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おいしい商品をつくる。求められたことに応じていく。ときには思いがけないこともあるけれども、みんなで工夫して商品をつくり届けていく。横山食品で働くということは、こういうことなんだと思います。派手なことではないかもしれない。
ただ、ほかとちょっと違うのは、まずおいしいこと。そして、家族のように働いていること。そして、自由に意見を言いあう雰囲気があること。
はじまりは初代のかね子さんが、自宅の土間でがんもどきや豆腐をつくりはじめたところから。それが評判になってひろがっていった。現在はかね子さんの孫にあたる史子さんが3代目を務める。根強い人気商品のある会社です。
そんな横山食品では、日々試行錯誤しながら大豆食品をつくる製造スタッフと、商品開発や提案をしながら営業する人を募集します。
三重県津市。名古屋から近鉄特急に乗って駅を降りると、代表の横山史子さんが改札のところまで迎えに来てくれた。世間話をしながら車に乗り込む。
「うちは、おばあちゃんがはじめてから、母は四人姉妹だったし、女ばっかやったんです。それが特徴のひとつ。」
「もうひとつは、揚げものが得意だということ。大豆加工食品のメーカーは、お豆腐を得意とするところが多いんですが、うちはそん中でも揚げものが得意なんですね。油揚げとかがんもどきとか厚揚げとか。」
車窓はすぐに緑が豊かな田園風景となった。
「お店のお豆腐コーナーって、どんどん広がっているんですよ。でもうちの得意とする揚げものっていうのは狭まっているんです。なぜかというと、お豆腐っていうのはそのまますぐ食べられますよね、調理しなくても。でもうちが得意とする揚げものはひと手間かかるんですね。例えばお味噌汁にいれるとか、煮るとか焼くとかなんですけど、そのひと手間も、今の人たちはあんまりかけなくなってきている。」
「だから今のうちの課題っていうのは、昔からずっとある商品を残しつつ、今の時代にあった商品開発をしていくことなんです。」
営業というと、商品を買ってもらう仕事のようだけれども、横山食品の営業はそれだけではない。たとえば、展示会などに出展したり、新商品を開発したり、いろんなことを提案するところからはじまる。
製造もほかの部署も同じで、話を聞いていると、意識としてははっきりとした縦割りではないようだ。
車が会社に到着すると、まずは製造現場を見せてもらった。案内いただいたのは製造部の責任者である和田さん。事務所が工場と同じ建物になっている。
入口では洋服などを着替えて、きっちり手洗いし、エアシャワーの中に入って風を全身に浴びる。中にはいると、まずは濃い豆乳の香りがしてきた。続いて揚げものの香ばしい香り。
商品がどんどん完成していく。とにかく美味しそうで食べてみたい気持ちでいっぱいになった。
工場を出てから、となりの「揚げのkitchen」という建物へ。ここは商品開発などをおこなっている場所。
中に入ってから早速、商品をいただいてみた。餅がんもの入ったピザに、厚揚げのシチュー。正直「洋食ってどうなんだろう?」と思ったら、やさしい中にも大豆の味わいが感じられて、とてもおいしかった。
工場に引き続いて、食事をいただきながら製造部の和田さんに話を聞く。
まずはなぜこの会社に入ったのか。
「僕、もともとはコックやったんですよ。ホテルの披露宴とかレストランの料理とか。いつか自分の店を持ちたかったけどあきらめて。でも食に携わる仕事はないかなと思っていたところ、ここでお世話になることになった。」
どれくらい前ですか?
「15年前ですね。」
第1印象はどうでしたか。
「トップがバリバリやっていた時代で、それに僕らもついていけって感じだった。その人の技術とか習得していこうってみんなやけになっていて。だんだん役割も増えていくから、ずっと豆腐つくっとったらええわけでもない。そっちも技術も追求して、精一杯やっていた。」
「あるとき、僕免停になってしまって。通えないから困っていると、副会長に声をかけてもらって『和田君、毎日私迎えに行くから、その代わり(豆乳をつくる)プラントという仕事を覚えてみるか』と。そんときはちょっと軽い気持ちで。でも朝早いんですわ。朝の3時半とか4時とか。」
プラントは最初の工程ですから朝が早いんですね。大変じゃなかったですか?
「一ヶ月経っても仕事を覚えられなかったんです。ほんだらもう『どうする?やめるか?』って言われて。ここでやめたら悔しいなあって。せっかく毎日送ってもらっているのに。こんなことじゃあかんって。で、そっから必死になった。」
副会長は代表である史子さんのお母さん。今では第一線から退いているけれども、朝一番に出勤して、ひとりで何もかもしてしまう人なんだそうだ。和田さん曰く「熱い人」。
そんな背中を見ていると「自分もやらなければ!」と自然と思うのかもしれない。
それにしてもピザとシチューが本当においしい。どうやってこの味をつくっているのだろう。
「たとえばがんもどき。がんもどきをつくるにあたって、何が一番難しいかって、生地作りが難しいんです。ある日失敗したことがあって、それが成功になったこともあった。」
「あとはうちの厚揚げの商品って、とても大きくてずっしりしているんですけど、普通に考えたら大きすぎる。昔はもっと小さかったんです。技術的に難しいけど、思い切って大きくして売ってしまったらどうやってことになったらしいんですよ。それがもう大爆発しました。」
話を聞いていると、製造って、黙々と仕事をしているようなイメージで、それも正しいのだけれども、日々試行錯誤しているような面白さも感じられる。そして、簡単に失敗してはいけないけれども、トライできる雰囲気がある。
「最初はトップが引っ張っていくような会社だったんですよ。でも自分たちも一緒になって、みんなでつくっていこう、という考え方になっていったんです。」
なんだか前向きで、建設的で、それでいて温かさを感じる。
それはなぜなんだろうと考えていたら、和田さんの横で話を聞いていた、事業部の宮村さんがこんな話をしてくれた。勤続24年、もともとはトラックで配達を担当していた方だ。
「のめり込んでいくんですよね。毎日毎日成功の日々じゃないんですよ。失敗もある。失敗があって、毎日一緒の豆腐つくらないといけないんですけど、春夏秋冬で作り方も違うんです。そんな中で毎日商品をつくって、しっかりと届けないといけない。」
機械のトラブルは、その担当者だけでなく全従業員で対応することも。「受注通り、時間に間に合わせれば、みんなでハイタッチもん」だそうだ。
さらに日々の仕事だけではなく、会社のことはみんなで考えているような気がする。
たとえば、製造の和田さんが商品を考えることもあるそうだ。思いついたのは「揚げプリン」。実現はしていないものの、製造の現場で十分稼働していないラインがあり、それを活かす方法として考えついたそうだ。
大豆製品をつくっている会社だけれども、簡単に否定されるわけじゃない。真剣に話し合う。ときにはケンカになることも。
「バイヤーさんに聞いたら、こんなニーズがあった」「ただ、製造は簡単じゃないな」「できそうだけど、採算はどうなんや」
とことん話し合ったあとは、恨みも残らずいつも通りに戻るそうだ。こういった雰囲気だから、自由に意見が出し合えるのかもしれない。
ピザとシチューを食べ終えたところで、営業と商品企画を担当している小林さんにも話を聞いた。いただいた料理は小林さんがつくったものだ。
3月に入社して、まだ働きはじめて1年に満たないとのこと。
「わたしはもともとニューヨークでパティシエをしていたんです。それで日本に戻ってきてお料理の講師をしていました。そこで知り合った三重県庁の方からお話をいただいて。実は最初お話をいただいたときは私の生徒さんで、って言われたんです。でもそれを押しのけて『私がやります』って言ったんです。なんかすごく面白そうで。」
なぜそう思ったのですか?
「料理講師って一人でやる仕事なんです。でもパティシエはトップシェフが一番上にいて、完璧なピラミッドだった。そうやってチームで働くことが仕事だと思っていて。それで横山のみなさんと会って決めたんです。」
今回の募集は営業と言っても、広い役割があると思います。どういう人がいいですか?
「食いしん坊な方だったら、なおバッチリだと思うんです。今日みたいな新しい食べ方とか、みなさんお豆腐や揚げは和の食材だと思っていらっしゃるので、イタリアンなど和以外のレシピのご紹介もしたいと思ってやっています。」
「根底にはやっぱり美味しいものを食べたい、という思いがある。美味しいものを食べるとみなさんハッピーになるじゃないですか。ひと時でも、暖かい気持ちになる。だから営業と商品企画も、私の中ではひとつなんですよ。」
具体的にはどんな仕事になるのだろう。
たとえば、春夏と秋冬の年二回、展示会に出展するなどして、お披露目をする機会があるそうだ。
「春夏でしたら簡単なタレをかけるだけでそのまま召し上がっていただけるような絹厚揚げ。そういうのをご試食いただいたりとか、冬場だったらおでんに仕上げたのを召し上がっていただいたりしましたね。」
なるほど。営業と商品企画を兼ねる仕事の大変なところってどういうところですか?
「仕事の段取りですかね。」
段取り?
「営業や商品企画って、お会いする人が多いんですね。たとえば、スーパーのバイヤーはもちろんですが、包装メーカーの方ともお話させていただいたり。お電話で勢いよく『はい!小林です!』って出たものの『この人どなただっけ?』ってめまぐるしく考えたりとか、一日通すと全てつながるんですがそんな感じです。」
取材の最後に製造部の和田さんが言っていた言葉が印象的だった。
「ものづくりなんだけど、人づくりの会社なんです。」
この人たちがいて、この商品がある。
取材を終えて帰ろうとしたら、代表の史子さんが大阪に行くというので、車に同乗させていただいた。
いろいろな話をしたけれども、あらためて女性が活き活き働いている会社だなあ、と感じた。トップも女性だったし、今も女性たちが活躍している。
みんなでつくっている会社。
ご近所のみなさんに向けてはじめたものが、今では中部から関西に広がっています。次は日本、さらに世界にだって売れるかもしれない。この会社を、揚げものを、一緒につくってみませんか?
(2014/11/27 ナカムラケンタ)