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「数学の面白さって、大学の数学からなんですよ。高校まではなぜ学ぶのか考えずに、公式をおぼえることからはじめる。でも大学からは数学の真髄がやれる。たとえば、定義をつくるところから考える。1+1は本当に2なのか、っていうところから考えることができるんです。」
和からは大人に数学を教える塾です。「需要があるのかな?」と思っていたけれどもあるんです。
今回は和からの教室長とコーディネーターを募集します。主な仕事内容は、教室をマネジメントしていくこと。できれば先生にもなってもらいたい。「そんな自信はない」という方も「数学が好き」であれば大丈夫。
数学って、難解なイメージもありますが、ここではみなさん驚くほど自由に働いています。そして数学の分かりあえる喜びにあふれている。「塾」のイメージにとらわれずに、まずは読んでください。
渋谷駅東口のバスロータリーの横を通って、首都高速をくぐりながら246号線を横断する。渋谷警察の裏にある雑居ビルの4階に和からの教室がある。中に入ると明るい雰囲気。教室からは楽しげな授業の声も漏れてくる。

それにしてもなぜ大人のための数学教室をはじめたのか?まずは堀口さんに過去を振り返ってもらった。
「小学校のときから算数が得意で、ちょっと頭のおかしいタイプだったんですよ。真理を追求したい、世の中ってどうなっているんだろう、ってことばかり考えていて。」
「それで大学3年のときに、いろいろわかったように思ったんです。『この世界はこうなっているんだ!』って。」
何がわかったんですか?
「世の中のことはすべて、数学で理解できるし、解決できる、って信じていたんですよ。人との会話だって数学で解釈できるって。」

さらに大きな変化があった。それは数学によって他者と分かりあえた、という経験。
「社会貢献などに興味があって、NPOと関わる機会があったんです。そこで自分の話をする機会があったんですけど、『わかるよ、それってこういうことでしょ』って言われて。『ちゃんと理解できる人がいるんだ!』って思ったんです。」
このまま塾をはじめたのかといえば、しばらく回り道をします。
そのきっかけが「就活」。
「全然、就職するなんて考えたこともなかった。何をしたらいいかわからないので、休学を決意したんですね。」
休学している間にいろいろな経験をする。
ベトナムにて100円で仕入れたZippoライターを、1万円で販売した社長さんの話にしびれた。あるプレゼン大会でプレゼン資料も用意せずにひたすら話をする社長さんに衝撃をうけて、オフィスに泊まり込みで手伝いはじめた。いきなり「君の問題点は3つある」と話す怪しげな方を紹介してもらい、丁稚奉公しながら毎日何回もおこられた。
どんなことにも素直に興味をもって、信頼して受け入れてしまう。堀口さんの性格が現れていると思う。
それでもある事件が起きて、我に返った。
そのあとは復学して、大学も卒業する。
それでもやりたいことがわからなかったので、横浜に移り住んで、塾や家庭教師の仕事をした。
そのほかにも様々な仕事を知るために、解体工事や、コンビニの深夜バイト、それに夜通しお弁当をつくる仕事など、いくつか並行して働いた。大学時代も含めると、実に15種類の仕事に就いた。
「自分は絶対できる、って信じて疑わなかったんですけど、めっちゃ不安でしたよ。大学時代のインターンでは、任せれば失敗をする『できない人』のレッテルを貼られていましたし。自分は特殊な人間だと思っていたので、心のどこかでは『就職はしない』『自分でルールをつくる』と決めていました。そんなときにある人から、『大人のための数学塾やったらいいんじゃない?』って言われたんです。」

すべてが手づくりだった。ホームーページはお金がかかるからブログをつくる。メルマガも書きはじめて、チラシもつくって4000枚手配りしたり、ポスティングした。
「2月になったら1人いらっしゃって。そのあと4月には10人ぐらいになって。そのときの自分の生活費9万円を超えたので、『やった黒字だ!』って喜びました。」

「もうただ、視点がよかったからなんでしょうね。数学をビジネスにしようなんて思ってもなかったので。たしかに自分は得意でしたけど、それがビジネスになるなんて思いませんでした。」
「それに教えていて楽しいんですよ。普通の塾って、ほんとは学びたくない子どもが来て、ひたすら受験テクニックを教えるみたいなものじゃないですか。でも数学ってそれだけじゃないんです。面白いエピソードがたくさんある。ここに学びに来る大人は、それを楽しんで聞いてくれるんですね。」
どういう方が学びにくるのだろう。
話を聞いてみると、小学校の算数を教えるところから、仕事で高度な数学が必要な方まで様々。いずれにしても今さら小学生と机を並べて勉強できるのは気が引けるだろうし、大学に入学し直すのも大変だ。
それぞれのニーズがバラバラなので、カリキュラムは先生に委ねられていて、生徒さんの希望をもとに進めていくそうだ。
先生も多彩で、数学オリンピックでメダルを獲った方や、数学検定で日本一の方、あとは現役の金融会社のコンサルタントも。バーで働いていたことがあって、話を聞くのが得意な人もいるし、ロックシンガーの方も。

必ずしもずっと優等生だったわけではなく、何かしら数学でつまづいた経験ももっている方たちなので、気持ちを汲んだ授業をこころがけているそうだ。
ほかの先生にも話を聞いてみる。紹介いただいたのは坂本先生。
もともとは生徒として通っていた方なんだそうだ。
「私は証券会社に勤めて、半導体の設計開発をしたり、IT企業に行ったり、プラントの蒸留装置の輸入をしたりしてきました。どれもバラバラで全然つながらないと思いますよね?でもすべて数学なんですよ。」

そんなときに、教えることの楽しさを感じることがあったそうだ。
「社内で数学を教える機会があったんですよ。そのときに『高校時代に教わっていたら、もっと数学が好きになった』って言われたんです。」
どうやったら数学の面白さを共有できるような授業ができるんでしょうか?
「やっぱり自分自身が面白いってことは伝わるんですね。すべて右から左じゃ伝わらないです。自分の心から好きなものじゃないと。みんな、そうだと思うんですよ。病は気からって言うように、教える人の気持ちって大切だと思います。」

「私は統計が多いです。歴史的にこういうふうに統計は使われていましたよとか。」
「たとえばニューディール政策。ルーズベルトの時代に大恐慌になりまして、すごい失業率だったんです。ルーズベルトは何を思ったか、数学とか統計ができる人をたくさん採用したらしいんですよ。何をやらせたかっていうと、分析するんですね。当時のアメリカには、1億2000万人ぐらい人口がいたんですが、そのわずが0.5%、約60万人のデータだけで分析したんですよ。議会は『そんな少しのデータじゃしょうがない』と反対だったんですけどね。後世に確認したところ、かなりの精度で正しかった。」
ほかにも面白い話が続く。たしかに数学、面白い。
今回募集するのは、こういう先生をマネジメントできる教室長と、コーディネーター。もっと言えば、自ら数学を教えられる人が望ましいそうなんだけれども、坂本先生にどんな人がいいか聞いてみる。
「やっぱり、どれだけ数学が好きか。その仕事に対して好きだという気持ちをもてるか。嫌いなものをやってもしょうがない。貧乏でもとっても楽しい、と言っている人もいますが、それは好きでやっているから。でもそういう人はちゃんと結果がついてくるんですよね(笑)」
ここで働いている人たちは、なんだか自由。まるでロックシンガーがライブをやっているように、のびのびと数学を教えている。

その自由な考え方は、和からでの働き方にもつながっているのかもしれない。
とはいえ、どんな仕事だって大変なこともある。
経理や総務、人事を担当している鈴木さんに、教室長やコーディネーターの大変なところを教えてもらった。
「先生たちとお話するのは楽しいですよ。でも先生たちって、決まりごとに無頓着な方もいるんですよ。もちろん、遅刻をするとかはないんですけど、いつまでも燃えないゴミ箱に燃えるゴミをいれたりとか(笑)。何度もお願いしてもダメだったりね。」

「むきになって怒るんじゃなくて、笑いながら『また先生やっていますよ』って言えるくらい心の広い人じゃないときついでしょうね(笑)」
「でも私は数学のことわからないですけど、授業の雰囲気とか、お客さまが理解して帰っていかれる高揚感とか、すごい好きですよ。」
最後に代表の堀口さん。
「教室長といっても、まずは授業を調整するところから。いい授業って何なのか、一緒に組み立てていけるような人に来てもらいたいです。そして先生たちが輝ける場所を一緒につくっていきたいです。」
先生たちには、この場所をつくってくれた堀口さんに感謝している方も多いそうだ。
数学って難しそうだけど、自由な学問なんだな。この職場も、与えられた公式を使って働くようなものじゃない。アカデミックなようで、とってもベンチャー。

(2014/10/16 ナカムラケンタ)