには、こんな思いがあった。

「市内の水産加工業者さんは、依然として干物などをつくるところが中心です。けれど魚のトレンドは、手軽で調理が簡単なファストフィッシュへと向かいつつあります。時代に合わせた食べ方の提案が、尾鷲の生産者にも求められています。」

今後は尾鷲の水産加工のモデルとなることを目標にしている。

「競争があることで次々とイノベーションが生まれる。東京にいるときに、競うことのよさも感じたんです。一方、尾鷲にはゆったりした時間が流れています(笑)。ここで生きていくには、実はすごい勉強が必要だと思いますね。」

村瀬さんは現在、まちの駅ネットワーク尾鷲の代表も兼任。まちづくりにも取り組んでいます。

「わざわざ遠方から買いに訪れてくれるお客さんが増えています。今後はパフォーマンスや体験をできる場にすることで、金盛丸目がけて尾鷲に来てほしい。にぎわいをつくりたいんです。」

続けて、和菓子の若木屋を営む濱田さんを訪ねました。

10 濱田さんは、地元の食材をつかった和菓子を積極的につくりだしています。

「尾鷲が嫌で大学は大阪に出ました。そうしたら大阪も嫌になって(笑)。海外に行ったんです。『日本のよさは?』と聞かれて、尾鷲の話をしている自分に気づいて。離れたことで、尾鷲のよさが見えてきました。」

帰国後は和菓子屋で修行、若木屋の2代目となった。

ヤーヤ便に参加したことで、変化があったという。

「それまで意識することのなかった地元食材で和菓子をつくりたいと思ったんですね。」

今夏は、尾鷲の木成り甘夏、美浜町のマイヤーレモン、熊野の完熟南高梅… 東紀州の採れたて素材でジュレをつくった。

そんな濱田さんには、尾鷲金盛丸の村瀬さんと共通点がありました。

「子どものころ、親に『尾鷲を出て行け』『都会で勝負しろ』そう言われて育ってきたんですよ。ちょうどそういう世代なのかもしれません。」

親となったいま、濱田さんは子どもにこう話すという。

「『尾鷲で勝負しろ』と伝えています。ここは人口2万人弱の小さなまちです。けれど、できることはたくさんある。顔の見える地元のお客さんに支えられながら、外への発信もできます。」

「それに、仕事をしながらもちょっと行けば海も山も川もある。子どもを連れて行ったり。ここで幸せに暮らしていく生き方もあると思います。」

11. お金に対する価値観は、人それぞれだと思います。

尾鷲には「豊かに暮らすこと」からはじまる経済があるようです。

感じるものがあれば、ぜひ飛び込んでみてください。自分を活かせる仕事から地域を選ぶ。そんな選択肢もあると思います。

(2014/10/10 大越はじめ)