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ひとつの家庭で使われる油の量は少ないけれど、1300万人もの人々が暮らす東京全体で考えると、それは莫大な量になる。「TOKYO油田2017」では、そんな油を“東京生まれの資源”として回収し、バイオ燃料などに再資源化しています。
2017年には、東京で使われた全ての油を資源に変えることを目指している。
このプロジェクトを運営するのは、株式会社ユーズ。いまから21年前に、世界ではじめて家庭用油からバイオ燃料をつくることに成功した会社です。
いまは3代目の染谷ゆみさんのもと、廃食油回収を通じて循環型の地域社会づくりに取り組んでいます。

基本的な仕事は、使用済み食用油の回収作業です。ほかにも、イベントを企画したり、ワークショップの出前講座で先生を務めたり、自分たちの取り組みを広める活動にも参加します。
大変な作業ではあるけれど、日々の積み重ねが社会を変えていく仕事です。
ユーズのオフィスは墨田区の八広にある。
墨田は江戸時代からものづくりで栄えた町。八広も昔、鉄工業や皮革産業が盛んだった。
いまでもその面影は残っていて、のどかな下町のなかに多くの町工場が建ち並んでいる。
そんな様子を眺めながら、八広駅から歩いて8分ほど。ユーズが運営する「YUDEN MALL」を訪ねた。

話題はまず、町工場について。
「あっちには浜野製作所さんの工場があって、深海8000mの到達に成功した調査艇をつくったりしているんです。そんなふうに、このあたりは工場が多くて、昔は約12000軒あったとも言われているんです。」

染谷さんは、地域住人の交流となる場として、昨年4月に「YUDEN MALL」をオープンした。
普段はカフェを営業しながら、イベントも染谷さんたちが催している。
「製作所と連携して3Dプリンターのイベントを開いたり、大阪のアーティストにカフェライブをやってもらったり。『ここでまた何をやっているんだろう?』って覗く人も多いですよ。」

「メインの事業としては、油の回収作業をやっています。東京の油を集めて、循環型の地域社会づくりに貢献する。ただそれには、東京に住む一人ひとりの意識が変わっていかなきゃいけないんです。そこが変わらなければ、いくら私たちが油を集めて資源になると言っても、世の中が変わらない。」
「みんなの意識を変えるなら、まちの人と触れ合わないと。それに環境のことをやっていると、地域コミュニティの問題にもつながってくる。社会を変えようって考えている私がたまたま油屋なので、油でのアプローチをしている、ということなんです。」
染谷さんは高校卒業後にアジアを旅していたという。そのときに環境問題に関心を抱いた。
就職先として環境をビジネスにした会社を選ぼうとしたけど、なかなか思うようなところが見つからない。油を回収するリサイクル業をしていた実家を思い出し、1991年から染谷商店で働きはじめた。
その2年後、廃食油を再利用してつくられるバイオ燃料“VDF”の開発に成功した。
「当時はまだバブル経済だから、日本が盛り上がっているときに、油回収なんてすごく地道な仕事をしていたわけですよ。そのときは『どうしてこんな汚れる仕事をしているの?』なんて言われてね。」
「それでも20年以上やってきて、いままさに必要とされているなって実感するんです。0からつくりあげてきたものが、だんだんと広がってきました。」

エコディネーターの主な仕事は、油の回収。TOKYO油田2017に参加する都内のお店をまわって廃食油を集め、オフィスの近くにある工場へ届ける。
回収するときは、お店の人との会話から問題点を抽出して、オフィスに戻り解決法をみんなで考えるそうだ。
単なる作業員ではない仕事。イベントもよく催す会社だから、その準備や当日のスタッフとして動くこともある。
「新宿区で、子ども向けのキャンドルワークショップを毎年開いているんです。今年は、学校の先生につくり方を教えてほしいってお話があって。」
自社イベントだけでなく、ときには大きなイベントにも参加するそうだ。
きっかけは、油回収先のお客さんだった。
「とあるハンバーグレストランさんの数店舗に、家庭用油の回収拠点を設置いただいているんです。その運営会社はエコにかなり力を入れているところで、地球市民フェスティバル“Earth Day Tokyo”に協賛されているんですよ。そんなつながりでお声掛けいただいて、ラジオイベントの発電をしました。」

「世の中に示していくという点で、たまプラ油田・電力がうまくいくと面白いかな。うまくいけば、ほかの地域に共有していくこともやりたいんですよ。」
そんな話を、とても楽しそうに染谷さんは話してくれる。これからどうなっていくのか、とてもワクワクしながら僕も聞いていた。
ただ、事業の根本は油回収作業だ。それを忘れてはいけないと、染谷さんは言う。
一つひとつの地味な作業が、TOKYO油田の大きなプロジェクトを支えている。
「回収するからこそ、電気をつくれる。電気はコンセントの向こう側から勝手にやってきて、そこだけを享受しているけど、電気をつくるところから自分たちの手に取り戻そうとしているわけです。0からつくって使うからこそ、ありがたさも、価値も分かると思うんです。」

「地域をこうしていきたいって、相談に来られる方がいるんですよ。このあいだは、『空き物件をどうしたらいいかね』って聞かれて。『うち、油屋なんですけど』って(笑)。けど、私はそういうのが好きでついつい動いちゃうんです。あの人が部屋探していたなって、コーディネートしちゃう。」
「モールをつくったり、イベントを開いたり。すごく期待されているなって感じがあるんです。だから、私たちに相談に来てくれると思うんです。」
これまでの積み重ねによって、染谷さんたちの想いがまわりの人に浸透していっているのかもしれない。
「私たちのやっていることをなんとか広めようと、模索してきました。モールはそのひとつなんですね。小さい会社は、資産もあまりないし、人もあまりいない。ないなかで、いかに広めていくか、知恵を絞っているんです。」

これからも、油回収を通じた多様な展開をしていくのだと思う。
それに合わせて働く人も必要だ。けれども、なかなか思うような人が集まらないという。どうしてだろう?
「TVにも取り上げられて、コミュニティビジネスって聞こえのいいことをやっているから、誤解して入ってくる人が多いんです。」
どんな誤解ですか?
「ソーシャルグットな会社は、優しいものだという感じで。私が厳しいこと言うと、びっくりされる。そもそも私たちは、道なき道を掘り起こすベンチャーですからね。」
「だけど最近、心を入れ替えまして。これまで会社として頑張らなきゃいけないときに、スタッフのみんなに負荷をかけてしまうこともありましたが、やめました。社会にとってよい会社なら、働く人にもよくなきゃいけないなと。」
しっかりと制度化も進め、この業界の会社としてはめずらしく、完全週休2日を取り入れている。
また、エコドライバーの仕事の改善も行ったそうだ。
「回収コースをぜんぶ整理整頓して、時間短縮できるようにしました。これまでは朝7時から16時までの勤務時間でしたが、朝早いとなかなかキツいですよね。それで、8時や9時開始のコースもつくりました。ほかのことも改善中で、だんだん働きやすい環境に変えていきたいと思っています。」

「何でもやりたいっていう人ですね。2007年に社内改革を起こして、みんなはただの油回収作業員ではないんだって言ったんです。エコディネーターという、油回収を通じて社会を変えていくことを伝えていくメッセンジャーなんだと。」
「だから、私たちは回収先やイベントの現場へ行って、お客さまに何か聞かれたときにきちんと答えられなきゃいけない。」
油のこと、エコのこと、TOKYO油田が目指していること。そういったことを理解して、共感できることが大前提なのだと思う。
むしろ共感できていないと、毎日の作業はただつらいものでしかないと思う。
回収作業は肉体労働。夏場の暑いときは油の匂いがキツくなり、とくに大変なのだとか。

「回収先のお客さまからは『ほかとは質がまったく違う』って、ほめていただくんです。私たちの根っこにあるのは、油回収ですから。」
ある日、取引先で働いていた人からユーズの求人に応募があったという。
どうして募集したのか聞いてみると「回収にくる人の雰囲気と接し方がとてもよかったから」と話していたそうだ。
「その方は結局、調理の現場を選ばれたのですが、やっぱり嬉しかったですね。現場のスタッフの姿を見て、うちの会社がいいなって思ってくれた。これまで20数年やってきて、最近になって、そんなことを言っていただくようになりましたね。」

「これまでは『秘密です』って答えていたんですけど(笑)。その3年後は、東京オリンピックですよね。バイオ燃料のバスを選手村で走らせてたり、選手村から出た油で電気を灯そうじゃないかと。そういったこともやっていきたいし、本当にこれから楽しそうなことが待ち構えています。」
きっと楽しいだろうし、でもそればかりではないと思う。
1歩ずつ着実に、目指す先へ歩んでいく仕事です。
その地道な努力が、いつしか社会を変えていくのだと思います。
(2014/11/17 森田曜光)