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「衣」「食」「住」。日本のものづくりをたどると、共通して見えることがありました。
全国の産地を訪ね、ときには自らつくってみる。そうして、ものの成り立ちを知り、伝えていこうとする人たちに出会いました。
昨年の夏、東京月島に「セコリ荘」が誕生しました。

平日は、ものづくりに関わる人の溜まり場に。
これまでに浴衣の展示、ぐい呑みづくりのワークショップ、農家を囲む食事会などが開かれてきました。
週末の夜はどこからともなく人が集まり、夜な夜な話し込んでいきます。
そこから起業する人、職人を目指す人、地元へ帰る人。何かをはじめる人たちが現れるかもしれません。
そんなセコリ荘の“顔”を募集します。
人と人が出会い、交わることで新しい何かが生まれていく。
はじまりの場だからこそ、働き方にもさまざまな可能性が見え隠れします。まずは、読んでほしいです。
地下鉄の有楽町線と大江戸線が通る月島駅。

隅田川沿いには、木造の古民家とタワーマンションが建ち並びます。
セコリ荘の玄関先では、運営する宮浦さんが迎えてくれました。

卒業後は、奨学金制度でロンドンへ留学。
そこで衝撃を受けます。
「メゾンを訪ねると、日本のものづくりへの評価がとても高かったんです。学校の先生の中に『俺はMade in Japanしか着ないんだ』と話す人もいたり。海外に出て、日本の魅力に気づかされました。」
服の設計図にあたるパターンメイキングを専攻してきた宮浦さん。
2012年の秋に帰国すると、日本全国の生地産地を夜行バスで巡りはじめます。
山梨県の富士吉田、兵庫県の西脇、群馬県の桐生… 延べ70回にわたり訪ね歩き、Made in Japanの現状を目の当たりにします。
「高い技術を持った職人さんたちはすでに70、80歳を迎えていました。そして、どこも後継者がいないんです。このままだと、どんどん技術が途切れていく。すでに日本でつくれないものも出てきました。たとえば、最近の産地取材では、リネンの多色ジャカードがつくれる織り機が処分されてしまったと聞きました。」

「この間、本藍の工房を訪ねたんですよ。日々釜を手入れして清潔さを保つことで、藍を元気に保ち、きれいな発色が生まれます。日本独自の高い技術を持っているんですよ。すごい仕事です。でも、本人たちはそこまでの意識がないと感じました。」
「というのも生産現場からは、服を着る人の姿が見えないんですね。さらに、製造の工程は原料、染織、縫製、副資材… 分業化が徹底されています。つくる人、デザインする人、売る人、着る人。みんなバラバラなんです。」
一方で、あらたな可能性も見えつつある。
これまでアパレルメーカーから製造を受注してきた生産者が、自社ブランドを立上げる“ファクトリーブランド”という動き。なかには、海外展開するところも。
「この数年間が、技術を受け継いでいける最後のチャンス。産地に光を当てることで、日本の服づくりをつなげていきたいんです。」
2013年の春には、日本全国の職人さんへの取材をまとめたSecori Bookを出版。
「分業化されたものづくりの中で、職人さんとデザイナーさんが出会うための取組みです。」

「一部のこだわりある人だけでなく、もっと多くの人に知ってほしい。夜になると人が集まり、飲んだり食べたりしながら、日本のものを手にして話せる場。職人さんを交えて話すのも面白いな。そんな居場所を、東京につくりたいと思ったんです。」
そこで出会ったのが、セコリ荘の大家さん。
日本の伝統を残したいという思いから意気投合。
リノベーションは、墨田区を拠点に活躍する建築ユニット「スタジオまめちょうだい」の吉川さんと筒井さんに依頼。
約半年間をかけての公開リノベーション。様々な人が参加していきます。
友人知人はもちろんのこと、ご近所さんとの関係も築いていきました。
オープンは2013年の9月。
カフェと6畳のショップからなる1階、2階はごろんと寝泊まりもできるスペース。
平日は、ものづくりに関わる人の溜まり場に。お茶を飲みながら打ち合わせたり、ただ話したり。

週末になると、ショップとカフェがオープン。
ショップでは服に限らず、窯元で買いつけてきた九谷焼や益子焼の器、ハンドメイドの石けん、古書なども置かれています。
「産地を巡るなかで、衣食住のつながりを実感することが多くて。たとえば奄美大島では、車輪梅(しゃりんばい)の樹皮を大島紬の染料に。さらにその灰は陶芸の釉薬として使われていました。セコリ荘では、衣食住のライフスタイル全般から関わりたいと思ったんです。」
広い入り口を持つことで、より気軽に、より色々な人に来てほしいという思いもある。
そこで大切になるのが、“食”だという。
「食はコミュニケーションの手段だと思うんです。匂いにつられてふらーっと入る人もいたりして。“おいしい”は人と人の距離を近づけてくれますよね。」
今回募集する方には、食を軸としてセコリ荘に関わってほしい。
「セコリ荘には、リノベーション、ものづくり… 自分のできることを通して、色々な人が関わっています。今回一緒に働く人も同じです。まずは、セコリ荘を面白いと感じてもらえたら。」
キッチンは、二口コンロを中心とした基本的なつくり。
料理の経験やジャンルは問いません。
扱うのは、産地を訪ね歩いて出会ってきた農産物。その魅力を伝えてほしいという。
「“こだわり抜いた料理をつくるシェフ”よりも“料理を通した食のキュレーター”かな。食べた人が、農業やよそられた器に興味を持ち、話が広がったらと思うんです。」
畑にも足を運んでほしいという。生産者を訪ね、土を触りながら話したことを、伝えていく。お客さんを集めてのツアーも考えられる。
現在つながりのある生産者は20代、30代の若手が多いそうです。
たとえば、と紹介してくれたのは千葉県柏市のヨシオカ農園さん。
元ファッションモデルの吉岡龍一さんは、24歳で新規就農。今年で4年目を迎えます。

農家の姿を伝えたいと、セミナー講演、カフェでの一日店長、コミュニティ菜園での講師まで精力的に活動されている方だという。
「畑の一部を借りているので、僕らも畑を手伝うこともあります。そこで吉岡さんの野菜をメニューに使わせてもらうこともあるんですよ。」
セコリ荘の仲間になるのは、どんな人がよいでしょう。
「どんどん遡っていける人ですね。野菜も服も器も、一つひとつにつくり手の思いがあります。『この野菜はどんな土で、どういう人が育てたんだろう』『どうやって調理するのがおいしいんだろう』。気づきはそのまま、仕事にもつながります。」
「ご飯を食べに来たお客さんへ伝えるのは、もちろんのこと。たとえば肉について調べる中で、鶏を絞める実習を企画することも考えられます。」
宮浦さんをはじめ、セコリ荘に関わる仲間たちは、「自分でやってみる」ことを大切にしている。
10㎝四方のコースターは、機織りのワークショップでつくったもの。

さらに、綿の栽培もはじめてみた。
「週末プランタリウムという企画で、土の手入れからはじめていきました。仲間たちと400粒を手植えして、週替わりで雑草取りを行って… むしってもむしっても、ワタとりが終わらないんですよ。それでも、Tシャツ何枚分にもなりませんでした。」

一方で、こうも話す。
「綿を栽培してみると、ほんとうに大変だったんですよ。農業って、なんとなく手でやるのがいいイメージがありません?手植えとか、手摘みとか。でも、農家さんの苦労を想像すると、機械化の流れもわかる気がします。」

「10代の頃はそんな考えてなかったんですけど(笑)。自分の手を動かすことで、毎日気づきがあって。そこから考えるようになったのかな。いつも新鮮ですよ。」
セコリ荘の役割は、産地と東京をつなぐ“ハブ”だという。
生産者さんを招いてのトークイベントや、産地を訪ねるツアーを企画しています。
先日は栃木県真岡(もおか)市に、木綿と藍染めの工房を訪ねました。
「参加者は楽しんでいましたよ。『こういう仕事があるならやってみたい』『もっと産地を訪ねたい』。そんな声が聞こえてくると、職人さんもうれしいんですね。」

週末のセコリ荘からは、「自分も何かはじめたい。」そんな声が聞こえてくるように。
「暮らしも仕事も、もっと自由に自分でつくっていけると思います。新しい仕事を生みだす人や、いまある仕事をリノベーションする人が現れてきたらいいですね。」
セコリ荘は、はじめたい人が交わり合い、実現していく場所。
ここで働く人も、自分の関わり方をつくりあげていくようです。
現在の営業日は、金土日。基本的には平日会社勤めをしている人や、フリーランスの方が、もう一つの仕事にするイメージです。
「ただ、興味次第では仕事の幅を広げたり、平日も働いてもらえたらと思います。働き方についても、話し合っていきたいです。」

料理を軸とした平日のカフェ営業、料理教室、ケータリングやイベントへの出展、農家を訪ねるツアー企画。
自ずと、服や器にも興味が広がっていくかもしれません。
また、宮浦さんの仕事は編集・商品企画にも及びます。
雑誌での連載や、企業PRの支援。今後は、産地の方を取材して出版もしていきたい。
「セコリ荘、面白そうだな。」
そう思ったら、まずは連絡をしてみてください。
(2014/10/24 大越はじめ)